ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

少しだけ分かりました。

2012-05-23 17:28:13 | アィヌ民話
 イアンヌパヌフチがユーカラ(英雄伝)の名手と何かに書いてありましたが少しだけ不思議に思っていました。
何故ならフチは近文に長いこと居たと聞いていましたので近文アイヌは女性がユーカラを謡う事を嫌っていからです。

それが砂沢クラさんの自伝を読んでいて分かったことがあります。
その中の「金成マツさんとユーカラ」でイアンヌパヌフチの話が出てきます。

金成さんが近文で日曜学校を開いていてそこにクラさんの母親も遊びに来て二人でユーカラを謡って楽しんでいたそうです。
ユーカラはその主人公の子孫であれば女でも謡っても良いことになっておりクラさんの母はその資格があったのかもしれません。
勿論、マツさんは幌別村の名門の出ですから沢山の物語を知っていたようです。

そして、クラさんの母の元へユーカラを聞きに来た何人かの人を上げています。
原文のままー伏古から嫁に来ていたキナおばさん(杉村キナラブック)も、母と一緒にユーカラを楽しんでいましたし、名寄からは大貫ヤンパヌさん、日高からは平賀サダモさんが良く母のユーカラを聞きに来ていました。

この文章によると名寄で再婚してからユーカラを教わったのかそれ以前に知っていたのかは分かりません。
キナラブックさんと畑仕事をしながら謡っていたと函館のSさんは近文アイヌの方から聞いていたそうです。

少なくとも他の文献にイアンヌパヌさんを見つけたのは私にとっては少しの進歩です。

人間創造

2011-01-19 07:10:54 | アィヌ民話
人間の創造に関しては古事記よりアィヌ民話のほうが優れていると思う。
(北見美幌・菊地儀之助老伝承)の物語によると国造神(コタンカラカムイ)が人間の形を造り終えてから、それに「眠たい」とか「食べたい」とかという、十二の欲の玉を身体に入れるとすっかり完全な身体ができあがった。とあります。

古事記では人間造りに関しては意識的に触れていないのだと考えられる。これは天皇家の歴史書である、と居直って創った物語としか考えられない。行動に対する善悪を入れる訳にはいかなかったと考られる。と言うより善悪を曲げて書いたのだろう。
既に、これを制作した時代には仏教は伝来していたわけだから、人間の欲望に関する考え方はあったと思われる。キリスト教においても人間の欲望に関しては根源的なものとして取り扱っている。
その点でアィヌ民話は人間にはすでに欲望があるのだからそれに対してどうあらねばならないか考えようとしている。歴史から何かを学ぼうとするならば古事記は歴史書としても失格となるのではないかと考えてしまう。
現に、幾度も出てくる、騙し討ち(日本武尊の隼人戦)はその後もアィヌ相手(シャクシャイン)にも使う事にもなる。勝ち方としては学んだが人の在り方としてはどうだったのか未だに疑問に思っている。

木葉木菟(トキトカムイ)物語

2011-01-18 07:19:31 | アィヌ民話
日高地方では孫娘は湿地の魔女(ニタツウナルペ)にさらわれ、一度逃げだしてきて「母(ハポ)ちゃんお乳(トット)、お婆(フチ)ちゃんお乳(トット)!」と叫んでいるうちに、また捕まり、鳥にされてしまった。「それで私は湿地の魔女と一緒に、夜だけ"ハポトット、フチトット"と啼くだろう」と夢の中で、祖母に告げるようになった。
(バチュラー「アィヌの炉端物語」)『更科源蔵記』
松浦日誌には最上徳内が音威子府のアィヌに「あれは内地では尊き高山に住む“仏法僧”と言う鳥だ」と教えたと書いてあります。
だとするとこの民話は日高地方だけの話だったのでしょうか。確かに天塩川沿いには湿地はありませんから違うのでしょう。しかし、内地での有り難い話よりもアィヌの民話の方が良いと思いませんか。

キャンプ場で寝ているとこの鳴き声が聞こえてきてなかなか眠れませんでした。
やはり、アィヌの人も悲しげな鳴き声に聞こえていたのですね。
それにしたって、この話は悲しすぎですよ。
天塩川沿いのアィヌにとっては梟の神様は第一位なのですからね。(何処の地でもその上に火の神様がいて、次が土地によって変ります)
今後、山に行って夜、木葉木菟の鳴き声を聞く度にこの話を思い出すのだろうか。

擦文土器

2011-01-16 13:23:52 | アィヌ民話
アィヌ民話を求めて美深図書館、音威子府図書館、中川図書館、と行って来ました。
今更、探しても新しい民話が見付かるはずはありませんが、地元で調べるのも楽しいと考えて行って来ました。美深図書館は史料館と同じ建物の中にあります。画像はその中にありました。資料になるような物はありませんでしたが、町史の古い本の中に少しだけ載っていたので行ったかいがありました。
音威子府図書館で松浦武史郎の項目にこの地のアィヌに沢山の民話を聞いたとありましたが資料として残していないようなので調べようがありません。
やはり中川図書館も町史だけで地元出版のものを見せて頂きましたが、民話までは残っていませんでした。