~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

武蔵国一之宮・小野神社(東京都多摩市)

2017-03-23 05:52:49 | ・神社・お寺

2017.3 多摩市にある「武蔵国一之宮・小野神社」へ詣でてきました。

そもそも一之宮とは何ぞや???

一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。
通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を
三宮のように呼び・・・・by wikipedia

というわけで、簡単には、「ある地方の立派な神社」というわけですね。

しかし、これがなかなか複雑な・・・・・。

大鳥居

08:30頃着きました。朝の陽射しがとても気持ち良く、広々した境内はとても清々しかったですよ。

隋神門

いや~、彫刻がスゴイです。

龍が睨みを利かせていました。

拝殿

赤い拝殿・・・何かチカラの漲った空間です。

本殿

こちらも鮮やかな赤色でした。

拝殿の神鏡の裏側

裏側も鏡になっていました。神鏡の裏側を見ることはなかなか無いですね。 

末社殿

この中に末社が入っています。大切にされていますね。

南門

こちらにも隋神門がありました。

境内の外にも祠が・・。

武蔵野国の6つの神社と総社

 小野神社のhpによると、「一之宮とは、中世に全国的に確立した、国内における神格の格付けで、国内第一の鎮守という

意味です。南北朝時代に成立した『神道集』の記載にも『一宮は小野大明神』という記載が見られ、一宮=小野神社(当社)で

あることが確認できます。武蔵国内には

一之宮:小野神社(当社:多摩市)を筆頭に、
二之宮:小河神社(現・二宮神社:あきる野市)、
三之宮:氷川神社(さいたま市)、
四之宮:秩父神社(秩父市)、
五之宮:金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)、
六之宮:杉山神社(横浜市緑区西八朔)が編成されていたことが分かります。」となってます。

 

http://sigin.sakura.ne.jp/junpaikai/HTML/Musasikoku1miya.htm
こちら様のページに「武蔵国の一宮問題」とあります。下記に要約します。なかなか複雑ですね^^;

・武蔵団の一宮は通説として、旧大宮市にある氷川神社とされている。


・一宮として資料的にも近世以降の古文書は「一宮」を裏付けている。室町末期の『大日本一宮記』や橘三喜の
『一宮巡詣記』も武蔵国一宮としている。

・諸国一宮を比定した資料、『国史大辞典』・『神道大辞典』・『大日本地名辞典』などにでは、武蔵一宮は
氷川神社一社としている。武蔵国こは氷川神社が多い。東京都には59社、埼玉県に164社もあるという。
その総本社が大宮氷川紳杜。

一宮、二宮、三宮、、、の序列は日本六十八カ国、国単位だけでなく・、郡・荘園・郷村単位にもあった。それ故、
全国各地に一宮、二宮、三宮、の地名や一宮、二宮、三宮神社等の紳社名が多い。

・小野神社は古代は多摩郁小野郷。中世は多摩郡(多西郡)。現在、東京都多摩市一宮に所在する。『中世諸国一宮制の
基礎的研究』(岩田書院)によれば、14世紀成立『神道集』・『吾妻鏡』の中に一宮とする記述があり、郡・荘園・郷村
の一宮とせず、氷川神社とともに武蔵国一宮としている。

・氷川神社と小野神社との処遇の比較を見ても平安や江戸時代、明治から戦前に至る公的処遇は当然、武蔵国一宮は氷川神社
と軍配を上げざるをえない。


・武蔵一宮説
古文書に鎌倉時代に小野神、一宮という記録や多摩市内に一宮という地名が残る。小野神社の「小野」は第三十代敏達天皇
春口皇子を祖とする古代豪族であり遣隋使となった小野妹子、平安時代遣唐副使や参議にもなった小野筧、その孫小野小町等
が有名である。.この筧の七世高泰が武蔵国守として赴任し、その子孫が蛮族として土著した。武蔵七党といわれ横山・猪俣
などの諸氏である。小野氏は小野妹子が近江国滋賀都小野郷に住み姓名としたと『姓氏録』にある。現在もこの地に
武蔵小野神社の本源とも見なされる小野神社がある。

・武蔵一宮の初見は鎌倉初期。
一宮、二宮、三宮、、、の序列に武蔵七党的など党的武士団の影響力が強く、この頃、小野神社が一宮とされたのではないか
と推定する。 『中世諸国一宮制の基礎研究』jによれば、鎌倉時代の神社ランクと支持武士団を次のようにしている。
一宮小野神社(横山党・西党〉、
二宮二宮神社(西党)、
三宮氷川神社(野與党・足立氏〕、
四宮秩父神社(丹党・猪俣党)、
五宮金鑚神社(児玉党)、
六宮杉山神社(横山党)。 
これら武士党人は国衛の役人としても権力をもつこともあり、律令制度では神階も高い名神大社の氷川神社を三宮にする
など、歴史の変遷による一宮問題の流れが見られる。しかし、室町、戦国時代、江戸期にかけこれまた支配者の変化により、
氷川神社が浮上。一宮の地位を確保したと推察する。

・武蔵国総社(惣社)とLて東京都府中市宮町に大国魂神社がある。六所宮ともいわれ国府の所在地にある。総社はその国の
有力な神々を国府へ勧請し国内の行政安泰などを祈願する神社である。いわば神様の出先機関の総合神社ともいえる。
この神社の祭神は主神大国魂大神(人己貴命〉に配祀して
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神が祀られている。
団塊の神々に口々の平穏を祈願するためである。 

・武蔵国以外にも「二つの一宮」が多い。その原因を大別すると、

(1)朝廷、貴族が支持Lた神社と台頭してきた武士階級の八幡宮などとの対立や並立。
(2)粗神め男神の神社とその妃神を祀る神社との対立。
(3)天孫族を含む高天原系紳社と出雲族系の神やや渡来系土着地祇神との対立、並列
(4)同名・同神であるが本宮・中宮・下宮が一宮を名乗ると様々である。

武蔵一宮のケースは1・3の項目こ該当するようだ。この多摩市小野神社に対し「論社」として府中市に同名の小野神社が
ある。旧郷社であり主神天下春命も同じである。国府の近くにあった。


金鑚神社4(飯盛山/神川町情報)

2016-11-30 12:12:18 | ・神社・お寺

2016.11.23 金鑚神社へ行ってきました。つづき~

前回来た時にも気になっていたのが、この「おやま」

岩山展望台から 

岩山展望台から 更に望遠で。

周りにカラマツの紅葉?が点在していますね。

で、すぐ近くで行ってみました。

昼食を食べたヤマキ醸造の方に聞いたら、「飯盛山」というそうです。で、ゴルフ場の敷地内にあるそうで、山頂には祠がある

との事。う~む・・・ますます気になる・・・。で帰ってから調べました。

 

飯盛山烽火台

http://www.geocities.jp/sisin9monryu/saitama.kannnamati.html

上記様のページに詳しく書かれておりました。こちらによりますと、 

下阿久原の集落南、埼玉国際ゴルフ倶楽部の敷地内に見える独立丘に物見または烽火台があったといわれます。

現在は独立した山にみえますがこれはゴルフ場建設の際に山の南側の尾根が削られた為です。

山頂には神社が祀られ城郭遺構と思われる地形があるとのこと。御嶽城への烽火台として使用されたと考えられています。

近年まで毎年3月3日に山頂の北面において集まった人々が火を焚き時の声をあげる祭典が行われていたそうですが

この風習も烽火台と考える根拠の一つになっているようです。

 

ゴルフ場に問い合わせをすれば、登れるかもしれません。(登っている方の投稿もググると見られます)

ゴルフ場建設の際に削られて、こんな飯盛りのような山になっているようですが、まるで神川町のシンボルのように

感じられますね。

 

お昼は「ヤマキ醸造」の「麹庵」で豆腐関連定食を頂きました。豆腐も塩麹豆腐も湯葉も美味しかった!こんな甘い湯葉を

食べたの初めてかも。はとバスツアーや観光バスツアーもお客さんも次々立ち寄っていました。「紫水庵」の豆腐懐石も

美味しんだろうなー。

 

工場見学コースも覗いてきました。湧水も見られ、城峯神社の神棚も見られました。神泉村(すごい名前の村ですね!)は、

群馬県との県境、神流川(かんながわ)右岸にある渓谷美の水の里ですが、村の南部、城峯山(じょうみねさん)から湧き出る水は、

古くから神前に供えるご神水として大切にされ、城峯山周辺の水源は、林野庁の選定する「水源の森百選」のひとつになっている

そうです。ヤマキ醸造では、天然湧水「神泉水」の管理もされているようです。やはり水の良いところは何でも美味しいのでしょうね。


神川町には冬桜があちこちで咲いていました。

近くの城峯公園は埼玉県の北部、群馬県境に位置する神川町にある。下久保ダム建設により誕生した神流湖を見おろす公園

として昭和48年に旧神泉村が建設。冬桜は、薄紅色の小さな八重の花をつける「十月桜」で秋から初冬と春に咲く。昭和48年に

埼玉県が苗を作り300本を植栽したもので、現在7haの公園内では冬桜が約600本ほどの花を咲かせる。

十月桜の秋の期間中には、約50基で夜間のライトアップも行われ、幻想的な雰囲気の中で夜桜見物が楽しめ、最近はさらに

イルミネーションも楽しめる。この公園は、都圏自然歩道「関東ふれあいの道」のコースにも指定されている。との事です^^


金鑚神社3(御嶽山)

2016-11-29 06:37:47 | ・神社・お寺

2016.11.23 金鑚神社へ行ってきました。

境内から、神楽殿の背後の「御嶽山」に登ってきました。(神体山は御室ヶ嶽。)

鏡岩方向から回りました。

鏡岩

岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく

痕がみられる。岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている、そうです。

頂上付近の石仏群の広場

写真には写っていませんが小さなお社がありました。法楽寺跡?

御嶽山の石仏群

武蔵二の宮金鑚神社の神体山である御室ヶ嶽の南に連なる御嶽山(標高343m)周辺には、かつて本山派修験聖護院末法楽寺の

回峯行場があり、「袖すり岩」「胎内くぐり」と呼ばれる場所が現在でも残っている。

石仏は、現在70余体を残すのみであるが、当初はこの一帯に88体配置され、弘法大師巡錫の遺跡である四国88ヶ所の霊場を

模したようである。

巡礼は、江戸時代にもっとも盛んに行われた。 亡くなった親や子を弔ったり、重病や眼病を患う者には特に巡礼が勧められた。

御嶽山の石仏の中にも、肉親の菩提を弔うものがある。これらの石仏は、その銘文からほとんどが近辺の武州・ 上州の人びとから

寄進されたものであるが、中には遠く江戸から寄進されたものもある。

法楽寺は、明治維新の神仏分離令により廃寺となる。 石仏は、明治末期に御嶽山東の観音山に移され、ここでも毎年盛大な祭りが

行われた。その後、大正初期頃現在の地に移されたようである。

石仏と紅葉が良い感じで、沢山撮りましたよ^^

石仏群のある広場奥の岩山展望台

祠の奥はゴルフ場のレストハウス^^;

とても開けていて眺めが良いですよ。でも、こちらが山頂ではありません。

 

展望台から一石仏群の広場に戻り、山頂へ向かいます。山頂までは5分位。山頂の手前は結構な急坂でした。

御嶽山頂~標高343.5mです。

御嶽城本郭跡でもある山頂は木々に囲まれて景色は望めせんでした。

でも山頂は銀杏の紅葉が綺麗でしたよ。

下山、最後の石仏は「一番」と記されていました。

「右脳神社」

「右脳直感の神様」と書かれています。帰宅後、ググって調べましたが解りませんでした。

でも、気になりますねえ。

ジル・ボルト・テイラー博士の体験から、宇宙と一体感のような悟りの体験をするためには、少なくとも左脳の活動を抑制
させる必要があると思われる、との事。・・・・・右脳が良く働きますように祈ってきました^^

落ち葉散策^^


金鑚神社2(神社と紅葉)

2016-11-28 08:32:57 | ・神社・お寺

2016.11.23 金鑚神社へ行ってきました。つづき~

金鑚神社(かなさなじんじゃ)の境内風景です。

駐車場上の銀杏の絨毯

社務所

御神木(旗掛銀杏) 樹齢約550年

三ノ鳥居

神楽殿

拝殿

中門

中門の背後には本殿がなく、神体山とする御室山(御室ヶ獄)を直接拝するという形式。旧官幣社・国幣社でこのように

本殿を設けない古例を採るのは、他に 長野県の諏訪大社・奈良県の大神神社のみ。

ちょうど当日11/23に新嘗祭・火鑚祭が行われるようで、稲が奉納されていました。

 

紅葉が美しいです。

御神木も良い色づきです。

神楽殿裏から

境内はホントに黄葉がきれいでした。


金鑚神社1(多宝塔と金鑚元三大師・鐘)

2016-11-27 08:22:22 | ・神社・お寺

2016.11.23

紅葉を観に行きたいのだけど、どこもかしこも混んでいそうで・・・・^^;

ふと思い出して2015.8.8に行ったことのある埼玉県児玉郡神川町の金鑚神社へ行ってきました。

前回は夏だったので緑豊かな境内でしたが、予想以上に紅葉が綺麗でしたよ^^

金鑚神社多宝塔(境内案内板より)

金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけ ら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二 重の塔婆である。

天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保 弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦 日、

大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築である とともに、阿保氏に係わる遺構で

あることも注目される。 塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、 国指定の重要文化財となっている。 

いや~、なかなか絵になります。

今回は前回パスした「金鑚元三大師」にも寄ってきました。

駐車場奥です。見事な紅葉でした。

大光普照寺(だいこうふしょうじ)

埼玉県児玉郡神川町にある天台宗の寺院。山号は金鑚山。院号は一乗院。本尊は十一面観音と元三大師で、「金鑚元三大師」

とも称される。この寺は、聖徳太子によって開創され、平安時代になって天台宗の僧円仁が来山して再興したと伝えられる。

古くから天台宗の檀林が置かれた天台宗の中心的な寺院のひとつであり、またこの寺の近くにある金鑚神社の別当寺であった。

江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。by wikipedia

寺内の小高い丘の上にある鐘撞堂

こちらもモミジの紅葉をバックに・・・綺麗でしたよ。


金鑚(かなさな)神社2(多宝塔、ハグロソウ他)

2015-08-20 06:23:33 | ・神社・お寺

2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。

境内では、参道脇に立つ多宝塔が国の重要文化財に指定されています。

  

金鑚神社多宝塔(境内案内板より)

金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけ ら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二 重の塔婆である。

天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保 弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦 日、

大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築である とともに、阿保氏に係わる遺構で

あることも注目される。 塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、 国指定の重要文化財となっている。 

 

築500年という事ですね。いや~なかなか渋かったです。存在感満点^^

ヒメジゾですかね? 葉っぱの写真が無いのでガクの形状で判断しましたが・・・ イヌコウジュ??

 

深度合成にて

イワタバコ

昨年のお盆休みに行った榛名神社以来ですね。いつ見ても可愛い花です。石垣に咲いていました。

クモの巣なんだけど、すごい存在感でした。中央を凝視し続けると異次元空間へ行っちゃいそう。

花びらが二枚しかない花・・・う~ん、あまり見たことがないなあ。珍しいのかなあ?調べたら、

ハグロソウ(キツネノマゴ科 ハグロソウ属)

ハグロソウ(葉黒草)」の名は、花の赤褐色の斑紋を 「お歯黒」 に似ているのでという説と、葉が黒っぽい緑をしているからだという説が

あるみたい。私的には、花びらが歯みたいだし、赤褐色の斑紋が 「お歯黒」に似ていると思いますねえ。

2枚の花びらの植物は、日本には数種類しかないらしいです。その一つの ツユクサ は身近だが、このハグロソウは、本州中部より

南の森林帯が生育地で、見る機会は少ないそうです。ラッキー^^ 結構咲いていたのであまり珍しくないだろうと思ったのですが、

もっとちゃんと撮れば良かったなあ。。。

クサノオウ(草の黄)・・・ケシ科クサノオウ属

一年生(越年草)の草本植物

全草に約21種のアルカロイド成分を含み、その多くが人間にとって有毒である。本種を特徴づける黄色い乳液などはその最たるもの

であるが、古くから薬用に供されており毒性が知れわたっていたからか、誤食による中毒事故は少ない。

なお、誤食すると皮膚同様に消化器内の粘膜がただれ、時には死に至ることとなる。by wikipedia

こわ~~~^^;;

ダイコンソウですかね??

お蕎麦屋さん脇で売っていた「シラサギカヤツリ」(カヤツリグサ科・リンコスポラ属/原産地:北アメリカ)

涼しげなデザインが良いですね^^


金鑚(かなさな)神社1(境内、鏡岩)

2015-08-19 17:59:24 | ・神社・お寺

2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。

 

金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。

関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山

として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。

また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社である。

社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では

刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。

by wikipedia

 

金鑚神社(境内案内板より)

金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社であ る。むかしは武蔵国二の宮とも称された。

地名の二の宮はこれによ っている。社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命 より

賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉 納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まり

とされている。

鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十 二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代

には徳川幕府から御 朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。

境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義 家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときの

ものという伝説の 遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。

なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体 としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのは

ここのほか、全国 でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。

街道沿いの大鳥居をくぐり、駐車場に車を止めると参道方向の右手(駐車場ほぼ正面)に金鑚神社多宝塔が見えます。

この多宝塔は、次回に投稿しますね。緩やかな坂を登ると社務所があり、その前の灯籠、赤い橋が境内中央へと誘います。

鳥居の正面は神楽殿です。

鳥居の手前右手側

下乗(げじょう)

「これより先は神域なので乗り物から下りて入りなさい。乗り物から下りなさい。乗り物に乗ったまま入ってはいけません」

という意味です。昔の人は、ここで「駕籠(かご)」や「輿(こし)」から降りたのですね。

ちなみに「下馬(げば)」は「馬に乗ったまま入ってはいけません。馬から下りて入りなさい。」という意味。

旗懸銀杏

樹齢約550年といわれるイチョウの大木。金鑚神社の御神木で、源義家奥州平定の帰路に植えたイチョウの二代目ともいわれる。

ひっそりとした神楽殿

何となく惹かれる空間で、そこは「無」ではなく、「沈黙の気配」を感じました。

拝殿正面

拝殿後方

拝殿後方奥に本殿はありません。

通常の神社であれば、そこに本殿があるはずですが、当社は、奈良の大神神社、長野の諏訪大社同様、本殿を持たない

珍しい神社です。 社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀っています。山を神体山とするため、社殿には本殿は

設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られています。

 

御嶽山もしくは御室ヶ嶽は、金華山ともいい、山腹に銅を彫ったあとがあるらしく、その銅は、黄鉄鋼を多く含んでおり、

黄金色をしていたという。その銅採掘を神格化したと考える説である。故に、当社の祭神を「金山彦命」であるとする資料

もある。http://www.genbu.net/data/musasi/kanasana_title.htm より

境内の左手、御嶽山へ向う途中に、長屋状態の境内社(19社)が祀られています。

神体山の御室山(御室ヶ獄)ではなく神楽殿奥の御嶽山周囲のくるりと一回りできるコースがあったので行ってみました。

いや~暑かったっす。しかし、山道はフカフカな土壌のようなものが引かれていて歩きやすかったです。

左回りで登って下りましたが、あやめ池は枯れてたのかな?解りませんでした。

鏡岩手前の、このコースのピーク。遠足かな?子どもたちがたくさん居ましたよ。

コースには、石仏群がずっと寄り添っていました。

帰りはほとんど階段の下りでした。右回りで正解だったかも。

降り始めると、この鏡岩がありました。

 

御嶽の鏡岩(昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物)

御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八 王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の

大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで 約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、

赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく痕がみられる。

岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。

鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記 された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細

にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子 夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、

中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、 鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶした

ので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時 には火災の炎が映ったとも伝えられている。

このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。(案内板より)

 

下りはずっと階段でした。ゆっくりしたかったのですが、とにかく蚊がうるさくて参りました。

神流川の北側、群馬県の鬼石町・天神茶屋でお蕎麦を食べて、神川町のヤマキ醸造・麹庵へ寄りました。

その脇のちょっと変わった山。頂上まで行けるのかな?