HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

私的アントニオ猪木名勝負10選

2023-05-21 12:24:23 | DAY BY DAY

             

昨年10月1日にアントニオ猪木が逝去した。ブログをずっと休止している間ではあったが自分の中で一区切り
つけるために、いつかは「チャーリ・ワッツ名演集」と共に「アントニオ猪木名勝負10選」を記しておきたいと
常々思っていた。テレビ放送を録画した映像を何度も見返したものの、さっぱり整理できない状態が今も続いているのだが
もうこの辺りで一度形に残そうと決めた。

今現在と猪木が全盛期であった70年代から80年代前半とでは、ファンや世間のプロレスに対する見方は大きく変わってきている。
それでも、今も昔も私がプロレスを見るときに思うことは「ロックと同じく常人では体現できない非日常を感じさせてくれる」と
いうことであり、その一点に於いて尊敬の念を持っている。それは他のスポーツや優れた映画や絵画を見る時も同じなのだが
10代の頃にのめりこんだのは紛れもなくロックとプロレスであったので、その影響は私の中では大きい。

今回、私が選んだ10選は猪木が一人で闘う試合かつ異種格闘技戦を除いたものである。猪木のデビューは1960年であるが
全ての試合を了知しているわけでもないので、私が再放送を含むテレビ放送等を見た記憶の中からのごく狭い範囲での選出で
あることを断り書きとしておく。

1位 猪木 VS ラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇 (1982年11月4日 蔵前国技館 時間無制限)

   ○猪木 腕ひしぎ逆十字固め 寺西 
   ○猪木 体固め       浜口
   猪木 リングアウト    〇木村

1人で3人を相手にするという、その試合形式に痺れた。猪木は3人から勝ちを収めなければ勝者になれないというルールで行われ
結果として猪木の負け試合である。負けたものの、猪木の美学が凝縮された試合ということで私の一番好きな試合である。
猪木の負け試合が1位というのが私らしくて、いいと思っている。

2位 猪木 VS タイガー・ジェット・シン (1975年6月26日 蔵前国技館 60分3本勝負)
    1本目 猪木 回転足折り固め
    2本目 シン アルゼンチン・バックブリーカー
    3本目 猪木 体固め

猪木が最もスイングした対戦相手はタイガー・ジェット・シンではないだろうか。その戦いの歴史はまさに大河ドラマである。
前年、くしくも同日に行われた大阪府立体育館での試合をベスト・バウトに挙げる方も多いであろうが、私は綺麗に決着の
ついたこの試合が好きだ。

3位 猪木 VS ストロング小林  (1974年3月19日 蔵前国技館 90分1本勝負)
    〇猪木 ジャーマン・スープレックス・ホールド 小林

新日本プロレスと元国際プロレスのエース対決ということで、客席も緊張感が漂う異様な雰囲気での試合。ジャーマン・スープレックスで
小林を後ろに投げた猪木の頭が
先にマットに付き、その反動で猪木の両足が一瞬浮くという衝撃のフイニッシュ。当時のマットの硬さと
相まってフイニッシュが強く印象に残る試合。1974年プロレス大賞年間最高試合賞。

4位 猪木 VS スタン・ハンセン (1980年9月25日 広島県立体育館 61分1本勝負)
    〇猪木 逆さ押さえ込み ハンセン

75年6月にシンからNWF世界ヘビーのベルトを奪い返したのに、76年8月のNWA総会でNWFから「世界」の称号が外されることが
決まったのは猪木にとっては実に悔しい出来事だったと思う。しかし、ファンはベルトの価値は「世界」が付こうが何だろうが、
猪木が所持し防衛することに価値があると思ったろう。コンマ何秒かの差で繰り出された猪木のラリアットが話題になる試合である。
ファンの思いの詰まったこのベルトは半年後の1981年4月に「IWGP」実現のために封印される。

5位 猪木 VS 大木金太郎 (1974年10月10日 蔵前国技館 時間無制限1本勝負)
    〇猪木 体固め 大木

1960年9月30日、猪木は大木を相手にデビューし敗戦を喫している。その後様々な紆余曲折があり複雑な感情が入り混じる中
行われたNWF世界ヘビー級戦。私はこの映像が見たくて1984年当時1泊2日が1000円のレンタル・ビデオを借りて
食い入るように見た。ずっと大木の頭突きを受けっぱなしの猪木がストレート一発で形成逆転し、バックドロップを放ったのには
感動したものだ。

6位 猪木 VS 坂口征二 (1974年4月26日 広島県立体育館 30分1本勝負)
    猪木 時間切れ引き分け 坂口

第1回ワールドリーグ選で実現した猪木と坂口の初対決。坂口のタフさが際立った試合で、後追いで見た私は坂口の本当の強さを
まざまざと見せつけられた試合として記憶に残っている。なんせリアルタイムで見てきた坂口の試合は大味な印象が強かったので。
猪木の技から逃れる坂口のロープ・ブレイクをことごとく無効のように扱ったレフェリングが不思議な一戦でもある。30分勝負で
なかったらどうなっていたか、無い物ねだりの興味は尽きない。

7位 猪木 VS アンドレ・ザ・ジャイアント (1976年10月7日 蔵前国技館 時間無制限1本勝負)
    〇猪木 TKO アンドレ

1976年はウイリアム・ルスカ、モハメド・アリと格闘技世界一決定戦を行ってきた猪木であるが、遂にプロレスの枠内で
格闘技世界一決定戦を行った。対戦相手がアンドレ・ザ・ジャイアントなら誰の文句も出ないであろう。キー・ロック、
トップ・ロープを蹴ってのリバース・スープレックス、ナックル・パートの連打と対アンドレの雛型が完成した試合と言っても
いい試合だと思う。最後は流血したアンドレを慮ったフランク・バロアのタオル投入で結末を迎えた。

8位 猪木 VS マサ斎藤 (1987年10月4日 山口県巌流島 時間無制限1本勝負)
    〇猪木  TKO  斎藤

1987年はIWGPが年1回のリーグ選からベルトを伴った王座になった年であり、最後のリーグ戦の決勝でマサ斎藤を破った猪木が
初代IWGPヘビー級王座に就く。じゃあ、今までの4回は何だったのと思ったものの個人的には盛り上がりに欠けたリーグ戦だと
思っていたのと、単純にチャンピオンが王座を防衛することで付随するベルトである方がいいと思っていたので何となく納得。
そんな時代であったし、この頃行われていた5対5のイルミネーション・マッチも「なんでこの組み合わせ?」というようなものが
頻発していたので、無観客の屋外でのこの試合の構想を知った時には少しばかり興奮したものだ。船の汽笛やヘリコプターの羽音が
聞こえる中、野っ原に組み立てられたリングの中や外での殴り合いや締め合いは異様な光景であった。

9位 猪木 VS ビル・ロビンソン (1975年12月11日 蔵前国技館 60分3本勝負)
    1本目 猪木 逆さ押さえ込み ○ロビンソン
    2本目 〇猪木 卍固め     ロビンソン
    3本目  猪木 時間切れ引き分け ロビンソン

1975年12月11日は日本武道館で全日本プロレスと国際プロレスが力道山13回忌特別興行を行った日としても知られる。
当時のプロレス界のほぼ全てを敵に回しての大一番で行われた試合は、近年も60分フルタイムでの試合が再放送されるほど
ファンの人気が高く、猪木自身も69年12月2日のドリー・ファンク・ジュニア戦と並んで名勝負と認めている試合。
猪木とロビンソンのテクニックの応酬は基本的な技一つとっても見応えがあり、たった一度だけ実現した名勝負といえる。
1975年プロレス大賞年間最高試合。

10位 猪木 VS 藤波辰巳 (1988年8月8日 横浜文化体育館 60分1本勝負)
     猪木 時間切れ引き分け 藤波

当時45歳の猪木が藤波の持つIWGP王座に挑戦した試合。対藤波戦で初めて猪木が挑戦者となった試合でもある。新日本プロレスの
人気が下降している時期であり、私個人も仕事や何だかんだでプロレスに関心が薄れていた時期でもあったので、たまたまテレビで
見たこの戦いに胸が熱くなった。それと同時に「藤波は猪木に勝てなかった。」という事実が重く私の心に刻まれた試合でもある。

ここに選ばなかった試合でも印象に残っている試合が幾つもあるのは、他のプロレス・ファンの方々も同様だろう。
対ジャック・ブリスコ、対ドリー・ファンク・ジュニア、対ローランド・ボック、対ボブ・バックランド・・・。
レフェリーとして、タイガー・ジェット・シンVS上田馬之助を裁いた試合が好きと言う方もいるだろう。
というわけで、やっとできました、私の「追悼アントニオ猪木」。

INOKI  BOM-BA-YE

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あの娘の好きなチャーリー・ワッツ (生中)

2023-05-04 22:13:41 | ROCK

コロナが蔓延して以降、自ら進んでは外で飲まなくなった。ワクチンとやらを打つ気が全くなかったので
せめて外飲みとかやめて自衛しようと思ったのだが、「ロックのことを教えて」なんていう若い女性の誘いとかは
なかなか断るのも難しいものだ。(笑)今振り返って何でその娘に「LET IT BLEED」を推したのか、全くその理由が
思い出せない。「LET IT BLEED」はそんなに好きな盤では
ないはずなのだが、それでも5回は買い直している。
でも、それが最初にそれを推す理由にはならないのは明白。解けない謎は謎のまま消え失せてしまったけど。
そろそろ、外に飲みに行くかな。「とりあえず生」って、なんて淫靡な響きなんでしょう。(笑)
それでは「あの娘の好きなチャーリー・ワッツ(生中)」のスタートです。

 
・SYMPATHY FOR THE DEVIL
同日2公演を含む4回のコンサートから編集された「GET YER YA-YA'S OUT」のB面1曲目に収録された『SYMPATHY FOR THE 
DEVIL』は69年11月28日のファースト・ショーから。映画「ONE PLUS ONE」では同曲のレコーディング風景が撮影されて
いて、そこにはリズム録りを含めて録音に苦労するストーンズの姿が捉えられていたが、ライブではスタジオ盤のニュアンスを
すっ飛ばして軽快にスイングするバンドが捉えられている。パーカッションの不在をカバーすべくチャーリーの奮闘ぶりは
素晴らしく、それがキースとミック・テイラーの素晴らしいソロを引き出したとチャーリー者の私は思うことにしている。(笑)
この時期のストーンズの演奏は、それ以降の70年代のライブと比べてテンポは遅いのだが、2000年代に入ってからの
ライブのように「遅い」とは感じさせないグルーヴがある。それにしても、このジャケットは今回どうしても掲載したかったので
延長戦に突入するのは必然であったのだ。(笑)

・STREET FIGHTING MAN
ベルギーのブリュッセルで行われたコンサートのブートレグのタイトルとして「BRUSSELS AFFAIR」という名が冠されるのは
ストーンズ以外にもあるのだが、それはそれだけ73年のストーンズの演奏が強烈だったことの証左に他ならない。
FM放送音源だけに様々な形でブートレグになったのだが、まさか2011年にフィジカル・リリースされるとは。
ストーンズは73年10月17日に2回のコンサートを行い、主にブートレグではファースト・ショーの演奏が使われていたのだが
オフィシャルは、全15曲中セカンド・ショーの演奏を12曲もぶち込んできたのだから魂消た。でも、それを聴いて思ったのは
肝心な3曲は昔馴染みのファースト・ショーからなのだなぁということでもあった。『STREET FIGHTING MAN」もそんな1曲。
先に挙げた69年ライブの『SYMPATHY FOR THE DEVIL』同様、スタジオ盤ではライブ向きでないアレンジを現場対応に即した
アッパーな雰囲気に仕上げたもので、チャーリーのバスドラムがバンドを加速させるのがよくわかる名演。

 

・IF YOU CAN'T ROCK ME ~GET OFF OF MY CLOUD
2枚組レコードに於いてC面を除く3面に75年と76年の録音が混在し、C面には他の面とは毛色の変わった77年の
録音が収録されるという、普通に考えて一気に聴き通すと違和感があるはずのライブ盤なのに演奏が放つ熱量が故に
惹き込まれて一気に聴き通してしまう、そんなライブ盤ではなかろうか「LOVE YOU LIVE」は。
65年に録音された『GET OFF OF MY CLOUD』のドラムはワイルドそのものでドラムがリフを奏でているといっても
いいような演奏であったが、それを更に進化させたのが74年にリリースされた『IF YOU CAN'T ROCK ME』。
兄弟のようなドラム・パターンの2曲をメドレーで演奏したのは素晴らしいアイディアだと思う。
チャーリーがハイハットで16ビートを刻み始めるとバンドはエネルギーを蓄え始め、16ビートが終わると一気に
蓄えた力を開放するのがストーンズの常であるが、ここにはその最良の瞬間が収められていると思う。

・WHEN THE WHIP COMES DOWN
78年のストーンズのライブというのは長い間編集盤「SUCKING IN THE 70'S」に収録された78年7月6日録音の
『WHEN THE WHIP COMES DOWN』でしか聴くことが出来なかったのだが、2011年に掲載写真のライブ盤が映像と共に
リリースされ、一気にコンサート(78年7月18日録音)
をフルセットで聴くことができるようになった。ブートレグでは
「HANDSOME GIRLS」のタイトルで既に聴くことができた音源ではあるが、映像込みでのリリースということもあって手放しで
喜んだファンも多いと思う。69年に本格的な長期ツアーを開始して以降、76年に至るまでチャーリーの左手側、つまり
客席から見るとチャーリーのドラムセットの右側にはハイハット以外のシンバルは無かった。これはアンプにシールドを
繋いだ状態で動きに制限のあるキースの動向を気にするためだったのかなんて、思うこともあったのだが78年に遂に
そこに大き目のチャイナ・シンバルが配されることになる。典型的なロックンロールなのに「四つ打ち」でハイハット抜き、
そして、チャイナ・シンバル。ストーンズの、いやチャーリーの78年に於ける格好良さの全てがここに凝縮されているといっても
過言ではないこの演奏を私は外すことが出来ない。



・LET ME GO
当時のストーンズをしても81年のツアーを収録したライブ盤を2枚組で出すことは叶わなかったのかと不思議な気持ちで
今、聴き返す「STILL LIFE」。81年の北米ツアーは50か所を回る規模であったがその中の6回の異なる日付の演奏からの
セレクションを1枚に押し込むという荒業のライブ盤である。(笑)私が高校2年生の時の修学旅行で行った東京で購入した盤でもあるので
思い入れは多分にある。ここでの『LET ME GO』はアルバム「EMOTIONAL RESCUE」とはアレンジを変え、チャーリーは
ハイハットでのビートの刻みをスネアに置き換えている。これが独特の疾走感を演出しビートがより強烈になった。しかもテンポが速い。
それは下手なフィルインをぶちかませば、そこがもたつくように聞こえることを意味するのだがチャーリーは軽快に対処。
レコードでは4分以内に編集されているが、実際のライブではミックがこの曲の時は客席までなだれ込むので演奏時間は長くなる
ことが多くチャーリーにとっては演奏するのに大変な曲であったのではないかと思う。キースとロンの互いのソロも有機的に噛み合い、
これも軽視すべきでないライブにおけるストーンズの名演であると思う。

というわけで、これで本当にお終い。何で5曲でお終いなのかって?それは、私と彼女のみが知る秘密。(笑)
いや、ストーンズが5人組だった時代に敬意を表して敢えて5に拘りを・・・。
約束は守ったぜ。
それでは。

A
diós

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あの娘の好きなチャーリー・ワッツ (前から)

2023-05-03 11:11:08 | ROCK

私的チャーリー・ワッツの名演10選、後半なのに(前から)です。(笑)
チャーリーのドラムゆえに思わず前のめりになるような演奏の数々から選んだ4曲は・・・。

 

DIRTY WORK
チャーリーがバックビートを叩くときにハイハットを抜くようになったのはいつからだろうか。71年のマーキーの映像では
まだ見られないが、72年のモントルーでのリハーサルの映像(「BEAT CLUB」ですね)ではハイハット抜きを確認できる。
2拍4拍でハイハットを抜く奏法はチャーリーが発見したわけではないが、これが例え少々もったりした曲でも
演奏の疾走感を出すのに大きな貢献をすることを広く知らしめ、事実ストーンズはその恩恵を大きく受けている。

選出曲は同名タイトルのアルバムのB面3曲目に配されている。もったりどころか、ストーンズにしてはテンポの速い曲で
ここでのハイハット抜きは強烈な疾走感をもたらす。どちらが寄せたのかは知らないがビル・ワイマンのベースと呼応する
バスドラムの演奏も良い。速い曲にありがちなスネアのもたつきもチャーリーの魅力と言えば褒めすぎか?。キースとロンの
ギターの爆裂した音のぶつけ合いも素敵なので、ライブで聴くことができなかったのが残念だと今になって思う。

この曲の次に配された「HAD IT WITH YOU」はベース抜きのため、よりチャーリーの演奏の機微を聴きとることができる。
アルバム「DIRTY WORK」録音時のチャーリーは諸々の事情で不調であったという。そのせいか、アルバム・クレジットには
ドラマーのスティーブ・ジョーダンの名前があるが、曲ごとの詳細なクレジットは無い。ロン・ウッドがドラムを叩いた
「SLEEP TONIGHT」は別にして、チャーリーが叩いてない曲があと2曲はあると思うがこれは私の思い込みで想像の域を出ない。

・RIP THIS JOINT
「EXILE ON MAIN ST.」のA面2曲目。名曲揃いの「EXILE ON MAIN ST.」には、それに比例するようにチャーリーの演奏が
素晴らしい曲が多い。なかでも『RIP THIS JOINT』はバンド一丸となっての演奏がスピードによる高揚を見事に演出している。
曲が始まって1分ほどで無理やり差し込まれるスネアのロールに、「おぉっ!」と思ったのは私だけではないでしょう。
キースが歌う定番の『HAPPY』のドラムが、この時期には珍しく単調なのはチャーリーが叩いてないからだとしたら、
ダラダラしたセッションで出来たアルバムだけに、「もうちょっと長くダラダラ時間をかけてチャーリを待っても良かったのに」と
思うのであった。それとも、プロデューサーで打楽器経験のあるジミー・ミラーの意向を優先させたのかなぁ。

 

・DANCE (PT. 1)
「EMOTIONAL  RESCUE」の1曲目。前作「SOME GIRLS」からバスドラムの演奏スタイルに「4つ打ち」を取り入れた
チャーリー・ワッツ。数あるストーンズの「4つ打ち」スタイルの曲で最も複雑なリズムの曲ではないだろうか。単純に1小節で
均等に4回バスドラを踏むことで、右手左手左足でいろいろと複雑に遊ぶ余裕が生まれた結果の16ビート。
オープン・ハイハットも均等に絡めた16ビートなので、ハイハットだけに集中して聴くと、その情報量の多さに
気が遠くなる。(笑)78年頃からチャーリーのドラム・セットに18インチのチャイナ・シンバルが加わるのだが
その響きもおそろしく格好良い。後年、ライブで演奏された際には複雑なリズムのニュアンスまでは再現できなかったのだが、
スタジオ録音を聴く限りでは、もし「スネアとハイハットとバスドラムだけで演奏しろ」と言われたら、チャーリーは
それが出来る最強のロック・ドラマーの一人ではないかと思わずにはいられない。

・START ME UP
全米NO.1を獲得した「TATTO YOU」の1曲目。プロモーション・ビデオの格好良さは勿論だが、私的には初めてこの映像で
チャーリーのハイハット抜きの演奏シーンを見て驚いたのも懐かしい。私にとっての「ストーンズ事始め」でもあるので
この曲は外せない。元々この曲は78年の「SOME GIRLS」制作時に既にあった曲なので、当時を反映してかバスドラムは
「四つ打ち」。以前も書いたがイントロ最初のドラムの入り方が絶妙で、これが正しかったのか間違ったけど良かったから
採用したのか、いずれにせよライブでは再現しにくいスタジオ録音ならではの味がある。

何だかんだと10曲選んだのだが、ここではたと気が付いてしまった。
「あ、ライブ盤から選んでいない。」
ストーンズの魅力はライブ盤でないと感じ取れない部分もあるし、オフィシャル盤は元よりマニアの皆様方には遠く及びませんが
ブートレグを200枚程手にしていながら、ライブ盤の存在を失念するとは些か軽率であった。
後ろから前から攻めたのにイききれないとは。ここは延長をお願いするしかない。(笑)
後ろでも前でもない、今度は直球ド真ん中。生のド真ん中。延長戦は「生中」である。(ごめんなさい、卑近な例えで)

延長戦はライブ盤から選んだ数曲を。まだ、Adiósとはいかなかった。
というわけで、約束はできないけど・・・・。

Hasta mañana


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