やっと週末。
学校は夏休みに入ったとはいえ、学習会があったり、美術の補習をやったり、
出張がかなりの頻度で入ってきたりなど、ばたばたしていた。
研究発表の原稿の方はもう大詰めで、日曜には完成版ができている予定。
昨日今日の出張で、もう何度目かもわからないほど赤を入れていただき、
今、修正を終えた。これでたぶんもういいと思う。
赤を入れてくださっている先生は、熱中症で今日37.5の熱があった。
それでも私たちのために来てくれたので、「大変!」とか、不満なんかとても言えない。
次は当日の発表スライドの制作が待っている。
2割ほど手をつけたけど、早めに始めて、早く終わらせたい。
嫌だなーと思っていても、
とりあえず手をつけちゃうのが仕事を終わらせるコツだと思った。
やり始めると意外にできちゃうものだ。
今回、研究に初めて携わって、
授業の進め方や評価の仕方、生徒の良いところの見取り方について学ぶことが多かった。
6人の発表者のうち、私ともう一人を除いて4人は研究の「常連さん」で、
とにかくやることが全て的確でムダがない。
仕事ができる人って、こういう人なんだなーといういい見本だ。
また、優れた教師の見本でもあると思った。
私たちの原稿をチェックしてくださっている20年選手以上のベテランの先生方や指導主事は、
人としてもおおらかで温かい。
美術科の先生にはたくさん会ってきたけど、なぜだか嫌な人はあまりいない。
美術の楽しさ、面白さに気付かせたい、
生徒に豊かな人生を送ってほしい、という切実な願いが、
美術科教員にはあるように思う。
特に、昨日今日と勤務校を会場として貸してくださった先生のところは、
最寄り駅を降りると、あまり所得の高くない集合住宅群がひしめいており、
学校の近くには高圧電線が走っている。
生徒も相当荒れ気味ヤンキーの巣窟らしいのだけど、そんな環境下ですてきな鑑賞の授業をされる。
他の授業はドロップアウトするヤンキーたちも、美術の授業は楽しみにしているらしい。
正直、私はこの学校で、授業をやれる自信はない・・と思ってしまった。
それなのに。
モネの絵の鑑賞だけど、本物の美術館のように環境を整え、
美しい額縁を借りてきて、本物と同じサイズの複製画を作って静かな音楽を流し、
おまけに「森林の香り」を空気清浄機で発生させて、
嗅覚まで総動員しての鑑賞授業。
生徒の書いた振り返りシートの質もとても高かった。
「俺は美術とは縁がない!と思っている奴に、美術の面白さや奥深さを知ってほしいんだよ。」
と、ベテラン先生は言っている。お坊さんのような先生である(外見も)。
すごい先生は、たくさんいる。
自分の頭の悪さ、というか論理的に書くことの難しさを嫌というほど知った。
わりと感情に任せて文章を書く方なので、
しかも文章を書くのは好きなのだけど、
「気持ちや思いはすごく伝わってくるけど、ここは分析的に書いた方がいいよ。」
と指摘された部分は多々あった。
ただ、「教師としての思いが伝わってくるのはとてもいいよね。」と褒められもした。
本当に本当に大変だし、難聴で療休をとらざるを得なくなったのも、
多分、このプレッシャーに寄るところが大きいのだけど、
それでもやって良かったと思っている。
こんなにすごい人たちと、意見の交換をしたり、自分の書いたものに対してコメントをもらえたりした。
考えを語ってもらったりもした。
教えることは今年で8年目だけど、何年やっても「これでいい!」という風にはならない。
いつもいつも、新しい課題が何かどこからか必ずやってくる。
原稿を見てもらって、健康診断も終わってほっとして、
近くのコーヒーショップで1時間ほどのんびりした。
こういう時間のために、旅行雑誌はかならず1冊は持ち歩いている。
今日は、もうすぐ行く「出雲・松江」のことりっぷ持参で。
向こうに着いたら、このチケット買っとこうかなとか、お昼はここかなとか、
脳内旅行に出かけて楽しんでいた。
この時間がとても幸せ。もしかしたら実際に行ったときよりも楽しいのではないか。
そういえば研究に携わっていいことが他にもあった、と思い至った。
それは、意識的に楽しくしよう、という意志が生まれたことだ。
夏の暑い昼間、
クーラーをかけて、妹とふたりでタオルケットにくるまりながら、
怖い番組を見てたとき。
その横で、竹素材の枕で、祖父がうたた寝をしていたとき。
そのまた横の台所で、祖母がスイカを切ってくれていたとき。
幸せって思う時間をイメージしたら、いつもこの映像が出てくる。
けど幼い時間も、祖父母も、もう全て失ってしまった。
幸せと思える時間は、意識的に作らなきゃなあ、と最近思う。
情緒にまかせておくと、後ろばかり振り返るから。
学校は夏休みに入ったとはいえ、学習会があったり、美術の補習をやったり、
出張がかなりの頻度で入ってきたりなど、ばたばたしていた。
研究発表の原稿の方はもう大詰めで、日曜には完成版ができている予定。
昨日今日の出張で、もう何度目かもわからないほど赤を入れていただき、
今、修正を終えた。これでたぶんもういいと思う。
赤を入れてくださっている先生は、熱中症で今日37.5の熱があった。
それでも私たちのために来てくれたので、「大変!」とか、不満なんかとても言えない。
次は当日の発表スライドの制作が待っている。
2割ほど手をつけたけど、早めに始めて、早く終わらせたい。
嫌だなーと思っていても、
とりあえず手をつけちゃうのが仕事を終わらせるコツだと思った。
やり始めると意外にできちゃうものだ。
今回、研究に初めて携わって、
授業の進め方や評価の仕方、生徒の良いところの見取り方について学ぶことが多かった。
6人の発表者のうち、私ともう一人を除いて4人は研究の「常連さん」で、
とにかくやることが全て的確でムダがない。
仕事ができる人って、こういう人なんだなーといういい見本だ。
また、優れた教師の見本でもあると思った。
私たちの原稿をチェックしてくださっている20年選手以上のベテランの先生方や指導主事は、
人としてもおおらかで温かい。
美術科の先生にはたくさん会ってきたけど、なぜだか嫌な人はあまりいない。
美術の楽しさ、面白さに気付かせたい、
生徒に豊かな人生を送ってほしい、という切実な願いが、
美術科教員にはあるように思う。
特に、昨日今日と勤務校を会場として貸してくださった先生のところは、
最寄り駅を降りると、あまり所得の高くない集合住宅群がひしめいており、
学校の近くには高圧電線が走っている。
生徒も相当荒れ気味ヤンキーの巣窟らしいのだけど、そんな環境下ですてきな鑑賞の授業をされる。
他の授業はドロップアウトするヤンキーたちも、美術の授業は楽しみにしているらしい。
正直、私はこの学校で、授業をやれる自信はない・・と思ってしまった。
それなのに。
モネの絵の鑑賞だけど、本物の美術館のように環境を整え、
美しい額縁を借りてきて、本物と同じサイズの複製画を作って静かな音楽を流し、
おまけに「森林の香り」を空気清浄機で発生させて、
嗅覚まで総動員しての鑑賞授業。
生徒の書いた振り返りシートの質もとても高かった。
「俺は美術とは縁がない!と思っている奴に、美術の面白さや奥深さを知ってほしいんだよ。」
と、ベテラン先生は言っている。お坊さんのような先生である(外見も)。
すごい先生は、たくさんいる。
自分の頭の悪さ、というか論理的に書くことの難しさを嫌というほど知った。
わりと感情に任せて文章を書く方なので、
しかも文章を書くのは好きなのだけど、
「気持ちや思いはすごく伝わってくるけど、ここは分析的に書いた方がいいよ。」
と指摘された部分は多々あった。
ただ、「教師としての思いが伝わってくるのはとてもいいよね。」と褒められもした。
本当に本当に大変だし、難聴で療休をとらざるを得なくなったのも、
多分、このプレッシャーに寄るところが大きいのだけど、
それでもやって良かったと思っている。
こんなにすごい人たちと、意見の交換をしたり、自分の書いたものに対してコメントをもらえたりした。
考えを語ってもらったりもした。
教えることは今年で8年目だけど、何年やっても「これでいい!」という風にはならない。
いつもいつも、新しい課題が何かどこからか必ずやってくる。
原稿を見てもらって、健康診断も終わってほっとして、
近くのコーヒーショップで1時間ほどのんびりした。
こういう時間のために、旅行雑誌はかならず1冊は持ち歩いている。
今日は、もうすぐ行く「出雲・松江」のことりっぷ持参で。
向こうに着いたら、このチケット買っとこうかなとか、お昼はここかなとか、
脳内旅行に出かけて楽しんでいた。
この時間がとても幸せ。もしかしたら実際に行ったときよりも楽しいのではないか。
そういえば研究に携わっていいことが他にもあった、と思い至った。
それは、意識的に楽しくしよう、という意志が生まれたことだ。
夏の暑い昼間、
クーラーをかけて、妹とふたりでタオルケットにくるまりながら、
怖い番組を見てたとき。
その横で、竹素材の枕で、祖父がうたた寝をしていたとき。
そのまた横の台所で、祖母がスイカを切ってくれていたとき。
幸せって思う時間をイメージしたら、いつもこの映像が出てくる。
けど幼い時間も、祖父母も、もう全て失ってしまった。
幸せと思える時間は、意識的に作らなきゃなあ、と最近思う。
情緒にまかせておくと、後ろばかり振り返るから。