日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

3月下旬、我が家に届いた少し春らしい話題。

2007-03-29 06:43:17 | 私の雑感あれこれ
「春」の季節らしい話題が、携帯メールを通して、私にもやってきました。

「月曜日に新任地に赴任するからね」とメールが入ったのは土曜日。
彼の赴任は飛行機だから、月曜日は仕事の合間に青空を何度か眺めました。
片道4車線の大通りの街路樹の花木、白いこぶしと、赤紫の木蓮が輝くように花開いていました。
大学受験でかの地に行ったとき、「オカアサン、今、雪が降っているけれど、飛行機飛ぶだろうか」と、宿泊のホテルから、雪の降らないこちらの職場に電話が入ったこともあったのに…。今はすっかり事情通でしょう。私が心配することは、なーんにもなくて、空を仰ぐ程度です(笑い)。

日曜日、これから卒業式(修了式)行ってくるね、と着信メール。
こちらからのメールにも、不精を決め込む彼女だけれど、そのメールでは「3年間、楽しかった。もう大学行かないと思うと寂しい」と。
あんなに、勉強で苦しんで、病院通いする人が続出だったのに。
刻苦勉励して登った山には、そよ風か吹いていたのでしょうか。現実的にはもう一山(国家試験)が待ち構えているから、抱えているものはあるのだろうけれど、それは彼女自身の持っているオールで漕いでいかなくてはならないもの。

だから、いつも、返すメールは「元気ですか」で始まり、結びは、「身体には気をつけて」となる。
なんとまあ、定型的な常套句。
でも、精一杯やっている彼、彼女らには、一番、私の思う心を伝える言葉のような気がする。




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「日本人の知らない世界の歩き方」曽野綾子著 PHP新書

2007-03-25 14:53:48 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
曽野綾子さんが、あちこちに書いてこられた、掲題に叶う文章をまとめた、新書本です。
アジア、アフリカ、アメリカ大陸、本当に世界の国を居ながらに、私のなけなしの想像力を相棒に、旅している気分で読みすすめています。
短文だから、読みやすいし、拾い読みも可。
だけれど、今日、読んだ箇所の一つを引用します。
「そのまま、噛み砕くこともなく」です。
彼女の解釈のそのまんまを、弊ブログを訪ねてくださる、だれか一人にでも、読んでいただけたら、いいなと、思ったもので。

書道に臨書、という練習の仕方があります。
今日、まるっきり書き記すことは、私にとっての「臨書」の意味合いがあるのかもしれません。
この文章が綴られた年がわかると、もっといいのですけれど。

- 以下引用 -

『人間』               ・・・サハラ砂漠・・・

 再び文明とは何か、と私は二度目の安易な答えを出そうとする。文明とは、自分ではなく、他者がどう思うか、と考える余裕のあることだ。もちろん、推測したことが当たっているとは限らない。しかし、まちがっていようとも、推測するという姿勢は、文化の尺度とかなり一致している。
 サバンナに住む人たちには、ほとんどこのような推測と自制の要素がない。彼らは、輝くばかりの自分本位である。そうしていかなければ、生きていけないのだ。そして自分本位ということが、私たちの生きる姿勢の基本であることを、私たちもまた再確認する。その点で、この土地の人々は紛れもない人間で、私たちのほうが奇形であることを思う。
 見物人はまた、争ってあらゆるものを拾う。私たちの捨てたビスケットの包装紙、紙コップ、食べてしまったツナの缶詰。捨てることが恵むことだという危険を察知して、私たちの誰もが、言葉少なになり、表情が険しくなっている。食事は大急ぎとなる。どうせ相手が拾うなら、地面に捨てないで、せめて手渡しする方がいいかということになり、私は底にわずかに残ったコンビーフの缶を赤ん坊を抱いた母に渡す。しかし、「食べ残し」を渡したということに、私はかなりどぎまぎしている。
 アフリカでは、何をしても傷つく。それも無意味に、効果なく傷ついていなければならない。傷つき方が初めから見当違いなのだ。
 食事を済ますと、私たちは大急ぎで車を出す。私たちだけになると、誰もがほっとしている。
 サバンナに入るということは、不動の死が支配する荒野から、たまゆらの生の漲る現世に帰って来たことだ、と私は自分自身に言い聞かせていた。砂漠には永遠があり、サバンナには昨日と今日と明日がある。どちらがいいか、人間には計ることができない。しかしいずれにせよ、私たちは人の世に帰ってきたのだ!
                         -砂漠・この神の土地-
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小話   -2題-

2007-03-22 08:01:07 | 私の雑感あれこれ
-その1-

休日の昼下がり。
カタログを見る目にも力が入っている(笑い)。
ふと、コーヒーをすする。

「洋服のモデルさんって、スタイル抜群の人だから、洋服が素敵に見えるんだって。そして、モデルさんの顔は、小顔であればよくて、造作については抜群でない親近感の持てるひとを起用しているのだって」
「そのほうがカタログを見ている人が、この人程度は自分だって、と思えるし、自分もこの洋服をこんな風に着こなせると着映えするのか…、そう考えることを想定しているのだって」
「本当は、モデルは飛びぬけたスタイルの持ち主なのに、だから、自分が着ても、そんな風にまでは素敵に見えないのに…」

娘が、そんな風に言っていたことを、思い出して、「クスッ」と、一息。

傍らで、家人が、
「モデルの顔が、そんなに重要ポイントでないというのならば、きっと、頭の中身は、もっと関係ないのだろうね」

「そうなるね」
と、応えながら、また、私はカタログをめくっている。
ウォーキングの効果がまだ現れていない自分の現実が少し、頭に浮かんだりして(笑い)。


-その2-

たまに図書館に行くと、必ず流し読みする週刊誌がある。
もう、30年以上の癖。
そのコラムから。

テレビ番組を評したコラムだった。
3人の女優さんが、番組進行をやっていて、ゲストとトークする番組だそうです(これは視たことがないので知らない)。
そのなかで、件の女優さんの言葉。
「男の人が結婚相手を決めるとき、女性の冷蔵庫を見て判断すると良い」とのたまったらしい。
ちなみに、彼女は仕事も家事も、しっかりやってのけるタイプだそうです。
うーん、耳が痛い。
けれど、ご名答かもしれない。
アレだけの限られた空間の使い方、上手下手が出るのだろうな。
というか、出ているのが現実。

我が家?
育ち盛りが賑やかだった頃の大きい冷蔵庫だから、今はガラガラ。

ひとりキャンへーンでもしようか。
「0(れー)」のつく日は、冷蔵庫の日。
うーん、守れるかな?
「0」がついて、かつ、休日の日にしようかしら。
なーんて思ったり。
そして、女優さんって言っても、8時間勤務というわけでないから、一仕事済むと空の日が多いのでは?と、ムクムクと小姑根性も。
でも、やっぱり冷蔵庫がきちんとしているひとって、素直に立派だと思います。







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今日の一句

2007-03-15 11:42:09 | 今日の一句・今日の一首
-戻り寒 路傍に顔出す 土筆ん坊-

歩道のコンクリートの隙間に一本の土筆。
おや、もう、という感慨で、眺めるだけでなく、実は手折ってきました。
2月22日に出会った、桜の若木はすっかり葉桜です。
朝のウォーキング、気持ちがちょっと中だるみ加減であったのは確かです。
そんな私に、季節が春一番の土筆をプレゼントしてくれたのでしょうか。
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「ウサギはなぜ嘘を許せないのか?」著マリアン・M・ジェニングス

2007-03-13 22:57:56 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
帯に「全米ベストビジネスブック選定」とあります。
新書本サイズの本です。
私的には、★★★★★。

へぇー、この本がアメリカで評価されているのか、と、うれしくなる本です。
日本版もたちまち3万部突破とあり、これからも爆発的に話題になったらいいな、と思います。

書いてあることは、アメリカ人の8歳の少年エドにだけ突然見えるようになったのっぽのウサギの話。
ルール違反しようとすると、のっぽのウサギが暴れだし、ウサギが平穏に頷く選択をするエドへと変わって行くのです。
必死に勉強しても、カンニングする友達より悪い評価しかもらえない現実。
卒論をネットで購入する友人を横目にしながら、黙々と自前の論文作成に励むのだけれど、評価はちゃっかり購入したほうが上。
社会にでても、同じことの取り返し、…。
でも、この作者は優しい。
後になって成功の女神はエドに微笑むところまで書いてくれている。

大切なのは「早く」ゴールすることではなく、「悔いなく」ゴールすることである。  ーウサギの台詞ですー

そういえば、ウサギ、私の傍にもいます。
ウサギ、というより、もうひとりの自分といったらいいかもしれません。

日本に乗り込んでくるアメリカ企業というのは、力が前面に出てくるイメージですが、こんな本が評価されるのもアメリカという国であるのだとしたら、私のイメージのアメリカ、ニュースで企業のTOBなどで話題になるアメリカは、全体の中の一部分なのでしょうか。

良い本でした。
ビジネス本のメルヘンコース、なのかもしれません(笑い)。
お勧めです。



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こんな体験も。 -乳がんの心配ー

2007-03-11 11:25:57 | 私の雑感あれこれ
40代の頃の自分の病気に対する気持ちとして覚えていることが、もう一つあるので、続けて書きます。
体の定期健診をしたことがないのですが、はじめて町の案内に基づいて乳がん検診をしたときのことです。
透視の装置でディスプレイに写る画像を見る。
筋肉の層に、銀杏様の形をした黒いものが写る。
二つ、三つあっただろうか。
「良かったですね。いま検診を受けて、細胞を取って調べてみましょう」
「あっ、左側にも…」
「…」
このときも、精密検査のために細胞を取る日程を入れられ、注意事項の説明を受けた。
帰りの車の運転中。
こんな時は、あわてないこと。交通事故を起こしては話にならない。
そんなことを自分に言い聞かせていた。

プリントアウトしてもらった映像を何度見つめても、左右、どちらにもある黒い銀杏様のもの…、全部で5つ、6つと数えると、いくら治療が進歩したという乳がんでも、ここまでできていたらリンパとかに転移していないはずはない、私の思考は、どうしてもそっちのほうに行ってしまうのです。

次に考えることは、
手術となると、どこの病院がいいだろうか。
乳がんの経験者や、友人のお医者さんに電話で情報収集。
「デモね、そちらは遠すぎて、もっと交通の便のいいところでないと、私ダメなの」
「明日、すぐに専門病院で再診察を受けたい」
なんて、言っていました。
お医者さんの友人いわれたこと。
「命に関わることなのに、そんな(看病に来るのに便利がいいとか)ことを優先するのは、おかしいよ」
「今、ガンであることがわかったとしても、1週間の早い遅いで、そんなに違わないから…」
びっくりのあまり、ことを焦り、軽重が狂っていたのでしょう。
でも、考えると、やっぱり、家族の生活はあるのです。
サラリーマン家庭でもないから、自営の夫に有給休暇をとって自分の看病してもらえない。
実家の母親は高齢で頼めない。
だとすると、地下鉄で通学する高校生の子供が、必要なものを届けてくれることになるだろう。
だから、できるだけ地下鉄沿線にある病院でなければ…。
こんな論理なのです。

次に思ったのが、
私は、子供たちの、将来を見ることができないのだな、
そんな程度でした。

あまりにも突然で、自分が「もっと生きたい」なんて、いうところまで、行き着かなかったのです。
もちろん、一晩中、寝付けませんでした。
まだインターネットもないときでしたから、書棚から家庭の医学の本を取り出して、食い入るように眺めていたものです。

そして、友人のお医者さんに紹介された専門病院に。
順番が来て、
手にしていた映像をみるや、
「あー、これは、膿胞ですね。ガンとは違います」
私の体から今までこわばっていた力が抜けて、うれしい一瞬でした。
専門の検査も受ける前に、夫に電話。

帰りの車はルンルン気分だったと思いますが、こっちはもう覚えていません。

「もっと生きたい」という気持ちも、それはあるはずでしょうけれど、私が味わった、あの2日間では、そこまでも行き着きませんでした。

毎日の家族の生活への影響を最小限にしなくては、そう考えた自分だったことは確かなのです。
「子供を育てなければならない」
それが、根底にあったのでしょうね。






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体験と処し方 -眼の症状から-

2007-03-11 10:10:01 | 私の雑感あれこれ
木曜日の帰宅途中、目の前に光る点が何個も輪を書くように回った。
あっ、また!。あっ、また!。
と、心細い気分になること数回。

随分前、練習中にテニスボールが当たったことから、視界に黒い斑点がでるようになり、気になって眼科に行ったときに、網膜に薄くなっている部分があるから、網膜はく離にならないようレーザー手術を勧められたことがある。その場で予約の話になり、びっくり。
そのときは、レーザー手術なんて大げさな、ボールが当たらなければ病院に行くこともなかったのに、と、どうしてもそのお医者さんの診断には気乗りせず、セカンドオピニオンが聞きたくて、別の眼科医に再診察してもらった。
別の眼科医には「確かに、網膜の薄くなっているところはありますが、早急に手術するほどでもなく…」そういわれて、そのままにしておいたのです。
そのときに、注意すべき症状として聞いていたのが、前述の「光が…」だったものですから、今度は、「いよいよ、そのときか」と思ったわけです。

網膜はく離につながったら取り返しがきかないと、そう思って、以前の診察券を探し出して翌朝眼科に。
ちなみに以前の診察券の日付は平成6年3月でした。
あー、あの時レーザー手術しなくても13年間も、大丈夫だったではないか、そう思いました。
そして、今度は手術と言われても、応じようと思っていました。
ところが…。
特に、なーんにも治療はないのです。
光る点の輪は翌日には出なくなり、飛蚊症の一つでしょうか、水面に微量の墨をたらしたときのような模様が視界に見えているのにです。
「気になるようでしたら、来週もう一度きてみてください」
それだけ。

その日一日は、点眼薬のせいで瞳が開いていたこともあり静かにしていました。
翌日は、視界の黒い模様も少なめになりました。
あー、多分、多分なのですが、
13年前に診察を受けたときは、診療所を開所して数年だったこともあり、(経営の事情もあって?)手術という治療を選択したけれど、長年の経験で今の診断なのでしょう。

お医者さん側の事情は別として、私自身が思ったのは、40代はじめの自分と、今の自分の身体に対する対応が、はっきりと違っているのだということ。
以前は、「まさか、そんな」と、考える私だった。
今は、「(多少のリスクは伴っても)必要な修理はしなくては」と、思ったのは確か。
どこで、どう線が引かれているわけでもないけれど、その違いはしっかりとあります。
そんな風に年を重ねていくのですね。
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テレビドラマ「ハゲタカ」を見ている。

2007-03-06 08:00:57 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
何回の連続なのかも知らないけれど、これで3回見た。
かつてのバブルの時代にも、金融を扱ったというか、トレーダーという職業がドラマの花形だったように思うけれど、再来かな、と思わせる。

外資に対して、銀行を人情が通じる、何とかお願いできる金融、という発想が借主の側にあるのには、その幼さに違和感を覚える。

貸主と借主、それは契約で成り立っている関係なのに、頼めば何とかなる、何とかしてくれないのは非情だ、という論理は、どこか違うと思う。

追加借入れができなくて、返済に困っての自殺、という筋運びもあった。
これは、この選択は間違っている。返せないのはお金であって、命を絶ったから、だから貸主が満足するものではない。
-この状況では、当事者は判断力が低下しているから、周りが本人の混乱を理解し、考えを整理する助っ人になれるといいのだけれど-
唯一つ、経営者が、死亡保険金数億円という保険に加入している場合がある。
確かに、数億円の保険金はでるかもしれないが、殆どの場合、それでも借金が残る。だとすると命を絶つという選択をする意味がない。
「破産」という制度を利用して、再出発すればいい、それだけのことである。
付け加えて、ここで言うけれど、一人の命に数億円が支払われるという、そういう保険契約があるということ、そのことがおかしい。
掛け捨て保険で、毎月の保険掛け金、ウン十万円。こんな契約をしている(させられている)ひとも。勿論一口ではなく、数口に分けての加入。
監督官庁がどこなのでしょう。
自殺者の何割(3割だったかな?)が、借金苦だという。そしてサラ金は借主に死亡時に受取れる保険に会社負担で加入していたという。
あー、監督官庁さん、なんだろうか、行政の問題だから政党政権の責任なんだろうか、保険契約を野放しにしておくのはどうなのでしょう。

さて、話を戻します。
ドラマをみて思うのは、たとえ銀行を拝み倒して、追加借入れができたとしても、当座をしのげるだけで、債務残高が増えるこそすれ、見通しが立つわけではない、というケースは、銀行が断って当然なのです。
断らないで甘い審査で貸付を増やしてきたから、銀行そのものが不良債権の山を築いたという前科があるではありませんか。
破綻した旅館経営者の息子が、「起業のための資金をためたよ、さぁこれからやるよ」という場面、背中を押したい思いです。
どう展開することやら。

ドラマ運びのために、花あるポイントとして必要なのかもしれませんが、若いテレビ局記者の必死さが、ドラマを幼くしているように思えます。

あー、年を取ったのでしょうね。(笑い)
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63年ぶりの再開・・・。

2007-03-05 16:45:33 | 私の雑感あれこれ
それでも、二人とも分かったそうです。
90歳の母と、2,3歳年下と思われるその人との、通院中の病院での再会。
あんまり懐かしくて、その再開を驚く声も揚げもしたし、抱き合いもした、とのこと。
待合室の人も看護婦さんも、びっくりしていた、と。

それは戦争中、夫が出征し、お姑さんと幼子と自分の生活費を、砂利を運ぶ人夫として働いたこと、慣れた人たちに混じっての、初めての力仕事の辛かったことの苦労話は、繰り返し繰り返し聞いてきました。
監督係である憲兵さんが、20代の母の暮らしを不憫に思って、自宅からは空っぽの弁当箱を持ってくればいい、ここの飯場で弁当にご飯とおかずを詰めてもらえばいいと、声を掛けてもらったと、そんな話も聞いてきた。
夫が出征したあと、嫌いな言い方なのだけれど、銃後の家族には母の日々の稼ぎしか収入がなかったのです。

病院で出会ったその人は、そのときご飯を詰めてくれた飯場の女性。母子で勤めていて、若い人は赤ん坊連れだった、その自分より2つ3つ若い方の人なのだそうです。

去年、地方紙の「戦争を語るシリーズ」で母の話が掲載された時、記事を読んで、すぐ、あのときの人だと分かったので、今も新聞は切り抜いて持っている、とのこと。

戦後に生まれた私にどれだけ語っても、その風景は想像しかできない。
90歳になろうとしている2人が、その思いがけない出会いにあまりにも胸がいっぱいになって、抱き合ったと、聞くと、そうして出会うことができたのは、よかったなと思う。
母にとっては、辛かった時代を堪えてきたからこその今。

よかったね。
先方と連絡が取れるなら、温泉にでいって一晩語り明かしては、と薦める。
「『そのうち』なんて、ダメだからね。『できること』、『したいこと』は、できるとき、少しでも元気な『今』したほうかいいよ」
そういって、そのときは母に別れを告げてきた。

そして1週間後の土曜の朝の電話。
「来週の月曜日に、温泉に一泊決まったよ」と。
先方にも、私と同じ年の女の子(こんな表現いいかな(笑い)面識がないが、同じ中学だったらしい。)がいて、一晩といわずに、もう一晩でも、ゆっくりと語ってきたらいいと、いってくれたと。

2人の泊まるその部屋は、日本が国防色に染まっていたころの、忍耐の話で溢れるのだろう。
あまりにも豊かになって、どれだけ子供に語っても、届かない思いもあっただろう。
自分の辛い日々を見ていてくれた人との語り合い。
心ゆくまで、湯に浸かって、語り合ってきたらいいと思う。
その日を思って待つのも楽しみ。当日はもちろん楽しみ。そして、語り明かしたことを思い出しながら過すその後の日々にも、元気が出るといいな。





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姥ざかり 花の旅笠 -小田宅子の「東路日記」 田辺聖子著

2007-03-02 08:03:15 | 私の雑感あれこれ
たらたらと読んでいる途中です。
江戸1840年代の、筑前の商家のおかみさん4人連れのお伊勢参り・善光寺参りの実際に彼女らが綴った旅の歌(和歌)日記を、田辺聖子さんが諸調査をした上で、読み解きながら私たち読み手に、書き下ろしてくださっている。
おかみさんたちの年代は50歳、52歳とか。商家を切り盛りしてきた一仕事を終わり、ご隠居を楽しめて、かつ体力もある年頃です。
道中の危険防止と荷物持ちに下男3人を連れての旅ですから、当時としては超贅沢なものでしょう。
次々と出会う風物を歌に詠みながら、取り交わすやり取りに、江戸後記の成熟した文化を九州筑前にも行き渡っていたのだと思いながら楽しんでいたのですが…。
(真似をして、歌を作ろうと思ったり(笑い))

伊勢参りを過ぎて、善光寺に向かう、木曾街道あたりで、
         -以下引用-

ー松風の声をともにと住むやらん あわれましらに似たるおもかげー  宅子
ゆたかな筑前の国ひとから見れば猿としか思えぬ人々のたたずまい。
 
         -以上引用-
「ましら」は猿の意とはじめて学習しました。
田辺聖子さんは、この一首から関連して、江戸末期に日本を訪れた、イギリス婦人が日本各地を回って記した書物の話を語っています。
本居宣長の、弟子のまた弟子の教え子、である宅子さんたちは、雅やかな言葉を駆使することも知っている、文化の恩恵に浴している側だけれど、貧の極みで生きている人たち、これもその時代の現実だったということ。
私も50代、宅子さんたちも50代。
いろいろ思うところもあるだろうな、と、そう勝手に思いを馳せながら読みすすめている。

少し、末尾に書くとすれば、
格差が広がったと、最近よく耳にするけれど、どの時代と比べてのことだろうか。
格差のない時代を知らない。
最低限の生活保障は必要だけれど、かつての本当にこの国が貧しかった頃よりも、充分豊かだと思う。
必要なのは、「機会が閉ざされないこと」だと思う。
制度とか、身分とかが前面に出て、機会を奪われてしまうこと、これはあってはならないと思う。

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