しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その3

2015-08-18 23:43:31 | 日記
3日目、最終日。晴れた!
朝ご飯前に、今度は歩いて天河大辨財天社へ。6時40分から朝拝というのを行っているらしい。
「毎日ですか?」と民宿のおかみさんに聞くと、
「雨の日も雪の日も毎日なんですよ。」とのこと。

歩くと、神社まで20分ほどかかる。村道をひたすら歩く。見渡す限り、下は川、上は山。霧が山に立ち込めている。






とても美しい、絵画のような風景なのだけど、私はとてつもない恐怖を感じてしまった。
空の果てがわからない。宇宙と直に繋がってる気がして、どこまでも広がっている。広所恐怖症の気がある私は、思わず屋根があるところに逃げ込みたくなった。広すぎる、自分がちっぽけすぎる。
ちなみに天川は、UFOの目撃談が多いところなんだそうだけど、納得した。
宇宙と繋がってる感が、ここはほんとに体感できる。ある意味、怖いところだ。

やっと見つけた自販機でミルクティーを買って気持ちを落ち着ける。
私はなんて卑小なんだろうな。。。

神社では既に朝拝が始まり、太鼓の音と笛の音、祝詞が聞こえてきた。
8名ほどお参りの人がいる中、清々しい雰囲気で20分ほどの朝拝が終わった。
お参りにきている方々は通りすがりにみなさん、挨拶をしていかれる。
爽やかで温かい雰囲気だった。









帰って朝ご飯。2日目の朝は写真を撮り忘れたので、今朝はきちんと撮る。
炊飯器に残ったごはんはおにぎり3つに。

2時間ほど部屋でのんびりして、今日はもう帰るばかりの日。
民宿のご夫婦に丁重にお礼。
ご飯も美味しかったし、名所もいろいろ教えてくださった。細かいところまで気を配っていただいて、田舎の実家に帰省したように快適だった。

11時35分天川川合発の奈良交通のバスに乗る。バス停に民宿のご主人が車で送ってくださったのだけど、その前に天川で一つしかないお土産屋さんに寄ってくださった。山椒味噌など購入。

行きと同じように1時間バスに揺られる。どうやら今年度だけ試験的にやっているらしいのだけど、奈良交通バスではキャッシュバックの特典があり、証明書さえあればバス代はいらない、もしくは宿で立て替えてもらえるのだった。これで3000円ほど得をした。ずっとやればいいのに。

証明書はこんなの。

近鉄の下市口から近鉄電車、橿原神宮前まで普通で、そこからは乗り換えて特急で京都まで。橿原神宮前で柿の葉寿司を購入。さっき食べたけど、
とっても美味しい。
もっと買ってくれば良かった!後悔先に立たず!


実はバスに乗った頃から熱っぽい感じがしていた。いろいろ考え込んだし、動き回ったから身体は消耗してるのかもしれない。
けど、心に静けさを取り戻したというか、それはいつでも本来ならばあるものなんだと気づかされた。
天川では、ゆっくりと静かに時間が流れていた。コンビニも大型量販店もない。ただ、山と川がひたすらあるだけだ。しかし、それら命あるものに過剰なほど囲まれて初めて、うーん、なんだろ、自分も悠々と生きてよい大事な命なんだ、と思うに至った。

忙しく、人が溢れる都会では、どうしてもそのペースで生きなければいけないと自分を追い詰めて、できなければ脱落者のような惨めな気持ちになってしまうこともある。自分を大切にしないことが常態化してしまうし、それを自覚することすらできない。


天川に来て良かった。ゆっくり時間が流れ、心の澱は綺麗な水に流された気がする。
また自分を大切にできなくなりそうになったら、ぜひ行きたい。
あ、今度は晴れていたらばっちり見えるという、本物の天の川が見たいな。





ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その2

2015-08-18 21:45:13 | 日記
2日目。明け方に大雨。夜中にそういえば雷も鳴っていた気が。
朝ご飯のとき、民宿に宿泊してたご夫婦が、
「4時とか、とにかくまだ暗い時間に、川が増水してますっていう村内放送があって驚いた。」
とおっしゃっていた。私は深く眠っていたからか、聞こえていなかった。

お腹いっぱいに朝ご飯を食べると、サランラップと食卓塩と梅干しを持ってきてくださり、
「炊飯器にあるご飯でおにぎり作って持って行ってー!」と言われた。
梅干しを入れたおにぎりを2つ作り、持っていくことにした。
2日目は天川川合のバス停から20分ほどのところにある洞川(どろかわ)温泉というところに行ってみることにした。

ここは修験道の登山基地として栄え、旅館やお土産物屋、食事処が軒を連ねて、小さな温泉街を形づくっているところ。



こういう感じの風情ある旅館がたくさん。雨降りで、一見すると人は少ないように見えたが…。

もらったマップ片手に、自然遊歩道と記されたところに行ってみることにした。しかし、遊歩道とは名ばかり(?)の、アップダウンの激しい、結構険しい道だった。
通り過ぎる人も少ない鬱蒼とした木立が続く。薄暗い。かなり不安になる。


八幡宮のあたりでは白装束を来た人たちもいた。修験道の行者さんたちだろうが、女性が多い、というかほとんど女性だったのには驚いた。


木立を20~30分ほど歩き、龍泉寺というお寺へ。写真さすがに撮りづらかったんだけど、甚平をきて、法螺貝吹いてる人がいた。時々、プヒッ、とか明らかに失敗した音を出していた。あの人は一体…。

あれ?鳥居?…お寺じゃないっけ?
この形の鳥居、天河大辨財天社にもあった。奈良県スタンダード? 初めてみた形。いろいろ不思議。

この時点でまだ午前11時ぐらい。14時後半のバスに乗って天川川合に帰る予定だったので、まだまだ時間がある。

自然遊歩道に戻り、かりがね橋という吊り橋を見る。

景色、綺麗だな。

そこからまた引き返して、面不動鍾乳洞へ。歩いても登れる場所にあるけど、頭が痛かったので、モノレールで登ることに。ここで初めて、結構たくさんの家族連れがいることに気がついた。鍾乳洞は子どもたちにとって、ドキドキするところだろうな。



鍾乳洞の中は平均8度らしい。入り口に入ると、寒っ! 半袖が辛い。ライトアップされた岩が人工的にみえるけど、全部自然のもの。しかも中はかなり広い。





そうこうしてたら雨が強くなってきた。普段あまり食べないのに民宿で夜も朝もたくさん食べているので、お腹いっぱい。だからお茶しよう、どこかでひと休み、と思って歩いていたら、不思議な雰囲気のカフェ兼アクセサリーショップが。

天然石や布、金属を使ったアクセサリーが個性的で、特に金属のに見入っていると、店主の女性に声をかけられた。
「それはタイの“カレン族”という少数民族の使っている印の型を押してます。魔除けの意味があるんです。」

アクセサリーは全て、この方の手作りで、金属のシリーズはタイに行ったときに、自分で買い揃えてきたパーツで作ったという。織物作家さんだという。
織り機が置いてある。

大阪にいたのだけど、その時は「売れるブランド」を意識してモノづくりをしていたらしい。生まれ育った洞川に戻ってきて、いらない情報があまりないためか、自分の中でいろいろなものが削ぎ落とされていくことを感じ、本当に作りたいな~と思うものが作れるようになったという。カフェも、やってみたいからやってみた、とのこと。
豆乳チョコレートのケーキとチャイを飲む。美味しい!
訪れた人が書くノートがあった。前のノートが書き込みでいっぱいになっていたので、新しいノートを持ってきてくださった。なんとそのノートで42冊目!!

こんなふうにびっしり書いてある。何年か後に来て、自分が書いたのを探して盛り上がったりするらしい。そういうのも楽しい。
私も書いたよ。

何年か後に来て見たい!その時の私は、どんな生活してるだろうな。未来へのお手紙みたい。

その後、雨上がりの道をふらふらする。道々に『陀羅尼助』という看板が。

うーん、妖しげ…。
なんだろうなーと思っていたら和漢の胃腸薬だった。だらにすけ、と読む。由来は古く飛鳥時代まで遡るらしい。
今でも名産品なんだな。
あと50分ほどバスの時間まであるので、バス停近くで名水珈琲と葛餅を食べる。
もう珈琲が美味しくて!部屋にもインスタントコーヒーが置いてあるのだけど、水がきれいだからほんとに美味しいのだ。
水と葛はここの名産だから、堪能し尽くした。

砂糖いらない。

天川川合まで帰ると、民宿の方が迎えに来てくださっている。車に乗って、みたらい渓谷へ。

ここ、映画で使われた気がする…。
エメラルドグリーンの水、なんて美しい。流れはわりと急。


その後、またまた天の川温泉へ。空いてた~、のんびり入る。昨日は人が多くて露天風呂は諦めたけど、2日目は入ることができた。


夕飯のボリュームが…!
普段、お肉は食べないのだけど、民宿の方がじっーとみてる中で、残すわけにはいかないでしょう!!

魚の食べ方が上手いわあ~と褒められた。魚、好きなんです…。

写真にはないけど、後でトマトをデザートにいただく。昨日も食べたけど、甘いの! 驚いた。
雨脚が少し強まった。満天の星は今回はお預け。また来るしかない。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心も解けていく。もっといたいけど、明日が3日目、最後の日。
















ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その1

2015-08-17 17:27:12 | 日記
先日、母との京都旅行が終わったばかりだけど、その余韻に浸る暇なく次の旅へ。
私としてはこの夏のメイン行事、憧れの奈良県吉野の奥にある天川村へ。

天川村近くの大峯という場所は修験道の道場で有名らしく、たくさんの霊場があるらしい。
なかでも山上ケ岳は日本最古の山岳信仰の聖地で、今だに女人禁制の地。

大峯山寺や修行の道である大峯奥駈道は世界遺産になっている。

天川村も歴史的に重要な場所で、古くは飛鳥時代の大海人皇子が壬申の乱で勝利したときに吉野総社として天河神社の神殿を造設したという言い伝えがあったり、南北朝時代、後醍醐天皇や彼に続く数名の天皇がこのあたりを南朝奥吉野の拠点にしていたという。

また今回一番行きたい場所である、日本三大弁財天の筆頭と言われている天河大辨財天社に御所が置かれたりしていたという。

なぜ、天河大辨財天社に行きたかったかというと…。

実は高校時代にみた映画「天河伝説殺人事件」の舞台だったから!(笑)



ちょっと前に不食で話題になった榎木孝明さんが主役の浅見光彦、素敵だった!

ジェット・リーと榎木孝明さんが私の10代の頃の理想の男性像!
どちらも浮世離れしてるっちゃあ、してるけど…どうでもいい情報。

それはさておき、「天河伝説殺人事件」でえがかれていた天川という場所の神秘的な美しさが忘れられず、いつか行ってみたいなと密かに思い続けていたわけ。




ちなみに5月に行った竹生島の辨財天様と、6月の修学旅行で行った厳島神社の辨財天様を加えて、日本三大辨財天というらしい。(江ノ島の辨財天様がはいることもあるらしい。)
一年間、いや半年の間に日本三大辨財天様全てにお参りすることができるわけ!

新幹線で京都まで、そこから近鉄奈良線の特急で橿原神宮前まで、吉野行きの各停に乗り換えて下市口まで。
ここまでで約5時間ちょっと。
そこから今度は奈良交通バスに揺られて山道をひたすら登り1時間。途中で「○○さん宅前」というバス停があったりしてびっくり。
橿原神宮前の駅で見たのが最後、その後、コンビニらしきものはどこにも見当たらない、本物の秘境だった。

ようやく天川川合(てんかわ かわあい)というバス停に到着。そこで宿泊する民宿のご主人が車で待っていてくださった。


バスは「天の川(てんのかわ)」という川沿いを走るのだけど、たくさん川遊びに興じる人がいた。親子連れ、はたまた大学のサークルメンバーっぽい人たちなどなど。
民宿のご主人は、そういう人たちをあまりに良く思っていないようで、
「人気が出るのはいいんですが、若い方が天川には似つかわしくない格好(ビキニとか!)で歩き回ったり、バーベキューのゴミをそのまま置いて帰ったり。かなり迷惑してるんですよ。今日も村道に車を置いている人がいて、警察に苦情言わせてもらいました。」
とおっしゃっていた。
天の川は透明度がとても高く、飲んでも大丈夫なくらいらしい。でもそれは意識して守っていかないとたちまち汚れてしまう。天川へ行く人は、ゴミの始末や交通ルールを守るなどの基本は守ってほしい。


いったん宿に荷物を置き、お茶とお菓子をいただいた後、今回の第一目的である天河大辨財天社に車で連れていってもらった。
ここは芸能の神様として有名で、長渕剛が結婚式を挙げた場所としても有名。能楽関係の資料も多数保存されているという。

で本物の天河大辨財天社は、思っていたよりも小さめだったけれど、やはり清浄な「気」に満ちているところだった。
鈍感な私でもわかるぐらい。
しばらく座っていたらずんずん元気が出てきたし、迷いや悩みの糸がするっと解けていく感覚があってすっきりしたから。
パワースポットといわれる所以なのだろう。

能舞台



隕石と言われている『天石』


7月末の集中豪雨で、神社裏の山の地盤が緩んでいるという。ボーリングで水を地底から抜き、山崩れが起こらないように対策をとっているとのことだった。そのせいで8月20日に大々的に行われる七夕祭は、今年はこじんまりと行われるとのこと。

天河大辨財天社は、ご縁のある人しか来られない、という噂がある。
これはその昔、交通網が発達していなかった時代の話だと思われるけれど、今でも、こようとしても怪我や事故、交通事情、天候で来られないということが多々あるという。
お参りができたぶん、一応ご縁はあったようだ。

そのあと、徒歩3分で天の川温泉という日帰り温泉へ。30分待ちという混みようだったけど、気持ち良かった。川遊びやバーベキュー終わりの学生さんがたくさんいた。青春ですな!




民宿のご主人がまたまた車で迎えに来てくださる。この民宿、送迎のサービスも込みなのだ。ありがたい。

民宿は、ご主人が元商社マンで世界中を旅していた経験を活かしてご夫婦で営んでいた。
お二人とも気さくで温かく、田舎の家に帰ってきたみたいな気持ちになる。


部屋も実家みたいで落ち着く。一人旅なんだけど、ベッド2つある部屋だった。ご夫婦二人で営んでいるので、最高3組までしか宿泊させられないという。

1日目は私の他に、家族4人で宿泊される方がいた。5歳のお兄ちゃんと4歳の妹さんが、食欲旺盛で可愛かったし、私より年下かもしれないご夫婦も気さくな方々で、夕飯時は盛り上がった。

知らない人と夕飯を共にする、しかもオイルフォンデュで野菜や魚を揚げる鍋が一つ、ということで必然的に仲良くなる。内気な私でも、自然に楽しく話せた。いい仕組みかもしれなかった。




19時半には食事も終わり、長い長い夜。虫の声しか聞こえない。この豊かな静けさを壊したくなくて、テレビをつけるのがもったいないなと思ったのでつけず。

本棚の本を物色していると、あった!

読みながら就寝。
が、最後まで読み切りたくて、結局1時半まで起きて上巻全て読む。訪れた場所の名前が多数出てきて、なんとなくドキドキ。小説の世界のなかに私も参加してるみたいな気持ちになる。

下巻がないのが残念!


あの世とこの世の境目 その3

2015-08-12 12:51:37 | 日記
無事、嵐山に到着し嵯峨野散策へ。
冷たいものでも…とお昼時にも関わらず甘味処「鼓月」へ。
今年初の宇治抹茶氷!!
多そうだけど、ペロリだった。

それにしても、渡月橋付近は人力車いっぱいだったのだけど、女性の人力車の引き手さんがけっこういた。はじめてみたよ。さっきの船頭さんじゃないけど、ものすごい重労働なのに大丈夫なんだろうかと思ってしまった。
どの分野でも女性は普通にいるよね。


お昼ご飯は母の要望もあって、嵯峨野の寿楽庵さんで食べよう!(詳細知りたい方は、過去のブログ:「静寂の旅 琵琶湖と京都2日目7」を参照してね)と思い、嵯峨野の道を歩いた。

野宮神社、祇王寺、前回一人で行ったコースを再び行く。
日陰があるところはいいけれど、祇王寺近くになってくると、午後の日差しがキツい。
祇王寺の庵で、30分ほどぼんやりする。蝉の鳴き声と水の流れる音だけ。
庵の障子が緑色がかっている。
祇王寺、緑色が美しい。
しかしちょろっと秋の気配が…。

白い花は芙蓉?

祇王寺の庭。


苔。フワッフワッ。



残念ながら寿楽庵がお休みだったので、何も食べずに化野念仏寺へ。


前回来たときは曇り空で寂しい雰囲気があったけど、今回はカラッと青空で爽やかだった。(画像悪くてすみません。神奈川に帰ったら差し替えます。ネット環境悪くて、なんとパソコンに映した画像をケータイで撮って載せました…)




化野念仏寺は前回のときも思ったけど、無縁仏になってしまった人の終の住処として、誰でもどんな人でも受け入れてくれる優しさを感じた。

嵐山まで歩いて帰る途中に自販機で懐かしの冷やしあめを見つけてはしゃいで購入していたら、
通りがかりの外国人の女性に「嵐山駅はどこですか?」と聞かれた。
私たちも嵐山駅に行きますよ、良かったら途中まで一緒に、ということで話しながら歩いた。
バックパック1つ背負ったその女性は上手な日本語で、チェコからボーイスカウトの行事で日本に来ていること、他の人とはぐれてしまったこと、嵐山駅まで行ければ待ってる人がいるはずだから大丈夫であることを話してくれた。
あんまり日本語が上手だったので、どこで学んだの?と聞いたら、
19歳の大学生でチェコで日本語を少し勉強したこと、日本語以外にも英語、韓国語など5か国語が話せること、9日間の旅でこれから福岡にも行くことなどを教えてくれた。
嵐山駅の場所がわかり、野宮神社に行きたいようだったのでそこで手を振ってお別れした。

京都に行くと、普通に海外の人が話しかけてきたりするから面白い。
帰りのJR嵯峨野線の中でも、母を空いていた優先座席に座らせ、まだ席は空いていたものの私は立っていたのだけど、
後から乗って来たヨーロッパ系の金髪巻き毛の美しい少年がこちらを「ここは座っていいの?」という風に見たので、ジェスチャーで、「どうぞ」とすると、こちらの目をしっかり見て、にっこりと美しく笑って座った。なんて綺麗!と息を呑む、絵本に出てくる天使のような笑顔だった。

あんなふうなアイコンタクトって知らない者同士の日本人ではほとんどしないから、新鮮だし心の通い合いを感じてとても嬉しかった。
席を立ったときもこちらをみてニッコリ笑ってから下車して行った。
ああいうところは日本人もマネしたい。爽やかだった。

暑い中歩き回ったから、帰りの新幹線では爆睡していた。そのまま実家へ帰り、バタンキュー…。

でもその前に仏壇に手を合わせることは忘れなかった。

生者も死者もかえってくる、あの世とこの世が交わるお盆の始まりの旅だった。

でもあの世とこの世の境目、なんて発想は、恐怖心が作り出す幻想なのかもしれないと思った。

心静かにお盆を過ごしたい。



あの世とこの世の境目 その2

2015-08-12 10:59:03 | 日記
2日目。
京都駅の中にあるホテル、「ホテル近鉄京都駅」は安価だし部屋も綺麗でアメニティもいいし、とにかくとても便利。新幹線の改札出たら一分以内にいけるのがいい。母のお気に入りのホテルだ。
京都観光はここのホテルをとれたらとるようにしている。

朝ご飯のバイキングをしっかり食べて8時30分には出発。チェックアウトしても、ホテルで荷物は預かってもらえる。夕方まで預かってもらった。

京都からJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅へ。JR使うと嵐山方面へ20分くらいでいけちゃう。

朝のニュースでは35度まで上がるという高温注意報が出ていた。麻と綿混紡の紫外線を防ぐという帽子と日焼けどめをしっかり塗って出かける。

9:07分にトロッコ嵯峨駅から出発するトロッコ列車「嵯峨野1号」の指定席を購入していたけど、JR嵯峨嵐山駅に着くのが9:00ちょうどで焦る。
といってもJR嵯峨嵐山駅とトロッコ嵯峨駅は隣同士なのですぐ乗り換え。
トロッコ列車出発2分前に乗り込んだ。
目に爽やかな緑の中を走る。

嵐山では、私が乗っていた2号車、トンネルの中みたいなところに停車。


驚いたのが、途中でトロッコ列車がストップしたこと。線路に木が倒れてたとのこと。木をどけるのにスタッフの方が列車から降りて、手動でどかせたみたい。停車した場所がいい景色のところ。ほんの10分にも満たない時間だったけど、トロッコ列車自体の乗車時間が25分間ぐらいしかない短い旅なので、かえってラッキーだったかも!?


亀岡駅到着後、そのまま嵯峨野2号で引き返すか、それともバスに乗って保津川下りのスタートのところまで行くか迷う。
保津川下りはやってみたかったけど、前日にふと、お盆の時には水辺に近づくのはよくないのかなーと思ってしまった…迷信かな。

母は行きたい!というので、保津川下りへ。
迷った要因はあともう一つ、雑誌で読んで乗船代が一人4100円と知って…え!高っ!と思ったから。
でもいざ乗船してみると、この値段は妥当だとわかる。亀岡付近から保津川を下り、嵐山の渡月橋近くまで1時間40分の旅で、その間、3人の船頭さんが手動で船を漕ぎ、その間ほぼずっーとしゃべり通しなのだ。
ただ川を下っていくものだと思っていたから、思わぬエンターテイメントに驚いた。ほんとにずっと笑いっぱなしだった。

私たちのところには屋根があって直射日光は当たらないけれど、船頭さんは直射日光に晒されながら1トン近くある船を進めていく。
20代らしい一番若い船頭さんは爽やか、40代っぽいベテラン船頭さんはトークがお笑い芸人に引けを取らないレベル。一番年上の船頭さんは60~70代くらいの方で安心感があった。
若い船頭さんが中年の船頭さんにこっそりとアドバイスをもらっていたりして微笑ましかった。
職人の素敵な仕事ぶりを見せてもらったという感じ。


3分の2ぐらい川下りが終わったときに現れた小舟の「売店」。船頭さんたちも飲み物を購入して小休憩。
私と母もわらび餅を食べた。


ちなみに船頭さんたちは嵐山に着いたあと、JRで亀岡まで戻って再び次の川下りを行うとのこと。身体を休めるのはJRに乗っている15分間だけということで、あまりの重労働に驚いた。1日で3キロほど体重が落ちるそうだ。
そうだろうな…壮絶な仕事。

川下りは風が気持ち良く、涼しかった。山の緑と空の青が目にも心地良かった。














あの世とこの世の境目 その1

2015-08-11 22:01:16 | 日記
8月10日、午前中に胃の検査以外の健康診断を終えて、すぐに新幹線で京都へ。
毎年の夏の恒例行事である、母との旅行、今年はまたまた京都を目的地に選んだ。
私は今年のゴールデンウイークのときと修学旅行でもう3回目の京都。まあ何回来ても京都は奥深いからいいけど。

夕方に京都着なので、寺社仏閣のほとんどは閉門しているはず。
どこか夜間拝観できないかなと事前にガイドブックで探していたら、
ちょうど7日~10日まで精霊迎えの行事である「六道まいり」というお盆の行事が行われているという。
場所も、祇園近くの六道珍皇寺。夜の祇園はしっとりと柔らかく魅力的なので、フラフラと祇園散策をしながらぜひいってみたいと思った。

六道珍皇寺のことを調べてみると、
「あの世とこの世を結ぶ寺」といわれているお寺だった。
この辺り、中世以降は「六道の辻」と呼ばれ、他界との入口とされているそう。
あの世とこの世の分岐点。

ちなみに六道っていうのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の6つの死後の世界といわれ、善悪の業によってどこに行くのか決まる…とのこと。怖い。

母に電話でここに行きたいんだけど、いい?と確認をとったとき、
「お盆にそこって…なんとなく怖いよね。何か連れて帰りそう。」
という大人げない(?)リアクション。

でもそういう母も「化野念仏寺に行きたい。」と言っていたので、
思い切って今回は「あの世とこの世の境目」を狙っていくような旅にしよう!ということにした。

京都の200番系統の循環バスはやっぱり苦手だ。清水道を通らないバスに乗ってしまったので、
途中で降りて、東西線で三条まで。
三条から鴨川沿いをそぞろ歩く。
夕方の風は気持ちよく、向こう岸には豆電球のついた七夕飾りが何メートルかおきに飾られており、夕暮れの風景の中に浮き上がってみえる。
今年は大学の学生さんたちの協力でそういうのをやっているらしい。

そうそう、浴衣の人が多くて、目にも涼し気だった。

鴨川沿いの夕暮れ、気持ちいい。


四条まで歩き、南座のあたりから東へ曲がると祇園。
祇園辻里でテイクアウトのお抹茶アイス、母はホットの抹茶オレ。お茶屋さんのは格別。

華やかな花見小路を過ぎると、普通の暮らしの路地に出る。六道まいりは、町の人がずっと守ってきた地域の行事だ。
すのこのような台を出し、近所の人たちとおしゃべりに興じる大人たちと、花火をしたり、路地を走り回って遊ぶ子どもたち。懐かしい風景。




うちわをハタハタしながらおしゃべりしている、どうやらこのご近所に住むおばあさん2人のあとをついていって、六道珍皇寺へ。
精霊をお迎えするという鐘の音がひっきりなしに聞こえる。


この風景の中で、心は昔、祖母に連れられて行った地蔵盆にタイムスリップした。
煙を頭に浴びるおばあさん、お寺の外に必ずいた、物乞いの人に戸惑ったことをありありと思い出す。

ネットも流行も届かない世界、まるで別次元で訥々と続くもののようで、とてもとても懐かしい。地の臭いがする行事だ。民族、という括り、普段感じることが少ない手触りを感じた。


幽霊子育て飴、この怪談、聞いたことある! ほんとに店があんの!?びっくり。


ここには九相図という人が朽ちていく過程を描いた絵画や、あの世を図式したものが展示されていた。
地元の若いお母さんが小さい子どもとともにお参りにきていて、
「親より先に死んだらいけないんよ!」と賽の河原で石を積む子どもたちの絵を見せながら子どもに言ってて、なんとも微笑ましかった。

その後、三条あたりで薬膳料理のお店へ。写真は鱧&梅酒。美味!

夜の京都タワー、いいね。
お盆のロウソクのよう。