女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

どんな人になりたいのか、どんな人になるのか、どんな人になったかが重要(心はどうでもいい)

2014-09-25 20:53:27 | 違和感、自己認識、価値観、判断
 何度もここで書いているように、あなたの心の中は誰にも分かりません。あなたがどんなに、「ホントの私の心は女だ。」と主張して体を心に合わせたとしても、幸せな人生を歩めなければ選んだ行動は間違いだったでしょうし、「わたしは女性になりたい。」と思って移行埋没し、何も不自然な状況がなくかつ本人が幸せであればその選択は正しかったのです。

 また、
「私の心が女性」
と主張する方は、ふつうは、
「私は自分のことを女性と感じている、思っている。」
と同じであって、自分自身の内省や他者を観察して、
「私は、一般の女性と同じ感覚や考え方を持っている。」
ということではないでしょう。
ということは、
「私の心は女性」
ということは、
「私の心は、普通の女性と違って、「自分が異性であると強く感じる」人なのです」
と同じ意味です。もしかしたら、過去数回のエントリーで珍説を述べたように、
「自分を女性と感じることで満足を得る」感覚の方が、純女の感覚に近いかもしれませんよ~(と脅かしておく)
 ここで私は、「私は生まれたときから女性の心を持っていました」とか「体が間違って生まれてきたと確信します」と本当に感じる方の心を否定したいのではありません。
「自分自身のことをどう感じているかは移行の成否や幸福の有無に関係ない」
と主張しているのです。
 性別の違和感による苦しみに質や量の差があったとしても、その違和感や苦しみの表現は、違和感や苦しみそのもの以外の要因に左右されます。


 心や心を表現する言葉には、どんなに本音で伝えても、そこには自分に都合のいいバイアスがかかっています。例えば、私はいろんな場面でよく謝りますが、それは私が謙虚なのではなく、自分の自信のなさだったり、「こんな謙虚な沙織っていい人でしょ」という自己アピールにすぎません。(と書いていること自体が謙虚アピールになっている。と書いていること自体が・・・以下永遠に続く)
 ちょっとGIDと関係ない話題になりますが、私の両親は私が20歳の時に離婚しました。離婚の直前には、私たち子どもたちを含めての話し合いも持たれたので、泥沼な状況も味わうことができました。その時の父親も母親も、自分の正当性を伝えるのみでした。法的には父親に非があったものの、そうなった理由を聞くとさも父親にも理があるように思えるし、母親もなぜこんな父親に固執して離婚を嫌がるのか分かりません。勿論、母親には法的にも、道徳的にも理があります。
 結局は母親側に経済的に不利なことを最小限にすることで父親の思いを通し離婚になりました。今でも父も母も自分には非はないと思っていると思います。
 その後、父親は自身の収入からすればかなり大きな額の財産分与や養育費を支払っていましたが、新しい家族は幸せで、時々私にかかってくる電話では幸せそうな様子を伝えてくれます。母親は離婚後数年間はとても辛そうでしたが、勇気を奮い起こして、相手(父親)が悪いから自分(母親)は悪くないと自分に言い聞かせて、数年後新たな出会いで再婚し、本当に幸せな人生を送っています。もしかしたら、父親は自分の非を認めたくなくて自分を正当化したかもしれませんし、母親は自分が父親にしてきたことを棚上げして法的な非をついただけかもしれません。いくらでも心にうそをつけます。けれども、二人とも幸せになったのです。
 勿論父親や母親の心の奥底を覗くことはできませんが、自分自身を奥深く掘り下げなくても、どんなに悪人でも、どんなに未成熟でも、幸せになることはできます。


 だから、別に「私の心は女性だから体を元にもどす」と本気で感じる方の心の奥底を掘り下げる必要はないと思います。(けれども、他の感覚で同じ結果を目指す人を非難しなくてもいいのになあと思いますが。)
 大事なのは、心でなくて行動です。移行への行動力だけではありません。


 他人から非難されるような行動を、自分の正義感や欲望に駆られて行うなら、それ相応の非難を覚悟すべきです。他人から非難されずに祝福して移行したいのであれば、周りの理解を得ながら説得と粘り強さと移行以外で見せる他者への配慮や愛情を示して移行すればいいのです。どちらが幸福な移行なのかは、私が上から目線で言い渡すのではなく、あなたが自分の価値観で決めることで、どちらがいいとか悪いとかの問題ではありません。他人から評価されることが幸せなのではありません。あなたが幸せと感じるから幸せなのです。


 もうすでに、時代は、
「辛くて苦しかった性同一性障害」や「努力に努力を重ねて勝ち取った本当の性別」
ではなくなっています。
「あなたらしく、私らしく生きるための選択肢の一つ」にしか過ぎなくなっています。ふつうの人は、テレビだけでなく友人や知人の中に何人もの「GID者」がおり、それが自分の身に降りかかってこないなら、「あなたの自由」なのです。あなたは、決してかわいそうな人とも乗り越えた強い人とも思われていません。(勿論お愛想でそう言葉かけをしてくれるかもしれませんが。)
 世の中には性同一性障害以上に困難な課題がたくさんあり、みんな性同一性障害以上の苦しいハードルを乗り越えて生きているのです。
 MTFの中で「女度」を競い合ってもむなしいだけです。もっと言えば、純女に外見や気遣いで勝っても、「女性らしさ」なんか、人生のごく一部の要素でしかありません。もっともっと磨くべきことが、人間性や職業的技能や、人との関わりの力など、たくさんあります。
 女らしくすることにこだわっていたら、乗り遅れますよ。そもそも、埋没すれば性同一性障害(乗り越えた強い人)という上げ底を使えなくなるので、それこそ人間性や職業的技能の勝負です。


 だから

 
 将来どんな人になりたいか


をイメージし、そのためにがんばることがとっても大事になってくるのです。


将来がイメージできないとすれば、
すごく簡単に具体例を出すとすれば、
小中高校生であれば
・勉強がんばることです
・友達との関係を大事にすることです
・もし部活や習い事をやっていたら、大切にやりきることです

自分の今与えられた課題に最善をつくすことです。そこから、また課題が見えてきます。


別に勉強で日本一になる必要もありませんし、学級で一番好かれる人になる必要もありません。一生懸命自分の弱さに負けずにがんばっていたら、いつのまにか人は寄ってきます。勝負するのは過去の自分、今負けそうになる自分だけでいいのです。弱い自分に負けた自分にめげずに、また勝負すればいいのです。


今の若い人が成長して、10年後でも20年後でも
すてきな女性になり活躍しているMTFの話をたくさん聞けることでしょう。
その時に私はあなたに追い越されてないように、自分を磨き続けます。

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