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「尾関宗園」という方をご存知でしょうか。
京都にある大仙院というお寺の住職さんです。
たくさんのご著書があるのですが、高校時分に自分自身の「内面の弱さ」を痛感したことをきっかけに、随分と読んだものでした。
同時に、「悟り」という境地に、とても興味を抱きました。
仏教でいう「悟る」とは、一体如何なる境地なのか…。
それは、果たして自分が到達可能な境地なのか…。
いわゆる「いい人になる」とか、そういうものとはまた違う、というか、それを超越した境地…。
到達はできぬものの「おぼろげながらなんとなく見えたかな」と思った瞬間、それが単なる「幻」に過ぎなかった、というような…。
それを解明するキーワードの一つに、「美しい花を見て美しいと思い、暑い時には暑いと思う心」というようなものがあったかと思います。
いたってシンプル。
しかし、いたって難しい…。
更には、「自分が真に悟りを開いたら、他の全ての人も悟りを開いたように見える」というのもあったように思います。
こうなると、「もう、自分には不可能」というような気もしてきます。
「児童虐待をして殺してしまうような人」を、少なくとも私は、「悟りを開いた人」などと見ることはできない…。
「悟りの境地」など、私のような俗人がおよそ到達できるものはないのでしょうが、「悟り、悟り」とがんじがらめになっていた当時より、それに捕われることなく多少は自然体でいられるようになった今のほうが、「1mm程度」は悟りに近くなったんじゃないのかな…。
そんな感じもしないでもないですが…。
「遥か遠い所にある」という状況に変わりはないのでしょうが…。
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