サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

人が永遠に生きたら困るな

2017-05-13 16:00:29 | 日記
飢餓、渇き、喜び、悲しみ、悲嘆、苦悩、食欲および怒りは、神の存在に到達すべく私たちを助けている衝動に過ぎません。人生はゲーム、プレイしなさいp、193

ポニョ:ケーキさんのエピソードは面白かったな。サイババさんの部屋に自由に出入り出来て、サイババ食事の世話までされたんやろ。すごいよな。

ヨシオ:どうしてもサイババさんに何かを食べてもらいたいケキさんに、サイババさんは「もし私が食べたくないと言えば、どうするつもりなんだ。私を殺すつもりか?」などの冗談を言われるんや。

ポニョ:そこまで食べる事に抵抗されるって、よっぽど食べるのが嫌なんやろな。神さんって別に食べなくても、肉体を維持していけるもんな。

ヨシオ:そういやこんなエピソードがあるな。インドの姑の嫁いびりって度を越しているやろ。ある家に嫁いだギリバラという嫁も、姑に「お前は食べ過ぎや。どれだけ食べたら気がすむんや。めちゃ大きな胃袋をしてるんやな」といつもいびられていたんや。それでその嫁は太陽神に向かって、「これ以上耐えれません。太陽神様、どうか一生食べなくても良いようにマントラをお授け下さい」とお祈りしていたら、ある日ヨギがやって来て、「神はお前の風変わりなお祈りを叶える事をお許しになられた。ひいてはわしが今から授けるマントラ覚えて正確に唱えれば、お前は大気に存在して入るプラナを取り込んで、身体を維持出来るエネルギーを得ることが出来るので、一切食べなくても良くなる。本当にそれで良いのじゃな」と言ってマントラを授けたんや。それ以来その嫁は一切食べ物を口にせず、聖者扱いされてインドでとても有名な女性になったんや。そしてその聖者から「絶対にマントラを他人に教えたらいかん。お前は不食をする事によって、人は肉体ではなく霊だという事を人々に啓蒙しなくてはならぬぞ。」と言われたんや。

ポニョ:食べる喜びを失ってもプライドを失いたくない人生を選んだんやな。おいらはもともとプライドなんて無いから、めちゃいびられても全然気にする事なく毎回腹一杯食べるやろな。「お義母さん。そうなんですよ。私は胃袋から生まれて来たといつも実家では悪口を言われるくらいよく食べますのよ。それを知らずに私を嫁として迎えられたお義母さんも少しは責任を感じて下さいね。仲人を通じてもっと事前調査してしてから嫁を決めなければいけませんよね。私のホロスコープを見れば分かるでしょう。大食い女だって事が。でももう手遅れですね。残念でした。お替わりをお願いします。」なんて言って。

ヨシオ:多分三ヶ月以内に、ガンジス川にポニョ嫁の死体が浮かぶやろな。

ポニョ:それはないぜよ。サイババさんが食事をされるのは帰依者の為なんやろな。だってサイババさんって、その食事をしなくてもよいマントラを与えた太陽神の親玉なんやから。

ヨシオ:そうなんやろな。ラーマも十代の頃は全然食べなかったんやで。サイババさんの十代の頃と全く一緒なんや。食事をしたくないってのは、神の化身の特徴やろな。

ポニョ:確かに物を食べれば胃で消化しなくてはいけないし、排泄もしなくてはいけないし、小便にも行かないといけないし面倒臭いことばかりやぜよ。人って生殖活動している時と、食事をしている時、そして排泄行為をしている時は動物と変わらないぜよ。

ヨシオ:だから嫌なんやろな。S夫人が言っておられたけれど、ムンバイのダルマケーショタラのサイババさんのお部屋に招待された時に、他の数人の帰依者の女性たちとサイババさんがダルシャンを終えて帰って来られるのをサイババさんの部屋で待っていたんや。しばらくするとサイババさんが部屋に戻って来られて、そのまま直ぐにトイレに直行されてオシッコをされたんやけれど、ジョンガラ、ジョンガラというオシッコをする音を聞かせたくなかったので、トイレの中でオシッコを終えるまで大きな声でバジャンを歌い、恥ずかしそうにトイレから出て来られたんや。その間、女性たちは、トイレの外でお腹を抱えて床を転げて笑いまくったと言っておられたな。

ポニョ:それは面白いやろな。毎回トイレの度に違うバジャンを歌われるんやろか。面白い。サイババさんって本当に恥ずかしがり屋さんなんやな。でもジョンガラ、ジョンガラってオシッコの音なんですか?えらい派手な音ですね。普通はチョロチョロという音やけれど、よっぽど膀胱にオシッコが溜まっていたんでしょうな。

ヨシオ:そこで突っ込んで来るなって。

ポニョ:その時のエピソードはこのブログで何回か紹介したよな。とても感動的なエピソードだったよな。サイババさんの部屋には数人のバジャンシンガー達がいてたんや。サイババさんがトイレから出て来ると、シンガー達と一緒に床に直接座られて、楽しいジョークを連発されたんや。そして床の上に直接仰向けに寝転んだかと思うと、そのまま寝息を立てて寝てしまわれたんや。シンガー達はそのサイババさんの寝ておられる周りを取り囲むように座り、一人ずつ順番にサイババさんを起こさないように、小さな声で優しいメロディーのクリシュナバジャンを歌い始めたんや。その輪の中にいたS夫人はまるでこの世の天国のような体験やったと言っておられたぜよ。

ヨシオ:そらそうやろな。大元の神さんが人の姿を取ってこの世界に来られ、その人の姿を取った神さんを前にして、神さんを讃える歌を歌えるってすごく光栄な事やもんな。

ポニョ:おいらやったらめちゃ興奮して嬉しくなって、シヴァバジャンなんか歌ってしまいそうになるやろな。

ヨシオ:シヴァバジャンなんか歌ったら、うるさくてサイババさんを起こしてしまうやないか。

ポニョ:こういう人間的な側面を持っておられるサイババさんのエピソードを聞いたら、サイババさんに対してもっと親しみが湧いて来るぜよ。神さんと友達づきあいしたいな。

ヨシオ:ケキさんのお母さんが昏睡状態で病院に運ばれた時も、ケキさんはサイババさんに、母が末期ガンで昏睡状態になり、昨夜病院に運ばれましたと言うと、サイババさんは「人が永遠に生きたら困るやないか」と言われたんや。

ポニョ:神を友達として付き合って行くと、この世の常識が当てはまらない会話になって面白いぜよ。普通年寄りが危篤状態になったら「そうですか。もうお年ですもんね。無事に成仏される事を祈っております。」とかなんとか言って慰めるんやけれど、『人が永遠に生きたら困るやないか』と言われたら、そう簡単に「ハイそうですね」って言えないよな。

ヨシオ:ケキさんは「私は、母の命を助けて欲しいと言っているのではなく、母が平安のうちに体を離れる事が出来るように母をお導き下さいと言いたかっただけです。」と言ったんや。

ポニョ:しっかりと霊的なことが分かっていないと、そういう返答が直ぐに出来ないよな。さすがケキさんや。

ヨシオ:いくら霊的な事を分かっていても、頭で分かっていただけではダメなんや。ある日、プッタパルティのマンディールの二階にあったサイババさんの部屋で、ケキさんがサイババさんと雑談していたんや。サイババさんは片手で頭を支えながら、横になってリラックスされていたんや。一人の学生がその間、サイババさんの足をマッサージしていたんや。その学生は突然マッサージをやめて首を伸ばして壁の後ろにある掛け時計が遅れているのに気がついたんや。それで針を動かしていると、サイババさんがその学生に「何をしてるんや」と尋ねたら、その学生は「ちょっと時計が遅れていたので直していました。」と言うとサイババさんは、「どうだい。私の学生たちは私の足をマッサージしている時でも、時間を正確に守ろうとして、時間を大切にしてるだろう。」と言われたんや。その部屋にいた別の学生は「時間も含めて、全ては神さんですからね。時間は大事にしなくちゃ」と言ったんや。するとサイババさんは「全ては神だと言える人は、本当に心の奥底からそういう事を悟った人でないと言えない言葉なんや。そういう事を悟っていない人が、全ては神だという事によって、人は自分自身を怠けさせてしまうんや。」と言われたんや。

ポニョ:確かに全てが神だという事によって、なんでもすぐに諦めたり、努力するのを怠ったりする事ってあるよな。そうではなくて人生は挑戦しなければいけないんや。「 人生はゲームです、プレイしなさい! 人生は夢です、それに気づきなさい! 人生は愛です、楽しみなさい! 人生は挑戦です、挑みなさい! 人生はレストランです、美味しいものを食べなさい。」というのが大切なんやぜよ。

ヨシオ:勝手に標語を付け加えるなって。

ポニョ:出身は兵庫ではなく大阪なんですが。

ヨシオ:早よ帰って寝ろや。

世俗的なことを目的とした祈りは神〔至高神〕には届きません。
それらは各領域を扱う半神たちに届くのみです。
一方で、清らかな愛から生まれた祈り、奉仕をしたいという私心のない熱い願いから生じた祈り、すべてを思いやるハートから生じた祈りは神に届きます。
なぜなら、神はまさに愛の化身であるからです。
月を見るには月の光を通さなければならないということを知っていますね。
それと同じように、愛である神は愛を通してのみ見ること、顕現させることができるのです。
愛は神です。
愛に生きなさい。
これが私があなた方に贈るメッセージです。24/12/80

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