イアンヌパヌフチがユーカラ(英雄伝)の名手と何かに書いてありましたが少しだけ不思議に思っていました。
何故ならフチは近文に長いこと居たと聞いていましたので近文アイヌは女性がユーカラを謡う事を嫌っていからです。
それが砂沢クラさんの自伝を読んでいて分かったことがあります。
その中の「金成マツさんとユーカラ」でイアンヌパヌフチの話が出てきます。
金成さんが近文で日曜学校を開いていてそこにクラさんの母親も遊びに来て二人でユーカラを謡って楽しんでいたそうです。
ユーカラはその主人公の子孫であれば女でも謡っても良いことになっておりクラさんの母はその資格があったのかもしれません。
勿論、マツさんは幌別村の名門の出ですから沢山の物語を知っていたようです。
そして、クラさんの母の元へユーカラを聞きに来た何人かの人を上げています。
原文のままー伏古から嫁に来ていたキナおばさん(杉村キナラブック)も、母と一緒にユーカラを楽しんでいましたし、名寄からは大貫ヤンパヌさん、日高からは平賀サダモさんが良く母のユーカラを聞きに来ていました。
この文章によると名寄で再婚してからユーカラを教わったのかそれ以前に知っていたのかは分かりません。
キナラブックさんと畑仕事をしながら謡っていたと函館のSさんは近文アイヌの方から聞いていたそうです。
少なくとも他の文献にイアンヌパヌさんを見つけたのは私にとっては少しの進歩です。
何故ならフチは近文に長いこと居たと聞いていましたので近文アイヌは女性がユーカラを謡う事を嫌っていからです。
それが砂沢クラさんの自伝を読んでいて分かったことがあります。
その中の「金成マツさんとユーカラ」でイアンヌパヌフチの話が出てきます。
金成さんが近文で日曜学校を開いていてそこにクラさんの母親も遊びに来て二人でユーカラを謡って楽しんでいたそうです。
ユーカラはその主人公の子孫であれば女でも謡っても良いことになっておりクラさんの母はその資格があったのかもしれません。
勿論、マツさんは幌別村の名門の出ですから沢山の物語を知っていたようです。
そして、クラさんの母の元へユーカラを聞きに来た何人かの人を上げています。
原文のままー伏古から嫁に来ていたキナおばさん(杉村キナラブック)も、母と一緒にユーカラを楽しんでいましたし、名寄からは大貫ヤンパヌさん、日高からは平賀サダモさんが良く母のユーカラを聞きに来ていました。
この文章によると名寄で再婚してからユーカラを教わったのかそれ以前に知っていたのかは分かりません。
キナラブックさんと畑仕事をしながら謡っていたと函館のSさんは近文アイヌの方から聞いていたそうです。
少なくとも他の文献にイアンヌパヌさんを見つけたのは私にとっては少しの進歩です。