ぼくらはみんないきている

日々のこと、野菜のこと中心のブログです

様子見ながら畑のスタート

2018-04-30 21:37:20 | 野菜
東北以外でも災害復興支援の業務が消滅していない中で、
今年度にお声が掛からなければ、
ガチで畑が出来るので、
今年度は様子見ながら畑のスターをします。

今日は第1農場で一日を過ごすことになりました。

私の区画のお隣の先輩が、
脳溢血で集中治療室へ入り、
帰って来るまで皆で畑を続けるべく、
主が育てていた苗を定植したり、
草取りをしたりしました。


先輩の畑作業が終わったら、
今度は自分の畑の作業です。


今までビニール素材を使っていませんでしたが、
復興支援で作業がおろそかになり、
雑草が目立つ畑にオサラバするために、
ビニール資材を活用することに踏み切りました。


本日は写真左奥から、
長ネギ(頂き物なので品種不明)約120本、
ナス5株、
ピーマン3株・シシトウ3株、
小松菜・わさび菜・はつか大根3種を準備しました。

綺麗にマルチが張れると、
なんだか上級者になった気分で気分が上がります。


さ~て、
初心に戻って畑をやるぞ~と半分、
半分出張に備える畑でした。


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サツマイモの植付け

2018-04-29 20:04:51 | 野菜
本日のメインはサツマイモの植付けです。

まずは第2農場からスタートします。



昨日購入した紅はるかの苗、
120本を間配りしてみたろころです。


苗の挿しこみ方は、
支柱の先端を差し込んで、
少し浮かせたその下に苗を差込み、
支柱を揺らしながら挿しこむと、
すんなり入ります。


挿しこみ終わったら、
ジョウロの先端を指でふさぎ、
ジョウロを下に向けたら、
挿しこんだ根元に向けて水を注いで、
土と苗を密着させます。

この方法は活着率が高いので、
サツマイモに限らず行っている方法です。


次は、ジャンボ落花生の種蒔きです。

株間は80センチとやや広めですが、
葉の広がりかたも大きいので、
チョット狭いくらいです。


昨年は発芽率が悪かったので、
覆土は浅めでスタートしてみます。


覆土が終わったら、
カラス除けにネットをで覆って完了です。


場所を変えて第1農場での作業です。


種芋にしていた里芋が全滅したため、
購入種を仕入れて、
再スターをです。


ひとまず畑全体を耕運して、
明日の植付けに備えます。

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畑の準備

2018-04-28 20:49:12 | 野菜
午前中は通院のため、
午後から畑のスタートとなりました。


本日は第2農場のみの作業となりました。

3週間前に種蒔きした長ネギが、
ようやく発芽が揃った感じです。

ベタ掛けをやり直して正解だったようですね。



今年はサツマイモの畝を4本に増やしてみました。

土を上げる作業は、
耕運機のアタッチメントだけでは足りないため、
鍬で高畝を造りました。

明日は植付けを行いますが、
腰がすでに痛くなっています(^^;

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自分へのご褒美

2018-04-21 23:57:35 | 日記
色々有った東北の復興支援、
自分へのご褒美で、
最後に大船渡温泉で疲れをいやしました。


部屋からはとても美しい水面が広がっていて、
ここで災害が有ったことが想像出来ません。


翌朝は朝日が昇る湾を眺めて、
温泉につかり、
岩手最後の美しい景色を眺めることが出来ました。


新幹線のクレジット伝票、
初年度は捨てていたのですが、
2年目からためてみたところ、
高さが12センチを超えました。

ピーク時は月給を超える35万円を超える立て替え払い、
ようやくひと段落して、
今では岩手の生活が続いているような、
不思議な錯覚を覚えます。

いよいよ畑の時期になりました

2018-04-21 23:44:23 | 野菜
本日は真夏のような暑さとなりました。

東北から帰ってきて、
暑さがこたえます。

さて本日の作業は、
GWに向けて耕運作業が中心ですが、
まずは2週間前に種蒔きした第2農場の長ネギのチェックをしました。

奥の方のべた掛けが密着してる所では発芽が確認できましたが、
密着していない所では発芽が見れなかったので、
再度べた掛けを丁寧に掛けなおしました。


写真奥の方は、
今年はサツマイモと豆類を植える予定です。


ニンニクは花芽が出てきたので、
少しですが収穫いたしました。

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単身赴任を終えて4

2018-04-10 18:56:14 | 日記
東日本大震災で亡くなられてた方には、
改めてご冥福をお祈りいたします。

このような災害がきっかけで、
岩手県で仕事させていただいたこと、
そして沢山の方と出会えたことに、
感謝しています。

この5年で私も共に成長させて頂いて、
次に備える事が出来ました。

さて、今回は県南3市を振り返ります。


単身赴任の居を構えた釜石市中心市街、
赴任当初は住宅需要が飽和していて、
ようやく借りれた古い一軒家を4人で共同生活がスタート、
それもこの先道が無い=人が住めない山の上、
玄関開けると鹿とこんにちは、
家の下にはハクビシンが住み着き、
座布団を上げるとムカデが飛び出してくる。

私以外は単身者なので、
新たに見つかった古い家に引っ越しましたが、
私は約1年その家に住むことになりました。

冬は水道が凍結するので、
水抜きすれば、
配管の錆がストレーナーに詰まるので、
トイレと給湯器の配管を毎晩外して錆を掃除が必要、
翌朝10から東京の新宿で会議が有るため、
3時半起きで凍る坂道を下り、
帰ってくれば積雪で深夜に30㎝の雪かきして駐車場に車を入れる経験、
会社役員さんが「しょうがない」というから、
私と1日でも同行させてあげたいと思う環境でした。

年末の寒い時期に引き渡し前の社内検査と言うことで、
役員さんが来るということで、
経費削減のため私の住まいへ来ることを提案、
氷点下の家で700Wの電気ヒーターひとつで、
木造一軒家の寒さを体感させてあげ、
一睡も出来なかったということで、
石油ファンヒーターを経費で購入することを承諾させた事が無ければ、
経費で必需品さえ購入できない環境を打破できなかった時代です。

出張旅費や遠隔地勤務の改革に少しは貢献したけど、
役員さんからの評価は当時は最低だったと思いますが、
発注先から必要とされたことでプラマイゼロになった感じです。


そんな環境も日を重ねるごとに改善し、
1年後にはどうにかやりきれない状況から
ギリ間に合わない位に改善していきました。



釣りバカ日誌でも映った釜石観音の後ろ姿、
身近にあるほど知らないので、
製鉄記念館から写真を撮ってみました。


赴任当初は街に店も少なく、
19時を過ぎると、
駅前でさえ人が歩いていない状況でした。

夜行バスで東京へ戻る際、
駅周辺の仮設商店街に有ったラーメン店の、
「こんとき」さんに立ち寄らせていただいて、
バス待ちさせていただいたので、
ご挨拶がてらおじゃましたところ、
「おらんとこも今月一杯なんだ」と、
移転先も決まってなく、
奥さんも体調が良くなさそうなので、
もしかしたら閉めてしまうかもと。

今度帰ったときには、
元気な姿を見れることを願ってます。



以降は勤務場所が特定出来る写真しか残っていないので、
差し支えない写真でご紹介します。


昨年オープンした大船渡市中心市街の商業施設キャッセン、
当時は町が復興しているようで復興していないような感覚でしたが、
通うごとに作業服以外の人が多くなっているので、
復興している実感を確認できました。

この時には大船渡市の復興住宅整備は希望数の100%にたっしていたので、
あとは希望する所に入れるかの問題かなと。


中心市街を上空から撮影してみると、
まだまだ、茶色い景色、
大船渡市なら今年度で復興宣言出来ると確信しています。


キャッセンをまたぐ川を河川改修して、
親水性をもたせて造成してみたところですが、
昨年の大雨の土砂流出で、
飛び石が土砂で目え隠れする惨状となりました。


東北は治水事業が関東と比べると、
感覚的に低いようで、
同じ災害を繰り返す傾向がある様に経験しています。

私が居を構える釜石市も度重なる水害を経験していのいるが、
整備が遅れている実態からすると、
水害はしょうがないと諦めている感じがします。



陸前高田市の奇跡の一本松、
壊滅的な被害の中、
波除となった構造物の影響が有ったのでしょう。

こうして振り替えると、
構造物の強度が、
残るか流される影響をかなり大きく左右する事を感じます。


面整備が続く中で、
ポツンと取り残された建物、
震災遺構となった下宿定住促進住宅、
かさ上げの盛り土が迫って、
この周囲も整備が進むのでしょう。

震災から7年でここまでしかと思われますが、
用地買収など、
沢山の試練を越えて来たことを、
少しでも多くの方に知っていただきたい。

大槌町では、
用地買収を担当された、
関西からきた派遣職員が、
苦悩の末、
命を絶った事件もあり、
過重労働から、
建設業者の職員が過労死したり、
岩手県の復興の現状はいまだに問題を抱えています。

暗い話ばかりではなく、
少し明るい話が、
整備の終わった高台では、
商業施設がオープンし、
少しずつですが復興しています。


この5年で見たこと、
経験したことは、
きっと生涯の中でも大切な時間となるでしょう。

久しぶりに畑

2018-04-08 18:20:32 | 野菜
帰宅して最初の土日、
気になっていた畑の作業がようやく出来ました。


第2農場の様子です。
長ネギは坊主が出来ていて、
食用に出来ないので、
どうするか次週までに決めます。


ラッキョウは去年に比べると、
葉の勢いが良いので、
今年は暖かい年だったんだと思いました。


ニンニクも去年より茎が太く、
豊作の予感がします。


今年の長ネギは、
種蒔き時期からホワイトスターに決めました。


2袋を苗床に蒔いて、
しっかり踏みこんで種と土を鎮圧して、
べた掛けシートを掛けたら散水、
最後に防虫ネットを掛けて、
発芽を待ちます。


第1農場は特にやることも無いので、
耕運して、
通路に防草シートを敷きました。

今年は復興支援事業の行方次第で、
どうなるか判らないため、
特に作付しないでいるか迷っています。


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単身赴任を終えて3

2018-04-07 18:26:09 | 日記
山田町の南側、
大槌町を振り返りたいと思います。


始めて来た大槌町の職場は、
川沿いにあり、
インフラ状況を確認した帰りに、
土手を歩いていると、
桜が咲き始めて、
東京との気候差を感じました。

奥さんの実家の青森県より南側の岩手県なら、
平年並みなのかなと思いながら、
桜を愛でました。


当日は溜っている仕事をこなすため、
事務所で深夜まで仕事して寝泊まりして、
翌朝は気晴らしに土手沿いを散歩していると、
被災した中学校を眺めながら、
こんなところまで津波が到達した事を知りました。


被災した中学校を近くで観てみると、
当時のまま残されていて、
津波の力を間近に感じました。


こちらは旧大槌町町役場、
この役場でも多くの職員の方が亡くなられて、
震災遺構として残すか壊すかを議論さていましたが、
今年、解体が決定しました。

ここで亡くなられたご家族には、
残したいという思いと、
有ると辛い思いの双方歩み寄れない思いが、
7年目で決着したようです。


昨年暮れに撮影した大槌町中心市街、
面整備が終わり、
次々に建物が建ち、
新しい町が造られて行きました。


帰る前に中心市街を車を転がしていると、
大槌駅を造り始めていました。

復興宣言をするころには、
駅周辺が賑っていることを願っています。


通いなれた大槌町波板の景色、
ここで観たスーパームーンは、
水面に映る月も綺麗で、
写真を撮らなかったことを、
ブログを書き込みながらチョット後悔しています。


5年前からお世話になったローソン大槌バイパス店、
震災直後は、
売上日本一になったくらい、
大勢の方がお世話になったようです。


ひょっこりひょうたん島のモデルとなった蓬莱島、
津波で浸水するも、
流されずに残ったそうです。

その強さをチョットだけ頂けたらと、
参拝してきました。


大槌湾の入り口の光景、
単身赴任で休日の過ごし方が判らず、
車を転がして海岸線を走ったところで観た景色も、
懐かしい景色です。


大槌、釜石、遠野をまたぐ新山高原のウウィンドファームから眺める大槌湾、
麓のローソン駐車場から見ると、
近く見えるのですが、
車で登ること約40分掛かります。

ここまで上がると大槌と遠野を一望で来ます。

この景色も見納めと思うと、
複雑な心境で、
まだ岩手沿岸部の仕事が有ると良いなという気持ちが、
5年の時間がこの地の愛着を抱かせているのかも知れません。

こちらでの事務連絡員とは一番長い付き合いとなり、
当初は通いで連泊となった時に、
作業服を洗濯したいけど、
当時はコインランドリーも無く困っていると、
連絡員さんが自宅に持ち帰って洗濯してくれたことで、
こちらの人の温かさに触れました。

ほんとに長い間支えて頂いてありがとう。

単身赴任を終えて2

2018-04-06 22:51:16 | 日記
担当した勤務地の最北端、
山田町の記録です。


山田町勤務当初の、
かさ上げ工事も半ばの山田町中心市街の様子です。

建物は無く、
一面マサ土が覆い尽くし、
風が吹くと痛いくらいの砂嵐、
山からベルトコンベアでマサ土を排出して面整備を行っていました。


国道45号線は道路を切り替えながら、
面整備を行っていますが、
壊れた建物がそのまま残っていたりして、
ほぼ壊滅した山田町の中心市街を伝えていました。


岩手を発つ前に立ち寄った中心市街、
災害公営住宅の団地が建ち、
商業施設が出来、
集会施設が出来、
飲食店が出来、
宿泊施設や駅まで出来ていました。

始めて来た人には、
「復興しているの?」と思われますし、
地元の人らすると「まだまだ」と思うでしょうが、
当初から比べれば全く様子がかわっています。


造成した高台からの山田湾の景色、
三陸の海岸を見てきていますが、
久慈市の小袖(NHK朝ドラのあまちゃんロケ地)、
北山崎の断崖、
浄土ヶ浜の海辺の景色も綺麗ですが、
オランダ船が漂着した山田湾の美しさは、
三陸で一番美しいと思います。

山田町は海の幸だけではなく、
赤松に自生する松茸のの名産地で、
岩手県の山田町と岩泉町の松茸は、
日本でも有数の産地となってるようです。


この地の事務連絡員さんは、
話していると同級生と判ってから、
ぐっ~と距離がちじまって、
何でも話せる親友と言える仲になりました。

岩手に来て、
まさか親友と言える人が現れるとは、
思ってもいませんでした。


彼女は7年前に被災して家を流出しているので、
心配で帰る前に話したところ、
まだ引越し出来ていないと聞きました。

この先も連絡を取りながら、
再会出来ることを願っています。

単身赴任を終えて1

2018-04-03 22:47:10 | 日記
4/2にようやく単身赴任を終えて、
家族のもとに帰る事が出来ました。

当時を振り返ると、
当初はすぐ造ってすぐ引き渡して、
復興を進めるという受注者の善意と、
発注者側の瑕疵を造らず引き渡す事が、
全くかみ合わず、
両者の不満のはけ口となって行き、
もう肉体的に精神的にも限界でした。

在京ならどうにかこなしていた業務量が、
片道約700kと半パな距離ではないので、
役員と喧嘩して退職も話しにあがっていました。

振り返ると、
5年前の4月18日に、
始めて来た時から、
過去を振り返りたいおと思います。




5年前の4月18日、
職場近くの移動手段を長時間検索して、
前夜の池袋から国際興業高速バスで、
大槌バイパスローソン前まで、
片道約10時間の夜行バスで移動して、
赴任地に赴きました。

バス停前のローソンで朝食をとり、
先に乗り込んでいた社員にピックアップしてもらい、
最初の赴任地へ向かいました。

当日は仕事が山積みで、
事務所で寝泊まりした翌日、
新鮮な空気を吸いに川沿いを散歩していると、
菜の花がとても綺麗に咲いていたのが印象的でした。



近くの被災した中学校は、
当時のまま残されていて、
その横を中学年達が仮説校舎へ通学する。

何か不思議な光景でしたが、
中学年達が通りすがりに、
「おはようございます」と挨拶してくれたとは、
東京では経験がないので、
こちらの人たちの温かさが伝わってきました。



次に向かった釜石市の漁港、
こちらも復旧工事が始まってましたが、
壊れたままの建築物や、
山の木にぶら下がった漁具のロープやブイが有ったり、
山の斜面に扉が有ったりと、
津波到達点がはっきり残っていました。



赴任当初の釜石市中心市街、
震災前はアーケードが有ったそうですが、
被災後は建物もコンクリート造か、
波表にならずに影響が少なかった鉄骨造の建物しか有りませんでした。


今ではここにホテルが建ち、
復興事業関係者が大勢宿泊されてました。


こちらは釜石市鵜住居(うのすまい)地区


震災前は住宅が建ち並んでいたようですが、
なんにもない、
塀や建物の基礎だけが、
市街地だったことを残してました。


同じ鵜住居地区の防災センター。


こちらに避難した大勢の方が犠牲になったそうで、
今では取り壊され、
整備が進んでいます。


来た当初はこの近所に瓦礫の集積所が有ったり、
ゴルフ練習場と思われる鉄柱が残っていました。

今では整備が進み、
学校、住宅、ガソリンスタンドや鉄道も出来て、
街が出来つつあります。

赴任当初の痛々しい写真は少ないので、
次は復興して行く街並みをUPする予定です。