昨日、岸田首相が襲撃された。
男がパイプ爆弾を投げたのである。
幸い今回はSPと近くにいた漁師が素早く反応し、首相は無事であった。
1932年5月15日、陸海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、犬養毅首相を射殺した。
裁判で首謀者たちは、政治家や財閥を批判し、国家を改革するための犯行だったと主張した。
実行犯の判決は禁固15年(実際は4年9月で釈放)の非常に軽いものだった。
これがいけなかった。
国を思っての犯罪ならば許されるという風潮を作ってしまった。
そして、1936年の二・二六事件につながる。
このクーデターは規模も大きく犠牲者も多く、軍内部にも賛同する者も多かった。
しかし、昭和天皇が激怒した事によって軍は鎮圧に乗り出した。
現場で2名の将校が自決
逮捕された者のうち17名が死刑判決(銃殺)を受けた。
戦後の日本では、暴力によって政治を変えようという試みは許されるものではないとハッキリ示されている。
安倍元首相を殺害した山上徹被告を支援する者がいる。
拘置所に送られた支援金もかなりの金額になるという。
こういった人たちは、民主主義が如何にして醸成されてきたかを何も学んでいないかのようである。
暴力革命に理解を示すような人間になってはいけない。
山上被告も今回の木村容疑者もこれから法によって裁かれることになるが、理由はどうであれ犯した事への罪は正しく科されるよう望む。