落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (88)猩々(しょうじょう)

2015-07-22 11:24:44 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(88)猩々(しょうじょう)



 
 世界中で、日本人ほど風呂好きの国民は居ないらしい。
外国には、一生風呂に入らなくても平気な人が居るらしいが日本人ときたら
毎晩、入浴するのが当たり前と考えている。
朝湯も有るし、シャワーも大好き。
そのうえ温泉に行こうものなら、身体がふやけるまで風呂を満喫する。


 浴槽と湯船はまったく同じものだ。しかし発生の語源が、少し異なる。
湯船の語源は、江戸時代までさかのぼる。
風呂なんか入らなくても死にはしないというのに、どんな状況でも風呂に
入りたい日本人は、風呂の宅配便というやつを考えだした。
屋形船の中に浴槽を作り、お湯を張り、入浴させる水上風呂がそれにあたる。



 水上風呂は、江戸の町中を通る川や運河を使って移動する。
歩いて銭湯へ行けない水上生活者や、川沿いに住んでいる住民たちから
料金を取り、入浴させた。
この水上風呂を湯船と呼び、のちに浴槽を指すようになった。


 江戸時代のおわり頃。この水上風呂が、川から市中へ飛び出した。
湯を張った湯船が、いろんな場所へ配達されたという。
上野の山の花見どき。桜の木の下で、粋な人たちが配達された湯でひとっ風呂をあびた。
三味線の小唄を聞きながら風呂に浸かり、わざわざ雪の日を選んで、
雪見風呂を楽しむ人まであらわれた。



 ある研究によれば関東大震災の時でさえ、水たまりで青空銭湯をしていたという。
第二次世界大戦後の焼野原でも、壊れた銭湯に板囲いをほどこし、どこからか
水を持ってきて、大勢で風呂へ入っていたという。
日本人の風呂好きは、単に「清潔好き」や「健康」をこえた、日本人特有の
習慣といえるかもしれない。



 それにしても女たちは、本館の源泉へ行ったまま、戻ってこない。
部屋付きの風呂へざぶりと飛び込み、雪を見ながら、ぞんぶんに温まった勇作が
部屋へ戻り20分も過ぎたというのに、女たちは戻ってこない。
時計の針が6時を過ぎた頃。若女将が、夕食の膳をもって離れの部屋へ現れた。



 手際よく、4人分の膳を整えていく。
立ち振る舞いに無駄がない。仕草の中に、手慣れた雰囲気以上に、なんともいえない華が有る。
まるで舞いでも見ているようだな・・・と勇作がポツリとつぶやく。



 「お先にどうぞと、ことづかってまいりました。
 おめでたい時にふるまわれる、吉野の地酒、猩々(しょうじょう)です」



 若女将が、地酒の小瓶を持ち上げる。
「猩々」は中国に住む想像上の妖精のことだ。顔は人、体は猿。
声は小児のごとく、赤ら顔をしており、大酒を好むとされている。



 「中国の金山(きんざん)の麓、揚子(ようず)の里に、高風(こうふう)という
 大変に親孝行の男が住んでいました。
 ある晩のこと。高風は、揚子の市でお酒を売れば、富み栄えるという夢を見ます。
 夢のお告げに従いお酒の商売をしたところ、お店は栄え、
 高風は次第にお金持ちになっていきます。
 ある日。お店を出す市で、不思議なことがおこります。
 いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、いくら酒を飲んでも
 顔色の変わることがありません。
 高風が不思議に思い、名を尋ねると、海中に棲む猩々だと名乗ります。
 つぎの日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待ちます。
 そこへ、赤い顔の猩々が現われます。
 猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。
 心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を
 贈り、酔いのままその場に臥してしまいます。
 高風の夢の中での出来事でしたが、酒壷はそのまま残ります。
 高風の家は、長く栄えたと伝わっています。」



 「へぇぇ。おめでたい地酒だねぇ」
ありがとう、そういうことなら遠慮なくいただくよと、勇作が盃を持ち上げる。
「お正月ならではの、とっておきのお酒です」若女将が、地酒の小瓶を傾ける。


 「君は生まれも育ちも、ここ、西吉野の人なの?」



 吉野の地酒を飲み干した勇作が、若女将の瞳をいきなり、
真正面からじっと覗き込む。


(89)へつづく
 


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら

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