女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

このブログへの入門編

2020-12-28 09:57:10 | ブログについて
 はじめてから12年以上たち、最近新たに書いたものはほとんどが過去の記事の焼き直しで目新しい主張がほとんどありません。
 一方、このブログの人気記事はなぜか自分のお勧めとはあまり連動していなかったりするので、私の主張が端的にまとめられている是非読んで欲しい記事が埋もれていたりします。
 そこで、「特に読んで欲しい私がお勧めする記事」のリンクをここに貼ることにします。

①このブログの主旨を知りたい方向け
性別移行は技術である
・・この後のカテゴリー性別移行は自己責任

②あまり他の当事者が言っていない考え方の紹介(自称名記事)
GIDの立ち位置
本当に自己責任?
「量」から「変化」への視点の変換
違和感、自己認識、価値観、判断
事実~これから移行しようと悩んでいる若い当事者へ
埋没生活のパラドックス

③元気を出して欲しいとき向け
不遇にたえ、今与えられた状況でベストをつくすこと
どん底は次へのステップへのスタート地点
不完全でいいんだよ
未来の幸福なかわいいMTF
 どの記事もそのときにネットで見た見知らぬ当事者の苦しみに対して励ますことをイメージして書いています。

④個人的に思い入れのあるもの(自称名記事)
小学5年生のあなたへ
 今読み返しても自信作です。性同一性障害特例法が施行されたころ、幼少の当事者をどうするべきなのかという意見がネット上で議論されていて自分の考えを書きました。

純女とMTFの「心」は同じ
オートガイネフィリアのことを語ろう
 上のふたつの記事は同じ趣旨を違う表現で伝えています。
「女性であること」と「女性になること」に本質的な違いはないのではないか。違いがあるのは度合いの強さや一定性ではというとょっと独特な考えに基づいています。「MTFより純女の方がオートガイネフィリアの傾向は高いのではないか」という考えです。移行前は不安でしたが、移行後数年たってこのような考えでいいと確信しています。今も変わっていませんしむしろ強化されています。

完全埋没生活!(埋没度チェック)
こういうチェック項目が埋没MTFの中でたくさん出てきたらいいなあと思うのですが、あまり読まれていません。

理解は身近なところから

2020-12-28 09:32:57 | ブログについて
理解はどのように広げていけばいいのでしょうか。
もちろん、広く正論を訴えていくことも大切でしょう。
政治家やマスコミなど力のある人に訴えていくことも必要でしょう。
また、ネットなど自分のできる範囲で発信していくことも有効でしょう。

 けれど、それでトランス全体への理解の広がりや住みよい社会に向けて進んでいくことはできても、あなたは豊かに生きていくことができているでしょうか。あなたの周りの人、関係している人と楽しい毎日は過ごせているでしょうか。

 実は、理解は身近なところにあります。そして結構難関な壁ですよね。

 実際、今の職場でLGBTの研修を受けてきた人が、「これからはこういうこと(LGBTの人権)を大切に考えていかないといけない」と大きな声で話していたその1ヶ月もたたないうちに、同じ人がお客さんの男性のちょっと女性的なしぐさを同僚と笑いのネタにしていたのを目撃しました。ふつうの人はそんな感じです。

 以前にも書いたことがありますが、移行後カミングアウトした友人の中で
「あなた(沙織)のことが好きだし尊敬しているからカミングアウトされても受け入れられるし「女性」って見られるけど、もしあなたのこと嫌いだったら「女性」って見れなかったかもしれない。」
と言ってくれた子がいます。
 似た趣旨のことを表現してくれた友人もいて、私は、結局は理解って、あなたのことを好きかどうかにかかっているのではないかと思っています。

 もし、あなたのことを理解して欲しいのであれば
 ひたすら正論を伝えたり、議論をふっかけたりするのではなく、
 他人に迷惑をかけないように品行方正で、また、人一倍仕事(勉強?部活?)などをがんばって結果を出すのではなく、
 それはそれで大切なのですが、それよりも、
 あなたが今関わる人から愛されること好かれること、必要とされること、が必要なのではないでしょうか。

 そして、それはあなたの人間性で、特性で、持って生まれたものでも自然に身につくものでもなく、磨いていくという感じより、スキルを獲得していくようなイメージというのがこのブログの主題です。

 今職場の所属長は、仕事ができ、部下(沙織)からの進言も丁寧に聞きそれに合わせて方針も変更でき、気配りもでき、明るい、そして家庭も順調というほとんど完璧な方です。けれども、非の打ち所がないけれど、なかなか懐に入りづらく、一緒に長い時間いると疲れる面もあります。
 一方、一見仕事ができなそうな同僚でも、一緒にいると心が安まる、だから一緒に仕事がしたくなる、そういう子もいます。
 もちろん性格もあるし、一概にどちらの生き方がいいとはいえませんが、結局、あなたが完璧であることは「理解を広げる」ことにはあまり作用しない(悪い方に影響しないことは間違いありませんが)ように感じています。それよりも、欠点が多い、けれども、一緒にいたい、気になる存在になるようにしてみてはどうでしょうか。

 ではどうするか。今までにも書いていると思いますが、再度触れます。

①明るくふるまう
 「理解」を広げるには、明るくふるまうほうが絶対有利です。あいさつを笑顔で明るくする、ちょっとしたやりとりにギャグを入れる、職場の空気が淀んだら突然踊り出してもいいかもしれないですね。(あかんか・・、変な人って思われない範囲で)相手が気持ちよくなる瞬間、その場が華やいだり明るくなる瞬間、その感覚です。

②関わる人が困っているときには率先して助ける
 これは、①よりは簡単です。仕事だったら手伝う、悩みを聞いてあげる、例えば職場でもし用事がなければ一番遅く帰るようにしてしんどい人にさりげなく声をかける、その繰り返しが助けた人だけでなくみんなに安心感を与えます。もし学生だったら、勉強を教えてあげる、一緒に勉強する、一人残って掃除してたら手伝う、いじめられてたら助ける、無理ならせめて心の支えにはなる、弱い先生がいたら助けてあげる、そんな行動の積み重ねが「理解」を広げます。(親切の押し売りにならない程度に)

③共感できる感性を育てる
 多くの当事者は自称発達障害だと思います。わたしもそうかもしれません。だって自分の感覚(女性性)と世間で言われるあるいは友だちの感じる感覚(男性性)が違うんだもの。子どもの頃は、友だちと自分は分離していて、友だちが苦しいとか、つらいとかそういう状態は理屈でしか理解できませんでした。友だちが困っていたら「助けてあげないといけない」という感じでした。今は「助けたい」に変わっています。それは、相手の苦しみを一緒に感じられるようになったからです。それって本当は分かるわけがなくて自己満足なのですが、自己満足上等!10代の頃は相手の気持ちが分からず「冷たい人」と言われたことが何度もありました。20代の頃はぎこちなくて「沙織さんは困っている人が現れるのを待っている」と言われたこともありました。想像力を働かせて、相手の気持ちを一生懸命考えて、そして結局見当違いの支援をしたり、押しつけになったり、甘やかしすぎて相手の為にならなかったり、そういうことを繰り返して少しずつ育っていくと思います。私もまだ途上です。私の中ではたくさんの人と「共感」できることは生きる目的や最高の幸福と同値です。

④助けてもらえるキャラであること、助けてもらえる度量の広さがあること
 あなたにとって相手が必要な存在であれば、相手もあなたを助けてあげられる役割に満足し、あなたを必要な存在と感じることができます。簡単な例としては、あなたが自分の悩みを打ち分けることは、相手にとっては、あなたがそれほど相手を必要としている(あなたのことが好きです)ということを宣言したことと同じで、相手の有用感は高まり、相手もあなたの存在を大切に感じることができます。
 完璧でなくていいし、むしろ「理解を広げる」ためには完璧であってはいけないです。助けたくなる存在でいいんです。周りの人に健全に甘えることが、理解を広げることにつながります。正直私はまだまだ度量が狭くて、助けてもらうと不安になりますが。

 具体的な例でいうと、私が在職トランスを果たした職場は、上司やその上の上司は「性転換」に否定的な考えでした。特に、二つ上の上司は、「性同一性障害を明かさないで採用されたのだから採用されてから言うのはおかしい」という考えを隠しませんでした。けれども、一緒に仕事し、地域で役割を果たし、その方と個人的に地域興しのために音楽グループを作って村の文化祭で演奏したりすることで、結果的にはその方は私が埋没在職トランスできるよう支援してくれました。なにかが起きたときに職場や地域が動揺しないように、有力者に根回しをしてくれていたのです。私はトランスを果たすために異動するとき最後に私に言った言葉は「(性転換するなら)仕事やめたらいいのに」でした。その方がいなければ私はカムしてのトランスになっていたでしょう。感謝しています。
 また、これは十分ではなかった例ですが、札幌時代何回か学習会のお手伝いをさせていただいたときに、今ターフと呼ばれる方が数回参加されたことがありました。十分に対応できなかったかもしれませんが、その方の考えをできるだけ聞けるようにと心がけていました。考えの対立というよりは、感覚の問題なので、言葉や論理で解決できるわけではありません。その方の感覚は十分ほぐせなかったと思いますが、私には「対立」する問題には思えないのです。こんなことは無理なのかもしれないですが、わたしにとってこの問題のゴールは、一緒にお風呂に入って議論を続けることかなと思います。大変失礼かもしれませんが。この問題で苦しんでいる当事者の方、ごめんなさい。
 
 理解は身近なところから。明るく周りを元気にさせられること、自分が相手に必要とされる存在になること、相手と共感・共鳴しあえること(自己満足でよい)、相手が助けたいと思われるくらいすきがあること。以前にも書いたかもしれませんが、再度まとめました。