いもうとよー最終回

2017-06-03 20:59:51 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す

この間ねえ、うちのおばはんとおばはんの弟と、義理のお母さんの三人で集まってこれから先どうするか話し合ったのよね。みいちゃんが死んじゃったからほんとに寂しい話し合いになっちゃったけど、仕方ないんだわさ。まあ、それでもさあ、三人しかいないのにあんまり心配したって仕方がないって、この先のことはとりあえずは成り行きにまかせるってことになったのよ。上総一ノ宮の家と土地を処分するったって今の状況じゃなかなか買い手もつかないし、とにかく相談できるところに相談していくしかないもんね。

妹のみいちゃんが死んでしまったのはやっぱり家族一同にとっても影響は小さくなかったんだけど、だからっていつまでもそこで止まってるわけにもいかないじゃないの。生きている家族には、まだまだこれから先も明日があるんだしさあ、ただ、うちのおばはんがずっと思っているのは、みいちゃんの人生が何の意味もないものだった筈はないし、あんなことで終わりになってしまったけれど、それでもそこにも何かの意味があってそうなったんだっていうのよ。

あの人は、なんだかんだっていってもキリスト教の神様を信じているから、この世で起こるどんなことでもすべて全部のことに、それがどんなに不条理なことであっても何の意味もなく起こっているものなんてないんだって思ってるのよ。喜びも悲しみも怒りや苦しみも、どんなことでもすべて、年月が経つとあっという間に忘れられていくけど、でもそれはみんな決して無意味なことだったんじゃないって信じてるのよ。そういうこと全ては、ただの人間の思いからなんかじゃ、とても計り知れないような大きな大きなお方の手の中で、壮大な大宇宙の運行の一部としての意味があってそうなっているんだって思ってるみたいよ。

カトリック教会の復活祭の蝋燭に釘を打ち込むときの言葉は、ただのきれいな言葉を並べてるんじゃなくて、ほんとにほんとの真実なんだって思っているのね。みんなさあ、自覚していようといまいと、すべての人間は本当に本当にちっぽけな存在じゃないのよ。そうして見ると真実永遠のお方は神様だけだし、すべての出来事の意味をご存じなのも神様だけってことでしょ。

そしたら、ちっぽけな人間にできること、人間のするべきことって、ただただ神様に頭を下げることだけなんじゃないのかしら。起きたことを受け入れて次に進んでいくことだけなんじゃないかしら。そして、それが一番大切なんじゃないのかなあ。みいちゃんの一生がなんの意味もないものだったなどと誰に言えるのよ、みいちゃんの一生の全てをご存じなのは神様だけなんだわ。うちのおばはんは実の妹のことだから、やっぱりたくさんの後悔はあるみたいけれど、この先はただただ神様の手にお任せするしかないのよね。

そんなことを言ってたら、今日はねえ、あの人、土曜日だから夕方の主日のミサに吉祥寺教会に出かけたのよ。そしたらさあ、今頃になって初めて吉祥寺教会の守護者はほかの教会みたいな聖人じゃなくて、なんと聖霊にささげられた教会なのに気がついたのよ。あたしもびっくりだわ。

あの人は聖霊が大好きなのよ。聖霊の続唱の祈りの言葉が大好きなのよ。あなたの光の輝きで私たちを照らしてくださいって歌うとき、本当に心の迷いや闇を照らして正しく進めるように助けてくださいって祈ってるのよ。その聖霊の教会だったのに何と今日まで気が付かなかったんだもん、あきれちゃうわ。今は亡き井上洋治神父様の風の家のミサで唱える南無アッバの祈りも聖霊の働きを言ってるから大好きなのよね。それこそこの先は聖霊の導きをお願いするしかないみたいだわ。というわけで、長話になったけどみいちゃんのことはここでおしまいよ。

それとあの人、いろいろ考えて、今後はブログはexciteもgooもちょっとお休みするみたいよ。なんかねえ、公開にしたくないらしいの。だから当分はfacebook だけに書くみたいよ、動画の紹介なんかはgooでもexciteでも出したいときは出すけど、文章は嫌みたい。だってさ、あの人の書くものを見て利用しようって人たちもいるんだもの、そりゃそうだわさ。とにかくブログは当分休業よ。ほんじゃ、いつかまたね。