典礼聖歌352番「聖霊の続唱」(おまけとして復活の続唱)

2014-05-31 13:40:42 | Weblog
こちらは日本語で。

典礼聖歌352番「聖霊の続唱」



もうずいぶん昔のことになってしまったが、死んだ父のために書いて、亡くなった誰かさんが横取りして原稿コピー一切どこかに消えてしまった「遠くの星」という、父の入院から死までをひとつの話にしたものの中に、最後のほうで復活の続唱と聖霊の続唱を使ったのを思い出す。当時それほど歌われなかった曲だったのだが、一般会衆は歌わなくても聖歌隊員だったので毎年歌って好きな曲だったし、父の死で、事情あって復活の続唱を入れたかったのだ。

おまけとしてこれも入れておく。

復活の続唱 Victimae pascali laudes immolent Christiani

暑い暑い

2014-05-31 11:08:59 | Weblog
おっはようございま~す。マリーで~す。

といってももう11時だけどね。うちのおばはんはちゃんと早起きしてたわよ。たださ、小麦粉をこねて薄焼きパンや、うどんに作る下準備をしてたの。結構、力仕事だって汗だくになってたわよ。さっき、テレビを見たら今日、明日は真夏並みの暑さで黄砂注意報も出てるのね。だけど東の地域の上空は冷たい空気が流れ込んできて天気が不安定になってにわか雨にも注意ですってよ。うちのおばはんは夕方出かけるつもりみたいだけど大丈夫なのかなあ。

あの人、前は土曜日っていうと夕方の聖歌隊に歌いに行ってたのに、風邪やアレルギーで咳がひどくなっちゃって、このごろはあんまり行かなくなっちゃったの。それでもこのあいだ講座で聖歌隊の責任者の方に出会ったら、連絡しなくてもいいから来れる時に来てくださいって話でほっとしてたみたい。咳き込んで歌の邪魔になりそうだからあの人も自主的に遠慮するようになっちゃってるけど、クリスマスとかイースターとか大きい行事のときは調子がよければやっぱり一緒に歌いたいじゃないの。まあ当分は下の会衆席だけど。

自分で歌うのはお休みしてるけど、あの人、歌の持つ力ってのは若いころフォークソング運動の人たちと関わってたから今でもわかってて、キリスト教の聖歌や讃美歌は大切だと思ってるのよ。耳から入って心にしみた言葉がどんなに信仰の助けになるかも自分でもわかってるのね。歌わなくても聞くだけでも祈りの助けになるんですってよ。だから聖歌隊ばかりは誰でも自由に参加できるグループじゃなくて、なるべくならちゃんと歌える人の集まったグループでないと困るみたい。そりゃそうだわさ。祈りの邪魔になって気が散るようじゃあんまり聖歌隊としての役にたたないもん。だから自分個人で聖歌や讃美歌を聞くときは声も歌唱力もよい人のものを選んでるんだわ。

だからあの人、森山良子さんとか本田路津子さんが好きなのよね。お二人ともうちのおばはんのどら声とは正反対の美声なのよね。それでも知り合いのプロの現代音楽の作曲家で今は大学の先生をしている方なんかは、昔、うちのおばはんが加藤登紀子さんがいいって言ったら、すっかり馬鹿にされちゃったからこのお二人でも同じかもしれないけど、音楽の専門家がどう言おうと、人の心を動かす歌い手はやっぱりいい歌い手なんだと思うわよ。まあ、いろいろなレベルはあるけどさあ。好きなものは好きなのよ。

というわけでこんなのも。

本田路津子 聖歌570番 雨をふりそそぎ



書けないときは書けないのも本当だけど

2014-05-30 13:25:38 | Weblog
こんにちは~、お久しぶりのマリーで~す。

うちのおばはんときたら、このブログにまだちゃんと慣れてないから、半分使い方の練習も兼ねて今、一日に何度も更新して、試してるからだいぶここの様子もわかってきたみたいよ。もっともこのところ、ここはなんだか雑記帳って感じで、なんでも入れてみては、操作を間違えて同じ記事が何度も続いて出てたり、なんかまとまりがないけどさ、当分はちょっと我慢してやってね。

おまけにさあ、急にplalaブログからこっちにインポートした分のアクセスが増えちゃって、びっくり仰天してあわてふためいたり、あの人がここに完全に慣れるまでまだまだごたごたしそうだわ。

毎日の訪問数と閲覧数いつも大体そんなに大きく違わなくなって、毎日一度の更新で、別にそんなに多くなくても平均的なアクセス数になれば落ち着くんだけど、もうちょっとかしらね。

だけどあたしとしては、どっちかっていうと、そろそろブログより原稿のほうに手をつけてほしいのよね。あの人ったらちょっと逃げ腰なのよ。まったくしょうがないんだからもう。あたしに仕事を頼んだくせに、お話のストーリーもまだまとまらないなんて、どうなってるのよねえ。そりゃあさあ、この仕事に手をつけようとすると、妹のことを思い出しちゃって辛くなるからいやなのよね。それはわかるけど、逃げててどうすんのよ。妹の確認に家族がそろって西千葉警察に出かけた時はお正月のお飾りも取れていないころだったけど、あれからどんどん時間は経ってるのよ。まったくもう、もっとちゃんと前を向いてほしいんだわさ。

北海道のおびひろ動物園のちびライオンだって、まだ1歳にもなってないのにおとうさん、おかあさんや妹と離れて独り立ちでがんばってるじゃないの。いい年をしたうちのおばはんが現実から逃げてどうすんのって言いたいんだわよ。あの人、黙ってるといつまでも逃げてるんだからちょっとがみがみ言ってみるわよ。

お話の語り手のあたしにがんばって早くお仕事をちょうだいな。毎日あの人のそばで待ってるのにさ、黙ってるとどうもいつまででも怠けてて本当にどうしようもないわ。まあ、今日はこのくらい文句を言っておいたからこの辺で止めとくけど、あの人、ちゃんとまじめに仕事してもらいたいわよ。 ほんじゃまたね。



写真はあの日、西千葉署で見たお鏡よ。悲しみの記憶も別のものに変えていかなくちゃ。










シャルトゥルーズ、フランスの銀猫は修道院の名前をもらっていたのか

2014-05-29 22:40:19 | Weblog
今日の聖書の集いのお土産は映画の話だった。7月に東京なら岩波ホールで上映される「大いなる沈黙へ」という映画が話題に出て、帰宅してから検索してみるとかなり面白そうだ。下はオフィシャルサイトのURL。

   http://www.ooinaru-chinmoku.jp/index.html

ヨーロッパの猫には日本の猫にはいない銀灰色でまるっこい、きれいな猫がいて、その中にシャルトゥルーズという、お酒の名前を連想させる猫がいるのだが、この映画のオフィシャルサイトを細かく見ていくうちに、その名前のお酒も猫ちゃんも両方とも、この修道院に由来することがわかった。ちょっとびっくり。

主の昇天

2014-05-29 14:37:12 | Weblog
聖書の集いのテキスト、福音のヒントを見ると、今度の日曜日は「主の昇天」だ。四谷の教会は教会祭の日でもあるからさぞや賑やかになるだろう。

それはとにかく、主の昇天の福音の箇所、短いけれど重い箇所だ。カトリックではプロテスタントほど、信者一人一人の自分のいる場での個人的な福音宣教の必要をうるさくいわれないので、書くのは得意でも話すのはどうも苦手な当方などは非常にありがたいと思う反面、これでは信者としての基本的な知識もない信者ばかり増えるだけではないかとか、いつもいろいろ考えてしまう。

プロテスタントの厳格派にいたためか、このへんだけはカトリック信者になって30数年経ってもどうもどうしたらいいのかよくわからない。ただ最近のカトリック教会はどこの教会でもだいぶ昔と違ってきちんとした聖書の学びの機会も増えているから、そのへんでは心強い気がする。でも、以前あるスペイン人司祭が教会に入り口から入って窓から出て行ってしまう、学校を卒業するように信者であることも卒業してしまう人が多いことを嘆いていたのも思い出す。

日本人にとってのキリスト教はまだまだ距離が遠いのかもしれない。ニコライ堂のような正教会の信者の方のはなしだと、あちらは仏教のように家の代々の宗教になっている信者さんが多いらしい。やっぱり、代々、親から子に、孫に伝わっていくようでないと、一代目のまだ薄っぺらなものは簡単に窓から出て卒業してしまうのだろう。キリスト教では一代目でも親や親族がほかの宗教のきちんとした信仰、信心を持っている場合は子供や孫も心のどこかに信仰心を植えられていて、自分の経験や同様な知人たちのケースを見ても、そこからキリスト教に出会ったりすることも多いように感じる。


教会音楽、特にグレゴリオ聖歌のようなものになるとやはりカトリック教会の豊かさを感じてしまうのは、まあこれは当然か。讃美歌、聖歌のもつ力も福音宣教には相当に力があるように思う。

というわけで、また森山良子さんできく讃美歌を1曲と、もうひとつはプロの方ではありませんが、グレゴリオ聖歌で主の昇天



緑も深き若葉の里 / 森山良子






437" Viri Galilaei" Canto Gregoriano, 主の昇天In Aschensione Domini IN

ついこの間、やっとイースターを迎えたと思っていたら

2014-05-29 14:03:31 | Weblog
聖書の集いのテキスト、福音のヒントを見ると、今度の日曜日は「主の昇天」だ。四谷の教会は教会祭の日でもあるからさぞや賑やかになるだろう。

それはとにかく、主の昇天の福音の箇所、短いけれど重い箇所だ。カトリックではプロテスタントほど、信者一人一人の自分のいる場での個人的な福音宣教の必要をうるさくいわれないので、書くのは得意でも話すのはどうも苦手な当方などは非常にありがたいと思う反面、これでは信者としての基本的な知識もない信者ばかり増えるだけではないかとか、いつもいろいろ考えてしまう。

プロテスタントの厳格派にいたためか、このへんだけはカトリック信者になって30数年立ってもどうもどうしたらいいのかよくわからない。ただ最近のカトリック教会はだいぶ昔と違ってきちんとした聖書の学びの機会も増えているから、園へんでは心強い気がする。

教会音楽、特にグレゴリオ聖歌のようなものになるとやはりカトリック教会の豊かさを感じてしまうのは、まあこれは当然か。





437" Viri Galilaei" Canto Gregoriano, 主の昇天In Aschensione Domini IN

トイレの水漏れはなんとかなったけれど

2014-05-28 21:46:04 | Weblog
この間から部屋のトイレが故障して水漏れが起こって困っている。名前だけはマンションだが何しろ築30年の最旧式の建物だからあちこち、ガタガタなのを直し直し、だましだまし住んでいるのだが、水まわりの故障はどうしようもない。

仕方がないからこの間、大家さんに言いに行ったときは、取りあえずの応急処置にビニールテープを巻いてこれで駄目だったら業者を呼ぶといっていたのが、今日の状態ではなんとかしてもらわなくてはと大家さんの所に再び出かけてみると、こは如何に。奥さんが出てきて御主人の大家さんが転んで足を骨折して入院してしまって、自分はこれから病院にいくのだということで、トイレの水漏れの件は御主人と違ってすぐその場で業者に電話で頼んでくださった。

大家さん御夫妻はお二人とも80代で、それこそ回りが気を付けていないと、この間もおれおれ詐欺に引っ掛かりかけたりあぶないから、銀行や警察のほうでも用心しているような状況なのだ。それが今度は御主人の骨折では奥さんも容易なことではない。

こちらはただの店子だから、つい文句ばかり言っているが、奥さんのためにもなんとか御主人の快復を願わずにはいられない。高齢で骨折から寝たきりになってしまったりすると本当に大変なことになる。非常に心配だ。