落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (72)湊川の「死兵」戦

2015-07-03 11:11:34 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(72)湊川の「死兵」戦




 5月24日。楠木正成ひきいる軍勢700騎が、兵庫湊川に到着する。
上奏した正成の軍略は、いくさを知らない公家たちによって、ことごとく却下された。
ようやくの想いで取り戻した京の町を、ふたたび戦場にすることは忍びない。
京都の手前で足利勢を食い止めよ。それが公家たちの結論だった。


 正成の700騎が、水際を守る新田本隊と合流する。
義貞は、失望の色を隠せない。
待ち望んだ援軍が、わずかに700。
これでは総勢6万以上に膨張した足利の水軍を、食い止めることなど出来ない。
誰がどう見ても、命を無駄に捨てる無謀な戦になる。



 決戦を前に各武将たちが、本陣に呼び寄せられる。
軍議の結果。義貞は湊川の海岸部で、上陸してくる6万の水軍を迎え撃つ。
正成は会下山付近の内陸部で、2万余りの陸路軍を迎え撃つことが決定される。
『太平記』によればこの夜2人は、帷幕で酒を酌み交わしている。
正成が義貞に問う。『此処で戦うのは、新田殿の本意ではないと思われるが?』
問われて静かに、義貞が答える。



 「敗軍の小勢で、勢いに乗っている大軍と争っても勝ち目はない。
 しかし私は、昨年は箱根で破れ、今また中国で赤松の城を落とすことが出来なかった。
 このままでは、世間からあまりに不甲斐ないと笑われるから、ここは勝敗を度外視して
 一戦を交えるほかはない」


 「衆愚な連中の言うことなど、気にする必要はない。
 戦うべくときに戦い、引くときに引くのが真の良将というものです。
 だが帝は、京での市街戦ではなく、はるか離れた湊川を決戦の場として選んだ。
 上陸してくる敵を、ここで迎え討てと言う。
 わたしは帝の命令に、ただただ素直にしたがうだけだ・・・」


 2人の会話は、そのまま途切れる。
ここが死に場所と決めて、湊川までやって来た正成にそれ以上の会話は不要だ。
義貞もまた勝ち目のない戦を前に、友と心静かに最後の酒を酌み交わす。



 湊川のたたかいは、5月25日の午前中からはじまる。
楠木の軍勢は前夜から、内陸の会下山(えげやま)に陣を張っていた。
会下山は、標高が80~85m足らずの小さな丘だ。
眺めが良いため、古来から軍事上の要衝として重視されている。



 『太平記』によれば楠木勢700騎とあるが、実際にはもう少し多かった。
楠木一族以外の将兵が、会下山の戦場で戦死をしている。
おそらく新田義貞が、部隊の一部を分けたものであろうと推測できる。
正成が迎え撃ったのは、足利直義を総大将とする2万の敵兵だ。
とてもでないが数の上で、かなわない。
このような状況下で小勢が勝つ方法は、ただひとつしかない。
全員が「死兵」になることだ。



 敵の総大将・足利直義の首を狙い、敵の本陣に向って何度でも突撃を繰り返す。
中央を突破することで、敵の隊列に乱れが生じる。
そうした混乱に乗じて、首尾よく敵総大将の首に迫り、打ち取る。
それが命を捨てた「死兵」の戦法だ。
「死兵」とは、死を覚悟し、死ぬことを目的としている兵士のことだ。
彼らは、地位も恩賞にも興味がない。
一人でも多くの敵を巻き添えにして死を迎えることが、戦う目的であり意味なのだ。


 普通の兵士たちは、仕事として戦う。
いくさの中で功を上げ、恩賞をたくさんもらいたいという欲を持っている。
自分が死んでしまったのでは、まったく意味がなくなる。
ゆえに戦いがはじまると、なるべく安全に身を置こうとする。
遠い地点から弓矢などの飛び道具を多用するのは、このためだ。


 だが「死兵」は違う。
一人でも多くの敵を道連れに、自分も死んでいくことだけがただひとつの目的だ。
ゆえに、果敢なまでの接近戦を挑んでくる。
普通の兵士たちは「死兵」の姿を見ると、みんなその場から離れ、いち早く逃げていく。
本陣近くまであっという間に、楠木の「死兵」が殺到する。
直義の首の真近まで、肉薄していく。



 真近まで迫っても、敵将の首を取ることは出来ない。
大将を守るために、相手側も、必死の想いで応戦するからだ。
一撃必殺の白兵戦が、なんども本陣近くで繰り返される。
だがやがて数において劣る楠木勢が、時間とともに疲弊を重ねていく。



 同じころ。義貞は、海岸沿いを東進して来た尊氏軍を相手に、善戦していた。
洋上にいた水軍が、新田軍の背後に上陸しようと大阪方面に移動し始めた。
この瞬間、義貞は形勢の敗北を悟った。
背後に回られ退路を断たれたら、ここで全軍が全滅する憂き目にあう。
義貞は全軍にたいして、敵に上陸される前に、東に向かって退却することを命じる。


(73)へつづく
 


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら

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