斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

議会のハラスメント続報

2019-01-20 15:46:00 | 議会・議員
北方ジャーナル2月号が1月15日に発売されました。
昨年12月15日に発売になった北方ジャーナル1月号の続報です。

フリージャナリストの武智敦子さんから2回目のインタビューを昨年
12月半ばに受けありのままに真実を話しました。これはその極一部です。

これは私一人の問題ではありません。同じように、いや私以上に苦しんで
いる女性議員たちが周りに沢山いることも事実です。その女性議員たち
とまた同様な苦しみを受けてきた女性公務員の方や議会に精通した方々からの
励ましやアドバイスを受けてきたからこそなんとかこれまでやってこられた
のだと思います。

この人間社会から“ハラスメント(いじめ、いやがらせ=犯罪)”がなくなる
ことはないかもしれません。しかしそれが横行しつづけることに少しでも歯止め
をかけることができればと思っています。

あの日!

2019-01-17 23:33:33 | 地震災害
1995年1月17日5時46分、神戸市民として忘れられない日となりました。
阪神淡路大震災が発生。あれから24年が経ちました。あの地震が起こるまでは
全国各地で地震が起る度に「神戸は地震がない町(だから安心)」といつも信じて
いました。その神戸で突然大地震が発生したのです。

いつも思い出すのは前日の1月16日午後6時半過ぎ、自宅の玄関でお客様と
「神戸は地震がないところですから」という話をしていました。
それから11時間後に大地震が発生したのです。
朝寝坊の私たちは5時台はまだぐっすり眠っていた時間でした。
突然頭上に轟音と共にブルトーザーが被さって来たかのように感じました。
頭の所にあった大型のタンスが幾つか上下したようですが、倒れたりは
しませんでした。
「地震だ!!!」と言うことはわかりましたが、すぐに布団から飛び出せず、
どうしたら良いのか全くわかりませんでした。つづいて第2弾の地震が来て、
起き上がりました。そして暗い中で何故か家中の写真を撮って歩きました。
洗面所の台に置いてあったガラスのコップが1個割れていました。また1階の
ショウケースに飾ってあったベネチアドールが倒れ掛かっていましたが、割れ
てはいませんでした。地下室にあったワインセラーのラックにあったワインが
数本落ちて割れていました。被害はそのくらいでしょうか。
1月半ばの寒い時期でしたがリビングルームにはストーブがあったので、
電気・ガスが止まっても暖房と炊事には困りませんでした。

幸いにも自宅は無傷に近い状態でした。もうこのハウスメーカーはないようですが、
神戸市内の「ウベハウス」の住宅は1棟も倒壊や破損もなかったと聞いています。
地震発生後数か月間はいつまた大きな地震が来るのか余震の度に怯えていました。
道路は交通渋滞で出かけられず、3週間後にやっと兵庫と長田区に片道4時間
(普段は40分位)かけて友人・知人と共に炊き出しボランティアに出かけました。
その間全国の友人・知人から救援物資が次々と自宅に送られてきて10畳の和室は
いっぱいになりました。それを直接現地に運びました。特にマスクは助かりました。
倒壊した建物からの粉塵が凄かったからです。

あの当時の様子が走馬灯のように次々と頭の中を駆け廻って行きます。


予算ヒアリングを傍聴しました

2019-01-17 01:23:23 | 議員活動
 

予算ヒアリングの最終日となった16日(水)午後から幼児センターの
予算編成の説明を傍聴しました。
近隣の自治体議会から傍聴にきている熱心な女性議員の方とお会いしました。
ニセコ町の公開ヒアリングはご自身の役場にはない良いシステムとの高い
評価をいただきました。
もう少し傍聴者にも資料の提供を充実してもらえるとより分かり易いと
思いました。





第177回まちづくり町民講座

2019-01-16 23:59:40 | 未来のニセコ
昨日に引きつづき同じ町民センター研修室 に於いて
「NISEKO生活・モデル地区」を創る
~持続可能なまちづくりに向けた、新たな生活空間の形成~
の講座が開催されました。


ニセコ町役場企画環境課の山本契太課長、村上敦クラブヴォ―バン代表、
早田構想策定業務受託事者三人の方から説明していただき、その後は活発な
意見交換が行われました。


日本人にはこれまでなかった初めての発想で「持続可能な新たな生活空間
の形成」を、市街地から近い、団地に隣接する9haの土地に約300人が住む
集合住宅の建設を目指しています。環境モデル都市の形成を目指し、
住民のみなさんにじっくり時間を掛けて建設へのプロセスの説明を重ね、
そのコンセプトの理解を得ながら進めて欲しいと思います。