ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】カザルスへの旅

2007年01月03日 22時34分29秒 | 読書記録2007
カザルスへの旅, 伊勢英子, 中公文庫 い-76-2, 1997年
・ただただ『カザルス』の文字にひかれて手にした本。著者は絵本作家で、札幌出身の趣味にチェロを弾く人物。カザルスの足跡をたずねてのヨーロッパ旅行、学生時代のパリ留学、宮沢賢治にひかれての東北旅行などの旅行記。
・「カザルスは13歳の時、バルセロナの古楽器店でバッハの無伴奏セロ組曲の楽譜を発見し、12年かかってそれを生きたバッハに変えた。(中略)カザルスはバッハを再創造したのだ。」p.38
・「カザルスは愛の人だった。そして無欲な人だった。愛は何よりも強い――その信念が、全ての行動、演奏、栄誉、歴史につながっていった人だと思う。」p.39
・「父親が病気でオルガンを弾けなかったある日、代理に弾いて教会を出た7歳の少年カザルスに、いつも教会の扉の外で、その父親のオルガンを聞いている靴屋のおじさんが「パウ、今日のおとうさんはよく弾けたね」と言ったという。」p.42
・「Francesco Bissolotti:Association Cremonaise Luthiers Artisans Professionnels (略A.C.L.A.P)――クレモナ楽器制作芸術協会、とでも訳するのだろうか、そこの会長だったのだ。」p.69
・「小学校四年生の時に、お金がなくてケンカしている両親の様子を詩に書いて、文集にのせられた。六年生の時には、おじいちゃんの泣く姿を詩に書いた――私には人間のみにくいできごとが生そのものであった。反面、高潔な魂にふれるとおののき、身震いし、ひれ伏したい衝動にかられた。いつも自分はみにくいと思っていた。」p.110
・「たまたま、セロが上達するまでの形で語られているけれど、これは、芸術のための「修練」や「克服」をどのようにやったかということを、子供にわかりやすく描いた物語なのではない。己れの修羅を昇華して、今在る以上に精神を少しでも高めたくて血をはく思いで努力している途上の賢治自身の告白ではないのか。」p.197
・「きっと大曲でも名曲でもないエキセントリックな、演奏会に適さない曲を(私はポッパーのハンガリア狂詩曲を想いおこした)」p.202 なんでこんなところでこんな曲名が。不思議な符合。
・「人は悲しいかな、「その時」が去った時に、完璧に表現し得るというパラドックスを持っているのではないか。」p.205
・「絵描きなら誰もが一度は描いてみたい世界をもっている数々の童話、私も何度絵本化、具象化を試みたことだろう――しかし、全ての絵は徒労に終わっている。何故か? 賢治はことばとリズムでもって全ての色彩を語り尽くしているからだ。それもかなりのリアリズムを持って。」p.205
・「東京の宿で一ヶ月間童話を書きつづけたいた時、その間に三千枚もの原稿用紙を文字で埋めつくしたという。しまいには文学が紙面から飛び出してきて私にむかっておじぎをするのでしたといった賢治。ああ、やはり彼は一生けん命やりすぎて、幻覚が現実そのものであった。」p.209
・「「賢治のセロは鈴木製の、時代のいい時のものなんです。いいセロです」 と清六さんはおっしゃって、 「f字孔から賢治が筆をいれて、M K、1926とサインしてあるんです。記念館に行ったらのぞいてごらんなさい」」p.210
・「ゴーシュとはフランス語で左という意味であるが、へたくそという意味でもある。数ヵ国の語学にたんのうだった賢治のこの涙のでそうなほどに悲しいユーモアを、今私はじっと心の中でうけとめている。」p.212 ヘェー

?エスキース - Esquisse(仏、英) 美術用語。 作品の構想を固める時、多くのスケッチやクロッキーをもとにして、全体の構図、配列、配色などの研究を目的につくる試し描き。

《チェック本》柳田国男『遠野物語』

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