伝統文化★資料室

東京成徳大学・日本伝統文化学科の学生と教員が「伝統文化資料室」から、情報発信します!

箕輪城と青柳金王丸忠家

2011-04-04 22:21:41 | 青柳隆志先生

国指定史跡となっている高崎市箕郷(みさと)町の箕輪城は、名族長野一族の居城であり、武田信玄の度重なる攻撃に遭って、永禄9年(1566)9月27日に落城、当主長野業盛は自刃、多くの家臣も最期を共にしましたが、その中で、数に優る武田軍を相手に度々逆襲をかけ、一矢を報いた武将として、青柳金王丸忠家の名があります。忠家は現在も前橋市に残る青柳の地(勢田郡青柳村)を本居としていましたが、長野家に仕え「十二家客分大身小身知行持衆」の一人に数まえられています。支城高浜城に迫った武田の武将那波無理之助の軍勢を追い散らしたのが青柳忠家(金王)でありました。忠家は、これも支城の一つ下芝砦(または、三つ子砦)に拠り、忠家の子民部が居城したとも言われますが、他方、この下芝(柴)砦には、後に新影流の鼻祖として柳生宗巌らを輩出した剣聖、上泉伊勢守(信綱)が拠ったという記録もあります。忠家の墓は、箕郷町白川の曹洞宗大嶽山検点院滝沢寺(りゅうたくじ)にあります。

私の祖父青柳虎三郎は、その箕郷町下芝(当時は箕輪町下芝)で生まれ、昭和の初めに東京浅草の田原町に出て所帯を持ちました。下芝・上芝のあたりには、今でも青柳姓の家が多くあるようです。虎三郎の長兄は「忠多」といいますが、これなどもあるいは、忠家の名にあやかったものかも知れません。


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