日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

日曜日、古地図片手にウォーキング

2010-03-24 06:55:52 | 私の雑感あれこれ
私の街は古いというか、信長、秀吉、家康の英傑行列が行われる街だから、イワレもありなん、と、古地図片手にウォーキングという企画に参加した。
2010年は今年。1610年に名古屋城築城というのだから、ちょうど400年経ったわけです。
伊勢湾から名古屋城までつながっている堀川は築城のための物資輸送のために掘られたもの。
堀川沿いに残っている古い商家の土塀は、1610年に清洲城越のときに、お城の移転とともに名古屋城下へ引越ししてきた御用商人の末裔宅とのこと。
こちらは、薪、炭など、お城に収める物資の一切を取り扱っていました。
こちらは、お城に塩を納める御用商人でした。
と、案内を耳にすると、
現在の必需品取り扱い品目との感覚の違いを思い浮かべる。
なにしろ「お城」が中心だろうから、武具は勿論、家具調度、反物、食べ物の一切の一番おいしいところを、お城へ、という流れが作られていて、
そのために人は集まり、町が大きくなっていったのだろう、と想像しながら歩いた。

家老屋敷群の一帯は、裁判所を始めとする官庁街になっている。武家屋敷は、お城の北西なのだろうか、幕末の古地図では、そのあたりの住居人は氏名がきちんと載っている。
家老屋敷群の南、外堀の南にある神社の傍らに藩校跡。
この神社は職場から近くて、毎年桜見物に一度は行くところ。屋台のお好み焼きで、お昼にするのだけれど、その一角に藩校跡が…、と思ってみると、若き侍予備軍が行き来する様子が目に浮かぶようで面白い。
かつて栄えた呉服商人を案内する立て札も、頭の中が江戸バージョンになっているので、興味深く読める。

町人が住むあたりだろうか、お寺が妙に散在している。
「お寺は警察の役目をしていた」と説明を聞いて、
城主にとって、謀反を起こされるのが一番気がかりだったろうから、よそ者チェックなど、情報を一手に集めて、不審者が入り込めないような仕組みだったのでしょう。
為政者の組織安泰のために、滞りがなかったのでしょう。
もうこの時点で、日本のお寺は宗教というより、檀家制度をしいて、もれなく戸籍を把握するための制度ですね。

江戸期の街行く人と行き交うことはありえないのだけれど、今歩いているこの道筋が、もっと狭くて、勿論舗装などされてもいないものだけれど、確かに、そのころからあったのだと思うと、感慨深い。

どこの町でも、その町の過去、歴史を背負っているものだろうけれど、江戸時代風情を想像しながらの一日でした。



コメント (4)
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映画三昧   但し、テレビ放映したものを録画して見ています。

2010-03-18 14:11:44 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
家事時間をタイトにして、映画三昧の日々、です。
昨晩は、「蛇の人
その前は「7つの贈り物
を見た。
二つとも、ストーリーは拵えものっぽいのだけれど、面白かった。
もとの話を考えたひとの、頭の中を想像する。
お話をこしらえるのが、面白くてしょうがない、タイプ
幼いころから、もし、女の子だったら、夢見る夢子さん、だったろうな。
この手の話は、仕事では産まれない。
泉が湧くように、想像力の世界を持っているひとが、拵えるしろもの、そういう感想を持った。
日本映画「蛇の人」の役者さんたちもよかった。
映画として、ヒットしたのかどうか知らないけれど、ハマってしまったら止められない稼業なんでしょうね~。
アメリカ映画「7つの贈り物」は、5分の4ぐらいを観終わって、やっと、あー、このタイトルの意味が分かった、そんな映画です。
何を言いたいの?眠くなるじゃない!と思いながら、そこまで画面を見ていた私。
短気な人は、チャンネルを回しちゃいそうではありました。
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B型肝炎訴訟が札幌地裁で和解の話題から、つれづれに

2010-03-17 07:16:56 | 社会問題
夕飯時のテレビニュースで、B型肝炎訴訟で裁判所からの和解勧告があった、というニュース。
B型肝炎は、子供のときの予防注射で、注射器の簡易消毒による連続注射によるものが多い。で、100万人を超えるB型肝炎該当者がいると言われている。
私も、そのひとり。
みなさんが裁判で何を要求しているのか、特に今は普通の生活をしているものだから、その他ニュースに毛が生えた程度の関心でしか見ていない。
肝癌になる可能性が高まるのだって…。
私「肝癌になったら、いやだなー」
夫「いいじゃないか。もう60歳まで生きたんだから。これまで元気に生きてこられたことで充分じゃないか。」
私「そうだね。」
と、素直に返事して、(いいんだ。長く生きて、何があろう)と、納得している自分がいる。

月曜日夜の終盤10分ほど見たテレビ番組「TVタックル」を思い出した。
パネラーの田島陽子さんは「私は孤独死をする予定」と。但し彼女は92歳まで生きる予定だとも。
阿川佐和子さんも、独身だから「私も孤独死になると思います」
ビートたけしさん「僕は、以前に酷い事故を起こして、一度死んだようなものだから、もういつ死んでも、いいんだ。この番組の帰り道で死んでも後悔もない」

そういえば、ビートたけし(映画監督では北野武)さんの映画を1本だけみたことがある。
「アキレスと亀」
なんと、突き抜けて虚無、なのだろう。
と、思った。
誰が?
監督さんが。

元気にネジを巻かないと、これで終わってもいいような気分になってしまう。

パネラーの大竹さんが、言っていたように思う。
ワレワレ段階の世代は、人をあてにせず、自立していきよう、と、やってきた結果が今なのだから、この今(孤独死が増えているという現状)の状況も、自分たちの生き方が生み出した結果、ともいえるよね、と。

うーん。

いつものように、書き出しの話題から、ズレにズレでいきましたが、
某病もあって、そのための薬を飲むと、多分肝臓に負担をかけるという代物で、B型肝炎者には、ダメージだろうな、という思いもあって躊躇している。

あー、末は肝臓癌で…。
イエイエそれより、もっと前に、メタボで倒れて…、のほうが先かも。

書きながら結論がでました。
メタボ解消に尽力しないと、傍迷惑。
ああ、甘いもの好きには、苦難の道ですが、
私の課題は、コレに行きつきます。






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「日本辺境論」内田樹著を読んだ

2010-03-13 11:29:31 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
面白くて、納得、そうだね、あーそういうことネ。そういわれてみれば理解できる、とうなずきながら読了した一冊でした。
で、私は、時々、内田樹氏のブログも尋ねたりする、ひとりなのだけれど、今日覗いたら、この「日本辺境論」が2010年の「新書大賞」受賞とある。
販売部数が伸びている、とブログに書かれていたのを目にもしたのだけれど、そんな賞があって、それを受賞していたなんて、内田樹氏のブログの末端につらなる、気まぐれ読者には、あー、そういう世間なのだと、知らされる。リアル社会では、こんな本の話題を口にできる人なんて、一人しかいない。

私としては気に入った本です。お勧めなんだけどなー。
数多くの中身のひとつ。
日本語はハイブリットだ、と解説されてみれば、あー納得。
ー文字の持たなかった日本に、中国から漢字(真名)がもたらされ、その後、仮名を作って、両方を使う文化を作り上げた。ーとか。
日本語がアルファベット文字でなく、辺境にあったことが、日本人が現在の豊かな文化の醸成に寄与している、とか。

超博識の彼の論は、洋の東西にまたがり、古代から昨今までの広きに渡る、分かりやすい分析のオンパレードの1冊でした。

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邱永漢の「予見力」  (玉村豊男著)から

2010-03-09 12:27:50 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
あのお金儲けの神様、といわれる邱永漢氏に、エッセイストであり、絵も描き、ワイナリーも経営している玉村さんが、聞き書きして本にしたものです。

その中からの一節を引用します。

「昔からいっているのですけれど、世の中は二種類の人間に支配されてきたんです。物乞いと、ヤクザ。物乞いの親分は坊さんで、ヤクザの親分は王様です。毛沢東はその両方を傘下に置くことができたんです」
―― なるほど。
「ヤクザは舎弟にメシを食わせるけれど、坊さんは、みんなにメシを食わせるだけの能力がないんです。本人自身がお布施で暮らしているんですから。ダライ・ラマは坊さんの親方だから、チベットの人たちにメシを食わせることはできません。ローマ法王もそうですよ。だから、かつてはヨーロッパ全体を支配していたのに、いまは、あんなちっぽけな、バチカンの囲いの中に閉じ込められているじゃないですか。人にメシを食わせることができなかったら国を支配することなんてできないのです」

邱永漢氏が現在手掛けているという中国での農業関連の話題が多かったことから、チベットの独立の可能性云々で、彼は上記のように言及しています。

生き馬の目を抜く社会を、予見力をパワフル使ってに生きて来られた氏の台詞。社会把握の総括のように思えて、本の終章に出てきたフレーズをここに、転記しました。

そういえば、古代ローマのオクタビアヌスも、長曽我部元親も、兵士の俸給、分け前を気にしていた。現代の企業の社長さんも、社員にメシを食わせる役割に懸命なのでしょう。
どうでしょうか。
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子供暦というのだろうか(笑)。

2010-03-08 21:43:28 | 私の雑感あれこれ
夫婦で沖縄旅行に行ったのは、いつだったか、という話になって、
私「あれは、末娘が中学1年のときの6月だったから、199○年のハズ」と。
夫「いや、○周年のときだったから、高校1年じゃないか」
私「あの朝、中1の娘から、予防接種のための検温を忘れたけれど、どうしよう、と空港にいるときにPHSに電話がかかってきて、そんなこと聞かれてもどうしようもないわねー、と答えた覚えが…」
「○ちゃんのお父さん、お母さんは、子供たちに留守番させて旅行するのね、といわれたと、娘が口にしたのを覚えているから、あの時は…」

と喧々諤々の結果、
夫の日記で確認してみることにした。
最近は10年日記のふた回り目だけれど、その199○年だとすると、まだ10年日記がスタートする以前になる。
で、案の定、10年日記には出てこない。
やっぱり、私の記憶の正解の可能性が高まる。

そして、ありました。
10年日誌をつけ始める前の日記が。
そして、ピタリと、199○年6月に、沖縄に行ったと書かれてあるのです。
証拠あり!です。

で、日記である大学ノートの隣のページに、
なんとまあ、
「遺言書」とあります。
私の財産をすべて、妻○子に相続させる。
199○年6月○日
氏名、押印

ノートの1ページであっても、確かに自筆証書遺言に違いありません。
書いた本人もすっかり忘れて、勿論私も知りませんでした。
ぶっきらぼうに、ノートを「大事に持ってろよ」と、夫。

先程来の、沖縄へ旅行した年は?論争をしなければ、目にすることもなかったものを、
こんなことがきっかけで、「遺言書」が出てこようとは!

その頃は、私たちは齢40代の始め。
なんで、こんなことを書こうと思ったのだろう、と、思い巡らす。

判明。
次のページに、夫の韓国旅行があった。
沖縄行きが、私の始めての飛行機体験だったし、続けて韓国旅行があったりして、事故死を話題にしたりしたのでしょう。
住宅ローンを抱えて、教育費が膨らみ始める頃、
若くてエネルギーがあった分だけ、抱えているものもいっぱいあったのだ。

ローンの支払いも教育費支出も卒業してから随分たちました。
あの頃は、今の心境になることなんて、想像することもなく、一生懸命でした。
あの頃の、一生懸命だった自分たちを愛おしくさえ思えます。

その時々の課題を抱えて、そして今も今なりの課題を定めて、
日々を送っています。

同級生の私たち。
どっちが先に逝くのか分からないけれど、
ほら、これ、もっていろよ、
と、大学ノートを持ってきたことが、和やかだ。

まだ、私たちにはそれはまだ先のこと、と思っているものだから、
深刻さからは程遠いのですが、
思いもかけず、ノートに、遺言を書こうと思った、40代始めの夫を想像してみたりした。

私が過去を振り返るとき、その年月を思い出すのに、子供のその時々の映像が私の記憶を手助けしてくれる。
母親の特典でしょうね。


脚注)
遺言はいつでも書き直せます。そして、一番最新のものが、遺言の効力を持つのです。(笑、…笑うところではないか)



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お風呂場のスズメ その2

2010-03-04 07:28:57 | 私の雑感あれこれ
やっぱり、1羽だけが、毎晩泊まりにやってきます。
昨晩も、スリガラス越しに、スズメの姿を見ながらのお風呂でした。
ガラス一枚で、安全と思っているのでしょう。
明かりがついていても、移動しません。


孤立しているスズメをいとしいとは思いますが、トリ、苦手な私です。
で、毎晩の落し物(フン)も、迷惑ではありますし、
転居してもらうことにしました。
ビニール袋にマジックで目玉を描いて、膨らませたものを、窓の鉄格子につけてきました。

強制退去のように思えますが、
無断での無賃入居であったわけですから、よし、とします。
彼女(彼)に、よいネグラが見つかりますように。

スズメでは、小話に過ぎませんが、
ヒトの社会でも、住処を追われた人の話を、耳にします。
迷惑を承知で、親類、知人宅に居候しているときの気分。
複数の人が目に浮かびますが、何とか職にありついて、「住」の確保と願いたいところです。
住まいのない人に、見つかるまで「仮住まい」ができる施設があるそうです。
そこに住民票を写して職探しをする、という電話。
不思議なもので、「不安な、心細い、月日を送った」ことが、次の職探しの覚悟にプラスに働くような気がするのだけれど…。

横道にそれましたネ。
お粗末。
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