ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】あいまい工学のすすめ 新しい発想からの工学

2007年03月15日 21時33分42秒 | 読書記録2007
あいまい工学のすすめ 新しい発想からの工学, (監修)寺野寿郎, 講談社ブルーバックス B-486, 1981年
・ブルーバックスシリーズではひさびさのヒット。今の『感性工学』につながる内容で、今から20年以上も前にこのような本が出版されていたとは驚きました。よくある最新技術の解説書的な内容とは異なり、『科学の方法』についての踏み込んだ本質的な議論までする、このような本にはなかなかお目にかかりません。内容の構成・難易度・長さなどのバランスもよく、丁寧に作られた本です。と、ぴかりん大絶賛にもかかわらず、現在絶版。なんで~~ 出版当時はあまりに時代の先を行き過ぎていて受け入れられず、最近やっと時代が追いついてきたということなのでしょうか。これはもったいない。
・執筆陣:寺野寿郎、菅野道夫、江藤肇、原文雄、森田矢次郎、合田周平、柴田碧。
・「あいまいシステム研究会は本音と建前のギャップを少しでも縮めるような新しい方法論を模索するために作られた。建前中心の世界に対してはもっと素朴な人間の本音を理解することを呼びかけ、一方、本音以外のものに価値を認めないような世代に対しては建前の効用も分からせたい。それには人間の心にひそむ「あいまいさ」を研究することがどうしても必要となる。」p.7
・「この本もたぶん、あいまいな問題をうまく処理する新しい方法論が書かれているものと想像されるかもしれない。そのような部分も若干あるが、本書でもっとも強調したいのは、むしろ、いままでの学問が排斥して来た「あいまいさ」というものが工学では非常に大切で、利用価値も高いということなのである。」p.14
・「ここで、あいまい工学と従来の工学との対比を試みよう。従来の工学の対象は機械やプラントなど、構造も、機能も、目的も比較的簡単なものばかりであるが、あいまい工学では人間や社会に関係した複雑な問題を扱う。方法論も前者が分析的・論理的・定量的であるのに、後者は合成的・直感的・定性的である。さらに言えば、前者が一切のあいまいさを排除し、厳密さを尊ぶ西洋型思考であるのに対して、後者はムダ・矛盾・余裕・未知現象などを包括した大局的で夢を持った東洋型思考なのである。」p.21
・「日本的な意思決定も、個人はそれほど明確な意思は持たないのに、周囲に同調して動いているうちに大きな仕事をやり遂げてしまう点はイソギンチャクに似ている。」p.32
・「「あいまい論理」の長所はあいまいな現象を扱っていながら、論理的な部分とあいまいな部分とをはっきり分けられ、前者は計算機を使って精密につきつめてゆくことができるし、後者の部分は人間が経験や直感を生かして弾力的に運用することができる点にある。」p.35
・「情報の媒体は物理現象として扱えるけれど、情報の内容となるとそれを発信したり、受信したりする人間の心情の問題であり、工学的に扱うことは非常にむずかしい。」p.37
・「情報という言葉はいろいろに使われるが、ここではこれを「一般に生物がより良く生きてゆくために利用する知識」と考えることにしよう。」p.37
・「別な見方をすると、自分の脳細胞を言葉という電線を使って他人の脳と接続したことになる。したがって、二人では脳の情報量は二倍になり、社会全体では大変な頭脳を持った巨大な生物とも見られる。」p.38
・「現在、"情報工学"の分野では情報伝達時の間違いと伝達量だけを問題にして、情報の質についてはまったく触れていない。」p.40
・「したがって、情報の質を研究するということは、いわば人間の精神作用そのものを研究することと同じであり、あいまいなものにならざるを得ない。」p.41
・「誤解をへらすためには話し手と聞き手の間にある程度、共通の背景がなければならない。ある情報工学の先生の話によると、人間のコミュニケーションというのはこの共通部分が30パーセントから70パーセントの場合に限り有効なのだそうだ。」p.50
・「言語の中でもとりわけ日本語は外国語と比べてあいまいだと言われることがある。日本語のあいまいな言い回しに精通しているからそう感じられるのか、日本語そのものがあいまいな構造をしているのか、あるいは、言葉以前の日本人の意識や行動があいまいなのかは読者の判断にまかせよう。」p.55
・「区別とは、神を畏れぬ行為であり、あいまいさは人間として甘受しなければならない。」p.67
・「この辺で、あいまいさにかけてはチャンピオンである政治家に登場願おう。」p.70
・「「真実は分析にあり」と「真実は総合にあり」とが、コンピュータと人間の差といえる」p.87
・「あいまいさは、異質な価値を認め、それらに好奇心を抱くとともに、自らの価値基準を多様かつ多面的なものの一つとして弾力的に捕える。こうした思想は21世紀に価値ある文化を築くだろう。」p.98
・「あいまい集合と密接な関係にある<あいまい理論>というのは、排中律が成立しない論理である。」p.113
・「本書で議論するあいまいさは確率論が対象とするサイコロを投げて6の目が出る確率といったような不確かさとは異なったもので、一口で言えば、人間の主観性による不確かさのことである。」p.118
・「シュロスベルグによれば、人の顔による情緒表出は、配慮―拒絶、快―不快および睡眠―緊張の三次元の尺度の上に配分することができ、それはかなり信頼性をもっていると言われる。」p.159
・「顔は人の体という「システム」の状態のすぐれた表示器官であるばかりでなく、人は顔の部分の微妙な変化や、顔全体としての総合的特徴を識別し、認識する優れた能力を持っていると言える。」p.159
・「そこで、「顔」そのものを一つの道具として、この多次元データの表示に利用してみようというアイデアが、米国・スタンフォード大学のチャーノフ教授によって、最初に提案された。」p.160
・「真の特徴はむしろ人間が一見関係のなさそうな二つの要素の関係をたずねられて、想像力を働かせ、あいまい関係を創造するところにあると思われる。」p.177
・「今年、大学院生のI君は道に迷う機械を作った。「迷わないようにする機械の間違いではないの?」と怪しまれるだろうが、そうではない。」p.190
・「人間が迷うのは、むしろ知恵や能力のあることの証拠なのである。」p.191
・「近年とくに、複雑なもの、わけのわからぬもの、あいまいなものを計って欲しい、という要求が産業界から聞かれるようになってきた。」p.197
・「これらはいわば従来の理工学的手段の実利的な面で、その実利性と、手段を支える背景にある「あいまいさのない理論」の魅力のゆえに近代の科学技術はここまで発達してきたことは事実である。  しかし、これらの事例は、「人間の感覚は、機械的にはこみいった複雑なものを一気に総合して、うまい、まずいをきめることができる」「苦労して機械的なデータを積み重ねてゆく過程で結局よりどころとしているのはわれわれ自身の感覚である」という別の意味で非常に重要な事実を私たちに提示しているように思われる。」p.199
・「もしかすると、私たちが生まれつき、備えている五官の性能のなかに、従来の科学技術的な考え方を根底から覆してしまうような方法論、理論の鍵が潜んでいるかも知れない。」p.200
・「要は、自然に存在するものは、本質的に、人間の心で作りあげているあいまいでない理想像にはうまく適合しない面をもっているのである。」p.203
・「皮肉なことに、科学技術は、柔軟な考え方をする人間によって大きな飛躍を遂げてきた。筆者は「あいまいさ」は人間のなかにある「厳密さ」、「合理性」、「理想化」が暴走しないための安全弁のようなものであると思う。「どこがあいまいなのか」と問われれば、「人間の考えのなかの非あいまいな概念が、現実とうまく適合しない……そこがあいまいなのである」と筆者は答えたい。自然界は「あいまい」でも「厳密」でもない。」p.205
・「1が無限に長い、矛盾のない線で、時間というものをとらえている西欧思想を代表しているとすると、ループはある意味で無限の環をなしている。これは物事を輪廻という考えに帰着させる東洋思想に似ていなくもない。」p.214
・「それではあいまい論理とはなんであろうか。これにはさまざまな考え方があろうが、筆者はこれをつきつめればやはりバック・グランドの問題であろうと考える。」p.240

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