サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

サンスクリット語は難しい

2016-09-29 00:00:38 | 日記
あなた方は、これからすぐ間もなく、スワミが今まで明らかにしてこなかった栄光を見ることになるであろう。
そうなれば多くの人々がやってきて立錐の余地もないぐらいになるであろう。
私自分自身が空を飛び、大空を駆け抜けるだろう。
すべての人はそのことを同時に見るだろう。
未来についてはあなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が実現するのがはっきりと見えています.。
私の神聖さを無視している連中も私の元にひれ伏すようになるでしょう。

ポニョ:昨日の続きです。昨日は、この世界の状況は、ユガ期の変遷から見るとカリユガ期って、世界が一つになって行く時期ではないのかなという話をしました。

ヨシオ:俺がこのオーストラリアに移住して、もうかれこれ三十年近くになるけれど、その間思った事は、神さんが四つのユガ期をお作りになって、今は四つ目のカリユガやろ。最初のクリタユガでは善と悪を創造されて、その善悪が天と地に分かれて戦ったやろ。

ポニョ:昨日も言ったけれど、それはインドラ神とアスラたちとの戦いやったぜよ。それだけではなくこのインドラ神はいろんな悪鬼や悪魔と戦っているよな。でも戦績はあまり良くないぜよ。

ヨシオ:戦績はあまり関係無いやろ。クリタユガの後、トレタユガになって天と地に善と悪が分かれていたのが、同じ地上で善の国、ラーマが統治するアヨーディアと悪鬼ヒラニヤカシプが統治する悪の国ランカに分かれて戦ったんや。そしてドワパラユガになると、同じ国の中で善を代表するパンダヴァーズと、悪を代表するカウラヴァーズの戦いになったんや。そして現代のカリユガでは同じ一人の人間の体の中に善と悪がいて、一人ひとりが自らの中の悪に立ち向かい、悪を征服しなくてはいけないないんや。そういうふうに時代の移り変わりと共に、最初は善と悪が大きく二つに分かれて存在していたけれど、それがだんだん人の体の中に入って来て混在して行くという過程は、オーストラリアやカナダのように、文化、民族や人種がいろいろと混じって行く過程とダブって見えるんや。

ポニョ:ビーマが結婚した相手の女性もそういや悪鬼の血が入っていたよな。人ってだんだん悪と善が混じって行くんやろか。最初、この世界に人が創造された時は、神聖で純粋やった人も、だんだん悪鬼の要素が入って来て、誰一人、純粋で神聖な人っていなくなるんや。

ヨシオ:最初は唯一の神が多になられたように、人の世界も、いろんな文化や人種、民族などが混ざり合って行くんやろな。

ポニョ:当初は国や地域によって、文化や言語などは違うものが出来上がるけれど、それらがこれからのゴールデンエイジに向かって、だんだんと同じ価値を持つ世界となり、人種間の結婚や、文化の交流や共有などで、最初にこの世界を創造されたブラフマ神の世界に戻って行くんやろか。多様性から一体性やな。でもババさんはインド人に話される時に、インドの文化を大事にしなさいって言われているぜよ。

ヨシオ:これから世界中の文化がインドになびいて行くんや。ゴールデンエイジになると、日本古来からの文化も、中国の文化も、南アメリカ、中央アメリカ、アフリカやエスキモーの習慣や文化でさえ、インドをお手本とした文化に変容して行くんや。それがプレマサイババが降臨された時にどんどん加速されるんや。やがて今から何千年も経つ頃には、全ての地球の文化や民族、人種という違いが消え失せて、古代からバラタ(インド)に根付いていたヴェーダンダの教えが、世界中の全ての人たちの生きる指針となり、人々はクリシュナのように話し、ゴーピーのように神を愛し、ラーマのようにダルマに基づいた生き方をし始めるんや。その頃には、インド以外の文化は、その痕跡を残すだけのものとなり、言語でさえ、神の言葉であり、神の波動に一番近いと言われるサンスクリット語が尊ばれるんや。だから俺はサンスクリット語の学習をしてるんや。

ポニョ:それってめちゃ大胆な仮説やぜよ。にわかに信じられないぜよ。人々がクリシュナのように話し、ゴーピーのように神を愛し、ラーマのようにダルマに基づいて生きて行き、サイババさんのようなアフロヘアになるって。

ヨシオ:誰が将来、みんなサイババさんのようなアフロヘアになるって言ったんや。ブキやないか。そこら中アフロだらけやったら。

ポニョ:でも日本の文化にも良いところがたくさんあるぜよ。それが全部無くなって盲腸のような痕跡になってしまうって寂しいやないか。

ヨシオ:俺は全部無くなるって言ってないやろ。だんだんインドのヴェーダンダの哲学の影響を受けるようになって行くって言ってるんや。とは言っても、日本や、中国や、ロシアや、アフリカなどの良い文化は永遠に残って行くやろな。

ポニョ:だからサンスクリット語を学んでいるって言ったけれど、あんたはもうその頃には、くたばっていないやないか。

ヨシオ:うるさい。人の事はほっとけ。実はサンスクリット語って、一番神の波動に近い言葉なんや。一語一語がマントラなんや。だから俺はサンスクリット語に惹かれるんや。でもサンスクリット語って文字は無かったんやで。全ての経典やマントラは口授伝承、つまり師から生徒へ、口伝えで教えられて来たんや。ガーヤトリーマントラも、サンスクリット語で書かれているけれど、文字は重要ではなくてその、発声や、音、詩句に神の力が宿っているんや。そういうマントラを人が唱える事によって、人に神の神聖な力が宿るんや。だから俺がサンスクリット語の勉強する時は文字はアルファベットで充分なので、読み方などにもっと注意を払うんや。メキシコの霊媒師が、ある日、サンスクリット語を勉強していた人にメッセージがあると言ったんや。それは「君が今まで勉強して来たサンスクリット語は、君はこの物質世界では役に立たないと思って止めようとしているけれど、君が将来自分の肉体を離れ、神の世界に赴いた時に、君が今思いつかないぐらい役に立つ神聖な言語なのだよ。だからサンスクリット語の勉強を止めないで、是非このまま続けて下さい。」というメッセージやったんや。その人は自分が、趣味でサンスクリット語の勉強を始めた事を誰にも言っていなかったので、そのようなメッセージを霊媒師からもらってとても驚いたんや。

ポニョ:そら驚くよな。いきなり霊媒師からそんな事を言われたら。

ヨシオ:俺がサンスクリット語の勉強を始めて思ったことは、一つの単語の中に無数の意味があるから、とても複雑やなと思ったんや。英語や中国語や日本語でも、普通は一つの単語に一つの意味しか無いやろ。たまには例外もあるけれど。でもサンスクリット語ってそうじゃないんや。だから文章を読解しようと思って知らない単語を辞書で引くと、腐るほど意味があるから、結局、前後の文章の意味を把握してからでないと、辞書で調べても知りたい単語の意味が分からないんや。

ポニョ:それは困るよな。単語の意味が辞書で調べても分からなかったら。

ヨシオ:英語や中国語を学んだ時は、いつも辞書を片手辞書がボロボロになるまで単語の意味を拾い続けて勉強したやろ。でもサンスクリット語の場合はもっと頭の右脳を使って勉強しないと、簡単な文章でさえ読解するのが難しんや。だから最初はとても手間取ったし、面食う事が多々あったな。

ポニョ:以前、ルッドラムの意味を調べるのに、サンスクリット語の大きな辞書を使っていたって言ってたよな。

少数の幸運な人たちがヴェーダを学び広めています。
しかし、不運なことに多くの人々は、ヴェーダを学んでもヴェーダを教える努力をまったくしません。
現在、シュリ サティヤ サイ教育機関のすべての生徒にヴェーダが教えられています。
ヴェーダの学習の準備段階として、ヴェーダの言葉であるサンスクリットの知識を得なくてはなりません。9/8/06

ヨシオ:あれは簡単な仕事じゃなかったな。何度も壁にぶち当たったんや。ゴツい辞書を買い過ぎたのか、それともサンスクリット語が複雑過ぎるのかは知らないけれど、誰でもサンスクリット語を勉強し始めた人は、その辺りで壁にぶち当たるやろな。

ポニョ:ふーん。それぐらい難しい言語なんや。でもサンスクリット語って、ラテン語やギリシャ語の元で、世界の言語の親玉な訳やろ。という事は地球で最初に出来た言葉やから、もっと意味がシンプルじゃないかなって思ったけれどな。

ヨシオ:俺も最初はそう思って勉強を始めたけれど、俺が思っていたよりもっと複雑な言語やったな。神の想念を言語にした言葉って言えるやろな。一つの単語に神の想念が入りきれないんや。だから一つの単語にたくさんの意味があるんや。逆に例えば波動をサンスクリット語でなんて言うかなと調べたら八つぐらいの単語が出て来るんやで。

ポニョ:波動という単語だけでも八つも辞書に載っているんか。その中から選ぶなんて大変やぜよ。

ヨシオ:そうやろ。でもその中の一つの単語が、振動、音響、エコーなどを表しているからその単語に決めたんや。anunAdaという語やけれど、m. sound , vibration S3is3. ; reverberation , echo.などの意味があるんやで。俺は普段、自分の分厚いサンスクリット語の辞書を使っているけれど、ネットでもサンスクリット語の辞書があって調べられるんや。
http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/scans/MWScan/tamil/index.html

また、日本語でサンスクリット語講座を無料で受けれるんや。このネット講座を運営されていた方は亡くなられたけれど、講座はまだ使えるんや。
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm
他にも調べたら幾つかあるんや。
http://www.boreas.dti.ne.jp/~shanti/sanskrit.htm

ポニョ:そうなんや。サンスクリット語で波動ってアヌンアダって言うんやな。覚えておこう。ちょっと賢くなったような気がするぜよ。どこかに行った時に、波動の話をした時に、波動ってサンスクリット語でアヌンアダと言いますなんて言ったら、「うわ〜ポニョさんってステキ。英知の泉がほとばしって出て来るのね」なんて、言われるやろな。嬉しカルカル。

ヨシオ:あのね。サンスクリット語を学ぶ動機が不純やっちゅうに。娘の知り合いのインド人はハイデラバードから来ていて、サンスクリット語に最も近い言語と言われているテルグ語を普段家で使っているけれど、最近俺がルッドラムを唱えているのを聞いて、サンスクリット語を学び始めたんや。でもそういう人でさえ、サンスクリット語は複雑で難しいと言ってたな。

ポニョ:神の想念を表す言語やもんな。そりゃ当たり前だわさ。おいらやったらそんな難しい言葉を最初から勉強しようなんていう気が起こらないぜよ。

ヨシオ:でも、一人ひとりが少しずつ神の領域に近づいて行く努力をしないといけないやろ。世界中がゴールデンエイジになってダルマに基づいて生き始めるのを待たなくても、自分の中の波動を神に近づける事により、自分の中ではもうゴールデンエイジが実現するんや。真の意味でのゴールデンエイジって、誰か自分以外の他の人によってではなく、また、どこかの国や地域にもたらされるものではなく、一人ひとりの心の中に実現するものなんや。だって世界中がダルマに基づいて生きて行く理想的な社会が実現しても、ポニョだけがまだ、オクラの天ぷらに執着し、胃袋を食べ物で満たす事しか考えていなかったら、ポニョにはまだゴールデンエイジがやって来ていないのと一緒やろ。

ポニョ:あのね。最後のオチにいつもおいらを出汁に使わないでくれますか。おいらだってその気になれば、半日ぐらいは断食して、神様の事に集中出来るんでヤンス。

ヨシオ:半日って昼飯と晩飯の間だけやないか。

ごく近い将来、あなたは私がマンディールにいる同じ時に、別の私をあなたのクラスルームで見るでしょう。
そして私がクラスルームにいる間に、人々は別の私が講堂にいるのを見るでしょう。
私が講堂で講話をしているときに信者達は、私がマンディールでアラティを受けているのを見るでしょう。
あなた達はそのような体験を近い将来するのです。
あなたはこのような体験をし、その体験によって得た至福を世界中に広めるでしょう。
これが、この教育機関を設立した主な目的です。
私はインドの伝統的な文化、古代からの叡知を現代に甦らすでしょう。
こういうことがもうすぐ起こるのです。
甦ったバラタの古代の叡知はこれからずっと続き、あなたがたは世界中にダルマを教え広めるという機会が与えられるのです。
勝利はどんどん近づいてきており、あなた方は必ずその使命を成し遂げるでしょう。6/1976
https://m.youtube.com/watch?v=bD5OYoDqSRQ

悪魔の系譜シリーズ❶

2016-09-27 00:00:24 | 日記
あなたがアートマ(真我)の原理を理解したいのであれば、多様性に心を奪われてはなりません。
あなたがこの世で見るものや聞くもののすべては、あなたの心の単なる反映、反応、反響に過ぎません。
アートマとしての実体はあなた自身の中にあります。
例えば私はここにたくさんの学生を見ます。
彼らは一体どこから来たのでしょう?
実は 彼らも私自身の反映に過ぎません。(唯一者である神が多になったという意味で《訳注》)
そうでなければ、彼らの姿を見ることはできません。
同様に、すべての人も、すべての事物も、あなた自身の心の反映に過ぎないのです。1/3/03夕方

ポニョ:アワビ君は元気ですか?

ヨシオ:最近忙しいからあまり会う機会がないので、俺もどうしているかなって気にしてたら、アワビ君の家と俺の家の間にある塀を越えて靴やらオモチャやらボールが飛んで来るようになったんや。その後、お母さんがきつく叱ったみたいでアワビ君が大きな声で泣き始めたので、俺は大きな声で「アワビ!」と呼ぶと泣き止んだんや。その後、お母さんがやって来て「アワビがあなたに会いたいので、あなたの注意を引こうと、こうしていろんな物を塀越しに投げて迷惑をかけてすみません」と言って謝ったので、俺は今、ちょうど外出先から帰って来たので、良かったらアワビの面倒を見たろかと言うと、とても喜んでアワビ君を家に連れて来たんや。そしてアワビ君と二人で手を繋ぎながら、近くの幼稚園を併設している放課後の小学校に行って一時間以上遊んだかな。

ポニョ:そんなコワモテの長い顔のおっちゃんでもなついてくれる子供がいるって、世界の七不思議やぜよ。

ヨシオ:なんで七不思議になるんや。そこの幼稚園ではニワトリを二十羽ほど飼っているので、アワビじゃなくアワブやないか。アワブを連れて行ったんや。すると目を輝かせて長い間飽きずに見ていたな。そしてその辺の雑草を引き抜いて食べさせていたな。

ポニョ:子供って生き物が好きやもんな。

ヨシオ:そのうち小学校の講堂から大きな掛け声が聞こえて来たので、見に行ったんや。すると防護服やプロテクターを付けた同じような背格好の小学生同士が二人で組みになり、大きな声を出しながら、お互い真剣に蹴り合いや殴り合いをしてたな。血みどろになって闘ってたで。

ポニョ:それは空手とか武術の訓練やぜよ。なんでプロテクターや防護服を付けているのに血みどろの闘いになるんや。

ヨシオ:子供達が殴り合いしているのを、アワブが必死のパッチで見てたな。最初は俺から離れたところに一人で立っていたんやけれど、武闘が始まると怖がって俺の方に走って来て腕にしがみついてな。

ポニョ:あんたに本当になついているんやな。

ヨシオ:廊下の遠くの方に女の先生が歩いているのを見つけて、自分の母親だと思ったかどうか知らないけれど、その先生の後をめがけて走って行ったんや。そしてその先生と一緒に職員室の中まで一緒に入って行ったんで、俺も遅れて職員室の中に入り、先生に「アワブを連れ戻しに来た」と言うと、「これぐらいの年のお子さんを持ってられると大変ですね」と言われたんで、多分俺たちは親子に見られたんやろな。

ポニョ:アワビ君はまだ三才にもなっていないんやろ。還暦を過ぎたジジイが親に見られるわけがなかと。それにアワビ君はアラブ系の顔をしているから、あんたと全然似てないぜよ。

ヨシオ:こっちはそんな親子はざらにいてるんや。この前も海岸に行く為に駐車場に車を置き、一人でビーチの方に歩いていたら、金髪女性が小さな子供と二人でビーチの砂の上にいたんや。俺は別に何も考えずにぶらっとその母子がいる方に歩いていたら、後ろから若い男が二人、こんな事を話しているのが耳に入って来たんや。「あのおっさんにヤクを売りつけようと思ったけれど、なんや、嫁はんと子供がビーチにいるやないか。これは客にならんわ。違う客をみつけよか」とかなんとか言って何処かへ消えていたんや。俺は「あれ?俺とあの金髪女性が夫婦やと思われたんかな」と思って一人でクスクス笑っていたんや。

ポニョ:オーストラリアらしいよな。いろんな人種が混じって生活しているもんな。

ヨシオ:俺の義理の息子は白人やけれど、あいつの従兄弟は、みんな非白人の人と結婚したと言ってたな。あいつ自身が中国語がペラペラやから、あいつの家族は前世で、元アジア人やったかもしれんけどな。

ポニョ:今世界中を見回したら、いろんな民族、人種、文化、伝統、習慣、言語なんかがあるけれど、元々は全て、たった一つの神さんからやって来たんやろ。それがいろいろと多様化して、今言ったような多様な世界が作られているんやぜよ。だから肌の色が違うとか文化が違うとか言って多様性に惑わされて、この世界を万華鏡を覗いているみたいに、たくさんの色や形があるものと思い込んでいると、その中にある一つのもの、つまりアートマが見えなくなるぜよ。

ヨシオ:創造主がこの世界をお創りになられる前までは、全てが一つやったもんな。それが多になり、そしてまた一つになるんや。トーラスのようにな。そして今の時代は、マラソンで言えばちょうど折り返し地点で、今まで多様性が占めていた世界が、これからは元の一つに向かって収縮して行く過程にあるんや。つまり今までの多様性に溢れた世界がシヴァ神によって破壊され、元の一つの世界に戻って行くんや。

ポニョ:面白い仮定や。だからババさんは、ご自身をシヴァ神の要素を持っていると言われたんやろか。そうか。ユガ期の変遷から見たら、今のおいら達の状況が良く分かるかもしれないぜよ。最初、創造主が世界を創世した時に善と悪を創り、その善と悪の戦いが先ず起こったよな。そしてインドラ神が戦いに負けて天国から追い出された話がイランを通じて中東エジプトに伝わって行くうちに、インドラ神があの悪魔崇拝者であるグローバリストが信奉する堕天使ルシファーになった話を以前したぜよ。あれは面白かったよな。そこんところをもう一度再掲しよか。

ヨシオ:ちょっと待ってくれますか。その話をすると本題から外れて、思いっきり横道に逸れてしまうやないか。

ポニョ:またそんなケチな事を言う。ちょっとぐらいええやないか。

ヨシオ:以前、ポニョが紹介してくれた「勝手に世界の人口を五億人と決めつけてごめんやっしゃ計画」のガイドラインで、俺が一番面白かったんは最後の方に、もしこの事がバレたらみんなが怒ってワシらの逃げ場がなくなるとか、もともと天国から来てたけど、地獄に落とされるとか言っとうるところや。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/2cda474c827b7e0a6bd0629fb09928a1
あいつらは、悪魔ルシファーを信仰してるとあんたは言うてたけど、そのルシファーは、もとを正せば天国におったんか。


ポニョ:そうや。天国で、一番偉い天使やったんやけど、偉なりすぎて神様の領域まで犯すようになって、他の天使達と天国を二分する大戦争に負けて地獄に落とされて悪魔になったんや。

ヨシオ:それじゃ、天国から地獄に落ちてとガイドラインに書いてあったけど、そのルシファーの事やな。これって、俺、天使の事はよく知らないけれどインドラ神の話とよく似てるで。

ポニョ:インドラ神って神々の王で、悪魔退治で有名な日本では帝釈天として祀られているヒンドゥー教の神さんやろ。それじゃトラさんは帝釈天で産湯を浸かったんじゃなくて悪魔に洗礼されたんや。
めちゃくちゃやな、これって。

ヨシオ:ホンマや。ラーマ神のトレタ時代が二万年前やった。とサイババさんが言ってられるから、そのもっと前のクリタユガという時代の話や。

ポニョ:えらい昔の話やんか。おいらが生まれるどれくらい前やろ。

ヨシオ:もしもし、あんた。時を駆けるおっちゃん。タイムマシン乗ってるんちゃうで。おっちゃんが生まれた日と比べんとってんか。もっと、ずっとずっと前や。
そして、悪魔退治で有名なインドラ神は、悪魔であったヒラニヤカシプから戦争をしかけられるんや。それで、天国を二分するする大戦争になって負けてしまうんや。

そのあと、天国を追い出されて地上に落とされたんや。

ポニョ:ストーリーの展開は、一緒やんか。

ヨシオ:そうや。だから俺、そこんとこ面白かったんや。つまり、あいつらの崇めている悪魔ちゅうのんは、ヒンドゥー教のインドラ神と違うかという仮説がなり立つんや。

ポニョ:でも、悪魔退治の神さんがどのようにして、キリスト教では悪魔に変わるんやろか。

ヨシオ:それは、そういう神話伝説というものは、時が経つに連れて、人から人へ伝えられて行くうちに少しずつ変わって行くのは普通のことや。その上クリタ時代の神話は、ルシファーのことが書かれている旧約聖書のずっと前に書かれとるし、その間、途方もない時間が流れてる。

ポニョ:そう言えば、ハヌマンの話も中国や日本では、孫悟空になったよな。

ヨシオ:そうやったな。それと同じで、悪魔退治のインドラ神も悪魔の神になったのは、不思議ではない。実際、インドからキリスト教の発祥地の中近東の途中にあるイランでは、インドラ神は悪魔でも一番の悪魔王にもう変わってしまってるんや。

ポニョ:そいつは、面白い。これは、間違いないわ。あいつら、悪魔を崇拝していると自分では思っているけど、実はインドラ神やったんや。これは、痛快やな。

ヨシオ:これが、もし将来、深く学術的に研究されて歴史学会において、認められれば奴らの理論的バックボーンが瓦解するやろうな。

ポニョ:何と言っても、インドラ神はええ神さんやもんな。悪魔崇拝が、実はインドラ神崇拝やったんや。ああ、面白い虫けらの声。

ヨシオ:突然、そこで歌唄わんとってくれるか。

ポニョ:あんたも、いつも突然変な俳句や短歌作るやんか。

ヨシオ:俺のは、芸術の香りがする。君のは、啓蟄の香りがする。

ポニョ:なんやその、啓蟄って。芸術と啓蟄を掛け合わせたんか。それやったらちょっとハズレてるで。

ヨシオ、ポニョの歌に虫が出てきたからやんか。啓蟄って虫が出てくることやろ。

ポニョ:あんたの相手出来んわ。

ポニョ:と以上悪魔の系譜っていうか、以前、インドラ神が悪魔になっちゃった話をしましたね。

ヨシオ:そんな話をしたよな。今思い出した。でも俺たちはあれから全然進歩してないような気がするな。

ポニョ:そんなことはないズラ。おいらは今ツイッターで色々グロ襟の事をツイートしているけれど、以前のように感情的になったりしなくなったぜよ。

ヨシオ:それはええ事やな。それじゃ次の記事は、俺が言いたかったユガ期の変遷に伴って多様性も自然に一体化するという話をしようかな。乞うご期待。

悪人は、利己主義、権力志向、横柄で妄想をめぐらせ、怒りに耽り、自分と他のすべての者の中にいる神(アートマ)を嫌悪する。
憎悪を抱き、残忍で極悪のこの種の人間を、私は幾度も悪魔の胎内に投げ入れる。
悪魔の胎内に入った彼等は、何度生まれても堕落と妄想を止む事が無く、それらを繰り返す。
彼等はこのようにして、私に達する事もなく、奈落の底に沈むのだ。
地獄には自己を破壊する情欲、怒り、貪欲の三重の門がある。
だから、これらの三重の門に入るのを避けなければならない。
バガヴァッド ギーター第一六章
https://m.youtube.com/watch?v=WBR0tgl1Ho0















ハートの清らかさ

2016-09-25 00:00:14 | 日記
ユニークな神聖な力が自らのうちに存在するにもかかわらず、人はそれを認識することが出来ません。何故でしょう?
それは日常生活の中で人々が単に外的世界を見る目しか培わず、内面を見る目を育てる努力をしていないからです。
正しい探求をなし、そして心とハートの清らかさを得るならば、人は自らのうちにブラフマンの本性と機能が存在するという真理を認識することが出来ます。
計り知れぬ大きな力が自らのうちに潜み、全てに影響を与えようと待ち構えているにもかかわらず、人が自分自身を無力で弱い存在と考えるのは哀れなことではありませんか?
大宇宙には神が浸透しています。しかしそれを認識できるのは、ハートが愛で満ちた者のみです.心が憎悪でいっぱいの人の見る世界は、憎しみだらけです。
ハートに愛が培われる時,善と悪との二元を超越し神と一体となる歓喜を体験することが出来るのです。18/10/91

ポニョ:ババが肉体を離れられてもう五年以上も経ったなんて信じられないよな。

ヨシオ:俺はババの事を知って以来、俺の人生で一番悲しい日は、ババが肉体を去られた日やなと思っていたんや。だってババは九十六歳で肉体を離れられるって言っておられたやろ。だからその頃って俺がもう七十歳を超えているし、悲しみで体が持たないやろなって思っていたんや。

ポニョ:でも思ったより早く亡くなられたもんな。

ヨシオ:俺はババが病院に入院されたニュースを聞いた時も全然悲しいとは思わなかったんや。逆にまたいつもの上手い演技をされているなって思い込んでいて、いつになったら元気一本と言いながら復活されるんかなと思っていたら、亡くなったという知らせが入って来たんや。

ポニョ:それでもまだ悲しいと思わなかったんやろ。

ヨシオ:全然。だってババは九十六歳までその肉体を持ち続けて仕事をされるって言っておられたから、また復活されるんやろなって思っていたんや。キリストでさえ復活したんやから、大元の神さんであるババにとっては復活なんてお茶の子さいさいやろ。

ポニョ:今まで何人も死んだ人を復活させておられるもんな。死んだ犬だって生き返らせたよな。御自分の肉体を復活させるなんて呼吸をするより簡単やろな。

ヨシオ:意思すればなんでも出来るのが神さんやからな。俺たちも本当はそういう意志の力を持っているんやけどねな。

ポニョ:でもエゴや欲望で自分の内に持っている神聖な力を顕現さすことが出来ないんや。
ヨシオ:その神聖な力、神聖さを毎日毎日の人生に於いて顕現させるのが俺たち人間の務めなんや。人はそういう事を忘れてその神聖な力を物や金や権力の追求に使って、無駄にしてしまってるんや。

ポニョ:ババはたった一つの欲望を捨てただけで、人は体に神聖な力が湧いて来るのを感じることが出来る。と言われたことがあったよな。

ヨシオ:そうやった。確かコーヒーやったんと違うか。コーヒーを毎日飲みたいなという欲望をコントロール出来ただけで、神聖な力が外に行ってたのに、それを自分の中に溜め込むことが出来るんや。

学生は、欲望を減らすことにより如何に多くを得ることが出来るか実感しなければなりません。
コーヒーの消費を減らすという小さなことでもそれを実感認識できます。
そのとき彼は記憶力が強化されたことに気付くでしょう。
欲望を減らすにつれて、意志力が強化されます。
意思の力は今日害されています。
その結果行為する力もまた減少しています。
そして英知の力も失われました。18/1/96

ポニョ:たったコーヒーだけでか?それやったらいろんな欲望とかをコントロール出来たらすごい大きな力を蓄えられるんやろな。

ヨシオ:そういう欲望をコントロールする苦行をして来たヨギは、五感から欲望を取り込まないようにする為に、森の奥深く、人と交わらないようにして生活してたんや

ポニョ:人と混じるとどうしても欲望が湧き起こって来るよな。特に可愛い姉ちゃんとお近づきになると、性的欲望がムニュムニュと湧いて来るぜよ。

ヨシオ:ええ年のおっさんが何がムニュムニュや。でもアシュラムにいると周りは人だらけやけれど、神様の方に心が向いて霊的エネルギーが蓄積されるのが分かるよな。

ポニョ:ババは時々帰依者のパスポートを取り上げられてアシュラムから離れられないようにされるもんな。

ヨシオ:俺もババが、帰依者がもう帰国するのでパスポートを祝福してもらおうとババに差し出したら、ババはそのパスポートを手紙と一緒に取り上げられて返されなかった話しを聞いた事があるよな。

ポニョ:以前その話は聞いたよな。でもパスポートを取られた人は驚いたやろな。国に帰れなかったので、一年以上もアシュラムに滞在されたんやろ。アシュラムはとても神聖な霊的エネルギーに満ち溢れているからその人に良い影響を与える為にわざとそうされたんやぜよ。

ヨシオ:昔は霊障でババの元に連れて来られた人は、ババが直接、この体から出て行きなさいと言って取り憑いた霊のお祓いをされていたけれど、帰依者の数が増えるの連れてアシュラムに行っただけで、憑依霊が逃げ出すようになったもんな。それくらい帰依者の神を思う想念と神の神聖な力が結び付けば、大きなオーラを作り出すんやろな。

ポニョ:アシュラムに入るまでに、もう憑依霊がたまらなくなって逃げ出すって言っておられたよな。そういや、アメリカからサイババホスピタルに来て働いていたドクターも、何年か働いたのでアメリカに帰ろうとしたら、ババにまだ帰ってはダメだ。と言われたのであと何年か我慢して働いていたら、ババがちょうど良い具合に焼きあがったな。と言われてアメリカに戻る許可をもらえたという逸話が面白かったぜよ。まるでパンやチャパティを焼いているみたいに言われたんや。

ヨシオ:ババはその人の霊的レベルがすぐに見えるからな。一定のレベルになるまでアシュラムの神聖な波動にその人の波動が近づくのを待っておられたんやろな。

ポニョ:おいらの知っている人も、日記に『スワミ。そろそろアシュラムから出て日本に帰ろうと思っています。ありがとうございました。』と書いたら、翌朝のダルシャンでババが直接その人に「まだ帰ってはいけない。」と言われたんや。だから許可が出るまで一年以上もアシュラムに滞在されていたぜよ。おいらが一年後に再び会った時は、なんか顔の表情もキラキラと輝いていて、坊さんみたいに一皮剥けたようなさっぱりした顔になっていたので驚いたな。人の顔って変わるんやぜよ。大阪の繁華街を歩いていたら性器が人の姿を取って歩いているような人かなんか分からんような、目がギラギラしている生き物がたくさんウロウロしているぜよ。あんたはもう長い間アシュラムに行ってないよな。

ヨシオ:最後に外国に行ったのは、家族でバリ島に行ったきりやな。何年前やろ。多分二十年近くなるな。ここからシドニーに行くよりバリ島に行く方が近いんや。でも長い間どこにも行ってないな。もうパスポートの期限もとっくに切れているし、どこかに行きたいなんて気持ちも無いし、困ったものや。でもSai Loveというyou tubeに登録してあるチャンネルの動画を見てたら、俺たち家族がホワイトフィールドでババのダルシャンに出ている姿が写っていたんや。めちゃ懐かしかったな。娘がまともに写っていたんやけれど、小さくて可愛かったな。子供の心ってきれいやから、ババも子供を見て喜ばれていたな。小さな子供のきれいなハートにもババがしっかり映っていたんやろな。

ハートが清らかであっても愛で満たされてなければ、神の御姿を映し出すことは出来ません。14/4/1993

ポニョ:あの頃、スワミは飴玉を放り投げて遊んでおられたよな。あんたの次男さんやったかな、いつもババに飴玉をもらうのでキャンディボーイというあだ名を付けられたんやろ。ちょっとその場面を再掲しよか。


ヨシオは、ぜひ子供達にもサイババさんを会わせたいと思い、嫁や子供たちも連れて行った。

その頃、サイババさんは、キャンディが山盛りに積まれたお盆からそれらをわしづかみにされて、帰依者達にばらまかれるという事をよくやられていた。

大人も子供のようになって、神の化身が触れたキャンディは縁起が良いと、それらを取り合うのだ。

ヨシオには、その頃三歳になったばかりの次男がいた。以前、インタビュールームでサイババさんが祝福してもらった子だ。

彼は、周りの人達から、キャンディボーイとあだ名をもらっていた。

というのも、サイババさんはいつもこの子をめがけて、毎日キャンディを投げられるので、この子の近くに座れば、おこぼれをもらえるのでそんなあだ名がついたのだった。


その日も、何時ものようにキャンディを次男をめがけて投げられたが、少し後ろの方に席を取ったので届かず、周りの大人達に全部キャンディを取られてしまったのだ。

サイババさんは、そのまま行き過ぎてしまわれたが、次男は楽しみにしていたキャンディをその日はもらえないので、少しべそをかいた。それを見て、ヨシオは思わず、

宇宙を創造されるほどの、

お力を持たれた神様が、

キャンディを投げる力が足りなくて、

子供に届かず、べそかかす。

そういう摩訶不思議な事もあるもんだと。

われ思うに、いと、おかし。

と、口ではなく、心を滑らしてしまった。

すると、十メートル程も先の方へ歩いて行っておられたサイババさんの歩みが止まった。

ヨシオは、いつも自分の心とサイババさんが繋がっているのを知っているので、自分の心の中での独り言に気を付けるようにしていた。

「しまった!」と思った。でも、もう手遅れだった。

サイババさんは、立ち止まったまま、首だけを大きく回して後ろを振り返られた。


ヨシオは、背中に寒気が走った。

サイババさんは、ヨシオを暫くの間見つめられてから、再び何も無かった様に歩み始められた。

ヨシオにとっての次のダルシャンは恐怖だった。サイババさんは、何かを自分にするか、それとも何か言われるということを、今までの経験によって容易に想像できた。

それで、わざと会場に遅れて行き、後方の席、しかも普通だったらサイババさんがそこまで絶対来ないし、誰もそんな所に座らない会場へ続く階段に次男と座った。

そこからは、一番後ろに座っている信者まで十メートルは離れていた。まさかここまでは来られないだろうと思って安心していた。

サイババさんが現れた。そして、差し出されたお盆に山積みになっているキャンディをわしづかみしたまま、ヨシオが座っている階段にまで一直線に歩いて来られた。


ヨシオは、そこから逃げ出したい気分だったが、そうはいかなかった。周りを見回しても、どこにも逃げ場はなかった。

気が付くと、目の前にサイババさんが立っておられた。


ヨシオは、目の前に立っておられるサイババさんを正視出来なかった。

これから、何が起こるのか知っていた。

そんなに後ろにまで今まで行かれたことはないので、会場にいた全ての人々の目が、これから起こるであろう神聖な神の劇の行方に注目していた。

そして、それはすぐに起こった。

サイババさんが大きく手を振って目の前で、幼い子供と一緒に座って怯えている信者に向かって、思いっきり至近距離から手にいっぱいのキャンディを投げつけたのだった。

ヨシオの髪の毛の中や、シャツのポケットの中、とにかく身体中キャンディだらけになった。


皆は、神の創造した悲劇を見て笑い転げていた。

ヨシオは、心の中で「もしもし、サイババさん。少し痛かったですよ。」

「あなたの教えを自分自身で破ってはいけないでしょう。」

「非暴力の教えを、御自身で実践しましょうね。」

「復讐もしてはいけないとおっしゃったではないですか。」

「これを日本では十倍返しと言うんですが、サイババさん。もしもし聞こえてますか?」

と思ったがすぐに打ち消した。というのも、またその思いも読まれ、後で痛い目に合うかもしれなかったからだった。

外に神を探しに行く道は、決して神には届かない

どんなに、巡礼を重ねてもその道は行き止まり

真の神への道は、己が神だと悟る道

真の信者は、外を探さず、内探す

実は、信者と神はずっとずっと一つだったのだ

神はお前で、お前が神だったのだ

二つは一つで、一つが二つに見えるだけ

そんなトリックに引っかかり、人が困っているのを見て

陰で喜んでいるのって、だーれだ

以上サイババが帰って来るよPart1より転載

この世で永遠のものは何か?人生の目的は何か?
これらのことを自問する時、人は正しく答えることが出来ません。
人々は幸福になろうとして、学び、仕事に就き、妻を娶り、子をもうけます。
しかし彼らには平安がありません。それはなぜでしょうか?
平安を享受できぬ原因は、欲望を持っているからです。
ハートを清めなければ、全ての欲望はただあなたを不安へと連れてゆくだけなのです。
そのうえ、ハートの不浄は多くの病気の源です。
ハートが清らかであるならば、病気にかかりません。
では、どうすればハートを清らかにすることが出来るでしょうか?
神さながらの思いを培うことより他に方法はありません。11/4/1997
https://m.youtube.com/watch?v=jQeawoAkQHg


お迎えでゴンス

2016-09-23 00:00:32 | 日記

人の誕生と死、ある界から別の界へ移動すると考えること、それらはすべて真ではありません。
そのように見えるだけなのです。UVc5

ポニョ:人って死ぬっていう事が何かを理解出来なかったら、生きる意味も理解出来ないという事を以前記事にしたよな。

ヨシオ:人って生まれてから、毎日一歩ずつ棺桶に近づいているんやけれど、普段自分には死が訪れないような錯覚をしているのが面白いよな。

ポニョ:それって本当の自分は肉体ではなく、不死のアートマやから、その不死の記憶が微かに残っているので、人は自分は死なないと勘違いしているんやと言ってたよな。

ヨシオ:人は自分が肉体やと思っている限り、その人に死は訪れるし、死に対する恐怖を持つのは普通やけれど、そうではなく自分はアートマであると悟り、それを信じている人には、死に対する恐怖もやって来ないし、死は単なる古くなった服のような物で、新しい服に着替える儀式みたいなものなんや。

死は存在しません。死ぬのは肉体です。
しかし、「アートマ」すなわち肉体に内在するものは不滅です。
アートマは永遠の真理です。
あなたの幸福こそが天国であり、あなたの不幸が地獄なのです。
この二つは、実はこの世にあるのです。
この天国と地獄の二つともあなたから離れて存在しているわけでは無いのです。
~死への恐怖を克服できる方は、ただ一つ、勇気のみです。
あなたは、死はいつかはやって来る避けられないものであることを理解すべきです。
死を免れることは出来無いと悟りなさい。
そのことを十分に勇気を持って自覚出来たとき、死に対する恐怖は無くなるのです。STPS2p66~8

ポニョ:以前、長年アシュラムで過ごされた人が、ババさんからダルシャンで無視されて、やけっぱちになり、自殺しようとした人がいたっていう話をしてくれたよな。

ヨシオ:あれは面白かったな。俺がプッタパルティのアシュラムのプーナチャンドラホールの裏の宿泊棟がたくさん並んでいる道を散歩してたら、いつもダルシャンの時にババさんと一緒に歩いて、ババさんが受け取られた手紙の束を、集めたりババさんの御足に触れようとして後ろから飛びついたりする人を制止したりする役をしていた、お腹がポッコリと出ている叔父さんが大急ぎで、ある宿泊棟の上の方の階に汗を流しながら登って行くところに出会ったんや。俺は一体何の騒ぎかなと思って周りの人たちに聞くと、その宿泊棟の上の階に住んでいる古い帰依者が、ババさんがその人をインタビューに呼ばないので、自殺すると言って騒いでいたんや。それで、その小太りのお付きの叔父さんが、ババさんからのメッセージを、その自殺志願者の人が自殺する前に伝えに行くところやったんや。

ポニョ:ババさんがその古い帰依者の人が自殺しようとしているというのを、ご自分の部屋におられても知っておられるというのが面白いぜよ。

ヨシオ:そうやな。それでババさんから「自殺する前に、次の生の体の特徴や、生まれ変わる家庭やカーストの希望があれば聞いてやっても良いので、何かリクエストがあれば遠慮なく言いなさい。」というメッセージやったんや。

ポニョ:そんな風に神さんから言われたら自殺出来なくなるよな。冷めてるって言うか、超越しているって言うか。おいらが聞いた話も、インタビュールームで病気がちで身体がガタガタの人がもう生きるのが嫌になったとババさんに文句を言ってたんや。するとババさんは、「君の体はガタガタの中古車みたいに乗りつぶしちゃっているからな。新品のスポーツカーを、君さえ良ければ今直ぐにでもプレゼントしてあげよう。」と言われたけれど、その人は「あの〜。スワミ。今直ぐには…結構です。まだこのガタガタになった中古車でも、修理しながら大事に使えばもう少し使えますから。」と言ったので部屋にいた人たちは大笑いしたんや。

ヨシオ:今直ぐに新しいスポーツカーをくれるって事は、今ここで死ねと言っていることと一緒なんやろ。それって誰でも躊躇するよな。俺が聞いた話も、ババさんがインタビュールームにいた人に「君は何が欲しいんだい?」と聞かれたので、その人は「自分は何か物が欲しいのではなく、あなたと融合したいのです。それが私が一番欲しいものなのです。」と言ったんや。するとババさんは「今直ぐにかい?」と聞かれたので、「…い、いや、今直ぐでは困ります。家に帰ると子供や主人もいますし、家や車のローンも払い終えていませんし、株や債券も処分しなければいけないし、まだ融合する準備が出来ていませんので、今直ぐではなく、もう少し時間を下さい。」と言ったんや。

ポニョ:ほとんどの人はそんな感じやぜよ。死に神さんはドアをノックして、「もしもし。私は地獄の一丁目からやって来ました死に神のマヤというものですが、お命頂戴に上がりました。明日があなた様の命日となりますので、今日一日死ぬ為の準備をしてもらえますか?明日の昼過ぎにまた寄せていただきますね。その時にジタバタしないようにして下さいね。それでは明日お迎えに上がりますね。失礼致しました。」なんて言ってやって来ないもんな。死に神は、何の予告も無く或る日突然やって来て人の命を取って行くんや。

ヨシオ:とは言うものの、実はその前に、夢の中で知らせてくれているんやで。でも大抵の人は、それはただの夢だと思って大事なメッセージを忘れてしまうんや。

ポニョ:それじゃ今さっきおいらが言ったように、死に神さんって、事前に死ぬ事を知らせてくれるんやな。「君は明日の朝、ベッドから落ちて頭を目覚まし時計にぶつけて死にますよ。」とか「君は明日どっぽん便所に落ちて死にますよ。」とか「君は動物達をたくさん殺して来たので、逆に彼らに殺されますよ」とか言ってくれるんやろか。

ヨシオ:そんな事で死ぬ人なんていないやろ。

ポニョ:おいらは畑の裏にあった肥溜めに落ちて、死にそうになった事があるぜよ。

ヨシオ:ポニョらしいな。何年前の話や。夢の中で神様は、その人が実際どのように死ぬのかを見せてくれたり、誰かがが夢の中で、君はこういう理由で死にますよ。とか言ってくれたり、いろんなパターンがあるんや。共通して言えるのは、普段夢を見ない人でさえも、そういうメッセージを死ぬ前に夢の中で与えてもらえるんやで。

ポニョ:でも直前ではなく、何ヶ月も前から、いや、人によっては何年も前からそういう自分が死ぬ夢を見る人っているよな。

ヨシオ:自分が死ぬという事を常に意識して生きている人と、そうではない人とでは、毎日の生活態度や、時間の使い方、自分が困難な目に遭ったりした時の態度や人と接する仕方が全然変わって来るんや。

ポニョ:死を意識して生きる方が、意識せずに生きるよりもっと人生を有意義に生きれるって事やな。おいらは子供の頃から耳鼻咽喉科の世話になっていて、寝たらいつもいびきをかいたり、鼻が詰まって息が出来なくなってしまうんや。それで寝ている時にしばらくの間息をしていないので、嫁さんに死んだのではないかと思って叩き起こされるんや。おいらが驚いて起きると、嫁さんは、なんや生きてたんかって言うんやで。それってひどいやろ。

ヨシオ:でもポニョは、どんな苦しい状態で死んでもニコニコと微笑んでるような顔をしているからええやないか。

如何なる人も、いつか必ず死にます。その瞬間が苦悩に満ちたものであってはなりません。
優雅に微笑みを浮かべて軽く会釈をして世を去りましょう。
そうすることが出来る為には、大変な準備をしなくてはなりません。
長い一生の間蓄積してきたものを、後に残して死ぬのは大変なのです。
たった今から、一つまた一つと執着心を捨て、死ぬ日に備えて準備を始めましょう。
あなたは夢の中で様々なものを手に入れます。
権力、金、地位、名声等を。夢を見ている間はそれ等は現実であり、あなたに満足と喜びを与えてくれました。
目が覚めて、それが実は夢だったとわかっても、あなたはそれらを失ったっことを嘆きません。
「なんだ、夢だったのか。」と一人つぶやくだけです。
人生を歩んでいる間に集めた物を、夢と同じように無造作に扱えないのは何故でしょうか。
無執着という性質を培えば、この夢の国という舞台に幕が降ろされる時、あなたは、微笑みを浮かべて去ることが出来るのです。SSSVol1chp3














クリシュナ物語(60)

2016-09-22 00:00:14 | 日記

ポニョ:クリシュナ物語シリーズ、全六十回、お楽しみいただけましたでしょうか。ババは神の化身がこの世にやってくる理由は二つあって一つは、この世の不正を正し、ダルマが支配する世の中に変える事。もう一つは神の帰依者の心からの呼ぶ声に応えて来るという二つの理由だと言っておられるぜよ。

ヨシオ:俺もこの世の不正を見て、子供の頃から耐え切れない悲しみや怒りを感じたから、神様に来ていただくようにお祈りをしていたんや。だからサイババさんが来て下さった事を知った時にどれだけ喜んだ事か。その日は俺の人生で一番嬉しかった日やったな。

ポニョ:それはおいらも一緒やぜよ。おいらが悲しく思って見ていたパレスチナ人のように収奪され、暴力で抑圧されている世界中の不幸な境遇の人達や、肉食の為に殺戮されている動物たちが助かると思うと嬉しくて嬉しくて一日中ニコニコしてたな。

ヨシオ:普段でもニコニコした顔をしているのに、それ以上ニコニコ顔が出来るんか。

ポニョ:人の顔の事はほっといて下さい。ババは、不正や不義が横行している世の中を正義が支配する世の中に変えようとされているけれど、まだまだ世界は不正、不義が横行しているぜよ。ケリーが反政府軍が支配しているシリア上空をノーフライゾーンに設定するとか言い出しているし、ヒラリーが選挙で負けそうなので、それまでに戦争を起こして誰が大統領になっても世界を破壊するつもりなんや。

ヨシオ:でもサイババさんは世界大戦は起こらないと言っておられるで。

ポニョ:ギリギリまでは行くぜよ。というか世界的な規模ではなく、地域的な規模での戦争は始まるぜよ。危険が危ない状況やね。それにババさんが、古代からのダルマの伝統を復興させようと、七十年間も活動を続けて来られたインドでも、汚職や賄賂がまだ至る所に見られるしな。シルディ ババの時を入れたら、かれこれ百三十年間もインドを中心に啓蒙活動をされているけれど、一体どれくらいのインド人がこの百年間に神様の方に顔を向けて生きるようになったんやろうか。ババさんも大変やな。でもババの予言によると、あと二十年足らずで世界中が平和になり、インドがその精神的リーダーになるゴールデンエイジがやって来るって言われたけれど、それってなんか大きな出来事が起こって、人々が頭を打たないと、そんな事は起こるわけがないぜよ。ほんの一部の悪意を持った連中が、世界中の富や金を支配してる物質文明を、一度徹底的に破壊しないとそんな世界がにわかにやって来るわけがないぜよ。ババはあんたにも似たような事を言われたんやろ。

ヨシオ:ババは「私は世界を全く新しいものに創り変える」と言われたな。という事は、今ポニョが言ったように、俺たちが住んでいるこの世界は一度潰さないといけないって事なんやろな。

ポニョ:ババさんは、世界は四つのユガ期が順繰りに回って人類の歴史が変遷している。そして一つのカルパ期が終わる時には、大洪水が起こると言われているやろ。このクリシュナ物語でも後の方に出て来たけれど、ドワラカにあるクリシュナの館だけが大洪水で助かり、アルジュナが、大洪水で助かった人々をマトゥーラに連れて帰って来るエピソードがあったけど、今回も大きな世界的規模の洪水が起こるんやろか。

ヨシオ:ババは御講話で、人々が無分別に石油資源を地下から吸い出しているので、地下が空っぽになり、その部分が軽くなっているので、地球のバランスが崩れていると言っておられたな。だってほとんどの石油資源は地球の赤道近辺にあるのとは逆に、南極周辺では氷は溶けているらしいけれど、南極大陸の上では、毎年どんどん氷の層が厚くなって来ているから、重たくなっているもんな。五十年前の南極基地の無線塔が、もうてっぺんまで氷に覆われている写真を見た事があるぜよ。だから毎年重たくなっている極地と、赤道付近がどんどん軽くなっている影響で、地球のバランスが崩れて地軸が傾くと講話で言われたんやけれど、アシュラムが発行している雑誌にはババが言われた部分が、違う言葉で書いてあったので、大多数の人々はババがそういう事を言ったのを知らないんや。俺はその時にババが言われた録画テープを持っているんや。

ポニョ:それは貴重なテープやぜよ。でも以前、あんたが言ってたけれどクリシュナの時代に、ナラカという太陽の周りを大きく楕円形に周回している惑星が地球と衝突して大惨事になるのを、聖者たちが神に大カタストロフィーから守って下さいという祈りに応えてクリシュナが降臨し、そのナラカを破壊したって言ってたよな。

ヨシオ:これもババが講話で言われたんや。俺はそれをコピーしただけや。俺がその話を聞いて思った事は、もしそのナラカが地球に衝突したら何百万人も犠牲者が出たであろうと思われたんやけれど、それらの犠牲者が無駄死ににならないように、創造主がマハバラータという後世にダルマなどの価値を伝える為に、この素晴らしいクリシュナの物語を書かれたんと違うかなと思ったんや。

ポニョ:つまりナラカによって無駄死にするはずやった何百万人もの人たちが、神様の恩寵で生き延びて、クルクシェートラの戦いで死んだって事なんか。クルクシェートラの戦いでも何百万人もの人々が命を落としたもんな。うーん。それって充分考えられるよな。面白い仮説やぜよ。

ヨシオ:神さんがされる事は、深遠で俺たち人間の限られた能力では計り知れないよな。

ポニョ:でもこうして宇宙を創造された神さんが人の姿を取ってこの世にやって来られ、真理を説かれているんや。

ヨシオ:この記事を書くにあたって、俺は「バダヴァッド バヒニ」というババが書かれた本を大いに引用したんや。

ポニョ:おいらも三回ぐらい読んだかな。この本はババの本の中でもトップスリーに入るぐらいええ本やぜよ。

ヨシオ:トップスリーかどうかは別として、最後にこの本からいくつかの素晴らしい言葉を選んで載せて、このクリシュナ物語シリーズを終わりたいと思います。先ずアルジュナの言葉からです。

私はどのような些細な事でもクリシュナ神の御意思無しには生じない事を学びました。クリシュナ神こそは、操り人形の糸さばきをし、人形に様々の役割を果たさせるお方なのです。それでいながらクリシュナ神は、観客に交じって筋書きを知らぬふりをして見物しておられるのです。役者たちは神意を変える事は出来ません。
神の御意思は唯一つ動き、唯一つの身振りに至るまで指導し決定します。ドラマの筋を展開させる感情や出来事は観客を悲しませたり喜ばせたりするのですが、糸を操る神の御心は微動だにしないのです。
神はこの登場人物が何を言い、また別の人物は何を言うかを決定し、しかるべき言葉と動作とを与えます。更に、それぞれの人が無数の過去の生に於いてした事により、生まれながらに所有するカルマの因子がその人の運命に影響を及ぼします。BVp64

この世は神が一人ひとりに与えた役割を果たす舞台であり、神が与えた時間のある間だけ人々はこの世に動き回れるのです。人は神の指示通りに動かなければならないのです。私たちは、自分がこれをしたとかあれをしたとかと言って自慢します。しかし実際には、何事も神の御意思によるのです。p66


ポニョ:そして大阪では星は見えないけれど、夜空にきらめく星々のような珠玉の言葉を集めてみました。

一つのカルパの終わるたび毎に、帰滅期は洪水をもって終了します。それからまた再び進化が始まり、ブラフマーが世界を創造します。p161

心に富への欲望があれば、神に到達する事は出来ない。もし人が富と神との両者を求めるならば、彼が手に入れるものは富でなく神でなく悪魔である。
人間が人間らしく振舞うのは立派な事である。人が神の自己である神として振舞うのは賞賛に値する。しかし悪魔のように、獣のように振舞うのは、卑劣である。太古長い間人間は鉱物として生まれて鉱物として死んだ。その後人は樹木になり、長い間樹木として生まれ樹木として死んだ。しかし更に人間は動物になり、現在は人間にまで高められた。一つの段階から次の段階へと上昇して来た事は、科学によっても霊的な経験によっても認められている。だが、悲しい事に人は人間として生まれ、人間として死んで行く。人が獣、あるいは獣的な悪魔に滑り落ちるようであれば、この上ない恥だ。
神の境地に達した時に初めて人は賞賛に値する。それこそ彼に与えられた目的を真に達成したと言えよう。だから悪いものと交わらず、徳高いものと交わりなさい。BVp16

死を目前にした最後の日々をアートマの信念に確立する事は、人間の義務なのです。次の生の状態は、人が死に際してアートマの信念を持っているかどうかによって左右されるのです。p159

一切は、神の御意思にもとづいて起きるのです。ですから、聖人、聖者、苦行者、善人、悪人などの全ての人は、皆ビシュヌ神の化身なのです。神の化身の数は人間の数と同じく無数です。というのも一人ひとりは神聖な意思にもとづいて生まれたのですから。p162

感覚の喜びを追い求める者は、悩みと不安、苦しみと嘆きと涙のうちに長い一生を終えるのです。彼らは鳥や獣のように子を産み、美食を食べては排泄します。それが大多数の人々が送る意味の無い生活なのです。それを生きると呼べるのでしょうか。この地球上には、膨大な数の人々がいます。しかし人は、ただ生きているだけでは何の価値も無いのです。大切な事は日々の生活に生気を与える動機であり、感情であり、心構えです。
思考、感情に神聖さを顕現させている者こそが、真に生きていると言えるのです。束の間の幸福を求めて汚れた目的に肉体を使用し、全知全能の神を無視して、神聖な神の宮殿であるべき肉体を汚す人があれば、その人はその人の人間性を否定しているのです。神の蓮華の御足に一心集中している人を見てごらんなさい。その人の一生はたとえ短くとも、それは問題では無いのです。その短い一生、その人は自分の人生を実りある清らかなものにすることが出来ます。p169

創造は私の仕事であり、私はそれぞれの種が守る規則を決めそれが遵守されるならば車輪は正しく回転する。しかし規則がないがしろにされ、人々が自分の欲望を満たす事に熱心であれば、彼らは道を誤り惨めな思いをするであろう。
夜や昼も私の意思にもとづいて作られた。〜人間の生殖活動は私の意思の反映である。創造された世界を維持する為に、時々、私は名前と姿を取る。
私は人間が無制限に増える事を止める。この目的の為に私は暴風雨になる。私は善人に脚光を当て、善を進める為に悪人を創った。善人を守護する為に、善人にも悪人にもある種の制限を設けた。というのは、彼らは間違った道を歩み始め、大きな害を与えるからだ。
私はあらゆるものに内在する。人は、人の内や外にある私に気づかない。私は一切の生物の中心核である。しかし彼らはそれに気づかず、物質世界が現実であり、真理であると信じ物質的欲望を追い求め、その結果嘆きと悲哀に陥るのだ。
逆に人が私のみに集中し全てのものは神であり、神が創造されたと信じるなら、私はその者を祝福し、彼らと私は実は同じであるとの真理を彼らの前に明らかにするのだ。p174

宇宙創造は私の意思の投影であって、それは実体を持たないのである。p175

対象に心を奪われた人は、様々な手立てを講じて目的を達しようと努力します。その人は感覚の虜となり、対象物の奴隷です。しかし感覚を鎮め、制御し、心を鎮める苦行を行うならば、自分自身をコントロールし、感覚の対象物に迷わされる事はなくなります。外に向かおうとする感覚を内へ向けて、内在のアートマに瞑想する時、人は解脱に達するのです。目に見えるものは全て移り変わり、真実のものではありません。神のみが不滅であり、真なのです。対象に執着する事は、嘆き悲しみのもとです。神こそ真の実在であり、あなたの内の神は移り変わる外の世界とは無関係です。神は純粋意識であります。たとえあなたが神と外の世界とに関連性を持たせるとしても、それは夢を見る人と、その夢の中の人物との関係でしかありません。p183

神の御意志にもとづく御業を妨害できる者など、この世に存在しません。
真理を理解せぬ者、神を認識せず、神の力を知らぬ者、神を信じない者、それら愚かな人々は、自分たちの小さな計画によって自分自身を救い、自分自身の努力によって勝利を収めることが出来るとの迷いに閉ざされています。しかし事実は、どのような些細な成功であれ、神の恩寵無しには成功しないのです。
それだからと言って私たちは神が意思すれば物事が成就すると信じて、手を束ねて座っていれば良いわけではありません。人間の努力が大事であり、人は自分の力で先ずやってみなくてはなりません。自分に与えられた力を使い、仕事を進めて行くという覚悟をし、その結果が成るかどうかは神に委ねるのです。何故ならば、神の恩寵無しには、如何なる努力も実を結ばないからなのです。p256

最後の時が来ると、人間の肉体は死ぬ。肉体中のプラーナ(生気)流れを止めると人は死ぬ。しかし心は消えてしまうのではない。この理由から、心が一切の欲望を持たぬ空の状態に到達するまでは、次々と新しい肉体をとって生まれなければならない。今日、私たちの王は、肉体が真の自己ではないと知られた。そのように至福にある王には、プラーナさえも影響を及ぼさないだろう。心が神と一つになった時、身体もまた、神に等しい。今日、スッカの与えた教えはパリクシットのみに向けられたものではない。私たち全てに対する教えなのである。容器でしかない肉体が自分であるとの迷いに閉ざされている全ての人に対する教えなのです。p243

https://m.youtube.com/watch?v=S4E24Oam4DE