ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

社会貢献

2016-09-28 22:34:07 | 日記
私は仕事の本質を社会貢献だと考えている。

経済的利益は社会貢献の度合いとして副次的に得られると考えている。

株式会社などは企業活動が社会に何らかの形で貢献すると期待するから株を購入するのであって、社会的に悪影響を与える企業であるとわかれば、当然のごとく企業価値は下がり、株を手放し、株価も下がる。

因果応報。
当たり前の結果。

社会貢献活動が顕著であれば、NPOであっても、当然ながらスポンサーは付く。
株式会社である必要すらない。

社会貢献の前提がない経済活動は、いずれ破綻する。

仕事=金儲け

では成り立たない行為が存在するからだ。

診療。
子育て。
介護。

これらを金儲け前提で行えば、当たり前にひどい目に合う。


主体を自分に置き換えてみるとわかりやすい。

「自分は金儲けのために育てられた。
だから自分も金儲けのために人を育てる」

このような考えで生きていれば、当然のごとく自己否定観念に襲われる。

ここで一旦金という概念を取り払う。

「自分は人を育てるために育てられた。だから自分も人を育てる」

非常にシンプルでわかりやすい。


「金がないと生きていけない」と考えているのは、人だけだという事実に気づいている人は少ない。

社会を構成している人は、人それぞれのコミュニケーションで生きている。

金は本来的にはコミュニケーションの一手法に過ぎず、普遍的価値ではない。

百年前の1円と現在の1円の価値が全く違うように。

ところが、金という概念が生まれる前から、生物は産み育てるという活動を続けている。

どちらが普遍的かは比べるまでもない。

とは言え社会主義や共産主義に走るわけでもない。
経営の神と呼ばれる松下幸之助は「無税国家は実現可能である」としてPHP研究所を立ち上げた。

最近その理想は実現可能だと思いつつある。
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デコイ

2016-09-22 21:46:45 | 日記
ネットワーク管理者なんかをやったりすると、他人の情報なんか見ようと思えばいくらでも見られるので、見る気さえ起きないのです。

若い頃、スキーに行った帰りに露天風呂で、男湯と女湯の岩に穴が空いていて、試しに女の子の名前を呼んだら、全く無防備に近寄ってきたものだから、
「うおい!少しは考えろ!」
と、言うほど。

基本、私の場合デコイを置きます。

デコイは囮です。

情報の中に全く自分の興味のない情報を意図的に紛れ込ませます。


真面目な文章を書き始めたつもりでも、それが世間一般の普遍原理でもなかろうなと、最後に結論を濁しますね。

時代によっても変わるし。


わざわざ隠しているものを覗き見したくはないのは事実。

そういう意味で、最近スカートは矛盾ばかりだと思う。

「パンツ見せたくなかったら、そもそもそんなもん履くな」

妹二人いるんで、女性の着用物に興味がないどころか、小さい頃妹の下着が私のタンスに混じっていて、
「なんでフリルがついているんだろう?」
と、日常的に着用していたということを思い出し、激しいトラウマを背負った思春期を乗り越えてしまった今、んなもん見たくもないわい!


プライベートを覗いたり、昔のブルセラショップの様な異性の着用物に対する関心は、必ずしもあるものではないのです。
どちらかというと特殊性癖です。

会社で、
「私の着ている服を欲しいと思う?」
「お前のなんかいらねぇよ」
「そうでしょ?それと同じように私は他人の着用したものに何の価値も感じないのです」

なので、フリマとかの古着は買う気がしません。

サイズが合ってもらえるなら頂きますが、率先して貰いたいと思わない。


というデコイもあるかもしれないというデコイ。
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困ると人は?

2016-09-19 21:58:01 | 日記
怒っている人は、困っている人。

自分自身が追い込まれているとき、そこから抜け出すために、
 ↓
怒る。

自分自身に不満があるとき、自分が低俗な人間であると自覚してしまったとき、
 ↓
社会を否定する。


自己否定概念が強ければ、自分が優位に立つために、他者を否定する必要がある。

いわば不良が、
「触るもの皆ぶっ殺す」
のは、その必要があるから。


自殺概念はそれが逆に自分に向かう場合に発生する。

自分に生きる価値がないことを、自分に求めるから。


そんなこと関係なく、こんだけ長く生きてきただけでも、十分価値があるのに、自らその価値を落とすことなんてないのに。

といっても、やってしまうのがまた人間だったり。
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絶望

2016-09-17 23:17:26 | 日記
絶望なんて知らないほうがいい。

本質的にはそう思う。

でも絶望を知らない人間は、時に残酷だ。

絶望の縁にいる人は、はるかな高い断崖絶壁を見下ろしている。

そこに追加して「あれをやれ」「これをやれ」と言われても、どうにもままならない状況に更に負荷を与えられ、足場が小さくなっていく。

全く逆効果だ。

パニックになるのは目に見えている。


仮に後ろを振り向いたら、フワフワのでかいベッドがあったらどうだろう。

とりあえず寝転んで空でも見上げて深呼吸するだろうね。



人のことは言えないが、けっこう頭の中がとっちらかっていたり、固定概念で縛られている人は多い。

自分に縄が巻き付いて解けないのなら、一度力を抜いて、
「ちょっと助けてもらえないかな?」
と人を頼るのも手だろう。

フワフワのベッドは用意できないかもしれない。

でもまぁ人の心はそんなにも冷徹でも打算的でもない。


久しぶりに干すことのできた布団の温かみを感じながら思う、当たり前のこと。

絶望の反対は、安心。

希望ではないんですよ。

安心と安全が確保されて落ち着いてから希望の話ができる。

現状に落ち着かないで、「いいから先のことを考えろ」って、落ち着けないよぅ。
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カシオ

2016-09-11 19:23:34 | 日記
大変残念なことに、私はカシオが好きではない。

小学生の頃、カシオの「楽ガキ」というめちゃくちゃ安いパソコンを買ってもらい、BASICでひたすらゲームを作っていた。
ゲームカセットもあったのだけど、買えず、買わずに、ひたすら打ち込み。
外部記憶装置がないので、電源入れっぱなし。
キーボードはタッチスイッチフィルム。
先駆的!
風呂場の給湯器のスイッチみたいなものです。
カチャカチャ言う機械式キーボードが羨ましかったですよ。

フィルムキーボードが壊れます。
問題は消えては困る電源が壊れること。
3回ぐらい修理して、結局直らなかった。

子供ながらに、
「カシオ製品は買わない」
と思いましたよ。

でも未だに使っているカシオの腕時計。
初代wave cepter。

2回ぐらいバッテリー交換しています。

ついこの間、水没させました。
シリカゲルで脱水しました。
時計が合わせられなくなりました。
電波時計を合わせる時刻の4時ぐらいに起きて針の時刻合わせをしました。

電波は福島局しか受信しません。
今はGPS衛星の時刻調整もできる時代、東日本でしか時刻合わせができません。

時刻はアナログで知りたい。
月日と曜日を英語で知りたい。
意外とこの要求を満たす腕時計がない。

だから、本当にこの時計が使えなくなるまで使ってやろうと思っています。

使えない二次電池。
使えないソーラーパネル。

小学生の頃の「楽ガキ」そのものの壊れやすさ。

次はシチズンかセイコー。
でももう20年近くこいつと一緒。

さてあと何年使えることやら。


一般的な腕時計に比べたら安いですよ?

値段じゃないんです。


意地です。
愛かもしれない。
しれないかもしれない。
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