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いつもサポートしていただいてありがとうございます。
ポニョ
ポニョ:お袋さんは、あんたの末っ子が自分の亡くなった主人て知ってはったんやな。
ヨシオ:そうやな。俺の親父のことを知ってる人やったら、うちの末っ子を見たらすぐに分かるぐらい似てるで。
末っ子は、暇があったらいつもお袋の部屋に入り浸りやったんや。二人で並んでご飯を食べたりテレビを見てたり、シングルベッドで二人で抱き合ってよく昼寝もしてたな。
アルツハイマーやから、いつも言ってることがしっちゃかめっちゃかやねんけど、末っ子はそれでも忍耐強くお袋と会話してたな。
部屋に親父の写真を大きな額縁に入れて飾ってあるんやけど、お袋は自分の主人の写真を見て俺に、この人はええ人やで。最高の人やねん。私が一番好きな人やねん。とよく言ってたんや。
俺は、ずっと親父のことを尊敬してきたし、大好きやったし、いい思い出をたくさん持ってるし悪く思ったこと一回も無いんや。
でも、お袋の一途に今だに親父のことを思ってる姿を見て、ある日どういう訳かめちゃ腹立ってきたんや。
俺は、久しぶりにカリが来て親父の写真に向かってお袋が部屋にいない時に大きい声で
「あのな親父!あんた分かってるんやろうな。あんたの嫁さんが、あんたの事まだこんなに愛してくれてるって事を!」
「親父よ。あんたが二人の幼い子供をおいて早よ逝ってしまった事を、子供としてあんたを責めているわけではないんや。誰でも、早死にする事もある。天命や。」
「でもな。親父。こんなにあんたの事を、まだ世界一の旦那様やった。とか一番いい人やった。とか思ってるお袋を見てたら俺は、切なくて耐えきれないんや。」
「分かってるか。親父!俺のこの気持ちを!あんたの嫁はんは、世界で、いや宇宙で一番の嫁はんなんやって事を!」
「親父は、天神橋筋商店街の役員をしていて、付き合いもいっぱいあって、酒飲む機会もたくさんあるってのは理解できる。でもなぁ。こんな素晴らしい嫁はんと結婚して、酒飲みすぎて腎臓いわして早よ逝ってしもうたらあかんわ。」
「俺は、今日初めて親父に腹立ったわ。ちょっと言い過ぎたかもしれんけどな。二人も小さな子供がいて愛する嫁さんがいたら、俺やったら絶対にあんたみたいに身体を壊すまで酒を呑んだりせえへんわ。」
と大きい声で涙出しながら愚痴ったあと、ふっと後ろを振り返ったら、末っ子が俺の後ろに立っていて俺の愚痴を聞きながら泣いてたんや。
またある日、末っ子のバスケットボールの試合で少し山の方にある試合会場に行ったんや。
試合の後、ついでにその会場の近くにある老人ホームを見学に行ったんや。
末っ子は、何でこんなとこに来たんや。どうするつもりなんや。とか言ってお袋を老人ホームに絶対入れんといて欲しいと頼んでいたな。僕はおばあちゃんとずっと一緒に住むんや。どこにも連れて行かんといて。と。家族の中であいつだけお袋を老人ホームに入れる事に反対してた。
どんなひどい状態になっても、みんなで最後までおばあちゃんの面倒を見よう。といつも言ってたのもあいつやったな。
それで、見学に行った老人ホームやけど二重のゲートになっているドアを開けて入ると、いきなり正面玄関の横にバスの乗り場があるんや。
もちろん、待合の椅子も全てあるんや。そこに、おじいちゃんやおばあちゃんが、座ったり立ったりして誰もしゃべらんと怖い顔をしてバスを一日中待ってるんや。
そこにいた人達はみんな徘徊癖のある人たちで、いつも何処かに行きたいという症候群を持っている。これはアルツハイマーの症状の一つやねん。
それで、何処かに行きたいと言い出したら絶対止められへんぐらい強い意志を持ってるねん。説得なんてするのんは無理なんや。
俺は、バス停で絶対に来ないバスを待っている認知症の患者さんを見てたら、かわいそうで涙が出て来たんや。
ポニョ:そんなバス停って世界で一番悲しいバス停やろな。
「私ちょっと出かけたいんです。」
「どこへ行きたいの?お母さん。」
「長いこと娘に会ってないから、会いに行くんです。」
「そうですか。それやったらそこのバス停で待っときや。もうすぐしたらバスが来るよって、それに乗って行きなはれ。」
「はい。それじゃここで待っときます。ご丁寧に教えてもらってありがとうさんです。」
「お母さん。ここで長いこと座ってはるな。もう遅くなってきたから帰ろか。誰か待ってたんか。」
「それが、何でそこに座ってたのか、覚えてないんや。バス停みたいやな。そこ。」
ヨシオ:毎日、そんな調子やろな。ちょっと話し聞いたったらええのにな。
お袋も俺の事、毎日介護の兄ちゃんと思いよったから、同んなじ話しを毎日聞いてやったで。
息子と娘の自慢話やけどな。それも嬉しそうにしよるんや。子供が、命やったんやろうな。
徘徊始めたら、バス停に連れて行ったら介護する方は楽やろうけど、かわいそうや。
ちょっと、話しを聞いてその辺歩いたら、気が済むんやけどな。
お母ちゃん。子供さんどこに住んではるんや。
孫さん大きなったやろうな。
今度、一緒に会いに行こか。
とか何でもええから話し相手なったたらええのにな。
かわいそうや。一日中絶対来ないバスを待つなんて。
でも、いろんな症状あるからな。人によって違うし。
アルツハイマーは、ほんまに酷い病気や。
うちは、ヴェーダのおかげサイババさんのお陰でかなり癒されたけどな。
でもお袋の時も、徘徊し始めたら一緒に外をウロウロせなあかんねん。それが朝一であろうが、夜中であろうが関係無いんや。
ある日の夜中に起き出して家からいなくなったこともある。その日は嵐の日で強風豪雨注意報が出てたんで、まさかお袋がこんな雨の日に出掛けることはないと思ってタカをくくって熟睡してたんや。
でも、なんか物音が聞こえたので慌てて見に行くと部屋はもぬけの殻やったんや。
家族総動員で大嵐の中を雨に濡れながら探しまくったんや。近所のおっちゃんも一緒に探してくれたんやけど、どこを探してもおれへんかった。
警察に連絡したらすぐに飛んできてくれて、パトカーも何台か回してくれたんや。
担当の警察官が末っ子が属しているバスケットボールクラブの俺と同じコーチ仲間で、まさか警官って知らんかったからびっくりしたんやけどでも、みんな一生懸命探してくれたんや。
ラジオ局も放送してくれたし、ヘリコプターも手配してくれてたんやけど、ある家の人から警察へ電話がありお袋を保護してくれてるとのことやったんや。
その場所を地図で見ると、二キロ以上も離れたところで、結構車の通行量も多い道路を横切ったとこなんや。
警察の先導でそこに着くとお袋は、毛布にくるまってストーブの前で美味しそうに熱い紅茶をすすってたんや。
そこの家の前の道の真ん中で倒れていたところを、もう少しで車に轢き殺されるところを運転手が機転をきかせて助けてくれたんや。早朝四時の事やった。
お袋は、ニコニコして、「この人ら私の事をソー君って呼ぶんや。おかしな人達やな。」と言って笑ってた。実際、お袋はずぶ濡れやったんで家の人たちがお袋を「ソーキング ウエットSoaking wetずぶ濡れやな。」と言ってたんや。
妹がその時日本にいたから、娘に会いに行く、探しに行くって出て行ったんやそうや。手には娘に渡すつもりやった何か訳の分からん手土産を大事そうに持ってた。
お袋が、頭も少しはっきりして調子が良い時に俺は、尋ねたことがあった。
ヨシオ「昔、親父と三人で大きいオートバイに乗って淀川沿いとか大川沿いの道をぶっ飛ばしたよな。覚えてるか。」
東洋子「うん。そんな事あったな。面白かったな。」
ヨシオ「またバイク乗ろうか?」
東洋子「うん。」と言ったので一台、中古の大きなバイクを買ったんや。
それで、お袋にフルフェースのヘルメットをかぶってもらって、二人乗りで時速100キロ以上出して、夜のパースの街をブッ飛ばしたことがあってん。
でも、問題はコーナーでバイクを傾けた時にお袋は反対側に身体を傾けるんや。
もうめちゃバランスを取るのが難しかったけど、でも、コーナーリング入る前、ギアを落とす音を聞いてお袋は俺の身体をしっかりと掴むねん。『親父と乗ってる時もこんな風にしてたんやな。バイク乗るのん慣れとるわ。』と思ったな。バックミラーでお袋の顔を見ると、フルフェースヘルメットの中でめちゃ嬉しそうな顔をしているのが見えたんや。お袋に昔の喜びを少しでも味わえさすことができて俺もとても嬉しかったな。
でも嫁さんは、「こんな危ないこと二度とやったらあかん。ようやるわ。アルツハイマーの患者をバイクに乗せて高速道路を100キロでぶっ飛ばすなんて。こんな無茶やる人って、世界中であんたしかおれへんわ。見てみお母さん。寒かったから鼻汁いっぱい出てるやんか。かわいそうに。」と言って怒られたんや。
それで、これが最初で最後のお袋とのバイクの二人乗りやった。
何よりもまず、自分の母親を愛し、母親の言うことを聞くべきです。
母親を幸せにして、初めて人生は幸福で平安に満ちたものになるでしょう。
母親が泣けば、皆さんは必ず人生で苦しむことになります。
母親を幸せにするなら、皆さんの一生は幸福で満たされるでしょう。15-1-08
母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。
母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。
母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。
ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。
それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。母の愛は最高です。
子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。
自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。
この世には母親より偉大な神はいません。残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。
目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に、礼拝し、奉仕すべきです。
これをしないで、神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますが、それは無駄 です。
まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。母の愛にはつねに私心がありません。私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか? そんなことは出来ません。ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。6/5/05
人には皆、母親がいます。母を喜ばせることなく、その愛を受け取ることもない人は、真の息子ではありません。
母を敬うことは、子どもの最大の義務です。あなたが朝起きて真っ先にすべきは、母の足に触れて礼拝をささげることです。
この尊い習慣は、常にあなたを守り、あなたにあらゆる種類の富を授けます。6/5/03
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ヨシオ:そうやな。俺の親父のことを知ってる人やったら、うちの末っ子を見たらすぐに分かるぐらい似てるで。
末っ子は、暇があったらいつもお袋の部屋に入り浸りやったんや。二人で並んでご飯を食べたりテレビを見てたり、シングルベッドで二人で抱き合ってよく昼寝もしてたな。
アルツハイマーやから、いつも言ってることがしっちゃかめっちゃかやねんけど、末っ子はそれでも忍耐強くお袋と会話してたな。
部屋に親父の写真を大きな額縁に入れて飾ってあるんやけど、お袋は自分の主人の写真を見て俺に、この人はええ人やで。最高の人やねん。私が一番好きな人やねん。とよく言ってたんや。
俺は、ずっと親父のことを尊敬してきたし、大好きやったし、いい思い出をたくさん持ってるし悪く思ったこと一回も無いんや。
でも、お袋の一途に今だに親父のことを思ってる姿を見て、ある日どういう訳かめちゃ腹立ってきたんや。
俺は、久しぶりにカリが来て親父の写真に向かってお袋が部屋にいない時に大きい声で
「あのな親父!あんた分かってるんやろうな。あんたの嫁さんが、あんたの事まだこんなに愛してくれてるって事を!」
「親父よ。あんたが二人の幼い子供をおいて早よ逝ってしまった事を、子供としてあんたを責めているわけではないんや。誰でも、早死にする事もある。天命や。」
「でもな。親父。こんなにあんたの事を、まだ世界一の旦那様やった。とか一番いい人やった。とか思ってるお袋を見てたら俺は、切なくて耐えきれないんや。」
「分かってるか。親父!俺のこの気持ちを!あんたの嫁はんは、世界で、いや宇宙で一番の嫁はんなんやって事を!」
「親父は、天神橋筋商店街の役員をしていて、付き合いもいっぱいあって、酒飲む機会もたくさんあるってのは理解できる。でもなぁ。こんな素晴らしい嫁はんと結婚して、酒飲みすぎて腎臓いわして早よ逝ってしもうたらあかんわ。」
「俺は、今日初めて親父に腹立ったわ。ちょっと言い過ぎたかもしれんけどな。二人も小さな子供がいて愛する嫁さんがいたら、俺やったら絶対にあんたみたいに身体を壊すまで酒を呑んだりせえへんわ。」
と大きい声で涙出しながら愚痴ったあと、ふっと後ろを振り返ったら、末っ子が俺の後ろに立っていて俺の愚痴を聞きながら泣いてたんや。
またある日、末っ子のバスケットボールの試合で少し山の方にある試合会場に行ったんや。
試合の後、ついでにその会場の近くにある老人ホームを見学に行ったんや。
末っ子は、何でこんなとこに来たんや。どうするつもりなんや。とか言ってお袋を老人ホームに絶対入れんといて欲しいと頼んでいたな。僕はおばあちゃんとずっと一緒に住むんや。どこにも連れて行かんといて。と。家族の中であいつだけお袋を老人ホームに入れる事に反対してた。
どんなひどい状態になっても、みんなで最後までおばあちゃんの面倒を見よう。といつも言ってたのもあいつやったな。
それで、見学に行った老人ホームやけど二重のゲートになっているドアを開けて入ると、いきなり正面玄関の横にバスの乗り場があるんや。
もちろん、待合の椅子も全てあるんや。そこに、おじいちゃんやおばあちゃんが、座ったり立ったりして誰もしゃべらんと怖い顔をしてバスを一日中待ってるんや。
そこにいた人達はみんな徘徊癖のある人たちで、いつも何処かに行きたいという症候群を持っている。これはアルツハイマーの症状の一つやねん。
それで、何処かに行きたいと言い出したら絶対止められへんぐらい強い意志を持ってるねん。説得なんてするのんは無理なんや。
俺は、バス停で絶対に来ないバスを待っている認知症の患者さんを見てたら、かわいそうで涙が出て来たんや。
ポニョ:そんなバス停って世界で一番悲しいバス停やろな。
「私ちょっと出かけたいんです。」
「どこへ行きたいの?お母さん。」
「長いこと娘に会ってないから、会いに行くんです。」
「そうですか。それやったらそこのバス停で待っときや。もうすぐしたらバスが来るよって、それに乗って行きなはれ。」
「はい。それじゃここで待っときます。ご丁寧に教えてもらってありがとうさんです。」
「お母さん。ここで長いこと座ってはるな。もう遅くなってきたから帰ろか。誰か待ってたんか。」
「それが、何でそこに座ってたのか、覚えてないんや。バス停みたいやな。そこ。」
ヨシオ:毎日、そんな調子やろな。ちょっと話し聞いたったらええのにな。
お袋も俺の事、毎日介護の兄ちゃんと思いよったから、同んなじ話しを毎日聞いてやったで。
息子と娘の自慢話やけどな。それも嬉しそうにしよるんや。子供が、命やったんやろうな。
徘徊始めたら、バス停に連れて行ったら介護する方は楽やろうけど、かわいそうや。
ちょっと、話しを聞いてその辺歩いたら、気が済むんやけどな。
お母ちゃん。子供さんどこに住んではるんや。
孫さん大きなったやろうな。
今度、一緒に会いに行こか。
とか何でもええから話し相手なったたらええのにな。
かわいそうや。一日中絶対来ないバスを待つなんて。
でも、いろんな症状あるからな。人によって違うし。
アルツハイマーは、ほんまに酷い病気や。
うちは、ヴェーダのおかげサイババさんのお陰でかなり癒されたけどな。
でもお袋の時も、徘徊し始めたら一緒に外をウロウロせなあかんねん。それが朝一であろうが、夜中であろうが関係無いんや。
ある日の夜中に起き出して家からいなくなったこともある。その日は嵐の日で強風豪雨注意報が出てたんで、まさかお袋がこんな雨の日に出掛けることはないと思ってタカをくくって熟睡してたんや。
でも、なんか物音が聞こえたので慌てて見に行くと部屋はもぬけの殻やったんや。
家族総動員で大嵐の中を雨に濡れながら探しまくったんや。近所のおっちゃんも一緒に探してくれたんやけど、どこを探してもおれへんかった。
警察に連絡したらすぐに飛んできてくれて、パトカーも何台か回してくれたんや。
担当の警察官が末っ子が属しているバスケットボールクラブの俺と同じコーチ仲間で、まさか警官って知らんかったからびっくりしたんやけどでも、みんな一生懸命探してくれたんや。
ラジオ局も放送してくれたし、ヘリコプターも手配してくれてたんやけど、ある家の人から警察へ電話がありお袋を保護してくれてるとのことやったんや。
その場所を地図で見ると、二キロ以上も離れたところで、結構車の通行量も多い道路を横切ったとこなんや。
警察の先導でそこに着くとお袋は、毛布にくるまってストーブの前で美味しそうに熱い紅茶をすすってたんや。
そこの家の前の道の真ん中で倒れていたところを、もう少しで車に轢き殺されるところを運転手が機転をきかせて助けてくれたんや。早朝四時の事やった。
お袋は、ニコニコして、「この人ら私の事をソー君って呼ぶんや。おかしな人達やな。」と言って笑ってた。実際、お袋はずぶ濡れやったんで家の人たちがお袋を「ソーキング ウエットSoaking wetずぶ濡れやな。」と言ってたんや。
妹がその時日本にいたから、娘に会いに行く、探しに行くって出て行ったんやそうや。手には娘に渡すつもりやった何か訳の分からん手土産を大事そうに持ってた。
お袋が、頭も少しはっきりして調子が良い時に俺は、尋ねたことがあった。
ヨシオ「昔、親父と三人で大きいオートバイに乗って淀川沿いとか大川沿いの道をぶっ飛ばしたよな。覚えてるか。」
東洋子「うん。そんな事あったな。面白かったな。」
ヨシオ「またバイク乗ろうか?」
東洋子「うん。」と言ったので一台、中古の大きなバイクを買ったんや。
それで、お袋にフルフェースのヘルメットをかぶってもらって、二人乗りで時速100キロ以上出して、夜のパースの街をブッ飛ばしたことがあってん。
でも、問題はコーナーでバイクを傾けた時にお袋は反対側に身体を傾けるんや。
もうめちゃバランスを取るのが難しかったけど、でも、コーナーリング入る前、ギアを落とす音を聞いてお袋は俺の身体をしっかりと掴むねん。『親父と乗ってる時もこんな風にしてたんやな。バイク乗るのん慣れとるわ。』と思ったな。バックミラーでお袋の顔を見ると、フルフェースヘルメットの中でめちゃ嬉しそうな顔をしているのが見えたんや。お袋に昔の喜びを少しでも味わえさすことができて俺もとても嬉しかったな。
でも嫁さんは、「こんな危ないこと二度とやったらあかん。ようやるわ。アルツハイマーの患者をバイクに乗せて高速道路を100キロでぶっ飛ばすなんて。こんな無茶やる人って、世界中であんたしかおれへんわ。見てみお母さん。寒かったから鼻汁いっぱい出てるやんか。かわいそうに。」と言って怒られたんや。
それで、これが最初で最後のお袋とのバイクの二人乗りやった。
何よりもまず、自分の母親を愛し、母親の言うことを聞くべきです。
母親を幸せにして、初めて人生は幸福で平安に満ちたものになるでしょう。
母親が泣けば、皆さんは必ず人生で苦しむことになります。
母親を幸せにするなら、皆さんの一生は幸福で満たされるでしょう。15-1-08
母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。
母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。
母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。
ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。
それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。母の愛は最高です。
子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。
自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。
この世には母親より偉大な神はいません。残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。
目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に、礼拝し、奉仕すべきです。
これをしないで、神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますが、それは無駄 です。
まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。母の愛にはつねに私心がありません。私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか? そんなことは出来ません。ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。6/5/05
人には皆、母親がいます。母を喜ばせることなく、その愛を受け取ることもない人は、真の息子ではありません。
母を敬うことは、子どもの最大の義務です。あなたが朝起きて真っ先にすべきは、母の足に触れて礼拝をささげることです。
この尊い習慣は、常にあなたを守り、あなたにあらゆる種類の富を授けます。6/5/03