子供の貧困て何だろか

2013-05-31 14:30:41 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。

昨日はうちのおばはんが、朝からどうしようもなくなっちゃったパソコンのリカバリーを始めて、一日がかりだったからブログも大幅に手抜きだし、ほんと、何にも出来なかったのよ。ここしばらく誤魔化し、誤魔化しでなるべくリカバリーしたくなかったらしいんだけど、とうとうIEとファイアフォックスがまたぶつかり合いを始めて手に負えなくなっちゃったのよね。

おかげで今度はファイアフォックスをはずして、グーグルクロムに入れ替えてみて、やっぱりファイアフォックスのほうがよかったってぶつくさ言ってるわよ。タブレットを使いこなすのにパソコンと同期させての使いやすさで、パソコン側にもIE以外のブラウザを入れてるんだけど、一番簡単なオペラだけじゃグーグルの関連のところで弾かれちゃうのよね。まったく余計な手間ばかりかかるんだわさ。

それはとにかく、おかげでリカバリーの後のセットのやり直しで今までと違うものを見たり、取り込んだりしたのよね。あの人、食わず嫌いで今までは名前を見ただけでこんなの駄目って決め付けて見たこともなかった、ドリアン助川さんという人が実物は大変な才人なのを発見して見直しちゃったり、今まで気にもとめなかった子供の貧困て言葉に引っかかって調べなおしたり、パソコンの環境変化もたまには必要かもよ。

子供の貧困て、結局親の貧困なのね。うちのおばはんは昭和24年生まれだから、小学校の時の同級生の子の中には、まだ第二次世界大戦後の日本の復興の手が届かずに掘っ立て小屋に住んでいた子もいたのよね。お父さんが急死してお母さんが小学校の給食の業者に雇われて働いていた子もいたっけ。あのころの学校給食は大手の業者じゃなくて、学校ごとに作ってたのよ。サラリーマン家庭ばかりじゃなくて、農家の子も多かったんだわ。

世の中全体が貧しかったから、子供の貧困にも何も、貧困ていう言葉自体聞いたこともなかった時代よ。それが半世紀たった今は、すごく変なことになっちゃってるのね。これからの時代は小さいときからの英語教育とか、昔とは比べ物にならない話になってきているけど、教育ってお金がかかる現実があるのに、家庭の経済状況で必要な教育の受けられない、出だしから競争に負けている子たちが出てきてるって、なんか情けないじゃない。どこがどうなってこんな世界になってきたのかしら。

本当に優秀な子だったら、昔も今もたぶん何かの形で外部からの援助も期待できるかもしれないけど、どうも今の時代は何かがどこかで間違っているような気がするんだわさ。誰でもみんな同じように大学に行って、同じように就職して、同じようにほどほどの人生を送ろうっていう考え方自体がどうも何かおかしいんじゃないのかなあ。

本当に優秀な子が貧しさのために進学できないのだったらそれは社会の損失になると思うけど、現実には他の才能はあるけど勉強には向かない子供とか、一人一人の個性の違いっていうのもあるんだし、簡単に決め付けられない気もするんだけど、まあ、それはそれとして、出発点のところで出来る子まで貧しさが原因で落ちこぼれちゃったりしないようにする必要は絶対にあると思うのよね。

子供の貧困て言う言葉は、言葉自体がまやかしなんだと思うな、根にあるのは社会の貧困、精神の貧困てことじゃないのかしら。わあ、うっかりやたらな事を言っちゃったみたい。これ以上言うのはやめとこうっと。

天気もいいから今日はあの人、この後はお洗濯して夕方は出かけるつもりみたいよ。そんなわけで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

 


お知らせ

2013-05-30 21:54:48 | インポート

※ 本日はリカバリーが終わっていないので簡単に終わります。

 

       聖体の祝日にあたって、教皇さまの意向による聖体礼拝

         日時 6月2日 日曜日 17畤~18畤

         場所 東京カテドラル 聖マリア大聖堂

         司式 岡田大司教 幸田補佐司教


パンとぶどう酒のこと

2013-05-29 22:26:26 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日もあたしの出番よ。うちのおばはん、さっき夕方に四ツ谷のミサに出かけてきたんだけど、喉が痛くて全然声が出ないのよね。土曜日までによくなるかどうか、これはちょっと怪しいんだわさ。咳は止まってるのにやっぱり喉が痛いのよね。梅雨入りしたって話だし、季節の変わり目って油断するとすぐこういうことになっちゃうんだわ。

それでも明日は木曜日だから、少しは聖書を読んでおく気になったらしかったんだけど、あの人、気が多すぎよ。ちゃんと今度の日曜日の聖書の箇所を読んでたかと思ったら、いつの間にか正教会のご聖体ってどんなんかなあ、って気になっちゃったらしくて写真検索してみたり、ふらふら遊んでばっかりなのよ。

やっぱりさあ、ご聖体って元々が本当に飲んだり食べたりする食べ物、飲み物のパンとぶどう酒だから、現実に目の前にあるわけじゃない。パンていつごろの時代にどういう風に作られてきたのかとか、ぶどう酒だって、お酒つくりの原理を昔のひとはどうやって発見したんだろう、とか興味が尽きないのよね。

だけど日本人の場合、キリスト教の教えは悪くないけど、キリストが磔になっている形の十字架は気持ちが悪いという人がけっこういるのよねえ。ご聖体のパンとぶどう酒が本来、キリストの肉と血を意味していたなんて想像しただけで気分が悪いって言う人だっていそうな感じよ。

罪を許す生け贄の子羊キリストの肉と血、って簡単にまとめちゃっても果たして信者ではない普通の日本人に通用するかなあとかさあ、うちのおばはん、根が理屈っぽいからああでもない、こうでもないって考えて、それでほんとのところ何もわからないのよ。これはたぶん、もっと素直に簡単に考えなきゃだめなのかもしれないわよね。

だから昔、どなただったか、「聖体顕示式の荘厳さはムードです。でもそのムードも信仰の助けとして必要なのです」っておっしゃったんだわ。ある種、説明しようもないものは、「目には見えねどさやかなる何者か」を感じ取るしかないのかもね。

でもさあ、あの人自身は自分で昔、公園のお風呂ダヌキに書いたみたいに、ご聖体はどんな人でも怖がらないでご自分のそばに近づいてきてほしいとお考えになったイエスさまご自身なんだって思ってるのよねえ。これは理屈じゃない感じだわ。

今夜はもうこの辺でおしまいにしたほうがよさそうよ。あの人、本式に風邪がぶり返さなけりゃいいけど、ちょっと心配よ。ほんじゃまたね。

 


便利食品

2013-05-28 21:59:03 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは季節の変わり目で一日のうちでも暑くなったり寒くなったりしてるこのところの陽気に対応仕切れないで、また風邪ひいたみたいよ。喉は痛いし、咳は出るで、食欲もなくて、お水ばっかり飲んでたのよねえ。

そんなんじゃあ、風邪も治らないからせめて野菜スープくらいつくったらって言ったらやっと、一番簡単でおいしくて飽きない、ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、しいたけにベーコンで全部さいの目切りにして煮込むだけって言う誰にでもつくれるスープを作ったわよ。やっぱり調子のよくないときは、子供の頃から好きだった味が一番みたい。この野菜スープがおいしかったから、あの人、明日の朝はスープの残りに押し麦を入れて煮込んで簡単麦雑炊にしてみるんですって。

今の麦って、ご飯に入れて炊くときに便利なように一回分ずつ、小分けにしてパック入りになってて使いやすいのね。ご飯も炊いたのが冷凍してあるけど、ためしに麦で雑炊にしてみるつもりらしいわ。お米より食物繊維も多いし、変った食感がたまにはいいんですってさ。いつもそれじゃ絶対いやになると思うけど、たまにはいいんでしょうね。

それにしても、たまねぎ、ジャガイモ、にんじんて本当にお役立ち食品よね。これがあればかなりのお料理が出来ちゃうもん。卵があれば、これとたまねぎ、ジャガイモでスペイン風オムレツに作れるし、たまねぎは生でもいためてもおいしいし、ジャガイモだって、千切りにしてさっとゆでると、中華風のサラダの材料になるし、便利なもんだわさ。

そういえばこのごろ、うちのおばはん、手の指まで関節の具合が悪くなって、ちゃんと自分で粉からこねこねして、パンやうどんを作るのをやめちゃってるのよね。前はパンに凝って、ちゃんとイーストから何からおいてたんだけど、このごろはこねこねしないお好み焼きみたいなものしか作らなくなっちゃったんだわ。

パンてさあ、聖書のなかでもパンとぶどう酒って言ったら一番重要な食べ物、飲み物じゃない。あの人、パンに凝っていたころはパンの歴史とかもすごく詳しく調べたのよ。種入れぬパンて、醗酵菌を使わない、一番簡単なパンだから、ご飯を炊くのが面倒なときは簡単に粉を練って、薄焼きにして食べてるけど、それを焼くたびに聖書のパンのことを思い出すみたい。

カトリック教会のご聖体もパンて言ってるけど、イエス様の時代のパンはあんなちっぽけな形だけのものじゃなくて、無骨なパンだったはずよね。あの人、自分で焼く薄焼きパンを焼くたびに、その昔のイエス様の食卓にのぼったパンてどんなのだったのだろうって思い出すんだわ。ほんとに、どんなパンだったのかしらねえ。

なんか、つまんない話で長くなっちゃった。このへんでやめとこっと。 ほんじゃまたね。

 


何もない一日

2013-05-27 22:20:11 | インポート
今日は朝から福祉事務所の電話があり、昼ミサの帰りに事務所に寄って、介護保険の手続きに必要な書類を書き込んできた。これでやっと一番面倒なところが進み始めたわけだ。これがなんとかなれば次は四谷のどなたかに今後のことの相談を聴いていただかねばならぬが、まあ焦らずにいくしかない。おかげで今日は他のことは全部取り止めになった、何もないしないうちに終わりの一日だった。

テレビも馬鹿にできない

2013-05-26 22:58:33 | インポート

NHKのEテレ、今日はすごい。古典芸能への招待「歌舞伎座新開場~こけら落とし四月大歌舞伎から~」。

今見ているのはなんと松本幸四郎で勧進帳。流石すばらしい。日本の伝統芸能のこの見事さ、なんとしてもこれから先も長く栄えてほしいもの。

テレビを見ていてつい、ブログを書くのを忘れていたけれど、これは絶対見逃せないものだと思う。


長崎の浜串教会

2013-05-25 22:47:28 | インポート
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんはついさっき土曜聖歌隊の後練習から帰ってきて洗濯をしてご飯を食べてからパソコンを開いたのよ。今日は土曜日だから毎週土曜日更新の、長崎の浜串教会の神父様の説教ブログが出てるはずだし、出たらツイッターでみんなに知らせることにしてるから、夜遅くなってもちゃんと確認してツイッターに書き込んでるの。

それでたまたま今日は聖歌隊でも長崎の浜串教会の話が出て、聖歌隊のメンバーの中には長崎に巡礼に行ったときその教会でみんなで歌ってきたって言う人もいれば、あの神父様のはなしは面白いという人もいるし、うちのおばはん、長崎と東京じゃ離れすぎてるからまさか四ツ谷の土曜聖歌隊でそんなに知られているとは思わなかったのね。びっくり仰天してて面白かったわよ。

あの人がなんで長崎の教会の神父様のブログなんか知ってるのかって言うと、パソコンを使い始めたばかりの頃にカトリックもプロテスタントも一緒のキリスト教のSNSでキャンドルズ(candles)というのが出来て、それに参加してそこで知ったの。今は余り熱心じゃないけど、キャンドルズも相変わらず続けているのよね。だから浜串教会の神父様のブログの更新の知らせも続けてるってわけ。

どうしているか気になっているお友達もいるし、久しぶりに覗いてみようとして、あの人、キャンドルズのパスワードをなくしちゃってたのに気がついて、今週、キャンドルズの事務局に連絡してパスワードを再設定したばかりだったのよ。それで今日は浜串教会の話なんかも出たんだわ。

世間は広いようで狭いって言うけど、うちのおばはんも今日はそれを実感したみたいよ。でも今日はこの辺ではなしはおしまい。ほんじゃまたね。

あっちち

2013-05-24 20:08:14 | インポート
こんばんは~、マリーで~す。

あたしが出てくるってことは、ご推察の通りよ。うちのおばはんよく火にかけたフライパンをうっかり触ってしまって腕には火傷をするし、なんか体調がよくなくて昨日も膝の靭帯は痛むし、具合が悪いときはいつもだけど、おしっこの量が少なくなっちゃって両足がいやにむくんじゃってたのよ。それでも今日は一日休んでたから、この時間は足の太さも正常になってるから大丈夫みたいよ。火傷はまだ痛いし、当分赤くはれたままだと思うわよ。あの人、うっかり屋だから、気をつけなくちゃって思いながら、ついうっかりフライパンに触れちゃったのよ。

そんなわけで今日は書く材料もないから休もうかって言い出したから、そんだったら昨日の聖書の集いの話でもしたらいいじゃないって言ってあげたの。昨日は木曜日だったから、あの人、聖書の集いに出てきたのよ。テーマはなんとも難しいあの三位一体よ。うちのおばはんでわかるわけないじゃない。

ほかの人たちも三位一体の話自体はあまり話しの中心にならなかったけど、それでもなかなか面白い、信者の集まりの話題としては勉強になったのよね。うちのおばはんも日ごろ何十年も聖歌隊でミサのたびに賛歌とか歌ってるけど、、つい最近というかこのテーマが出てきて今頃やっと、栄光の賛歌って、三位一体の神様への賛歌だったことがわかったんだし、人間と三位一体の神様の接点においでになるのがイエス様だってこともあらためて思い出せたんだわさ。ほら、ミサの時司祭がキリストによって、キリストとともに、キリストのうちにって唱える言葉の意味、重さも普段は全然頭にないのが、聖書の集いがあると、ちゃんと思い出したわけよ。ほかにもいろんな話が出たわ。

でもおうちに帰ってきて、お湯を沸かして、フライパンを火にかけて、台所であれこれはじめたら、あっという間にあっちちで火傷してその後はもうメタメタ。

まったくドジなのよねえ、うちのおばはんときたらさ。ほんでもってその後も寝付かれなくて、結局今朝起きたら足はむくんでるは、火傷のあとはばっちり腫れてるは、って言うどうしようもない状態だったわけ。あの人、最近はむくむと膝の靭帯も緩みが出てくるから面倒なのよ。3階建ての3階に住むにはもっと丈夫なあんよが必要かもね。

でもたぶん明日はちゃんと聖歌隊にもいけるんじゃないかしら。明日になってみないとわからないけど、まあまあ大丈夫だと思うわ。

今日はそんな話でおしまい。ほんじゃまたね。


過去ブログの再掲 高山右近のこと

2013-05-24 09:30:28 | インポート

2010.11.26
テスト版・・・これは結局テストで終わってしまって書かれなかった物語のあたま。
  
 まえがき

 こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。

朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。

話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。
うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。

いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。

ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。

勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。

でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。

まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。

ほんじゃあ、よろしくね。