徳川家康の正妻と嫡男が命を絶たれるという、そんなお話でした。
もちろん、歴史上の事実としては知っていました。何かの機会に一度考えたことはありますが、真相がわからないとのこと。
何となく天下人が隠したがっているのだから、後ろめたいことがあったに違いないと思っていました。
要するに、家康サイドに不都合があったのではないかと。その理由は情がなくなったりして、などという、遠くに住んでいたわけだしそんなこともさもありなん。そんな程度に考えて、また戦国の世というのは恐ろしいと、そんな考えでありました。
大河ドラマでは、家康は死力を尽くして助けようとするけれども、織田の力の前には単なる言いがかりも振り払えず、という、大変現代的で家庭的で人間らしい家康像が描かれていました。
なるほど。。
ふと思いました。
本当に辛い過去というのは話したがらないものです。
私の母方の祖父母は、戦争の体験がそれは凄惨だったらしく、ついに今生で話を聞く機会を得られませんでした。
私も、ついぞ話せずにいる体験があります。
話す必要もないのですけれども。話したくないのです。思い出したくもないし。
もし、家康公も同じように話したくないだけだったとしたら。。
正妻と嫡男を失うというのは、戦国大名にとってとんでもない失態だとは言えます。
明らかな確執があったならばともかく、そうでないなら、失策、失態、失政。。。
その自身の失敗のために失った代償はあまりに大きく、つらいと吐露することもはばかられたのかもしれません。
真相が残っていないのは、そういう家康公の姿勢だったからかもしれません。。
弟殺しとか、いろんな話がある戦国の世で、もしこんな話が「真相」なんだとしたら、江戸幕府につながる経験であったとか、そういう話以上に、人間くさいというか、今も昔も何も変わらないというか、そんな温かい気分になりました。
そして、私はこのブログとかで、つらいよーとか今は言えている。
大して辛くないのかもしれません。
そっか。病気は、辛いと周囲に言える分、楽なのかもしれません。
と、歴史のとんでもない話まで、自分のポジティブに利用しちゃう自身に少し引いています。