業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

スポーツにおける暴力と、スポーツ教育の在り方

2020年07月24日 15時06分38秒 | 社会全般
21日の朝、TV神奈川で放送されているBBCニュースで、トンデモナイ報道を見た。集中して聞いていた訳ではないので、若干不正確な所はあるが、概ねこんな感じだった。
学校などの日本のスポーツの現場で、暴力が横行していると...。暴力は日本独自の問題ではないが、日本では柔道で百数十人が死んでいる程の暴力が横行している程、問題が大きいと...。そしてこの国でオリンピックを開くのは...と。この報道には悪意を感じる。
左翼系の活動家は良く真実とウソを上手く混ぜ込ませるが、これはかなり酷い報道だが、真実の部分は傾聴する必要がある。
調べてみると、”中学・高校の学校内における柔道事故の死亡者は、1983~2011年の29年間で、実に118人に及びます。”とあった。そして、”2012年から2014年の死亡事故の発生は0件で、2015年と2016年に合計3件の死亡事故がある。”と...。
認識されていない人も多いと思うが、柔道はもっとも危険なスポーツで、この様な死亡事故がある事は大きな問題ではあるが、これとニュースで元々云っている暴力とは違う話である。暴力的な練習で死亡する事はあるだろうが、柔道は元々危険なスポーツである。

その後、民放TVのお昼の番組でもこの報道があった。そこで云っていた暴力とは、勿論肉体的な暴力も含まれるが、パワハラ・セクハラや無理に沢山の食事を取らせるなども含まれているとの報道で、BBCとはかなり違った報道になっていた。そしてこれを調査したのは”ヒューマン・ライツ・ウォッチ”と云う団体との事だった。

この報道そのモノや団体について触れるのはここまでとして、実際問題として学校を中心とする日本のスポーツの現場での暴力は存在する。ここではセクハラやパワハラなどの広義の暴力は含めず、肉体的または言葉による暴力を中心に考えてみたい。
結論から云うと、その原因は大きく3つ有る。一つ目は我々日本人が受けついてきた家庭内での教育の在り方である。二つ目は再三述べているが、子供達、そして日本人全般的な自立心の欠如からである。そして三つ目は、”教育”に対する考え方の履き違いが原因である。

家庭内での教育は、その国の文化や歴史が影響しており、各国それそれに違いがある。勿論、各国に良い所と悪い所がある。日本の家庭内教育には良い所が沢山あるが、此処では悪い所を云いたい。それは日本の家庭では、やはり暴力が残っている。自分の子供の頃は、”殴る”は当たり前に有ったし、また言葉による暴力やなじられる事はそんなに多くは無いが、”褒められる”事は殆どない家庭が殆どであったと思う。学校の部活では、先生や先輩からの暴力や暴言は当たり前の世界だった。なんな環境で育った自分が大人になり、子供を育てる際には、なかなか変われないモノである。流石に暴力はしていないが、褒める事などの自分が受けてこなかった育て方をするには試行錯誤が必要だ。スポーツの指導者も同じで、自分が育つ際に受けた教育から抜け出す事は難しい。この様な家庭環境で育った子供が大人になると、どうしても同じ様になってしまう。
これを変えるにはやはり教育だが、ここまで書いた様に家庭内での教育のみでは限界がある。ではどうするか...。

解決策として、TVドラマや映画などの制作者に理想的な教育シーンを時には入れてもらう。但しこでだけでは不十分なのだが、理由はUSの映画やドラマを結構沢山見ていて、頭の中ではわかっている積りだが、中々実践できないからである。となると、実践的な教育が必要になる。欧米などの大企業では、随分前まら実践的なマネージャ研修を行っていて、マネージャとしての振る舞い方の研修を行っている。実践の内容は、例えば様々なケースをドラマ仕立てで再現し、受講者にその是非を判断されるモノがある。そのお陰で、現在一般的認識されているマネージャとしての振舞いは出来ていると思っている。しかし親としては自信がない。子供の親が給付金を受ける条件として、何等かの親としての教育を受ける事を条件として実戦的な教育を受けさせる事はどうだろうか?そして教育者にも同様に、子供達に接っしかたについての実戦的な教育を施す事は可能だろう。

二つ目の自立心の欠如に対する対策はもっと難しい。理由は、暴力的な家庭内外の在り方についての問題点あある程度認識されているが、この自立心の欠如はあまり認識・共有されていないからだ。日本おn学校教育や企業では、強制的に教えて伸ばすやり方を長年してきている。実際、現状の日本の起業では強制的に教えないと育たない日本人が多くいる。現在の多くの企業では、教育にあまり時間とお金を掛けていないので、自立心の無い日本人よりも、自立心のある外国人を採用する企業が多くなってきている。実際、自分が属しているコンサルタントの世界では、日本人力量に見劣りし、自立心及び自分自身を向上させる努力をしている外国人の比率が大変多くなってきている。日本の企業は日本人を教育して日本人を活用するよりは、自立している外国人の採用をし易くなる仕組みを国に求めている事が、対応策に難しさがある。
日本人で自立している人はごく一部の”超”が付くほどの一流の人などに限られている。スポーツ界であれば、野球の落合、野茂、イチロー。サッカーでは、中田、中村、本田。そしてオリンピックで狙って金メダルを取った人達等ではないだろうか。但し、彼等であっても多くは強要される練習のみで満足している時期も有ったかとと思われるので、多くの日本人は自立心の重要性に気が付いていないと思われる。王貞治であっても荒川氏からの強力な指導があっての”世界の王”である。それを経ての自立心である。

対応策の前提として、日本の社会が日本人の自立心の欠如を”課題”として共通認識する事であるが、考えられる対応策は幾つかある。その一つは勉強しない人間は落第または退学させる高等教育である。そして努力した人間には飛び級もOKとする飴と鞭の両輪が必要だ。あくまで高校以上においての対策である。
小中学校においても、1年程度の飛び級はあっても良いが、退学や落第はさせたくはない。但し、此処でも手取り足取り教える教育ではなく、自ら学ぶ教育方法に変えていく必要がある。実際、一部の自治体または学校では、実践している所もある。そして、一クラスをもう少し少なくする事だ。

三つ目は、”教育”に対する考え方の履き違いについても、しっかり議論する事が大事だ。教育者は社会に役に立つ人間を育てる為に存在している。直接的には不必要な教科であっても、思考力・分析力・打開力、共感性・協調性、体力の増強と健康の推進、そして個々に持つユニークな能力の発見と醸成が役割りである。学校でのスポーツは何のために存在するのか、教育者がよーく考える必要がある。日本では、”超”一流でもないのに、スポーツの事しか知らない人間がゴロゴロいる。日本はある意味良い国なので、その様な人間で高卒であっても、ある程度収入を得ている人が多いので、これも”課題”として認識されていない事も問題である。その為、高収入の仕事に日本人が少なく、外国人が入っている事にもなっている。お金がすべてではないが...。
解決策だが、先ずは既に述べた様に、学校教育でのスポーツの役割を今一度考える事である。そして2番目として中高における部活実施日の削減(平日は週3日までで、日曜日の部活の禁止または土日のどちらかのみ)、3番目として部活のシーズン制(オリンピックレベルを除いて1年中行わない。)、そして科学的なスポーツ指導の推進、等が考えれれる。
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スポーツにおける暴力と、スポーツ教育の在り方

2020年07月24日 15時06分38秒 | 社会全般
21日の朝、TV神奈川で放送されているBBCニュースで、トンデモナイ報道を見た。集中して聞いていた訳ではないので、若干不正確な所はあるが、概ねこんな感じだった。
学校などの日本のスポーツの現場で、暴力が横行していると...。暴力は日本独自の問題ではないが、日本では柔道で百数十人が死んでいる程の暴力が横行している程、問題が大きいと...。そしてこの国でオリンピックを開くのは...と。この報道には悪意を感じる。
左翼系の活動家は良く真実とウソを上手く混ぜ込ませるが、これはかなり酷い報道だが、真実の部分は傾聴する必要がある。
調べてみると、”中学・高校の学校内における柔道事故の死亡者は、1983~2011年の29年間で、実に118人に及びます。”とあった。そして、”2012年から2014年の死亡事故の発生は0件で、2015年と2016年に合計3件の死亡事故がある。”と...。
認識されていない人も多いと思うが、柔道はもっとも危険なスポーツで、この様な死亡事故がある事は大きな問題ではあるが、これとニュースで元々云っている暴力とは違う話である。暴力的な練習で死亡する事はあるだろうが、柔道は元々危険なスポーツである。

その後、民放TVのお昼の番組でもこの報道があった。そこで云っていた暴力とは、勿論肉体的な暴力も含まれるが、パワハラ・セクハラや無理に沢山の食事を取らせるなども含まれているとの報道で、BBCとはかなり違った報道になっていた。そしてこれを調査したのは”ヒューマン・ライツ・ウォッチ”と云う団体との事だった。

この報道そのモノや団体について触れるのはここまでとして、実際問題として学校を中心とする日本のスポーツの現場での暴力は存在する。ここではセクハラやパワハラなどの広義の暴力は含めず、肉体的または言葉による暴力を中心に考えてみたい。
結論から云うと、その原因は大きく3つ有る。一つ目は我々日本人が受けついてきた家庭内での教育の在り方である。二つ目は再三述べているが、子供達、そして日本人全般的な自立心の欠如からである。そして三つ目は、”教育”に対する考え方の履き違いが原因である。

家庭内での教育は、その国の文化や歴史が影響しており、各国それそれに違いがある。勿論、各国に良い所と悪い所がある。日本の家庭内教育には良い所が沢山あるが、此処では悪い所を云いたい。それは日本の家庭では、やはり暴力が残っている。自分の子供の頃は、”殴る”は当たり前に有ったし、また言葉による暴力やなじられる事はそんなに多くは無いが、”褒められる”事は殆どない家庭が殆どであったと思う。学校の部活では、先生や先輩からの暴力や暴言は当たり前の世界だった。なんな環境で育った自分が大人になり、子供を育てる際には、なかなか変われないモノである。流石に暴力はしていないが、褒める事などの自分が受けてこなかった育て方をするには試行錯誤が必要だ。スポーツの指導者も同じで、自分が育つ際に受けた教育から抜け出す事は難しい。この様な家庭環境で育った子供が大人になると、どうしても同じ様になってしまう。
これを変えるにはやはり教育だが、ここまで書いた様に家庭内での教育のみでは限界がある。ではどうするか...。

解決策として、TVドラマや映画などの制作者に理想的な教育シーンを時には入れてもらう。但しこでだけでは不十分なのだが、理由はUSの映画やドラマを結構沢山見ていて、頭の中ではわかっている積りだが、中々実践できないからである。となると、実践的な教育が必要になる。欧米などの大企業では、随分前まら実践的なマネージャ研修を行っていて、マネージャとしての振る舞い方の研修を行っている。実践の内容は、例えば様々なケースをドラマ仕立てで再現し、受講者にその是非を判断されるモノがある。そのお陰で、現在一般的認識されているマネージャとしての振舞いは出来ていると思っている。しかし親としては自信がない。子供の親が給付金を受ける条件として、何等かの親としての教育を受ける事を条件として実戦的な教育を受けさせる事はどうだろうか?そして教育者にも同様に、子供達に接っしかたについての実戦的な教育を施す事は可能だろう。

二つ目の自立心の欠如に対する対策はもっと難しい。理由は、暴力的な家庭内外の在り方についての問題点あある程度認識されているが、この自立心の欠如はあまり認識・共有されていないからだ。日本おn学校教育や企業では、強制的に教えて伸ばすやり方を長年してきている。実際、現状の日本の起業では強制的に教えないと育たない日本人が多くいる。現在の多くの企業では、教育にあまり時間とお金を掛けていないので、自立心の無い日本人よりも、自立心のある外国人を採用する企業が多くなってきている。実際、自分が属しているコンサルタントの世界では、日本人力量に見劣りし、自立心及び自分自身を向上させる努力をしている外国人の比率が大変多くなってきている。日本の企業は日本人を教育して日本人を活用するよりは、自立している外国人の採用をし易くなる仕組みを国に求めている事が、対応策に難しさがある。
日本人で自立している人はごく一部の”超”が付くほどの一流の人などに限られている。スポーツ界であれば、野球の落合、野茂、イチロー。サッカーでは、中田、中村、本田。そしてオリンピックで狙って金メダルを取った人達等ではないだろうか。但し、彼等であっても多くは強要される練習のみで満足している時期も有ったかとと思われるので、多くの日本人は自立心の重要性に気が付いていないと思われる。王貞治であっても荒川氏からの強力な指導があっての”世界の王”である。それを経ての自立心である。
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BlackLives matter:本当の課題

2020年07月11日 09時02分14秒 | 社会全般
このBlack Lives Matterとは一体何なのだろうか?又は必要な活動なのだろうか?結論から云うと、これは単なる極左とDupesのプロパガンダ活動で、この活動をどれだけした所で、問題の解決にはならない。では一体何が課題の本質で、何を行うべきだろうか?
そもそも、今回のジョージフロイド事件がだ、仕方がない面もある。彼は学生時代にアメフトをやっていて、巨漢である。チョット言いすぎではあるが、警察官にとって相手が東洋人であれば押さえる事は赤子をひねる位に簡単だが、あの巨体を押さえるには苦労するハズだ。となると、どうしても手荒にならざるを得ない面もある。しかも、彼は前科もある犯罪者だ。その点を割り引いて評価する必要があるのではないだろうか?

本題に移るが、人種差別は黒人に対してのみあるのだろうか?それは違う。人種差別は、殆ど全ての人の心の中にあり、黒人であっても差別する側になる場合もある。沖縄などでの黒人の米国兵の振舞いを見ると、日本人に対する差別感情があると考えても不思議ではない。日本人やその他のアジア人も、差別される側になる場合もあるが、差別する側になる場合もある。自分も米国に住んでいた頃は、差別をされた経験は数えきれないくらいあった。この感情をなくす努力は多くの先進国では長年取り組んでいて、その成果はでているのではないだろうか?しかし、人間の心の奥底にある差別的な感情を完全に無くす事はできないだろう。

では差別をする、またはされる理由は何処から来るのかを考えてみたい。人は生まれながらにして、差別の感情は持っていない。だけども大人になるにつれて、差別をする感情が醸成される。その源泉は何処からくるのだろうか?それは社会における地位が主な理由ではないだろうか?ここで云う社会的な地位は、主に収入面での地位を意味している。確かに、黒人の相対的な社会的な地位は低い。しかしそれは人種差別からきているのではないと断言したい。何故なら、19世紀にヨーロッパから渡ってきたイタリア人や、日本人を含めた東洋人の移民の多くは、社会の底辺から個々の努力によって今の地位を築いてきている。黒人にもそれができる機会は十分になったハズである。しかし残念ながら、黒人の多くは社会の底辺から抜け出せていない。一番後から来たベトナム人にも軽く社会的地位は抜かされているのが現状だ。

ではなぜこの様な結果になっているのだろうか?根本の課題は、黒人の家庭内の教育に問題があるのではないだろうか?自分の子供に高等教育を受けさせようとする気持ち、努力が決定的に違うのではないだろうか?日本人や中国&韓国人などの東洋人の家庭では、子供に対する教育の重要性を十分に理解し、親がどんなに貧乏でも節約して子供達に良い教育が得られる様に努力している。一方黒人の家庭ではその努力が総体的に低い感じがする。白人や東洋人の多くの家庭でみられる子供達への教育に掛ける費用と努力が、黒人の家庭では低い。となると、自ずと貧乏な家庭に生まれた黒人は、高等教育を受けられずに、社会人になっても貧乏なままである。高等教育を受けられないのではなく、受けようとしない人が多い事に問題がある。結果、社会的な地位も低いままなので、差別または区別が醸成されてしまう。問題の根本は、黒人の家庭内の教育であり、社会的な差別ではないと云える。

自分が聞いた具体的な例を挙げたい。自分が知っている米国に住んでいた日系二世の叔母さんから聞いた話だ。その家庭に黒人のハウスキーパー(お手伝いさん)がいたのだが、日経二世の叔母さんは黒人の女性に、こうアドバイスしていたらしい。「私が渡すお給料は使わずに貯金しなさい」と。何年か後にその黒人女性は、「初めてお金の貯め方を教えてもらった。有難う」...と言ったそうだ。要するに、お金を貯める事を知らないのである。家庭の教育は一種のDNAであり、継承されている。黒人の家庭ではお金を貯める事を教えないし、知らない。そして努力して子供に高等教育を得られる様な努力を知らない。そもそも、米国は白人も貯金をしない国民なので、黒人が貯金をする事の重要性を社会から学ぶ事もできない。それが根本的が原因であり、黒人の家庭内での教育を変える事が、黒人の社会的地位を上げる唯一の解決策である。社会的地位が上がれば、自ずと人種差別または区別も減る。但し、なくなる事は無いが、今起こってる様な悲惨な事故は減る事は間違いない。
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