サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

余命半年チャンバラ闘病記

2018-05-31 04:00:41 | 日記

人はおしなべて、自分は健康であると思い、幸せな生活を送ろうとします。
しかし実際には326の病気が日々人を苦しめています。
過剰なヴァータやピッタやスレーシュマ〔註:人間の体質を形成する3つの身体エネルギー。それぞれ風、火、水に例えられる〕がさまざまな病気の原因です。
ヴァータは80種類の、ピッタは82種類の、スレーシュマは164種類の病気を引き起こします。
このような事態において、人はどうやって健康的な生活を楽しむことができるというのでしょうか?
 人がアートマ意識を呼び覚まし、ヴァータとピッタとスレーシュマの悪影響から離れたときにのみ、人は健康でいることができます。5/7/03

ポニョ:このブログが余命半年、闘病ブログのようになって来たけれど、調子はどうですか?

ヨシオ:余命半年と宣告されて、周りの人たちが露骨に優しくなって行くのが面白いな。実は昨日ガン専門医と会って、これからの治療の説明を受けたんや。俺が私的な保険に入っていなくても、私立病院で無料で治療が受けることが出来るシステムも説明してくれたな。

ポニョ:巨大薬品会社がスポンンサーになってくれたからやろ。そんな事は常識やぜよ。あんたはただの新薬の実験の被験者で、奴らは金儲けしか考えていないぜよ。

ヨシオ:それでも無料やから感謝しないと。その私立病院に来ている患者は裕福そうな人ばかりやったな。着ている服や乗って来ている車ですぐにわかるな。俺の車のような、雹やあられで屋根やボンネットがボコボコになっている車に乗っている人は見かけなかったな。

ポニョ:オーストラリアの私的保険はメチャ高いもんな。

ヨシオ:その医者によると、免疫療法をしてくれるのか、化学療法をしてくれるのかはコンピューターが無作為に選んで決めるらしい。だからひょっとしたら化学療法になるかもしれないんや。

ポニョ:あのね、化学療法をガンに限って治療する事を抗ガン剤治療と呼ぶんや。

ヨシオ:そういや、このブログを始めた五年ほど前に、ポニョは抗ガン剤治療は良くないって言ってなかったか?

ポニョ:あれから副作用の少ない治療薬が出て来て、治療薬も進歩したけれど、ガンの三大療法である抗ガン剤治療、放射線治療、ガン摘出手術は、日本では悪魔の三大セットと呼ばれていたんや。
特に抗ガン剤治療は、戦時中、広島の毒ガス島で製造されていた発ガン性のあるマスタードガスを原料に使っているので、ガンを悪性化さするんやぜよ。これは、造血機能をDNAから破壊し、免疫細胞を破壊するんやで。

ヨシオ:抗ガン剤は、効かん剤。殺人剤というタイトルで記事を書いたよな。でもオーストラリアで使っている抗ガン剤は、日本のようにマスタードガスを原料に使っていないやろ。

ポニョ:何れにしても抗ガン剤は全て猛毒なんや。正常な細胞も殺してしまうから、危険が危ないズラ。医者がキチンとモニターして使わないと、体力の無い高齢の患者の命はすぐに短くなってしまうんや。でもコンピューターが無作為にどの患者を免疫療法に、そしてどの患者を抗ガン剤治療にするかって事を選ぶって支配層が考え出しそうな事やぜよ。人の気持ちが入っていないズラ。

ヨシオ:俺のガン細胞は昨日、アメリカの研究所に送られたんや。そしてカナダ、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、アメリカなどの国々の研究者が同時に同じ薬品の研究をしていて、アメリカの研究者が俺のガン細胞を分析した後、コンピューターが最適な治療方法を決めると言っていたな。

ポニョ:多分Siriが決めるんやぜよ。人間羊の世界や。

ヨシオ:何やねん?尻って。そういや大きなケツの看護婦ばかりやけどな。

ポニョ:お尻じゃないっちゅうに。それでも抗ガン剤治療はやばいぜよ。コンピューターがあんたを免疫療法をするように選んでくれれば良いのにな。

ヨシオ:約二、三週間後に決まるんや。でもポニョが言ったように、もし抗ガン剤治療やったら断ろかな。俺はてっきり免疫療法をしてくれると思い込んでいたから。

ポニョ:そんなややこしい抗ガン剤治療をしなくても、最近日本で、光療法というガン治療の実験が行われていて、治癒率90%なんやで。まだ実用化まで時間がかかるかもしれないけれど。でも近赤外線を使ったとても簡単な治療で、治療時間も二十分で済むし安上がりなんや。
でも実用化された時には、あんたはもうこの世にいないかもしれないよな。

ヨシオ:簡単に人を殺すなっちゅうに。

ポニョ:免疫療法は薬がまだ認可されていないので、治療コストが高過ぎるぜよ。あんたはスポンサーが付いて無料やけれど。

ヨシオ:一年分の治療に使う新薬だけで1700万円もかかるんやて。めちゃ高いやろ。俺の嫌いなCTスキャナーを月に一回と、血液検査を週一しなくてはいけないし、胸の上の方にポートと呼ばれる注射針を簡単に刺せるプラスチック製のユニットを、手術で埋め込まなければいけないんや。手術と言っても一時間そこそこで終わるらしいけれど。俺は全部タダやと聞いたから、大阪人のノリで、タダやったら好き放題やってもらおうやないかと病院に行ったけれど、実はあまり気乗りはしないんや。

ポニョ:タダほど高いものは無いって聞いた事は無いんか?それに誰でもガン治療に喜んで行く人なんていないズラ。

ヨシオ:ところで昨日、日本にいる妹夫婦が俺のブログ記事を読んで俺がガンだと分かり、急いでオーストラリアまで会いに来てくれたんや。俺はその前日まで、胃ガンの部分が痛くて、歩けないし、腹式呼吸も出来なかったんや。でも医者にモルヒネが少し入っている薬を処方してもらったら、あっという間に痛みが消えたので妹夫婦が訪れた時はとても元気やったんや。
でも当初は一錠で効いたのに、今では四錠ぐらい飲まないと効かないな。今日も朝から痛みが酷くて昼過ぎまでベッドに横になっていたんや。医者はその薬は一日八錠まで飲めるって言ってくれたけれど。

ポニョ:おいらが言ってたように、だんだん内臓痛という痛みが出て来て、その後食べ物が食べれなくなるんや。点滴をして栄養剤を直接血液の中に送れば何も食べなくても二ヶ月ほど生きれるけれど、でも腹水が溜まるし。それにいくら水を抜いても点滴をしていたらすぐに腹水が溜まるんや。あんたはそんな延命治療をしたくないやろ。

ヨシオ:延命治療は一切お断りや。産まれた時に霊体に死ぬ日が刻まれているのに、どうして延命しなくてはいけないんや。
そういや妹が、どうしてサイババさんの教えを守って生きて来たのにガンになったの?と聞いて来たので俺は、二年前にサイババさんが夢にやって来て、お前の体はムチャをしてガタガタやから、肉体を離れる準備をした方がええなと言われたんや。
多分もうその頃から、ガンに侵されていたと思う。
その夢の中で、サイババさんと二人で飛行場にある格納庫に向かって歩いていたから、俺はてっきり格納庫の屋根を葺き替えるのはとても危険な仕事なのでやめろというメッセージかなと思い込んでいたんや。でも今から振り返るとそうじゃなかったな。

今日まで、癌の治癒を考えついた医者は誰一人いません。癌の原因は何でしょう?
キンマの葉を食べることが原因だという人がいるかもしれません。
癌はビーディー〔インドの手巻き煙草〕や煙草を吸うことが直接の結果だという人々もいます。
さらには、周りの空気が汚れているから癌になるのだと言う人もいるかもしれません。
要するに、理解しなければならないことは、限られた範囲内においては、これらの要因はいくらかはその一因となり得るだろうということです。
しかし、これらは癌の主な原因ではありません。
癌の主な原因は砂糖です。
市販の砂糖を作る際、製造過程において、骨粉等、多くの化学処理された物質が使われています。
そうした物質は、砂糖を摂取していくうちに、体内のどこかに詰まって、問題を生じさせます。
人は白血球と赤血球という二種類の血球を有していますが、白血球が詰まって、特定の部分をふさぎ、それが癌へと成長することがあり得るのです。
それをグルコーマと呼んでいる人たちもいます。
このグルコーマが癌に手を貸している主な要因です。
このグルコーマが砂糖という化学製品のようなものの主な問題です。
水、空気、公害、喫煙――これらは主要因とはなり得ません。
主要因は砂糖です。
古きよき時代、砂糖はどういった形で食されていましたか?
今のような人工的で合成されたものではなく、健康的な形のジャガリー(椰子糖)でした。
料理に甘みをつけるときには、それが使われていました。しかし、今日、皆さんは、自分が食べるあらゆる食べ物に、化学調味料や他の人工的な物質が含まれていることを見出すでしょう。
このすべては、ただ、お金を儲けるためです。
人々はそのような数多くのいかがわしい物を食べ物に添加して、その結果、病気が増加しているのです。8/10/83

ポニョ:二年前というと、ドラム缶を切り抜いてハンドパンという楽器を作っていた頃やろ。めちゃ元気そうやったもんな。

https://m.youtube.com/watch?v=6oremFnbgO0

ヨシオ:そうやろ。でもサイババさんが言われた通り、その半年後に車椅子生活になったんや。

ポニョ:あゝ、例の痛風で、膝や足首が大きく腫れていたもんな。

ヨシオ:それから生まれて初めて失神するし、胃から出血するし、ガンは見つかるし、踏んだり蹴ったりや。でももうすぐサイババさんのところに戻れると思ったら嬉しいな。実は俺は去年から胃の調子が悪いのは知っていたんやけれど、胃ガンの検診を拒否してたんや。だってもし胃ガンが見つかって、まだ他の臓器に転移していなかったら胃の摘出手術をしなくてはいけないやろ。
胃ガンが肝臓に転移していたおかげで、手術をしなくてもよかったから嬉しいんや。

ポニョ:転移して嬉しいって、そんな患者はいないぜよ。最近のニュースであまり断食をし過ぎると、胃が縮んでしまい、大きなシワが出来てそこから胃ガンが発生するって記事を読んだことがあるぜよ。

ヨシオ:断食は身体に良いとサイババさんが言われているから、俺はその教えに従って来ただけなんや。
妹の主人も昨日一緒に来ていたけれど、絶対に胃ガンの検診はしないって俺と同じ事を言ってたで。死ぬ時は死ぬ。サイババさんが面倒見て下さるから大丈夫やって言ってたな。

ポニョ:あんたの家族はみんなサイの帰依者やから話が簡単で早いぜよ。

ヨシオ:ところでこの一ヶ月間、病院に通って気づいたんやけれど、医者や看護婦などの医療関係者って、糞真面目な人が多いよな。

ポニョ:あんたの家族も、嫁さんや義理の娘さんも入れたら六人も医療関係者がいるもんな。みんな真面目そうな性格やぜよ。

ヨシオ:別に真面目な性格が悪いと言っているわけじゃないけれど、俺は五分以上真面目な会話をすると、肩が凝って来てイライラするんや。俺はみんなが楽しめる会話をしたいんや。だから少なくとも三分に一回は冗談を言ってしまうんや。冗談が無い会話は会話ではないと昔から信じて来たから、病院で糞真面目な顔をしている医者とか看護婦を笑わすのが習慣になってしまったな。

ポニョ:そんなことを習慣にしないでくれますか?みんな人の命を預かっているから真面目に働いているのに。

ヨシオ:人の命は神さんが預かっているんや。真面目なことは良いけれど、もっと心に余裕を持って患者に接して欲しいなと思って、俺は病院の中で俺の手術を担当した、いつも糞真面目な顔をしている外科医を先ずターゲットにして、その外科医を笑わそうと努力したんや。
その外科医はハンガリーからの移民で、目と目が合っても全然ニコリともしない無表情男なんや。

ポニョ:おいらが若い時にハンガリーに旅行したけれど、電車の中や店の中、商店街で人と目が合っても人々は全然ニコリともしないんやで。なんか冷たい感じの国やったぜよ。

ヨシオ:でも俺はその外科医を二回も笑わす事に成功したで。先ず手術室で、ずっと以前から考えていたジョークを言うと、その外科医はお腹を抱えて笑っていたな。それで手術室の雰囲気がガラッと変わったんや。俺はインターンに、「お前、見たことあるか?このドクターYが笑ったのを。ドクターYを笑わすのはめちゃ難しいよな。」と大きな声で言うと、ドクターYは笑いながら「お前みたいな患者は初めてや。」と言ってたな。

ポニョ:手術室の雰囲気が変わっても仕方ないじゃんか。サイババさんは、医者や看護婦は患者の不安な気持ちを和らげるために、いつもニコニコしなさいと言っておられるけれど。

ヨシオ:昨日行った私立病院のガン専門病棟の医者もめちゃ真面目で、歩き方はまるで日本の武士のようやし、眉間にいつも二本深いシワが刻まれているし、俺は最初この医者を見た時に、絶対、今日一回は笑わさせてからでないと、この病院から出ないって決めたんや。

ポニョ:そんな事を勝手に決めてどうするんや?死期が迫っているガン患者ばかりを相手にしていたら、眉間にシワが出来ても普通やぜよ。

ヨシオ:その医者は俺に「残念ながら、君のガンはもうあちこちに転移していて手術では治せないんだ。他の国の人たちに比べて、日本人の胃ガン患者は十倍も多いんや。多分、日本人が大好きなタクワンや漬物のせいだと思う。漬物を漬ける時に含まれる、ある種の化学物質が胃ガンの原因なんだ」と言ってたな。

ポニョ:おいらは漬けもんには目が無いけれど、全然胃がんにならないぜよ。

ヨシオ:安もんの漬物には、その化学物質は含まれていないんやろ。ところでその医者が座っている後ろの壁に、その医者の資格証明書が額に入れて掛けてあって、俺はそれを何気なく見てたら、なんとミドルネームがタケオなんや。俺はその医者は混血っぽいなと思ってたんや。聞くと、お父さんは柔道家で日本で十年間も武道館に通い、そこで日本人の奥さんと知り合ったんやて。その医者は日本語も話せるので驚いたな。

ポニョ:お母さんが日本人だったら、日本語が話せるのは当たり前やぜよ。でも日本語が話せる医者って、サイババさんがあんたの面倒をよく見て下さっているぜよ。

ヨシオ:でも問診の時はずっと英語やで。胃から時々、間欠泉のようにポコンと細胞が破裂して出血していると言ってたな。だから胃カメラでは出血しているのが見えなかったんや。

ポニョ:さすがガン専門医やぜよ。

ヨシオ:俺はその医者の背筋がピシッと真っ直ぐで、性格も日本人独特の真面目で几帳面な感じだったので、「あんたと話していると、医者ではなく、まるで侍と話しているようやな。」と言った後、俺が病院に行く途中に失神しないように心配して付き添ってくれた息子に、横目で医者の方を見ながら日本語で、医者にわざと聞こえるように「でも武士は自分の思い通りに行かなかったり、気に入らない人たちをすぐに刀で叩き斬るから、この医者には気を付けなければいけないな。」と言い終わるや否や、その医者は、自分の椅子の後ろに置いてある、目に見えない刀を取り出して来て、いきなり俺に、「お前は医者の言う事を効かない悪い患者だから叩き斬ってやる」と大きな声で言って「ズバッ!ズバッ」と叫びながら俺に見えない刀で切りつけて来たんや。
俺も大阪人のノリで「ウワー!やられた!血だらけや!」と言いながら、後ろにあるドアから逃げ出そうとしてドアを開けようとしたら、看護婦が、大きな叫び声や物音を聞きつけて血相を変えて部屋に入って来たんや。
それを見て医者が、「外にいる患者や看護婦に聞こえるので、今日はこれぐらいで止めよう」と言ったので、俺は隠し持っていた拳銃でその医者を撃ち殺し、リベンジをしようと狙っていたのに休戦状態になったんや。
その後、めちゃおかしくて、二人でいきなり部屋に入って来て目を白黒している看護婦の真似をしたりして、大笑いしてたんや。あの糞真面目な医者がここまで乗って来ると予想していなかったので、メチャおかしかったな。俺はこれで、この糞真面目な医者を笑わせる今日のノルマは終わったと思って、病院を後にして家路に着いたんや。

ポニョ:それって吉本のチャンバラトリオの見過ぎやぜよ。大阪の人間しかそんなチャンバラゴッコをしないけれど、その医者の母親もひょっとしたら大阪人か?

ヨシオ:いや、長野だと言ってたな。俺は医者に「長野って野沢菜、すんき漬けなどの漬物の名産地やないか。お前ら長野県人がグルになって、日本人を胃がんにさせて金を儲けようとしてるんじゃないのか?悪徳医師め。」と言ってイチャモンをつけて喜んでいたんや。あゝ人生は面白いな。もうあまりこの世での俺の時間は残っていないけれど。でも生ある限り人生を楽しんで過ごそうっと。今日も楽しかった!

自分がアートマンということを忘れずにそこから力を引き出しなさい。
あなたに自信を持たせ、信念から湧く力と忍耐力を与えるのが私の使命です。
失望は衰退の主な原因です。
ですから誰もが楽しくなれる雰囲気を作らなくてはなりません。
満ち足りた心の持ち主にとって、人生は一つの長いお祭りのようなものです。
嫉妬は元気を無くさせ、全身に毒を広がらせます。
喜びも悲しみもすべて神に捧げなさい。
それが満ち足りた心でいることが出来る秘訣で、それは何物にもまさる宝です。真善美pt2p144

神のレッスンシリーズ(20)

2018-05-28 04:00:24 | 日記

ポニョ:今日はダイアナさんの悪癖である喫煙を、サイババさんが如何にしてストップさせられたかという記事です。

ヨシオ:ダイアナさんの場合は、御主人が煙草はいやだ言っているのに止められないほど喫煙中毒なんやな。
俺はどんなに何かをしたいとか思っていても、その行為によって誰かを傷つけるのであれば、絶対にしないけどな。ダイアナさんの態度は俺には理解し難い行為や。
俺も独身の時に美人に惚れられて、家に招待された事があるけれど、その美人のお母さんが、俺を車で駅まで送る時に煙草を吸い始めたんや。
するとその美人さんも、お母さんと一緒にプカプカ煙草を吸い始めたので、エアコンが効いていて、窓を開けられない車の中が煙だらけになり、俺は死にそうになったな。俺はお母さんに、「あんたの娘さんはとても良い人だけれど、俺はどうしても煙草を吸う女性を好きになれないので、もう俺を家に招待しないで下さい」と言ったんや。

ポニョ:あんたらしいストレートな断り方やな。

ヨシオ:我慢して付き合いたくないしな。その当時、俺の嫁さんはまだ中学生三年生やったし。実は俺も叔父貴に小三の時に煙草を勧められて一時期吸っていたんや。でも一度も吸って美味いと思ったことはないな。

ポニョ:小学生から喫煙していたの?めちゃ悪やないの。

ヨシオ:ビールや酒も小学生低学年の時から飲んでいたな。体がアルコールに慣れてしまって、ビールぐらい何本飲んでも水と一緒や。全然酔わないな。おかげで今頃、痛風になったんや。

ポニョ:あんたはすごい悪い環境で育ったからな。人が喫煙中毒になるのは、多分、お母さんが妊娠中に煙草を吸われていたからなんやぜよ。妊娠中に煙草を吸うと、その子供が大人になれば、99%の確率で喫煙者になるんやぜよ。ダイアナさんもひょっとしたら同じかもしれないな。という事で今日の記事です。

誕生日の贈り物

夫を私に紹介する前、スワミは私をノンスモーカー(非喫煙者)と結婚させたいので 喫煙をやめるように、とほのめかされた。喫煙は、今生での根深い習慣であるばかりか、 明らかに私の多くの過去世での習慣でもあった。スワミはそれを、「生まれる前」に始 まった習慣、とお呼びになったので、私はそれを過去世に源を発したという意味で受け 取った。私は喫煙を愛していたが、それ以上にスワミを愛していたので、スワミが私に やめるべきだと示唆なさったその時は、私はそうすることができた。
私たちの多くにとって、喫煙や他の嗜癖は、人生の感情的な状況に対処するための能 力不足を埋め合わせるものだと実感した。どのような感情的な状況に直面しても、それ が愉快なものであれ不快なものであれ、私は自分の感情を鎮めるのを助けるのに煙草と いう形のおしゃぶりに手を伸ばそうとした。私はそのおしゃぶりを捨てたけれど、その ことを理解していなかったし、この生理的要求の根本原因を解決することはできなかっ た。
何年もの間、ストレスの多い状況が起こるたびに、最初に頭に浮かんでくるものは常に煙草だった。喫煙したいという衝動に抵抗することに疲れ、とうとう一本だけなら煙 草を味わってもよいだろうという考え違いを起こして、再び私は煙草を吸い始めた。正 当化し、合理化する心〔マインド〕の習慣のせいで、私はスワミが私に喫煙をやめるよ う求めたのは単にロバートの煙草嫌いに適応させるためだった、と自分に言い聞かせ、 どんな罪の意識も排除した。
私の喫煙は、結婚生活に大きなストレスを引き起こした。それは、ロバートがスモー カー(喫煙者)と一緒に暮らすことはできないと感じるところまでエスカレートした。 スワミの 70 歳の御降誕祭を祝うためにインドへ旅立つ前、私たちはかなり切迫した行 き詰まり状態に陥ってしまい、結婚生活に調和と平安を取り戻すための解決策を必要としていた。

スワミは、古い友人たちと共に私たち夫婦をインタビューに呼んでくださったが、後 に私は、そのことを深く感謝した。それは感情的に難しく、私にとってある意味できま りの悪い時間になったため、見知らぬ人々の面前であれば、緊張感のある不愉快な時間 になっていたことだろう。
個人的なインタビューのためにスワミが私たちを小部屋へ連れて行った時、スワミは いつもとまったく違うやり方で会話をお始めになった。スワミはこう切り出された。
「判断を下します。今日はスワミが判断を下します!」
私たちは二人とも何も答えず、その瞬間、問題があることさえ忘れていた。スワミの 御前にいると至福の喜びに満たされ、しばしば時間と思考が一時停止してしまう。スワ ミはロバートに私たちの結婚についてお尋ねになり、思い出させてくださった。ロバー トは、結婚生活の唯一の問題は私の喫煙であり、それをやめない私の言い訳は、スワミ の恩寵なしには喫煙をやめられない、というものだと答えた。
スワミは私の方を向かれ、私は喫煙をやめるのがどれほど難しいかを嘆き続けていた。 努力したのだが、スワミの恩寵がなければ自力で禁煙することはできなかった。心のど こかで、私はスワミが私を哀れんで、禁煙が引き起こす苦しみをご覧になり、喫煙し続 けることを許してくださるよう望んでいた。
しかし、スワミはロバートに同意なさったばかりか、喫煙に反対するのはロバートの 義務である、とさえおっしゃった。それは悪い習慣であり、身体に有害で、健康を損な い、霊的にも害があり、他の人々にとっても悪い手本なのだった。私は再び、自分には 禁煙するためのスワミの恩寵がない、という言い訳を持ち出した。しかし、スワミは同 意なさらず、それは私の勝手な想像であり、神の恩寵は存在しているが、私の側に努力する必要がある、とおっしゃった。

それから、スワミはより柔らかく、抗し難いアプローチをなさり、私のハートをすっ かり溶かし、即座に私の側のあらゆる抵抗を止めてしまわれた。スワミはこうおっ しゃった。
「スワミは決して他人には何一つ求めません。それは私の性分ではないし、私には何 の欲望も願いもありません。私はただ、悪い性質を差し出すことだけを求めます。私の 70 歳の誕生日に、私への贈り物として、私はあなたが喫煙をやめることを望みます」
ロバートはとても感動して、自分も何かスワミの誕生日に手放したいと思い、スワミ に何を捧げることができるかを尋ねた。スワミは優しく応じられ、スワミは何も欲しく ないとおっしゃった。スワミの性分は与えることだけだ。スワミはご自分の人生を帰依 者たちに与えて来られたのだ。
個人インタビューが終わった後、私たちは広いほうのグループインタビューの部屋に 戻り、スワミが他の人々を私的な話し合いのために小部屋へ呼ばれる間、待っていた。 座ってスワミを待っている間、私はこの深くこびりついた執着を捨てるようスワミが私 に望まれたやり方に圧倒され、とうとう涙が溢れてきた。私は煙草を友人であると、今 や失わんとしている大好きな古い友人であると思った。私は声もなく泣いて自分の感情 を抑制しようと努力した。同時に、少なくともその部屋にいた他の人々が友人であった ことに感謝した。おかげで、気恥ずかしい思いをせずに済んだからだ。
小部屋から姿を現された時、スワミは私のほうを見てお尋ねになった。
「おや? 友人が行ってしまうのですか?」 そして、煙草を吸うかのように二本の指を唇に持っていき、こう付け加えられた。 「あなたの友人ではありませんよ」

それから、スワミは他の人たちに、70 歳の降誕祭の贈り物として私に喫煙をやめる よう求めたことを説明なさった。
「贈り物を与えて泣くのはよくありません。人は、与えて幸せでいなければなりませ ん」
スワミは、私たちの悪い性質を贈り物として求めることを説明なさった。スワミは おっしゃった。
「スワミは、汚れた銀行紙幣を受け取って、きれいな新しい紙幣を返す銀行のような ものなのです」
古い習慣と交換して、スワミが私に与えてくださったきれいな新しい銀行紙幣は、自立、自己信頼、勇気だった。私にとってはお買い得品の交換である! 私は物への依存 を捨てることを体験し、喜びに満ちた自由と自立を手に入れた。泣く子をあやす外側の 代用品の代わりに内なる力に頼ることにより、ゆっくりと感情的な状況を直視する勇気 と自己信頼がやってきた。


個人的な美徳

スワミがロバートに、私がそのゲームをしなかったとおっしゃった時、スワミは「乱 交」の言い換えとして「椅子取りゲーム」という言葉を使われるというこがわかった。 その時はスワミが何をおっしゃっているのか理解できなかったが、ロバートがそれを説 明してくれて以来、私はスワミが何度かそのような振る舞いに耽っている人々を懲らし める時、その言葉をお使いになる場面を目撃した。
西洋では、不貞はあまりにも軽々しく受け止められ、私たちはそれを裏切られた当人 だけを害するものだと感じている。しかし、スワミがおっしゃるように、もし二者が存 在すると感じているなら、それは間違っている。唯一者しか存在しないのだから。裏切 りとは、結局は自分自身に対するものであり、私たちの本質は神であるゆえに、その裏 切りは実際には神に対する裏切りなのだ。そういった振る舞いの深刻さは、それが私た ちの節操や価値観をゆっくりと低下させる結果に終わることにある。正義、平安、愛、 非暴力と共に、真実は霊性修行者を支える基盤である。これらの中核となる価値を守ら なければ、霊性のどのような外観も崩壊してしまう。

スワミがある人物にインタビューの間中ずっと厳しく情け容赦なく接するのを見る のは、特にその人が初回のインタビューを受ける場合は珍しいことだが、ロバートと私 は、スワミがある若い西洋人の女性に、とても厳しくなさるのを目撃した。その十代の 女性は、ある青年グループと共にアシュラムに来ており、私たちと他の数人と共にイン タビューに呼ばれていた。スワミが個人インタビューのために彼女を小部屋に呼ばれた 時、スワミは若い女性と二人きりで会われることはないため、私たち夫婦を付き添いと して中にお呼びになった。
石をも溶かす甘い愛に満ちた声の代わりに、スワミはとても厳しい口調で彼女に話し かけたので、その十代の女性は無言のまま何も答えることができなかった。私は彼女の 家族や背景を少し知っていたので、スワミが雑談をやめてご自身の全知を明かす決意を なさるまで、彼女に向けられたスワミの質問の幾つかに答えることができた。スワミは すべてをご存知であり、彼女の青年たちとの交遊関係を認めていないことを告げるにつ れ、スワミの厳しい口調はさらに激しくなった。かつて、その十代の女性は良い学生だっ たが、現在の恋人が心の乱れを引き起こしているため、もう良い学生ではない、とスワミはおっしゃった。スワミは彼女に、そんな態度で交際関係を続けずに、交際は終わり にして、学業を終えた後にその青年と結婚するようにと忠告なさった。「権利もなけれ ば、責任もない」と、スワミは未婚の交際についてお話しになった。スワミは、両親も 子供たちに自由を与えすぎていることに一部の責任がある、とおっしゃったが、私はス ワミがよく、特に西洋人に対してそうコメントなさるのを聞いていた。
スワミの厳しさは極めて異例のことであり、当時、その子供っぽくて世間知らずの若 い女性に対しては厳しすぎると私は感じていた。しかし、振り返ってみると、私にはス ワミの愛の押印がはっきりと見える。その若い女性が人生の岐路に立っていることを 知っていたため、スワミは自分の子供にとって何が最善かを知っている愛情に満ちた親 の役割を引き受け、彼女に取るべき正しい道を深く印象づけようとなさったのだ。残念 なことに、後から知ったところによれば、その若い女性はスワミの警告に注意を払わず、 違法ドラッグの使用と非嫡出子を含む、数え切れないほどの困難を抱え込む羽目に陥っ た。

余命は聞き飽きた

2018-05-24 04:00:42 | 日記

どんな困難がやって来ても、それを神の意志として受け入れなさい。
何のために神が困難を与えているのかを知る者は誰もいません。
困難は自分の幸せのためだと考えなさい。1/5/08

ポニョ:半分死にかけのガン患者さん。調子はどうですか?

ヨシオ:俺のことを、半分死にかけのガン患者さんと呼ぶのはやめろっちゅうに。
実は先日、俺の事を面倒見てくれている五、六人の医者から成り立っている医師のグループがあって、その医師長が俺に会いたいので病院に来るように手紙が来たんや。
それでアポの時間に行くと、医師長は俺に「君のガンはもうすでに胃の壁を突き抜けて転移、浸潤していて肝臓までガンになっているので手術は出来ないのだよ。ステージで言えば4だ。あとは放射線治療と免疫療法しか残されていないけれど、どうする?」と聞いて来たので、俺は名前が良さそうやから免疫療法にすると答えたんや。ところで免疫療法って何やねん?

ポニョ:あのね。大事なことやのに、名前が良さそうやからなんて言って適当に答えないでくれますか?免疫療法がオーストラリアでは公立病院でやっているって知らなかったぜよ。日本では保険適用除外治療やから五、六回の治療で二、三百万円もかかるんやで。

ヨシオ:それは高いな。こちらでもまだ新しい試みなので大学の研究室かどこかの病室で治療をしてくれるんや。俺の胃ガンが彼らの研究対象に選ばれたので、モルモットになるって感じかな。

ポニョ:免疫細胞治療とも呼ばれるんやけれど、自分の肉体の免疫力を増加させてガン細胞を殺していくという治療方法なんや。それほど効くって感じじゃないけれど。でもおいらの知り合いが肝癌になり、免疫治療をして六年経つけれど、まだ生きているぜよ。

ヨシオ:そうなんや。捨てたもんじゃないな。そういやガンを食べる細胞はキラー細胞とか何とかいうんやろ。

ポニョ:白血球から作られるんや。でも人の身体には毎日のように5,000個から8,000個のガン細胞が作られるんやで。だからガンだといってアタフタする必要は無いんや。あんたの場合はもう手遅れやけれど。それで後どれくらい生きれるんや?

ヨシオ:この前同じ質問をした時は、何も治療しなかったら半年の命と言われたけれど、今回は免疫療法をするって俺が決めたから、よくもって半年から一年ぐらいかなと言ってたな。でも、「今は食欲があって何でも食べれるけれど、もうすぐ食欲が無くなりどんどん体重が減ってしまうから、その時には死期が近いと思って下さい」と言われた。

ポニョ:あんたの場合は腫瘍がデカイからすぐに十二指腸への穴が塞がってしまい、何も食べれなくなるぜよ。それに腹水が溜まると胃や腸を圧迫するので、食べれなくなるんや。

ヨシオ:俺はポニョと違って食べるものにはこだわっていないし、もし食べれない状態になったら、得意の断食をしながら肉体を離れるやろな。今まで何十回も生まれ変わって来ているから肉体を離れるなんて平気の平左や。

ポニョ:そうですか。免疫療法ですか。これで家族の人たちも少し落ち着くやろな。今まであんたは一切治療行為をしないなんて言って来たから。

ヨシオ:俺の子供達の四人は医療関係者なんや。残りの一名は弁護士やし。だから子供達が束になって俺を説得して来たら、対抗するのはめちゃ難しいんやで。 まだそう簡単には負けないけどな。
でも免疫療法を受けると言ったらみんな喜んでくれたので、当分家庭は平和に保たれたな。

ポニョ:あと半年から一年か。ブログ記事はどうしますか?今まであんたが理由無しにボツにして来た記事を集めたら、来年の二月まで週一で掲載出来るけれど。

ヨシオ:あのな、理由無しってどういう意味やねん。理由があるからボツにしたんや。でもポニョが適当に変更してくれたらそれでええけど。

ポニョ:どこを変更して良いのか全然分からないっちゃ。このブログは、あんたが死んだら、管理人のいないお化けブログになってしまうぜよ。

ヨシオ:ポニョがいるやないか。

ポニョ:おいらはあんたみたいな記事は書けないズラ。

ヨシオ:もうその頃には、サイババさんも現れて来ておられるから大丈夫や。医者は俺の寿命はあと半年って宣告するから、友達や遠くに住んでいる子供達や知り合いに、「俺はあと半年だけ生きる予定やから、俺に会いたい人は早めに会いに来てね」とメッセージを出したんや。
「でも俺が肉体を離れると、好きな時にいつでも君たちに会いに行くので、無理して来なくても良いよ」と忘れずに言っておいたけれど、でも結構な数の人たちが会いに来るようや。俺はもう食べれなくなったらガリガリに痩せるし、その頃には誰にも会いたくないんや。

ポニョ:あんたのイカツイイメージが狂うもんな。その時が来たら面会謝絶にすればええんや。

ヨシオ:近くに無料のホスピスもあるし適当に雲隠れしようかな。

ポニョ:あと半年しか命が残っていなかったら、おいらやったらジタバタと焦って何かするやろな。

ヨシオ:俺はどこにもいきたくないし、何も欲しくないし、誰かに会いたい人もいないし、何もしたくないんや。ただこの前も言ったように、この肉体に出来るだけ神の帰依者たちの病を、身代わりになってこの身に受け入れてから死にたいなという願いがあるだけや。

ポニョ:とか何とか言っている人が一番長生きするんやぜよ。

ヨシオ:俺が知り合いや家族に、あと半年しか生きないと嬉しがって言いまくっていたら、その日の夜にサイババさんが夢にやって来て次のように言われたんや。

サイ:もう聞き飽きた。

俺:何がですか?

サイ:お前の余命の話や。お前は長い間帰依者をしているけれど、いったい誰が全ての生命をコントロールしているのか知っているのか?

俺:もちろんですとも。あなたでしょう。でも医者が余命は半年と宣告したから、言われた通りにみんなに言ってるんやけど、まずかったかな。あなたが医者の身体を通じて、余命は半年だと俺に教えてもらったと思い込んで喜んでいたのに。

サイ:識別心がまだ十分じゃないな。頭で分かっているだけでは十分じゃないやろ。お前の命は私の手の中にあるんや。たとえお前の身体中にガンが転移しても、私が意志しなかったらお前は肉体を離れることは出来ないんや。
お前の生命はお前や医者が決めるのではなく、私が決めるんだ。
その事を分かっているんやったら、もう二度と人に、お前の余命はどれくらいかなどと言って、吹聴するのをやめなさい。その余命の話は本当に聞き飽きた。私を無視してるのと一緒やないか。

俺:プライドが傷ついちゃったの?

サイ:傷ついてないっちゅうに。

と言って叱られたんや。

ポニョ:確かに全ての生きとし生けるものの生命は、サイババさんがコントロールされているもんな。この前も言ったけれど、あんたは誰かに射殺されるんやろ。それまで生きているぜよ。だいたい世界がクライマックスを迎える頃にガンになる事自体がサイババさんが意図しているとしか考えられないやないか。

ヨシオ:俺の末っ子が、俺に「お父さんは三十年以上もサイババさんの教えを守って生きて来られましたね。サイババさんが肉食をやめなさいと言われているの知った途端に菜食になり、サイババさんが白砂糖を食べるとガンになると言われたの知ってすぐに白砂糖もやめました。また食後二十分ほど散歩すると消化に良いとサイババさんが言われたのを知って毎夕食後散歩に行ってましたね。僕はサイババさんの教えを守って生きて来られたお父さんが胃ガンになるなんて信じられません。逆にガンから一番離れたところにおられるのがお父さんだと信じ込んで来ました。
だってお父さんはサイババさんの教えをずっと守って来られたじゃないですか?食事の前のフードマントラとガヤトリマントラは欠かしたことはないし、レストランに食事に行くと、そこの椅子に座っていた人の想念や、シュフの想念が入って来るから行きたくないと言ってお母さんの手料理しか食べなかったし、食べ物についてはとても厳格にサイババさんの教えを守って来られたじゃないですか?
僕の周りには肉食で、しかも毎日のように白砂糖がたくさん入っているお菓子や清涼飲料水を飲んでいる人たちがたくさんいます。でも誰一人ガンになっていないじゃないじゃないですか?それって不公平ですよ。神の教えを守って生きて来た帰依者がガンになり、そうじゃない人がピンピンして生きているって。不条理じゃないですか?」
と言って涙を流しながら訴えたので、俺は次のように答えたんや。

俺はパートタイムの帰依者ではなく、お前も知っている通り神に全託している帰依者や。神に全託すれば、全ての行為を神に捧げ、その行為から何も期待をしないという態度が必要なんや。だからお父さんはサイババさんの教え通りに生きて、サイババさんが下さったガンによって肉体を離れるんや。だからお父さんはとてもハッピーなんや。もちろんお父さんはサイババさんに、どうしてあなたの教え通りに食事をしたのにガンになったのですか?と尋ねる事が出来る権利があるんや。だって教え通りに生きて来たから。でもそういう風に尋ねる事は霊的なレベルの低い人たちがする事なんや。お父さんは全てを受け入れているから、とてもハッピーなんや。
また別の見方から説明すると、俺たち人間は、実は刑務所の中にいて服役している受刑者なんや。一定期間を過ぎ服役期間が終了すると刑務所から出してもらえるんや。
お父さんもそろそろ刑期を終えたので、神さんに頼んで出所して出所祝いでもしてもらおうと思っているんや。
今までは健康でよく働く受刑者やったけれど、出所したら健康な身体は必要無いやろ。だって神さんに融合するんやから。というような話をしたんや。

ポニョ:あのね、オーストラリアで生まれ育った息子さんに出所祝いなんて言っても分からないズラ。それにそんな簡単な説明で納得しないズラ。
だって刑務所から出所しても元気な奴らはどこにでもいるズラ。

ヨシオ:出所祝いと言ってはいけないんやったら、放免祝いとでも言えばええんか?

ポニョ:あのね、放免祝いってヤクザ言葉やないの。あんたと少し話せば、すぐに育ちが分かるぜよ。

ヨシオ:でも確かに刑務所から出所して、神さんから放免祝いしてもらっても、まだ身体がピンピンとして元気なままやったら、また、シャバに戻らなければいけないような感じがするもんな。

ポニョ:そういう人は、また生まれ変わらなければいけない人やぜよ。

ヨシオ:そうやろ。だから刑務所での刑期を終えた者が本当に自由になれるのは、肉体から離れることが出来る者だけなんや。

ポニョ:カルマが無くなっても、まだ肉体を持ちながらしばらくの間生きて行くって辛いやろな。

ヨシオ:そういう意味で、俺はメチャラッキーだと思っているんや。何れにしても、自らの身に何が起こっても、それを平静な態度で受け入れるっていう事が大切なんや。何が自分の身に起こっても、それを神さんからの贈り物と思って、幸せな気分で受け入れる事や。

ポニョ:全てはありがとうと言って受け入れればええんやな。あゝ難しい。

良いことも悪いことも、得になることも罪になることも、すべての行為は神の力の現れです。
だからこそ修行者は、それが好ましいかどうかを少しも気にせず、すべては神の意志だと受け入れ、正しいことをするのが何よりも大事な務めだと信じるのです。
あらゆる行為の目的は、人生を、神聖なものにすることです。
神の恵みがあるからこそ、正しいことをする機会が与えられ、それによって人生を神聖なものにすることが出来るのです。
神の教えに従えば、この聖なる機会を得て、自分の進むべき方向が分かるでしょう。SGc34


神のレッスンシリーズ(19)

2018-05-21 04:00:13 | 日記

ポニョ:今日の記事でダイアナさんは「私には幸せな結婚への根深い願望がある」と言われたけれど、当時、ダイアナさんは既に結婚されていたぜよ。

ヨシオ:その辺の前後関係はどうなっているか知らないし、知りたくもないけれど、このシリーズの最初に紹介した女性は、その当時、ダイアナさんはまだ結婚していたけれど、別居状態やったと主張していたな。

ポニョ:離婚していたのかな。それとも前夫は病気で亡くなられたんやろ。まだ生きておられたんやろか。

ヨシオ:俺は知らんっちゅうに。どっちでもええやないか。そんな事より俺が面白いと思ったのは、ダイアナさんがサイババさんに紹介された新しい夫が自分には完璧やったと言われたやろ。
その後で、夫は私の欠点を映し出す鏡としては完璧だったと言われたけれど、それって間接的に、「新しい夫の中にたくさんの欠点を見つけてしまったわ。彼は私が望んでいたような完璧な夫じゃなかったけれど、その彼の中に見つけた欠点は、実は私の中にある欠点なので、私の霊性修行に役立つという意味では完璧な夫だわ」と言っているんや。俺はこのコメントを読んで笑ってしまったな。

ポニョ:おいらには理解出来ない世界でヤンス。という事で本文に入りますね。


結婚と家族

あなたの富と財産のすべてを神の預かり物としなさい。神があなたにそれらを与え、 さらには家族も与えました。家族は、神聖な預かり物として愛し、育て、導くために、 神からあなたに与えられた人々として扱わなければなりません。こうして、あなたは自 分の執着を礼拝にまで高め、それを霊的進歩の道具にしなければなりません。
サティヤ サイ ババ


完璧な配偶者

私には幸せな結婚への根深い願望があり、ある日、それを内緒で母に話した。私が良 い夫を選べないことに母がすっかり同意したので、私は母かスワミのどちらかが私の夫 を選ぶべきであり、自分にはとても無理だと心を決めた。スワミはすぐに反応なさった。 まるで私が、直接スワミにその断固たる決意を伝えたかのようだった。2、3日の内に、 スワミはご自分が私の夫を選ぶとおっしゃった。(この話は前著『追憶』の中に詳しく 書いた) 当時、私はまだスワミの帰依者になってから10年で、学ぶのも確かに遅かっ た。スワミが選んだ相手と結婚すれば、その後はその「完璧な夫」と末永く幸せに暮ら せるのだろうと信じていた。「完璧」という部分については正しかったのだが、長年の 間、夫が私の「完璧」という概念に沿った行動を取らないたびに落胆した。完璧な関係 とは、必ずしも私が定義した「完璧な配偶者」でないことに、気づかなかったのだ。
最終的に理解したことは、ロバートは私にとって完璧だったということだ。彼は、私 の成長にとっては完璧だった。私の欠点を映し出す鏡としては完璧だった。私のボタン を押し、心の内で私が自分の反応の源を観察せざるを得ないようにさせるには完璧だっ た。自分の反応を観察することは、霊的原理を行動に移す上で、常に進歩を測る最高の 道具だった。反応が大きければ大きいほど、人に自我という偽りの感覚を与える捏造さ れた概念への執着もますます強くなった。結婚は、私たちの欠点や弱点をさらけ出す、 とびきりきれいな反射鏡になり得る。しかも、その鏡で見ているのは、配偶者の姿では なく、自分自身の姿なのだ。


調整する前に理解すること

私たちの結婚式が執り行われた時、スワミは「調整する前に理解すること」の重要性 を強調なさったが、その導きも日常生活のさまざまな問題に役立っている。理解すると いうことは、他人の行動や振る舞いを説明するために、相手に関する事実や情報を集め る知的プロセスよりもはるかに重要であることに私は気づいた。自分自身さえ理解でき ないのに、どうして他人を理解できるだろう? 理解とは、まず自分自身を知ることから始まり、それができた時、初めて他人を理解する英知を入手できるのだとわかった。
理解が内側からもたらされなくてはならないように、愛と幸福もまた私たちの内側か らもたらされなくてはならない。これらの特質は、他人から来るものでも、他人から与 えられるものでもない。価値あるレッスンを学ぶため、結婚(愛と幸福と理解を受け取 る期待がとても大きい場)以上に優れた環境があるだろうか? 私たちが外界に捜し求 める成就は、常に内側にあるのだ。
結婚は、この世に暮らす人々にとって、世俗的な影響力を持つ原理を実践することを 始める最高の訓練場である。もし一人の人間と仲良く暮らせないなら、どうして多数の 人間と仲良く暮らせるだろう? スワミがおっしゃるように、
「家庭に調和があれば、国家に秩序があります。国家に秩序があれば、世界に平和が あります」ということだ。スワミは後に、次のように語って、私たちの結婚について似 たような忠告を与えて下さった。
「夫と妻の間にはもっぱら調和があるべきであり、どんな相違もあってはなりません。 一体性は神性です。一体性を実践しなさい」
他人と調和して暮らす最大の障害物の一つは、相手への期待である。期待とは、たい てい私たちが何か他人から得たいもののことだ。しかし、望みのものを受け取れないと、 しばしば他人を責めたり、何らかの力を使ったり、操作したりして、欲しいものを手に 入れようとする。期待は、もし何かが得られるとすれば、それが失われることもあり得 ることを前提とする。このことは、私たちの多くの感情や他人との交流を制限するとい う損失への恐れを生む。

もし他人への期待を内なる自分に向けるなら、自分が他人から受け取ることを期待し ていたまさにそのものを、他人に与えることができるようになる。与えることは、霊的 に一致した関係をもたらす唯一の方法であり、それは真理の原理への相互コミットメン トによって高められ、鼓舞される。アッシジの聖フランシスコが自らの祈りの中で美し く表現している通りだ。
聖なる主よ、どうか私が、慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解 することを、愛されるよりは愛することを求めますように。なぜなら、与えてこそ受け 取り、許してこそ許され、己を捨てて死んでこそ永遠の命を得るのですから。
期待ということに関して自分の欠点を正直に注意深く調べてみると、私たちは多くの 場合、他人からして欲しいと思うまさにそのものを、自分は与えていないことを発見する。根本的な法則の一つは、受け取るためには喜んで与えなければならないというもの だ。


新婚夫婦へのスワミの手引き

私たちの結婚式を執り行う一年前、ホワイトフィールド近くのブリンダーヴァンのア シュラムで、スワミはご自分が執り行ったある西洋人夫婦の結婚式に出席するよう、ロ バートを招待なさっていた。その結婚式の間、スワミは結婚の意義について説明なさっ た。以下は、ロバートの日記から抜粋したその出来事の記載である。
スワミは大げさに質問を始められ、 「人生の目的とは何ですか?」と尋ねて、ご自分でこうお答えになった。 「神性と真理を発見することです」
スワミは付け加えられた。 「人生は愛です。それを楽しみなさい。人生はゲームです。プレーしなさい。人生は
光の中にあり、光は人生の中にあり、その光はあなた方一人ひとりの中にあるのです」 それから、スワミは新婦にお尋ねになった。
「結婚の意味は何ですか?」

スワミはご自分でお答えになり、 「助けることと、感覚の制御です」とおっしゃった。
スワミは結婚に関する夫婦相互の責任を強調なさったが、他の人々への慈善も奨励され た。
「空腹な人には食べ物を、裸の人には着るものを、貧しい人々にはお金を与えなさい」 そして、スワミは質問なさった。
「指輪はどこにありますか?」 新郎新婦は指輪を持参していなかった。下に向けた手のひらをくるくると三度回して、スワミは二個の結婚指輪を物質化なさった。
それは真ん中にトパーズの石がはめ込まれ、 周りをダイヤモンドで囲まれた指輪だった。トパーズの石はハニー(蜂蜜 honey)の色 だとスワミはおっしゃり、それから結婚後にハネムーン(蜜月 honeymoon)がきます、 とユーモラスに付け加えられた。
サンスクリット語の詠唱と共に、スワミは新郎新婦の指にそれぞれ指輪をはめられた。 花嫁の指に指輪をはめた時、スワミは「見てごらん、ぴったりです」とおっしゃった。 スワミは二人に、ワイルドライフ(放縦な生活)ではなく、ハッピーライフ(幸福な生 活)を送るよう励まされた。
それから、スワミは新郎新婦の頭に手を置かれ、結婚の祝詞をお唱えになった。スワミは説明なさった。
「結婚前、二人はそれぞれ別々でした。しかし、結婚後は半分ずつ、つまり、夫の左 半身は妻の身体となり、妻の右半身は夫の身体となりました。ですから、これは完全な 融合ではありません。完全な融合は、神とのみ存在します」
結婚の儀式の間、スワミは川と海の象徴的な表現を使って、融合について再びお話し になった。スワミはおっしゃった。
「人生は海へ流れ込む川のようなものです。融合する前、それぞれの川は別々の名前 と形と味わいを持っています。しかし、融合した後は、名前も形も味わいも一つになり ます」
そして、スワミは花嫁に金の刺繍が入った美しい青色のサリーを贈られた。青色は ラーマとクリシュナの色であり、インドでは神性と霊的熱望の象徴であると、スワミは 説明なさった。
「海は青い。空は青い。海は深い。空は高い。これらをあなた方の霊的達成の深さと 高さにするように」
花嫁は、スワミの贈り物と配慮にとても感謝した。スワミはお答えになった。 「これは私の義務です。私は欲望や期待なしに与えるのです」 そして、甘く、優しくお歌いになった。

「愛は無償。“愛は私の姿。真理は私の息吹。至福は私の食べ物。私の人生は私のメッ セージ。拡大こそが私の人生”」〔「ラブ イズ マイ フォーム」〕
スワミはユニヴァーサル プレヤーを詠唱なさった。

「アサトー マー サッドガマヤ
タマソー マー ジョーティル ガマヤ
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ」


〔非真より真実へ、暗闇から光明へ、死を超えて不滅へ〕

スワミは、僕たちが自分の感覚で見て経験することは現実ではない、と説明なさった。 それどころか、それは一時的で絶えず変化する性質を帯びた幻影の様相である、と。ス ワミはその祈りの意味を「暗闇から光明へと我らを導きたまえ」と解説なさった。そし て次のように締めくくられた。
「過去は過去です。未来は不確実です。現在に生き、幸せでいなさい」

ジャパマーラの使い方の有益な解説があとに続いた。スワミは手の五本の指を持ち上 げて、親指は神であると示し、親指がなければ他の指は役に立たないことを示唆なさっ た。スワミは人差し指(親指に最も近い指)を人生になぞらえられた。他の三本の指は、 三つの特質であるサットワ(浄性)、ラジャス(激性)、タマス(鈍性)のグナ(属性) だった。ジャパマーラを繰る時、数珠は人差し指と中指(サットワのグナ)の間で動か される。このようにして、欲望は減らされ、昇華される。スワミは、ジャパマーラはい つでも右手で持つと付け加えられた。
それから、スワミが個々の帰依者の要望に答えて対応される長い時間があった。
ある年長の女性に対し、スワミは彼女が白内障を患っており、カルシウムとカリウム が不足しているとおっしゃった。彼女の仕事はストレスの多いものだったが、仕事は続 けるようにとおっしゃった。スワミはこう言い添えられた。 「幸せの秘訣とは何ですか? 幸せは好きなことをすることではなく、自分がすべきこ とを好きになることにあります」
注意を僕に向けて、スワミは愛についてお話しになった。 「霊的な愛です。法律は愛ではありません。愛は愛。愛は命。愛は神です」




e=mc2の世界

2018-05-18 04:00:12 | 日記

ポニョ:久々に曲をリリースしましたね。

ヨシオ:心拍数が速くなるので以前のような声量で歌えないんや。

ポニョ:心拍数が速くなるってどれくらいなんや。

ヨシオ:昨日、久々にアクアポニックスで二十分間だけ働いただけで145まで上がったので、すぐに仕事を切り上げたんや。歌を歌い始めると115ぐらいまで上がるかな。

ポニョ:145って結構速いでヤンスよ。普通、220から年令を引いたのがその人の最大限の心拍数やから、あんたやったら155までやで。145って危険が危ないでヤンスよ。ポックリ逝くかも。

ヨシオ:人を簡単に殺すなっちゅうに。どっちみち先は長くないからどっちでもええんや。だから今日は、一日中家でゆっくりしてこの歌を吹き込んでいたんや。この歌はドュエットの歌やったけれど、妹がしばらくオーストラリアに来ないので、俺が一人で歌えるように歌詞を変えたんや。
さっきも言ったけれど、歌を歌っても115ぐらいまで上がるので結構しんどいな。

ポニョ:息が続かないって感じかな。

ヨシオ:やっとそこそこ満足出来るのが録音出来たと思って嫁さんに聴いてもらったら、嫁さんは「最初の方は良かったけれど、後半息切れしてしんどそうや。声が途中で途切れてしまっている。パーフェクトではないので、気に入らなかったらもう一度吹き込んだら」と言ったので、もう一度吹き込みし直したんや。

ポニョ:半分死にかけのガン患者やから適当でええのに。

ヨシオ:嫁さんはストレートな性格で、いつも歯に衣を着せぬ言い方をするんや。だから悪気は全然無いんや。

ポニョ:そういうところは、おいらと少し似ているところがあるぜよ。ところで歌詞の中で全てが光に見えるってあるけど、以前の記事で、あんたのお袋さんの絵画教室の先生が、京都の北山に写生に行った時に、御花畑の真ん中に座っていたら、山も木も花も全てが光になってしまって、光しか見えなくなってしまった、というエピソードを載せたよな。その話に似てるぜよ。

ヨシオ:その絵画教室の先生は、とてもピュアな心を持っておられる方なんやろな。

ポニョ:でも以前は「不思議な世界」というタイトルやったのに、おいらが嫌いなわけの分からないアインシュタインの式に変更されているぜよ。

ヨシオ:このアインシュタインの有名なE=MC2の意味は、物質が持つ質量は、エネルギーに変換出切るって事なんや。つまり今、俺たちの周りにある全ての物質はエネルギーに転換出来るって事なんや。

ポニョ:それがなんであんたの歌詞の中に出て来るんでっか?

ヨシオ:つまり俺たちの周りにある物質は、一見物質のように見えてはいても、実は全ては神聖なエネルギーなんだって事を歌詞にしたかったんや。

ポニョ:あゝ、それなら意味が分かったぜよ。

ヨシオ:それでEはエネルギーでMは質量で、Cは光速なんや。その光速の2乗と質量を掛けたらエネルギーになるんや。その意味は、物質が持つエネルギーは、物質の質量に「光の速度の2乗」を掛けたものに等しいと言う事や。

ポニョ:光速の二乗って、それってすごい大きな値になるんじゃなか?

ヨシオ:そうやろ。奇しくも1グラムのウランが全てエネルギーとして放出されたら、広島に落とされた原爆と同じエネルギーの量になるんやで。

ポニョ:えゝ?!たった1グラムで?それってすごいパワーじゃんか。

ヨシオ:あのな、横浜弁か博多弁かどっちかに統一しろや。

ポニョ:でも、何万人も犠牲になった原爆のパワーがどうして神聖なエネルギーなんや?

ヨシオ:サイババさんは、放射能も含めてこの世の全ての五大元素は神そのもので、神は人類にそれらを自由に使う事を許している。でも間違った使い方をすれば、それは必ずまた、人類に災難をもたらすと言っておられるんや。だから、五大元素の扱いはとても慎重にしなくてはいけないと諌めておられるんや。

ポニョ:ふーん、そうなんや。という事で、半分死にかけのガン患者が息を切らしながら歌います。タイトルはアインシュタインが発見した有名な公式「e=mc2の世界」です。もうこれ以上無理な歌作りはやめろや。聴いていても苦しくなるぜよ。お大事に。

https://m.youtube.com/watch?v=75UJcG239Wk

【e=mc2 の世界】

君の 目の前の
光が 見えないのかい

(間奏)

まだ 見えないのかい
どこを 捜しているんだい
目を 凝らしても 見つからないよ
心の 目を 開けるんだ
光 しか 見えないだろう
そうさ その光が愛なんだ

全ては 神聖な 光そのものなんだよ
人は ずっと 光を 見てるのに 無視して いるんだ

オ〜e=mc2 の世界だよ
全ては神聖なエネルギーだ

(間奏)

金の 朝日を浴びて 虹色に煌(きらめ)いた 朝露も
梢 から飛び立った 小鳥が落 とした 木の実にも

君のエゴと欲望が光を見えなく させてたんだ

瞳を閉じて 心の目を 開けるんだ
この世は神聖なエネルギーで満ちている

オ〜オ〜

この 世の全てが 愛で 作られたんだよ

全ては 神聖な光なんだ
世界は 愛で 満ちている

オ〜e=mc2 の世界だよ

神聖なエネルギーで満ちている
あなたを 見ていたのに気づかないって
なんて 不思議な世界

https://m.youtube.com/watch?v=75UJcG239Wk