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~病に負けないで頑張っておられる方々、私の雑記帳を見てやって下さい~

【上を向いて - I LOOK UP】

大腸癌と小さな本音(2)

2012年11月17日 | 自分記事

 大腸癌と小さな本音(2)             

 

内視鏡的胆管チューブ交換を行ってくれている医師は内科の先生で、内科的内視鏡を使用する手術・施術の専門家です。何回も交換しているので、新しく使用するマウスピースの感触や、麻酔の効き具合等を良く聞かれますが、これって実験台にされてるのかも「次は麻酔の方法を変えてみるか」なんて話をよく耳にします(笑)。

 

胆管が再生したので次回の交換時には胆管チューブを抜きます。残る心配事はアービタックスの2週間毎の治療終焉時期と大量の輸血をしているので、エイズ、肝炎、溶血反応などの発症だけです。

 

話は大きく変わりますが、前記事で「私一人の判断で全てを決めて行く事になった」と書いています、表面上は「両親より先に死ぬほど最大の親不幸はない」と周りに言い続けていました。しかし、そのような覚悟では癌には勝てません。この時、末期大腸癌と一対一の大勝負をしてやろうと己の心に誓ったのです。家族のサポート無しでは当然成り立ってはいきませんが、自分自身の信念を持たなければ負けてしまいます。とはいっても、私も弱い人間ですから自分の側に居る全ての神を信じています。したがって、己を信じることが一番重要なのです。

 

たとえ話としては少し違うかも知れませんが、こんな事もありました。術後、胆汁瘻で高熱が出続け熱を下げる抗生剤を12時間毎(規定投与)に点滴し、氷枕を頭、脇の下、太ももに当てていましたが、短期的には熱は下がります。しかし、次の抗生剤を注射(点滴)する5時間前には38度を超える熱が出始めます。その状態は約4日前後続きました。真夜中の点滴(午後11時頃)を「一度、自分の体に任せて見たいので点滴を止めて下さい」と看護師にお願いして中止しました。翌日の朝の検温時に測った熱は7度3分まで下がっていました。その後にカロナール錠(経口用鎮痛下熱剤)を朝と午後3時に服用し、夜8時ごろに体温を測ったところ6度7分になり、以降は平熱が続き病状も好転していったのです。

 

また、この後に生死を、さ迷った2回目の入院(イレウス・敗血症性ショック)でも、どんな治療をしても熱が下がらないので、ICUに移り2日間血小板を輸血しましたが全て消え去って行き、緊急手術を受けることになりました。執刀医(主治医)と麻酔医が「もう駄目かも知れない」と術後言いながら、家族に今夜が山場ですと説明したそうです。家族は一時自宅に戻り喪服の準備をしていたそうですが、その時父が「まだ、死んでもいないのに何をしているんだ」と怒ったそうですが、父も死んだらまず何処の親類に電話をかけるかを調べていたのですから、どっちも同じようなものです。家族が病院に戻って来て、妹が「もう親戚を呼んだ方が良いか」尋ねたところ、主治医が「ちょっと待って下さい、顔色に赤みが差してきたのでもう少し様子を見ましょう」という返事があったそうです。ここから、奇跡の回復が始まったのです。全て妹から後日、聞いた話です(私には全く意識が無い)。

 

人はみな同じ様に言います。運が良かった、先祖さまが守ってくれた、医師が良かった、病院が良かった、手当が良かった、時間的タイミングが良かったなど全てその通りだと思います。しかし、己に誓った癌との大勝負の気持ちを根底に持ち続けた事が幸運を呼び、次から次へと奇跡的な事が起こったと自分では信じています。

 

この様に振り返って見ると十数回の入退院を繰り返し、よくぞここまでと自分でも感じる幸せを与えてくれた、医師、看護師、スタッフ、家族、親族、その他の人々に【最大限の感謝を奉げたい】と、これからも思い続けるでしょう。

 

 

 


大腸癌と小さな本音(1)

2012年11月17日 | 自分記事

大腸癌と小さな本音(1)                    

             

まず、現在の状況を説明します。以前にも書いたと思いますが抗EGFR抗体セツキシマブ(アービタックス)は、癌細胞EGFR遺伝子の中にKRAS遺伝子変異(codon 12,13)が存在する人について効果なし又は生存期間短縮になると考えられています。ただし、codon13に関しては、効果有りという研究結果も発表されていますが、まだ解明中の域を出ていません。私のKRAS遺伝子変異は(codon12)ですので、予想される結果は上記の通りです。

今までのブログ記事は、客観的で自分の意思をオブラートに包み込んだ形で書いて来ました。しかし、実際のところは現病院の内科病棟へ[貧血]で入院したときから、ただ事では無いと薄々感じていました。輸血と検査の繰り返し、肺からの水抜きと大腸カメラ検査を行ったときに確信しました。「これは、かなり悪い部類の病気だな」と思いましたが、深く考える暇もなく翌日には一時退院しました。それから一週間後に外科病棟に再入院し、午前中から輸血で始まり午後には家族共々主治医から検査報告と今後の治療説明を聞くことになりました。

先生の第一声は「よくも、こんなに酷くなるまで、ほっといたものです」と聞いた途端に私の脈が速く打ち始めた様な気がしました。平静を装って話を聞いていましたが、病名は大腸癌(上行結腸)で現状の説明無し、直ぐに治療説明に入り「緊急に切開手術か放射線治療の何方かに決めなくては為らない」と言われたのですが、初期癌の人か3年生存率の少ない人が受ける放射線治療を最初の治療方法に加わっているのを聞いて、最初の入院から総合的に判断すると「末期癌」だと気付きました。

一瞬、頭の中が真っ白に成り、先生が気配りしながら切開手術だと5分5分だと言われ、何故だか深く考えもせずに「はい、分かりました切開手術で宜しくお願いします」と直ぐに返事をしてしまいました。両親は高齢であり、妹も仕事や両親の世話などで忙しく、難しい判断は出来ない状況下であり、私一人の判断で全てを決めて行く事になったのです。この時に何故だか、坂本九さんの「上を向いて歩こう」のメロディーが浮かんで来ました。

このブログのタイトルにも成っている「I look up」は、最初の「上を向いて」を英訳した部分を使用させて頂いてます。

【永六輔氏 作詞】

「上を向いて 歩こう 涙が こぼれないように 思い出す 春の日 一人ぽっちの夜」

【山岸勝榮氏 英訳】

「I look up when I walk down, down the street all alone.

 So tears will not wet my cheeks as I walk along.

 I remember the spring days I spent with you,But now every night I'm left all alone.」

前置きが長くなりましたが、まず最初に[手術(処置)及び麻酔についての同意書]にサインするのですが、中の一文に「医学の発展に貢献する目的で写真、ビデオ撮影を行うこと、および摘出した組織を検査、診断および研究の目的で用いること、または処分することを了承します(個人情報の特定はできないよう配慮します)」とあるのですが気分的には嫌なものです。

先日、処置室で大腸癌再発場所の胆管に麻酔・造影剤を入れ内視鏡的胆管チューブ交換を行い、別室の技師さん以外は、皆さんお尻が隠れる位の放射線防護チョッキを着込んでいました。人数的には8人前後の医師、看護師、助手、レントゲン技師、麻酔技師、その他の人が居ました(笑うしかないけど、これじゃ大手術だよ)。設備は放射線治療室機器より一回り小さめですが機能は引けを取らないものです。その時にレントゲン撮影も行っており判明したのですが、グチャグチャの胆管が何と表現して良いか分かりませんが治癒と言うより再生していたのです。グチャグチャは主治医が話していた表現です。

胆管が再生し、癌の陰影も消え失せ、腫瘍マーカー(CEA)も基準値内(5.0ng/ml以下)の高めで推移(4.2ng/ml)していますが、3年生存率どころか5年生存率も視野に入ってくるようになりました。しかし、ここに大きな問題が有るのです。アービタックス単独使用治療でピッタリはまり胆管も再生し、後は血液中に潜んでいる癌因子をたたく為に、治療を何時まで続けるかなのです。分子標的薬アービタックスは劇薬なのです。

でも、ここまで回復した先例というか前例が殆どか、全く無いために止めるタイミングを図る事ができないのです。副作用は以前書き込みをした様に発疹・巻き爪・手足症候群・皮膚の弱体化が起こり、缶コーヒーのプルリングを引き上げるのも十円玉を使って開けているような状態です。朝起きると顔から血が吹き出ていたり、日中メガネを掛けていると鼻パッドが当たっている部分から出血する事もあります。外出中は救急絆創膏が必需品です。

今の状況は、おおよそ主治医を含め大学の研究室とか、国立がんセンターなどで情報の収集、治療方法の模索でもしているのでしょうか。毎日、体全体に3種類の薬を使い分けてぬり、6種類前後の薬を朝・昼・夜・寝る前に分ける作業(薬の量/種類が違う)にも疲れて来ました。

 

EGFR遺伝子とKRAS変異および分子標的薬について参考文献のURLを記載しておきます。

がんサポート情報センター

http://www.gsic.jp/cancer/cc_15/lic01/index.html