幸せについての考察 【桐棺三寸】

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厄介な、「体験」という「事実」

2004-12-15 | 日記 Ⅰ

昨日、「事実による裏付け」ということを書きました。
自分の中から発した「思い」に、想像ではなく「事実」により裏付けをし物事を見るべき、というような意味でした。

「事実」といった場合、真っ先に思い浮かぶのが、「自らの体験」ではないでしょうか。
自分で実際に見聞きし、体験した事実…。
確かに、これ以上の「事実」はないように思えます。

しかし…、
私たちの見聞きできることや体験できることというのは、「この世の全て」の中の、ごく一部にしか過ぎません。

そのような一部の事象は世の中全体の「サンプル」である、といった見方も当然できますが、「私が実際に体験したんだから、他のことも全部そうだ」という「想像」になってしまう危険性もはらんでいます。

そのために、自分の「思い」と「世の中」との「送受信」を行う前の最終チェックとして、更に「主観」か「客観」か、というものの見方が必要になってくるのではないかと思います。

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コメント
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