ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/10/14 芸術祭十月大歌舞伎昼の部(2)「国性爺合戦」はなかなかの見応え

2012-10-27 11:42:06 | 観劇

芸術祭十月大歌舞伎昼の部の最初の演目は「国性爺合戦」。初見は2006年6月の国立劇場の鑑賞教室だった(松緑の和藤内、芝雀の錦祥女は今回と同じ)。2010年11月の国立劇場の半通し上演で作品の全貌がつかめた。團十郎の和藤内、藤十郎の錦祥女という東西の二大名跡の共演が話題でしっかり観たが感想未アップのため、(「蘭鋳郎の日常」さんの記事が詳しいのでご紹介。

【国性爺合戦】獅子ヶ城楼門  獅子ヶ城内甘輝館  同 紅流し 同 元の甘輝館
あらすじは前回の記事を参照していただきたい。今回の主な配役は以下の通り。
和藤内=松緑 錦祥女=芝雀
老一官=歌六 渚=秀太郎
甘輝=梅玉(染五郎の休演で配役変更)

今回は七世松本幸四郎追遠ということで、曾孫の2人、松緑と染五郎が和藤内と甘輝で並ぶ舞台になるはずだったのを観ることができなかったのは残念。
少々遅刻したら、舞台の上では和藤内が父母とともに獅子ヶ城の前ににたどり着いていた(^^ゞ歌六の老一官は文句なしハマリ役。秀太郎の渚は線が柔らかく、ちょっとニンではない感じだった。

芝雀の錦祥女が城門の上に登場。父の雀右衛門の錦祥女が実によかったそうだが、芝雀もよい。江戸時代の庶民が想像した中国の装束ということでありえないほど袖にフリルがついたもので、ふんわりとした色気のある女方しか似合わない。当代では藤十郎と芝雀だろうと思う。その上、城門の上から家来たちを仕切る姿には立女形の役どころをつとめる大きさが出てきたように感じた。
梅玉の甘輝は、上品なことはもちろん、髭面の将軍としての大きさを前回よりも感じさせた。この夫婦のバランスがとれて立派で芝居が大きくなったと思う。妻の縁で明国再興のために助力するとでと思われたくないと、錦祥女を殺そうとするのを義母の渚に身を挺して止められるという場面。ここが実に歌舞伎の芝居としての見せ場になっている。
継娘だけ死なせるわけにはいかないと、義を通すだけでなく、情愛がにじむところが秀太郎の渚のよさだと思った。その情愛もしっかり受けとめた錦祥女の芝雀が自害の覚悟を固めて化粧殿に入っていく時の悲壮な覚悟のさまがまたよく伝わってきて、「紅流し」。

和藤内の松緑は隈取がよく似合い、稚気あふれて血気にはやる様が可愛らしくみえる。この可愛らしく見えるということが荒事には欠かせないと思う。合図の兆の印として紅が流れてきて、母を奪還しに城内甘輝館に乗り込み、そこで異母姉の自害、それを追っての母の自害に立ち会うことになる。その2人の死を悲しむ表情が今回はきちんと現れて、大きな目に憂いが漂うと芝居の切なさが増した。ベテランに混じっての健闘がよくわかる。

甘輝にすすめられて、中国の武将としての装束に着替える間、家来たちが和藤内の大刀を預けられて片づける場面がチャリ場。大きすぎて重すぎてなかなか持ち上げられず、入れ替り立ち代りで挑戦するというものだが、流行を取り入れてスギちゃんのキャッチコピー「ワイルドだろ~」が盛り込まれて客席の笑いを誘っていた。
甘輝館の主の座に、和藤内と甘輝が並び立ち、下にいる父とともに姉と母の最期を見送り、明国再興の決意を示す幕切れは、女たちの犠牲を悼みながらそれを乗り越えていくという憂いを含んだ場面となり、ドラマが深くなったように思う。

近松門左衛門作の浄瑠璃の味わいが少しわかってきたかなぁとも感じた。今月はこの演目がなかなかの見応えだったので、よいことにしよう(笑)

冒頭は、今公演のチラシ画像。
10/14昼の部(1)主役二人が痛々しい「勧進帳」