ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

不動産

2023-06-17 19:59:21 | Economics
今日は歯医者の検診がメインの用事でしたが、サブの用事として不動産巡りをしました。

結局メインの用事に。

収穫ありましたね。

コロナ禍が明けてなのか、物価上昇なのか、家賃も上がっています。

興味があった物件をひと通り見て、ある意味納得しました。

安い物件にはそれなりの理由がある。
高い物件にも理由があるけれど、どうでもいい理由もある。

有名メーカー物件の高い理由とか、色々収穫がありました。

人の話は聞くものです。

余裕を持って見極めることも重要ですね。

足元見られないように。
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不幸濃縮

2023-03-19 16:43:10 | Economics
理不尽は立場が弱いほど濃縮される。

というのが私の持論。

立場が強い人が適当に発言したことが、立場の弱い人にとっては命を奪うレベルになる。

製品開発だとわかりやすくて。

図面の意味が分からずに、制作製造現場が翻弄される。
どうやってもモノが出来上がらない。
出来上がっても、検査できないし、搬送納品できない。

しかし書いた張本人は特に考えていない、なんてことはよくある。
結構ある出来事。


そんな適当な仕様や図面を書いていると、書いている張本人は現場に顔向けできない。

「現場に考えさせればいいや」で書いているので、実際に現場の人と会った際に、コミュニケーションさえできない。

「あの図面を書いたのは自分ではありません」かのように。

現場と壁が生まれて、ほんの少しの情報共有すらできなくなる。

「これを加工するための工具が、今流通していないんですよ。互換工具はあるけれど、加工法変えなければならないんです」

図面書き換えれば一瞬で対応できることさえ、コミュニケーションできない。


残念ながら、今の日本のものづくりは、ほとんどこの状態。

学歴確保のために、高校大学で教科書を使って勉強するけれど、その理工学知識を応用して現実の問題を解決するということをしていない。

だから現場と会話できない。


そんな仕様や図面が現場にそのまま送られてくる。

そして現場は情報の混乱にまみれて、定常外業務でケガを発生する。
命が奪われる。

質が悪くてお金のかかる、厄介な商品製造の現場。

しかしこれが日本のものづくりの現実。


真面目になんとかしないとならないと思っている。
作戦を考えないとならない。
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追い込まれないとやらない

2023-03-04 15:44:13 | Economics
私も例に漏れず、必要性がない限り、わざわざ余計なことまでやりません。やりたくありません。

それでも一般的な人より色々やっているかもしれない。

帰ってからも、土日も色々やることがあります。


結局締め切りを逆算すると、それまでにやっておかないとならないことがあって、その締切に間に合わせるためには、平日土日の時間も計画的に分散しないとならない。

計画的というよりも、そうしないと追い込まれてしまうからやっている。

逆に言えば、常に追い込まれているわけで、それはそれで休まらない。

なので、なるべくあくせくしないように時間配分やタスク分散を心がける。

そうしないと仕上がりがいい加減になるし間に合わない。
結局何やってたんだってことになる。


計画的にやれとかじゃなく、計画的にやらないと滅亡が待っているので、やらざるを得ないのですよ。

そういう状況になれば、嫌でもやらなければならないんです。
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怪異の存在

2023-01-03 06:08:22 | Economics
西尾維新の化物語シリーズが有名になってから、「怪異」という言葉がメジャーになったと思っている。

それまでは、物の怪、怪物、妖怪といった名称のほうがよく使われていたように思うのだけれど。

「もののけ姫」「怪物くん」「妖怪ウォッチ」など、特定の作品イメージに直結する言葉となってしまったため、他の表現の「怪異」が必要になったのかもしれない。


それら怪異は、人の想像する、人を超えた恐ろしい存在なのであって、吸血鬼も鬼も化け猫も地縛霊もそれにあたるのだけど、人がいないと存在できない。

人が想像した存在だから。

人がその存在を想像して伝承するから存在しうる。

人が絶滅したら存在し得ない。

いわば神の存在も同様であって。

人を超越した存在を想像することによって、理想の目標となる存在として定義される。

宗教内にあって、時に神の存在を偶像化や絵画などに表現することを禁じる場合がある。

なぜかを考えると、現実に実現しないから、各人の想像によって如何様にも具現化できる。

理想の想像を具現化したい試みは、達成されると同時に否定される。

他の表現者によって違う理想の神が表現されることによって、それが想像の存在であることを証明してしまう。


世に溢れる物語は、主にこれらの想像のファンタジーを肯定した、フィクション物語として構築される。

そうでなければ現実を元にしたノンフィクションであったり、将来を正確に予測シミュレートしたサイエンスフィクションであったりするわけだけれど、現実と違えば否定される。

現実記録も個人によって認識のバイアスがかかる。都合の悪いことは記録に残したくない。

未来も現実がその未来に到達すれば、違うことが証明される。

バック・トゥ・ザ・フューチャーも、ドラえもんも、2001年宇宙の旅も、現実社会が物語の設定時期に来れば、違うことが証明されてしまう。

それを娯楽表現としての物語ではなく、現実経済を元にした、現実社会経済中のビジネスにすると、経済的価値によって取引される、わかりやすい現実問題に変換される。

それを怪異とすることは、逆に行いにくい。
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一生の計は自由時間にあり

2023-01-01 09:18:26 | Economics
一日24時間は、地球上のすべての生物に平等に与えられている機会です。

生まれや健康、財産など、自分以外から与えられる環境に対して、不公平だと文句や言い訳はできるけれど、一日24時間は、物理的に言い訳できないレベルの平等さで存在します。

今の自分の、平日の一日に費やす時間を考えると、
生活必需時間:12時間
 睡眠:8時間
 食事&休憩:3時間
 風呂&着替:1時間
拘束時間:9時間
 労働:8時間
 通勤:1時間

自由時間=24−12−9=3時間

自分に自由に与えられている時間は、一日たったの3時間と考えると、非常に短いと思います。

一年平日が約200日として、自由時間が、
3×200=600時間

労働時間が、
8×200=1600時間
ぐらい。

マーケティングとしては、この3時間を何に消費させるかが重要で、
・テレビ
・YouTube
・スマホゲーム
・テレビゲーム
・パチンコなどの遊興
・飲み屋などの外食産業
どこの時間に大衆を誘導するかが、最終的な売上に繋がってくるわけです。
時間をかけた領域にユーザーはお金を消費するので。


と考えたときに、そもそも9時間を労働として他人の目的と目標のために費やしているのに、さらに自由に使えるはずの3時間さえ、他人の目的と目標のために消費するなんて、それこそ社畜であり国畜であるでしょうよと思うわけです。

うまく畜産されてしまっているなぁと感じます。

自由に使うべき時間を、残業時間として他人のために提供するのも違うと思います。

残り時間すべてを家事育児に費やすという選択肢を放棄したので、私の自由時間は確保されていますが、それさえもなくなったら現在の自分は成り立ちません。


本来的には労働時間も自分の目的と目標にするべきですが、せめて自由時間を自分の時間として取り戻す作業をしています。

作業としては、
1 とりあえず取り掛かる
2 長期目標を短期目標に分解する
3 長期目標を誘導できる課題を選ぶ
4 無駄は無駄として大事にする

1は始めない限り始まらないので、初めてやることでもとにかく取り掛かることが重要だと思っています。

2で難しい課題を簡単な課題に分解します。
よくできたゲームは、少し頑張れば簡単に結果が出るように調整されています。
スマホゲームはそのあたり非常によくチューニングされていると感じます。
パチンコなどもそのあたりうまく演出しているでしょう。
どんなに難しい作業でも、細かく分解していけば、誰にでもできるような単純作業になります。
とにかくやれば成果が出るぐらいまで作業を細分化して、その成果が実感できるような仕組みを自分で作ってしまいます。
自分でハマるシステムを作るのです。

3は、限られた時間で、全く違うことをやって、散財していつまで経っても成果が出ないことを防ぎます。
これと決めた最終目標に一致するような課題や目標を意識して選びます。
気をつけないと、最終目標に対して全く無意味であったり、逆効果な作業に没頭してしまうことがあります。
中間目標が最終目標に一致しているかを見直して、必要であれば最終目標を修正します。

4で、とはいえ、全く違うことや無駄なことをやって得られる視点は重要です。
失敗経験をしないと、成功はありえません。
間違いを知ることで、修正方法を知り、直すことができます。


「一年の計は元旦にあり」とも言い、それは今年1年だけに留まらないのですが、これから先やり遂げたいことはたくさんあるので、そんなことを考えながらやっていきたいなぁと思っています。
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