POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 ミャンマー(ビルマ)は、縦に長い菱形の凧の右下に短い尾がついたような地形をしています。ミャンマーは、東南アジアと南西アジアの接点に位置しており、菱形の左上(北西部の国境)はインドやバングラデシュに、右上(北東部の国境)は中国に、菱形の右下(南東部の国境)はラオスとタイに接しています。

 ミャンマー(ビルマ)は、中国に接するカチン州、シャン州(ラオスとも接する)、タイと接するカヤー州、カイン州(カレン州)、インドに接するチン州、バングラデシュの接するラカイン州、アンダマン海に面するモン州の7つの州(pyi ne、ピーネー、州名は民族名に由来する)と7つの管区(taing detha gyi、タイン・データー・ジー)に行政区画されています。



 シャン州は、ミャンマーの東部中央に位置していて、中国、ラオス、タイの3国に接しています。その面積は、155,800 km²で、ビルマの面積676,600km²の23%ほどにもなり、シャン州はビルマ全土の4分の1ほどの面積を占めるといえます(シャン州の人口は800万人ほどといわれ、ミャンマーの人口約6,000万人の13%ほど)。しかし、シャン州には大きな都市といえば、 ラショー(Lashio、la hri:、人口13万人ほど)、チェントン(Kengtung、kyuing:tum、人口6万人ほど)、そして、州都の「タウンジー(Taunggyi、taung kri:、ミャンマー第4の都市で人口20万人ほど)」くらいしかありません。

 この地域は、1,000mを超える高原が続き、昔からシャン族が支配していました。東京外国語大学のラオス語の講師であった「土橋泰子」さんの著書「ラオス万華鏡」(連合出版、2009年刊)によると、シャン族は、「ビルマでは周辺民族からはシャン族と呼ばれていますが、彼ら自身はタイ族と呼称し、」「その同族は中国南部から東南アジア一帯、インド北部に至る広大な地域に居住しており、この範囲ではむしろ主流民族なの」だそうです。

 ミャンマー(ビルマ)では、このシャン族は、古い調査(1983年)ですが、ミャンマーの総人口の8.5%を占めており(ビルマ族は69%ほど)、ミャンマー人の12人に1人はシャン族ということになります。「シャン族は、ミャンマーにおいては、少数民族ですが、ビルマ文字に似た固有の文字を持っており、この文字はモン族から仏教とともに伝えられたモン文字を基にして作られている」そうです。

 シャン族はビルマ族と同様にその多くが仏教徒であり、「すでに焼畑耕作という移動生活の段階を脱しており、ビルマ族の地方居住者と変わりない生活をしている」といいます。



 「シャン州(Shan State)」が西隣の「マンダレー管区(Mandalay Region)」と接するあたりに、「インレー湖(Inle lake)」という外国人観光客にとって非常に人気の高い湖があります。インレー湖は、南北に長く(雨期には20km以上、乾期では15kmほど)、東西には短い(雨期には12kmほど、乾期では6kmほど)、周囲を山に囲まれて、標高も高く(875m)、季節によっては酷暑の続くミャンマーにあって、高原リゾートとして人気の高い観光地です。



 ミャンマーは熱帯気候で、夏期(2月中旬~5月中旬、ほぼ3か月間)、雨期(5月中旬~10月中旬、5月間)、乾期(10月中旬~2月中旬、4月間、この時期が比較的過ごしやすく観光のベストシーズン)と3つの季節が移り変ります。ヤンゴンの平均気温で言うならば、11月(乾期)に18℃前後であったものが、2月(乾期から夏期へ)には急激に+5℃程度の23℃前後になり、3月(夏期)にはさらに+5℃程度の29℃ほどになり、4月・5月はそのさらに+4℃程度の33℃ほどにもなります。雨期の期間もその温度は徐々に下降する(5月間かけて-5℃程度)にすぎません。雨期の終わりでも28℃ほどあります。乾期に入ると、急激に温度が下がり、18℃前後になります。

 インレー湖の観光の基点となるのは、「ニャウン シュエ(Nyaung Shwe)」という小さな町。町からは運河がインレー湖にボートで15分ほどでつながっています。ニャウンシュエの町はインレー湖の北にあり、車で1時間ほどのところにある「へーホー(Heho)」に空港があります。そのへーホーには飛行機によるアクセスが便利で、「ヤンゴン(Yangon)」から直行便で1時間10分ほど、「マンダレー(Mandaley)」経由で1時間50分ほどです。

 直木賞作家「乃南アサ」の著作「ミャンマー 失われるアジアのふるさと」(文藝春秋、2008年刊)では次のように描かれます。

 「ヤンゴンから1時間ばかり飛んだところにへーホーという町がある。そこから車に乗り換えてニャウンシュエを目指した。アスファルトの道に沿って点在する」「いくつかの小さな集落を通っては山を越えるうち、ある谷に差しかかった。そこには1本の大きな菩提樹が生えており、その木を目印のように三方から延びてきた道が交差している。
 「その三叉路を過ぎて、やがて大きな山を回り込むようにして越えたところに、山間を通る長い鉄橋が見えてくる。眼下には平坦な大地が広がる。この景色をみると、もうニャウンシュエが近いのだと思う。

 ニャウンシュエの町は、インレー湖からは少し離れており、運河でアクセスする必要があり、船着場で「乗り込むのは細長く小さな木製のボートで、モーターこそついているものの、大人が4、5人乗り込んで、さらに大きなトランクを積み込むと、船縁はかなり水面に近いところまで沈んでしまう。」「ボートに縦一列にしつらえられているのは幼稚園にあるような小さな背もたれのついた椅子。腰掛けると視点は本当に水面に近くなり、文字通り自分が水上を走っているような気分になる。



 この記事は、12月25日午前、ミャンマー中部のマンダレーを離陸して東部のヘーホーに向かっていたミャンマーの民間航空会社「バガン航空(Air Bagan)」の旅客機「フォッカー100型機(Fokker-100)」が、空港に迫ったところで、2つあるエンジンのうち1つが爆発し、ヘーホーの空港の手前、およそ3kmの道路に不時着し、両方の主翼が折れるなど、大きく壊れたというニュースを聞いて書き始めました。しかし、ミャンマーについての知識が足りず、調べながら記事を仕上げているうちに、1週間ほどが経ってしまいました。

 旅客機には、乗客・乗員合わせて71人(乗客は63人で、乗員は6人、さらに2人の航空保安官)が乗っていましたが、このうち11歳と見られるビルマ人の男の子1人とツアーガイド1人、地上の道路でバイクに乗っていた住民1人が巻き込まれて、合わせて3人が死亡したということです。ミャンマーでは、民主化に伴い外国からの観光客が急増していて、不時着した旅客機にもインレー湖を訪れようとしていた外国人観光客が51人乗り合わせていたそうです。



 「パガン航空(Air Bagan)」の「ヤンゴン発、マンダレー経由、へーホー行き」のW9-011便のフォッカー100型機は就航して22年も経っており、また、当日の空港周辺では雪が激しく降っており(霧が出ていたとも)、滑走路の近くの水田に不時着してから火を噴いたという報道もあります。負傷した11名(深刻な状態であるとも言われている。うち4名が外国人(アメリカ人が2人、英国籍の1人、韓国人が1人))は、州都「タウンジー(Taunggyi)」の‘Saosanhtun Hospital’に収容されたといいます。

 「タン・シュエ(Than Shwe)」は、1992年4月23日より、ミャンマー(ビルマ)の軍事政権トップとして独裁的地位にあった人物です。2011年3月30日に国家元首(大統領)の地位を「テイン・セイン(Thein Sein)」に、国軍最高司令官を「ミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)」に渡しました。「バガン航空(Air Bagan)」のオーナーであるミャンマーで著名な実業家「テーザ(Tay Za)」はタン・シュエと親しく、政商(「トゥー・トレーディング(Htoo Trading Company)」を所有)であるとされ、2007年からアメリカのミャンマー経済制裁が強まると、バガン航空のシンガポール路線の閉鎖を余儀なくされ、今は国際線はチアンマイ(チェンマイ)とプーケットに運行しています。ミャンマーの民主化を阻害する人物とみなされており、アメリカ、EU、カナダ、アーストラリアでは商取引ができず、ビザも発行されません(2011年3月時点)。

 ミャンマーには航空会社が5つあり、バガン航空(Air Bagan、フォッカー機(小型双発ジェット)とATR機(ターボプロップ双発)を保有)、ミャンマー国際航空(Myanmar Airways International、エアバス機)、マンダレー航空(Air Mandalay、ATR機)、ミャンマー航空(Air Myanmar、国営、フォッカー機(ターボプロップ双発と短距離用双発ジェット)とATR機)、ヤンゴン航空(Yangon Airways、ATR機)です。

 民間航空機は飛行耐用年数を50年と計算して設計されているのだそうです。しかし、先進国などの航空会社では20~30年くらいで新しい飛行機に更新しています(JALやANAでは20年、SQでは10年)。中古機は売却されて、発展途上国で旅客機として、あるいは改造されて貨物機として、飛び続けることになります。

 1986年11月30日に初飛行をした「フォッカー 100(Fokker 100)」は、フォッカー社が倒産した1997年に生産が終了し、総生産機体数は283機であったようです。倒産して15年が経ちますが、機体の優れた操作性と安価な運航コストから、フォッカー機はいまだ世界の空を飛び続けています。

 当然のことながら、外国を旅行するということはある程度のリスクを覚悟しなければなりません。しかし、そのリスクを知っているのと知らないのでは行動に雲泥の差が生じます。近いうちにミャンマーへ旅行することを考えているので、政治情勢を含めて、ミャンマーに関する情報を収集中です。

                   (この項 健人のパパ)

  


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 2012年10月15日、全日本空輸(ANA)は、2000年3月に休止した関空-ヤンゴン線以来、約12年半ぶりのミャンマー直行便となる成田-ヤンゴン線を就航しました。就航したのは、ビジネス席(38席)のみの週3往復のB737。観光需要が興れば、エコノミー席の導入、機材の大型化、週7往復への増便などが検討されるようです。往復運賃を検索したところ、スーパービジ割で25万円ほどからでした。



 ビルマ文字は、英文字のように子音字と母音字が別であるという構造を持ちません。ビルマ文字は、ハングルやタイ文字のように、一つの文字の中に子音と母音が組み込まれ、音節を表します。それはある意味、日本語のひらがなやカタカナのようです。



 しかし、日本語と異なる点は、その音節文字が子音を表す文字と母音記号の組み合わせからできていることです。カタカナの「マ」、「ミ」、「メ」では、共通する部分はありません。それに対し、ビルマ語の/ma/、/mi/、/me/では、「上部の欠けた円+下部についた眼」という部分が共通しており、これが/m/という子音を表しています。/ma/では/a/という母音を表す記号が後ろに、/mi/では/i/を表す記号が上に、/me/では/e/を表す記号が前についています。

 ハングルは、音節を表すのに正方形という形の中にすべてを入れますから、子音文字を上半分、母音記号を下半分に入れたり(母音記号が横棒で構成されるとき)、左半分に子音文字、右半分に母音記号を入れたりします(母音記号が縦棒で構成されるとき)。ハングルで、子音/m/は四角形で表され、母音は縦棒、横棒、点の組み合わせで表されます。

 ハングルは正方形の中に納まるものが1つの音節を表しますが、ビルマ文字はタイ文字のように、1つの音節が左右に広がることが多いため、文字に慣れないうちは、どこまでが1つの音節を表すか判別するのに苦労します。インド、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオスなどで使われているインド系文字は、音節を構成するとき、左へ、右へ、上へ、下へと記号が付け加わっていきます。



 広い「オ」を使った(日本語以外は狭い「オ」と広い「オ」がある)「ト」という音節を表すのに、ハングルは正方形に収まるのでコンパクトですが、ビルマ文字はタイ文字と同じように左右に広がります。円が4つも並んで、1つの音節なのですから、初学者には音節の区切りを判断するのが難しいといえます(図は、カタカナを除いて、子音を黒字で、母音を赤字で表している)。



 上の表は、緑色の破線で表された円の位置に子音を表す「字母」が入り、その字母が帽子を被ったり、ブーツを履いたり、左側や右側に連れを伴ったりして、「音節(子音+母音、開音節)」を表します。ビルマ文字でややこしいのは、「声調」の情報も文字に含まれていることです。だから、同じ/i/の母音を表すのに、3種類もあるのです。下降調の/i/ならば、真円の帽子を被り、低平調の/i/ならば、真円に下眼のある帽子を被り、高平調なら、帽子を被った上に、服にブローチを2つ上下に付けて歩きます。狭い「オ」ときたら、帽子を被り、ブーツを履き、ブローチを2つ付けています(高平調)。おしゃれ~

 突然に「声調」の話に入ってしまったので、きょうはここまでにして、次回はその「声調」の話に移ります。

             (この項 ビルマに行くのも大変だなあと思い始めた「健人のパパ」

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 「そんなところに行って、大丈夫なの」
 ずい分何人もの人が同じことを口にした。軍事政権だから。スー・チーさんが軟禁されたままだから。だから、国には緊張が満ち、危険が溢れており、国民はひたすら怯えながら暮らしているのではないか。何かあったら、旅行者などはすぐに身柄を拘束されて、下手をすれば帰れなくなるのではないか ― 多くの人たちが似たような印象を抱いているらしいと知って、私はむしろ、そのことの方が不思議だった。ミャンマーがどこにあるのかもろくに知らないのに。
(2008年文藝春秋刊 乃南アサ著「ミャンマー」より)

 「我が国は、ミャンマーにおける民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー女史が長年にわたり自宅軟禁措置の下におかれていたことに大きな懸念を有しておりましたが、本13日(土曜日)に同措置が解除されたことを一歩前進と受け止めています。ミャンマー政府が、人権状況の改善、民主化及び国民和解の実現に向けて、今後一層の前向きな措置を取ることを期待します。」(2010年11月13日 前原外務大臣談話)



 ビルマ語の文字は、まるで視力検査表の記号(「ランドルト環」、フランスの眼科医エドマンド・ランドルト (Edmund Landolt 1846-1926)が考案したもので、イタリアのナポリで開催された第11回「国際眼科学会(World Ophthalmology Congress)」(2014年の第34回は東京開催)で、国際指標として制定された)が並んでいるかのようです。



 運転免許証の更新時に受ける視力検査を思い出して、「上!」(パの音を表す基本字母)、「下!」(ガの音を表す)、「右!」(ガの音)、「左!」(ビルマ数字「1」(「ティッ」という音))、「左斜め下!」(アの音を表す母音記号)、「開いていません!」(こんなのは視力検査表にありませんね。ワの音)などと叫びたくなります。



 一つの円だけで構成されているかと思うと、上の二つの図形を組み合わせた文字もあります。「上+左斜め下」で「ハ」の音の表す字母、「下+左斜め下」で「カ」の音、「左+左斜め下」で「バ」の音、「真円(欠けていない円)+左斜め下」で「タ」(無気音)」、「真円+真円」で「タ」(有気音)です。



 さらに、左斜め上に開いた円、右斜め下に開いた円もあり、それを組み合わせて、「上+左斜め上」で「ヤ」の音を表す字母、「左+左斜め上」で「“think”の“th”」の音、「右斜め下+左斜め上」で「ラ」です。



 ビルマ語には、有気音と無気音の対立と有声音と無声音の対立があります。「対立」があるとは、それで語が区別されるということです。有声音と無声音の対立で言うならば、「たす(足す)」と「だす(出す)」を日本人の耳は区別でき、それは別の意味を持つのです。文字も「た」と「だ」で異なります。



 しかし、日本語には有気音と無気音の対立がありません。一方で、中国語は有気音と無気音の対立があるのですが、有声音と無声音の対立はありません。そこで、日本人の中国語学習者の多くは、有気音と無気音の対立を有声音と無声音の対立にすり替えて、中国語を覚えようとします。

 それはそれで何とかなるものなのですが、ビルマ語はタイ語と同じように有気音と無気音の対立とともに有声音と無声音の対立があるために、すり替えることができません。その識別を耳にしっかりと覚えさせなくてはなりません。

 有気音は、ラテン文字表記では“h”や“’(アポストロフィ)”で表されます。例えば、“p”の有気音を“ph”や“p’”と表します。ところが、ビルマ語には“think”の“th”の音もあることから、“t”の有気音を表すために“th”を使うことができません。そこで、有気音は、“h”を後ろではなく前につけることで解決している学習書もあります。つまり、“p”の有気音を“hp”とラテン文字表記するのです。

 “t”の有気音を“th”と表現することもできます。そのように表している学習書もあります。話しが横に逸れたので、元に戻して、ビルマ文字の話しを続けます。

 ビルマ語の基本字母は33文字ありますが、ここまでで12文字紹介したことになります。基本字母の中には「眼」の付いたものもあります。円の欠けている位置(上、下、左、右)と眼の付いている位置(上、下、左、右)の組み合わせで作られています。

 「上+上眼」で「バ」の音を表す字母、「上+下眼」で「マ」の音、「上+右眼」で「パ」(有気音)、「下+左眼」でビルマ数字の「8」(シッ)、「右+下眼」で母音「エ」、「左+下眼」で「カ」(有気音)、「真円+下眼」で「ダ」、「真円+左眼」で「サ」です。



 ビルマ文字をどうやって書くかも知りたいところです。漢字の書き順は、正しくなくても、漢字は理解されます。それと同様にビルマ文字も間違った書き順で書いたとしても理解されるでしょう。でも、漢字の書き順と同じように正しい書き順を守れば、文字は美しく見えます。

 ビルマ文字を書くときの原則は、時計回りに円を描くことなのだそうです。真円(欠けていない円)(/w/)は、最下部から描き始めて、時計回りに筆を運び、最下部でつなげます。一部が欠けている円は、上部が欠けている円を除いて(この円は2画になる)、一筆で書くことになります。



 2つの円が組み合わさったものは、左側の円から、上記の規則に従って書き始め、右側の円へと進みます。2つ並ぶ円の左側の円の上部が欠けているものは3画になりますが、残りはすべて2画になります。



 円の中に眼のある字母や記号・数字は、外の円から書き始め、中の眼で終わるのが原則ですが、母音記号の /e/ とビルマ数字の「8」は、1筆で描くために中の眼から書き始めます。また、外の円を書き終わってから、中の眼を書くのが原則なのですが、基本字母 /m/ は、2画で書くために、上の欠けた円はふつうは左半分から書き始めるところを、円の右半分から書き始めます。



 表音文字であるビルマ文字の基本字母33文字のうちの18文字とその書き順を紹介しました。この文字の形に慣れてしまえば、視力検査とは思わず、その表す「音」が頭に浮かびそうです。でも、ビルマ(ミャンマー)に行くときまでに間に合うのでしょうか。少なくとも街中の表記を意味は分からないまでも読みたいものです。住所が読めるのは大いに役立ちます。高い山に登ろうとして、まだその山の麓にも達していない気分です。

 東京都新宿区高田馬場周辺には、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれる地域があり、ミャンマー料理店もいくつか存在するそうです。日本最大のミャンマー人コミュニティ(約500人が居住しているという)を形成している「リトル・ヤンゴン」に足を運んで、ミャンマーという国の雰囲気とその文字にそのうちに浸りに行きたいものです。

              (この項 健人のパパ)

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