斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

SDGsは「大衆のアヘン」である!

2020-12-22 01:18:14 | 哲学
斎藤幸平さんの【人新世の「資本論」】を紹介します。
まだ買ったばかりでこれから読みますが、
その本のとっぱ始めの前文に

はじめに―SDGsは「大衆のアヘン」である!
に始まります。

この本が発行される前の6月28日、著者の斎藤幸平さんのオンライン
セミナー「ポスト資本主義とグリーンニューデール」、そして今月
12日に「脱成長経済と社会的連帯で気候危機に立ち向かう」のセミナー
が開催され、深く感銘を受けました。

さらに前文には
 かって、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる
「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆の
アヘン」である。
と。

気候危機、コロナ禍、【人新世】(とは):地球は新たな年代に突入した
=人類が地球を破壊しつくす時代、
人間はこの危機をどのように乗り切っ ていけるのか・・・
この本を読んでみなさんと意見交換ができればと思っています。

マックス・ウェーバー「資本主義の精神」とは

2020-10-03 15:55:24 | 哲学
今年はマックス・ウェーバー没後100年。
ウェーバーの「職業として政治」をテーマに姜尚中(カン・サンジュン)さんが
対談するシリーズが北海道新聞に掲載されています。
9月は太田昭宏さんとの対談でした。
その中で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にふれています。
太田さんは「ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、
神を意識した生命のマグマとも言うべきエートス(社会心理)が資本主義の精神
になったことを指摘し、その生命の変革なくして社会変革はないと考えるに至り
ました。」と述べています。
ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中に
「この『吝嗇(りんしょく)の哲学』に接してその顕著な特徴だと感じるものは、
信用のできる立派な人という理想、とりわけ、自分の資本を増加させることを
自己目的と考えるのが各人の義務だというような思想だ。
-そこには一つのエートス(Ethos)が表明されている」とあります。

今年6月に(私が参加した)オンラインセミナーでマルクス経済学者斎藤幸平さんは
「ポスト資本主義とグリーンニューディール」の中で「資本主義」の精神は
ますます経済成長を最優先し今日の地球温暖化による気候危機を招いていると
指摘し、脱成長社会への転換を訴えています。
※グリーニューディールとは:緑の経済への移行に向けた大型財政出動や公共
投資によって、安定した高賃金の雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を
刺激することを目指す。それがさらなる投資を生み、持続可能な緑の経済への
移行を加速させる。(斎藤さんの資料より)

斎藤幸平さんは以下のように述べています。
「人類が有史以来使用した化石燃料の半分が、過去30年間で消費されたという
ことです。」「今選択を迫られているのは、地球環境を壊し続けて一部の人が
豊かになる社会を目指すか、平等で持続可能な社会を目指すかという二択です。
人類の経済活動が環境を破壊する時代であることを自覚しなければ、気候変動
の問題を解決できない。経済成長とは違う進歩や発展の可能性を考えなければ
いけません」と述べています。

経済成長を優先させるあまり、新型コロナ感染症拡大と気候危機による地球環境
破壊に進むのか、今私たちにその大分岐点に立たされていると言えます。




ニセコジャポニカ 2020 2日目

2020-02-02 23:56:28 | 哲学
2日目は昨日より大勢の人で賑わいました。
たくさんの家族ずれの外国人が見られ日本文化体験コーナーは
すぐにいっぱいになりました。
まさしく国際交流の良い機会になりました。



懐かしい日本の文化を改めて知る機会になりました。
日舞のステージも無事終えました。
エマニエルに漫画風私の似顔絵を描いてもらいました。

日本水仙

2020-01-20 21:33:17 | 哲学
毎年暮れに友人から房総半島に咲く日本水仙が贈られてきます。
春になればニセコにもいち早く水仙がいっぱい咲き広がりありふれた花
ですが、この時季に香りの強い小さな可憐な日本水仙はとりわけ気持ちを
労わってくれるように感じます。その可憐な和水仙を独り占めするのは
“もったいない!”の精神で、町内の友人に数本お裾分けしました。
すると間もなく葉書が届きました。町内目と鼻の先なのに心のこもったお礼
の葉書に感激!しました。普段PCやスマホメールは頻繁にやり取しますが、
葉書や手紙は書くことはほとんどありません。字がますます下手になり
手書きは大の苦手です。けれども手書きの短いお礼の葉書は本当に心が籠って
嬉しく感じました。

この水仙、家の玄関にまだ咲きつづけています。

言葉の壁

2019-11-23 19:16:22 | 哲学
「ジェンダー・イクウォーリティについての国際的動き」の講演を日本医療
大学教授の林美枝子さんを講師に先週11月17日(日)に開催しました。

このタイトル、「イクウォーリティ」という言葉への反発は当初から尋常では
ないものを感じました。イクウォーリティはイコールの名詞です。イコールと
聞くと、みなすぐにピンとくると思います。もうすでに長いこと日本語の一部
になってしまっているからです。その名詞形になると全く違った馴染まない
言葉になってしまい拒絶反応が生じてくるようです。

今日の新聞の一面の記事一つを開いても、シリーズ、フォーラム、コンセンサス、
ジェンダー、マイノリティー、フラワーデモ、ドメスティックバイオレンス、
セクシャルハラスメント、ミレニアム、リプロダクティブ・ライツ、レイプ、
テ-マ、グローバル、デジタル、インターネット、データ、サポーター、
まだまだ切なく外国語で溢れかえっています。しかし、これも多くは慣れで
何とも思わなくなり、すでに日本語と同様に当たり前に使われている言葉が
大半になってきています。
「イクウォーリティ」をあえて日本語で「平等」という言葉に置き換えて
しまうと「イクウォーリティ」の中にある、日本語の「平等」という概念だけ
では包括し得ないものがあり、林先生が講演の中で「イクウォーリティ」は
翻訳しません!とおっしゃったのは正しいと私は思っています。
そしてこれまで日本になかった「平等」の概念が「イクウォーリティ」によって
徐々に浸透されていくと思います。

24年前阪神淡路大震災の時、神戸で被災しましたが、その時「ボランティア」を
巡って批判に晒されたことを思い出します。「ボランティア」活動への考え方や
意識の問題もありますが、「ボランティア」という言葉そのものへの反発を感じ
ました。しかし今そんなことを言う人はまずいないと思います。
しかし当初この「ボランティア」を「奉仕」と日本語訳したため、誤解を招く結果
になり、いまだにその後遺症は残っているようです。
大いなる誤訳の見本と言われています。

日本になかった概念を海外から輸入して無理に日本語に置き換えることそのものに
無理が生じます。グローバル化によって日本にはなかった考え方がたくさん入って
きています。これからもどんどん新しい言葉が入ってくると思います。ですから
外国語をそのまま使用してその意味を徐々に広げて理解していくしかないと思って
います。

アメリカにいた頃(ずいぶん昔のことで恐縮ですが、今はそんなことはないでしょうが)
大学でよく教員から日本の学校では何語で教育が行われているのかと質問され驚きました。なんでこんな変なことを聞かれるのか初めはさっぱりわかりませんでした。
「(もちろん)日本語です!」といつも答えていました。後で何故かわかりました。
世界中の国々から来ている留学生たちは自国の言語ではないもの、表現できないもの
がたくさんあり、学校では外国語、主に英語、フランス語、スペイン語で教育が
行われているからです。

一般的に、知らない言葉(物、人)への拒絶反応は凄まじいものを感じます。
今こんな言葉が思い出されます。
「知」とは「未知」なるものへのあくなき好奇心と探究心である!!と

これだけは私の体験から間違いなく言えます。海外に住んでいた時、アメリカでも
イギリスでもまず例外なく私に近づき声を掛け、話し合い、受け入れ、誘ってくれ、
仲間に入れてくれた現地の人たちと外国人たちはまさに「未知」への探求者であり、
意識の高い善良な知識人だったことを!思い出します。

私もその人たちに倣って「未知」への探求をつづけていきたいと思っています。