もうずっと前から気になり続けていたはなし

2017-06-23 23:18:59 | Weblog
何のことはない、これは自分が昔、別のところで書いたブログだ。誰もこの方に気が付いていなかったのかなあ、カルメル会の故田中輝義神父様。。。。

こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはんは昨日、四ツ谷に出かけて、教会の中の図書館で「ナムの道もアーメンの道も」っていう本を借りてきたの、全部で3冊借りたんだけどあの人、これが一番読みやすい感じだし,わかりやすそうだからこれからいくかって、朝から一生懸命読んでるわ。どれだけわかったのかわからないけど、まあ、面白くなければ読むのを止めちゃう人だから、面白くなくはなかったみたい。

何を回りくどいことを言ってるんだって言われたって、ケータイのあたしにわかるわけないじゃないの。あの人の生まれ育ったところはナムアミダブツじゃなくて日蓮さん以来のナムミョウホウレンゲキョウのほうだけど、鎌倉時代からの土地の人間よ。知らず知らずに身についた感覚ってのもあるじゃない。

日蓮さんのほうのご宗旨はあんまりおとなしくないところもあるけれど、やっぱりキリスト教とは一味もふた味も違うところがあったりするのよねえ。

「ナムの道もアーメンの道も」って、大阪教区の藤原神父様という方が、もうお亡くなりになってしまわれたけど、カルメル会の神父様だった田中輝義神父様のお話をもとにまとめたものなんですって。この田中神父様ってもう何十年も昔、うちのおばはんがカトリック雑誌で神父様の書いたものを読んでずっと気になってたんだけど、全然表に出てこないし、出てきたと思ったら訃報だったんだわ。

出てこなかったはずよ、ずっとトラピスチンの観想修道院のチャプレンをして外に出なかった方だったのね。カルメル会の司祭のほうは修道女と違って、外での活動が多いのにこの方は同じ観想会でも一生を賭けて「永遠」を追い求めていくトラピスチンのシスターたちの傍らにいたんだわ。なんかさあ、ロマンを感じちゃうなあ。

うちのおばはん、健康状態はまるで適さないけど、「永遠」ということばにひきつけられてることではちょっと相通ずるところがあるとか言ってるわ。そうなのよねえ、あの人、終わりのないものとか、尽きないもの、なくなることのないものがほしい人なんだもの。でも現実的じゃないわ。

それでも本は一生懸命読んでるから、何か参考にするんじゃないかしら。その本を読むと日本のカトリック教会の現実の意味がよくわかってくるらしいわ。日本て、やっぱりキリスト教の信者がものすごく少ない国で、時代が変わっても仏教とか神道の深い影響は簡単に否定できるものじゃないし、、逆にお互いの違いと共通点をもっとよく知ってそこから見直すしかないみたいだしさ。

それがあの人が書きたい話とどうつながってるのかは、あたしには今のところよくわからないわ。まだ当分読む本があるから、あの人、ブログもサボって、当分本ばっかり読んでる感じよ。まったくそんなんでいいのかしら、考えちゃうわ。

あ、もうじき4時じゃないの、今日はまた四ツ谷のほうに行くんでしょう。支度しなくちゃ。そういえば、明後日はカテドラルの新年の集まりに行くとか言ってたわ。とりあえず方向が見えてきたら、急にあっちこっち出かけるようになってきたのよ。変な人、まったく。ほんじゃ、またね。