幸せについての考察 【桐棺三寸】

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「思いの合理化」:その2

2004-12-14 | 日記 Ⅰ

昨日、「思いの合理化」ということについて書きました。
「好き嫌い」などの感情的な気持ちから発生した「思い」が、本人の気付かぬうちに「善し悪し」という一般的な価値基準と混同してしまう、というようなことでした。

そしてこのように混同された「思い」に、今度は「想像と事実」「主観と客観」といった事柄がやはり混同して添加され、「思い」がより偏った方向に進んでいってしまうことがあるように思います。

例えば本来であれば、
「善し悪し」などの一般的な価値基準によって発生した「思い」に、「事実として存在する物事」による裏付けをし、そうして加工された「思い」を「客観視」し、行動に移すに如(し)くべきものであることを確認した後、行動を起こす…、
という過程を経るべきものだと考えます。

しかし実際には、
「好き嫌い」などの感情からの「思い」の発生でありながらそれに気付かず、それが事実として裏付けのなされていない「想像」により更に極端に増幅され、客観視することなく「主観的な観点」のみの判断により行動に移す…、
という流れを辿ることも少なからずあるのではないでしょうか。

昨日も触れましたが、「成功」するのも「幸せ」になるのも、「他者が圧倒的多数を占める世の中」においての「自分自身」です。

「好き嫌い」と「善し悪し」
「想像」と「事実」
「主観」と「客観」
自分の「思い」が今、「どこにあるのか」考えてみるのも必要ではないでしょうか。
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コメント
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