日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

国葬の記憶。

2022-07-27 07:52:39 | 私の雑感あれこれ
高校生の時の記憶を思い出す。
今日は吉田茂元首相の国葬の日だから、学校には日の丸の半旗が挙げられているのだ、と。
意識するようになってからの私たちの県の知事は、吉田実という方で、「茂」と「実」を区別して覚えなくっちゃ、とも思った程度の理解度でした。
その後、戦争前後、敗戦後の復興の歴史に接し、吉田茂氏の功績がその後に多大な影響となっているのかを素人なりに知る機会を得たりもしました(そういえば大磯のお屋敷の記念館に行きました)。
「ばかやろう解散」というエピソードも聴いたりしていましたが、私が高校生という時代は戦後20年は経った後のこと、敗戦後の道筋をつけた人として、当時の人々には大きい存在だったのでしょう。

そして、今回は安倍元首相の国葬が決まりました。
戦後2度目だそうです。
安倍氏が首相だった時に追及されていた忖度や癒着の問題が未解消なのに、いつの間にか「国葬」に値する首相といことは、なぜなのだろうか、とひとり考えてみました。
①その最期が銃殺という悲劇だったから
②一番長く政権のトップを務めた首相だったから
③外交に活躍が目覚ましかったから。例えばプーチン大統領と27回も会談をした!トランプ大統領とも信頼関係が厚かった!
④集団的自衛権を憲法の枠内として認めさせたから。
⑤どんな癒着や忖度を咎められても、奥様を最後まで庇いとおしたから
⑥コロナで布マスク1枚を国民に配布するという良心的な対策を取り続けたから

確かに私服を肥やす、という卑しさのない首相だったと思います。
そもそもが資産アリの育ち方だから、そこに視点を置く必要がなかった。美点です。
でも、先進国のどのトップよりも(多分)たくさん、プーチンと会談した成果は何だったのでしょうか。いつも大幅な遅刻をしてくるプーチン氏に腹を立てることもなく、穏便にやり通せるのも力量なのでしょう。タイプも好みも違うだろうトランプ氏とも仲良しになれるのも才覚なのかも。
👆 これらのことって、国葬にするかどうかの判断の加点になるのでしょうか。

悲劇的最期だったから、国葬をという流れになっていったように思います。
閣議決定のみでとんとん拍子に決まるのではなく、国民の代表である国会で決めてもよかったのに、と思います。

それにしても、殺傷能力がある銃を手作りできるとは、なんとも世の中物騒です。



話は変わりますが、
それにしても思います。
今、ウクライナがロシアからの侵攻で苦しんでいます。
EU諸国はNATO加盟国じゃないから、武器援助はするものの直接参戦はしていません。EU諸国でウクライナ人兵士が西側の武器の操作の特訓を受けてて実践で反撃をするという構図みたいです。ロシア側とするとEUが実質加担していると判断するのもそれなりに納得です。そこを明確な判断を避けて核兵器の使用を踏みとどまっているのでしょうか。

我が国に置き換えれば、と思ったりします。
助けてもらうのは大いに期待しながら、助けるのはご法度、というのは虫が良すぎる、のではないでしょうか。
自国の兵士の血を流したくない、というのはどの国の為政者も考えることです。
まず「武器を使っての戦はしてはならない」が大前提なのですが、仮にそんなことがあったら、まず自国民が自分の国を守る、というのが1丁目1番地だと思います。
ソ連時代にあった核兵器施設をすべてロシアに移動させ、各武装解除したウクライナが核攻撃の脅しに逢うなんて、予想もしなかったことが起こっているのが、今なのですから、言葉がありません。






コメント
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