外科病棟からICU病棟に入り自分自が気が付くまでの間の事は、どの様に入院したか治療されたか記憶が殆ど無く、家族などから聞いた話が主なものになります。あやふやながらハッキリ記憶として残り始めたのはICUから出てからになります。これから書くことは事実と一部異なっている部分も有ると思います。
最初に病室へどのようにして入ったのか覚えておりません。救急外来から外科病棟へ移され、自分でコンビニからミネラルウォーターを購入し冷蔵庫へ片付け、病衣に着替え、入院の手続きを行ったと思われます。外科のM医師に診察を受け、イレウス(腸閉塞)と診断され様子を数日見る事になりました。この日から絶飲食になり、妹が冷蔵庫にある水を全て捨てたそうです。私は水を購入したことも覚えていないのです。翌日から高熱が続き、どの様な治療を施しても下は38度以下には下がらず上は40度前後まで上昇したのです。20日に、このまま死なせるには可哀想すぎるとICUへ移り、緊急手術を行うことになりました。
病名は敗血症性ショックで、永久的か一時的か人工肛門を施術する必要がある場合、または大腸壊死の場合も考えられるので術中所見で決めると家族に説明したそうです。
家族が署名した書類は、1:「集中治療センター入室中の処置に関する同意書」、2:「病気・検査・処置についての説明書」、3:「特定生物由来製品(血漿分画製剤)使用に関する同意書」、4:「輸血療法に関する説明書」、5:「麻酔同意書」、6:「中心静脈カテーテル留置についての同意書」でしたが他にも有るのかも分かりません。でも19日に私自身が「身体抑制及びこれに準じる行為に対する同意願書」へ震える字体で署名した事は覚えています。覚えていませんが、驚くことにICUに自ら歩いて病棟に入った事です。
一番重要な同意書は、1:「集中治療センター入室中の処置に関する同意書」で、命預けますと同義語のような感じ。
1.気管内挿管、気管切開術、人工呼吸
2.動脈圧測定用カテーテル、中心静脈カテーテル、血液浄化用カテーテル、肺動脈圧測定用カテーテル、硬膜外カテーテルなどの留置
3.IABP、PCPSなどの機械的循環補助装置の装着
4.血液透析、血液濾過、血漿交換、血液吸着などの血液浄化療法(一般的に言われている人工透析類)
5.胸腔または腹腔穿刺およびドレーン装入
6.輸血療法および血漿分画製剤の投与、私の場合は血小板輸血
7.造影剤を用いた画像診断(CTスキャン、血管撮影など)
8.各種内視鏡検査
9.鎮静薬の投与、身体抑制、必要に応じて識別着衣の着用
10.急変時の除細動および肺蘇生術
11.その他
上記に関する処置を全て行った訳では有りませんが、術中死もあり得ると言われた緊急手術が行われました。開腹してみると多少胆汁などが漏れ出ている程度で処置としては、腹の中を洗浄する、胆汁漏が起きないように挿入していた管を正規の位置に入れ直したくらいです。しかし、血小板輸血をしても血小板が消えて無くなってしまうのです。原因は今もって解明されていません。その内、時と共に顔色が青ざめていったのです。この時、執刀医(主治医)と麻酔医が「もう、駄目かも」と話していたそうです。家族には「今日が山場です」と説明していました。当然、家族は葬儀等の準備について話をしていたそうです。どの程度、時間が経過したのか分かりません。妹が、親戚に連絡したいと申し出たら主治医が「少し待ってください、顔色に赤みが出てきているので待ってください」と言われたそうです。私の方は、全く記憶が無いのですが、この様な夢を見ていました。きっと幻想でしょうね、何故かサーカスなどで出てくる道化役のピエロが現れ「あんたが手術をした場所を見たいかい?着いて来な!」と言うのです。
ピエロは赤鼻を付け、白地に7色で星模様柄の服を着て、先が上に向いた尖った赤い靴を履き、虹色と白の長いトンガリ帽子の先に白いぼんぼりがついたものをかぶり、オランダ国旗のような雰囲気で七色の横方向にかなり長く三つに先が切れ込んだマントを付け、左を向いて顔だけが私の方を見ているピエロが呼ぶのです。でもピエロの背景は暗闇?黒画用紙?奥行きのある真っ黒な部屋?だったので躊躇していると、外科病棟看護師がサポートに来ていて聞き慣れた声が聞こえたので振り返ると突然ピエロが消え、私の目に飛び込んできたのはICUの天井でした。普通は、蓮の花とか花畑とか見ると言いますが私は・・・不思議です。
死にかけた私が、この世に戻ってきた瞬間でもありました。後日談ですが、主治医に診察を受けている時、「あれが生死を分ける手術だったのだな~」とシミジミ言われました。余程の覚悟が無ければ執刀しないでしょうし、私はこの世に存在していないかも分かりません。感謝の気持しか有りません。
この時点では、ただ生き返っただけで、その後の養生期間が重要で、治療もリハビリも大変なものでした。