しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

桜色に染まる その5

2018-04-01 17:44:40 | 日記
三条駅から地下鉄東西線に乗り、烏丸御池で烏丸線に乗り換え、京都駅へ。
まだ18時過ぎ。

はたと東寺がライトアップされていることを思い出した。
近鉄線なら東寺まで一駅と少し歩く程度。せっかくだから行ってみる。
以前行ったときも美しかった。

ところが!
前回はすっと入場できたのに、なんと入場する前に300メートルほどの大行列ができていた。
25分ほど列に並んだまま待った。

そしてようやく入ることができた東寺は別世界のようだった。

待った甲斐があった。しかも今日は満月でブルームーン。なんて美しい!

塔と月と桜を同時に撮ろうと多くの人が悪戦苦闘して写真を撮っていた。







水面に映る桜。


なんだか思い残すことがないほど短い時間で京都の春を満喫できた。
桜をこれほどたくさん、ゆっくりと眺めたのは実は初めてかもしれなかった。
大学時代に京都にいて、毎年桜を見てたはずだけど、こんなに心から美しいと感動したことはなかった気がする。
年齢を経ないとわからないこともあるのかもしれないな。

21時37分京都発。
新幹線の中でこの記事を八割ほど書いたところで、新横浜着23時27分。



優しい色彩とふんわりとした空気の桜満開の春を満喫しながら、
鋭いもので追い詰められたような切迫感から、ようやく逃れられたような気持ちだった。

固定された人間関係の中でギリギリの、自分の感じたままを見失うかもしれないような怖さを感じていたのだろうか…同じであれ、という常に感じる何かの力。
それを押し返すほどの自我の強さもなく、かといって、完全に受け入れてしまえるほどの度量もない。
自分が「溶けていく」のではないか?という気持ちだけが、深いところに常にあったような気がする。
要するに、ちょっと毎日に疲れてたんだなーー。

一人で旅することは少しさみしいけれど、誰ともあまり話さない分、自分の深いところに隠れている気持ちに近づくことができるから、やっぱりたまには必要だと思う。

桜色は心を癒す。
熊野若王子神社の桜花苑で、戦死させてしまった生徒のために桜の木をたくさん植えた先生は、自らの心も、その桜色で癒されたことだろう。

一年のスタートが桜色に染まった世界から始まるのは、天からのプレゼントのような気もした。
よい一年でありますように!!!


*熊野若王子神社で思い出したけど、これがおみくじの入っていたヤタガラスくん。
どんごれした感じがキュート。職員室の私の机の上に住むことになりました。

桜色に染まる その4

2018-04-01 17:14:02 | 日記
北野白梅町で下車。
木造の旧式な住宅と、古びた商店街の中に、ひっそりとその神社はあった。
大将軍とは陰陽道で星や方位を司る神様のことらしい。
それだけでもう充分ロマンティック!
陰陽道、野村萬斎さんと羽生結弦くんがイメージで出てくる。涼やか…。
あ、そういうことじゃないか…。
星の運行からいろいろ占う陰陽道。平安時代は重要視され、これで政治が変わったようだ。

この神社、あらゆる災厄から守ってくださる方位除けの神様として、かなり有名な神社らしい。
平安時代から残る由緒正しい神社。


境内には星が。

ご利益のあるという北斗七星のデザインの御守りを購入。
自分の干支のを選ぶ。干支ごとに違う。
北斗七星の中の、赤く表現してある星に向かって祈るといいという。北斗七星っていうのがかっこいいから…。


大将軍八神社にいろいろ感動しつつ、近くの北野天満宮へ。
普通はこちらがメインになるものかもしれないけど、5月にも修学旅行で行くし・・。
クラスに貼る合格祈願の御札はそのとき買おう。



お参りをして、ちょっと小腹が空いたので近くのお店へ。
ここ、前任校の修学旅行で職員同士で行ったことがあった店「四恩」。
昨日に引き続いて、またまたにしんそばを注文。いやいや、美味しいんです、これが!
すっかりにしんそばが好きになってしまった。

やっと写真を撮る。今までは食べることに必死過ぎた・・・。

時間は16時頃。新幹線は東京に着く最終である21時37分発だから、まだまだ時間はある。
しかし油断は禁物…ということで、タクシーで京阪三条へ。
結構遠いのよね。1380円なり。



昨日入れなかった豆腐料理の店をちらっとのぞくと、時間が時間なのでわりと空いてる!
しかし、さっきにしんそばを食べたばかりなので(後悔…)、豆腐づくしの定食など入らない。
仕方がないから、デザートを、と豆腐チーズケーキと豆乳を注文。
数年前、大雪の日に来たときはコーヒーもメニューにあったけど、それだけで長居されるのが困るからか、なくなっていた。
豆腐チーズケーキは、見た目だけでなく、味の方も85%くらい豆腐だった。

爽やかな味。豆乳は搾りたてで身体に沁みた。

そこから三条の商店街を少し歩き、そのあと鴨川の賑わいを、ぼんやり見ていた。
懐かしいなあ。全然変わらない。


まだ時間はある。とりあえず、京都駅まで戻ろう。

桜色に染まる その3

2018-04-01 16:44:31 | 日記
銀閣寺への参道も人で賑わっていた。
グリーンティーをテイクアウトする。
そのまま銀閣寺へ…と思ったけれど、銀閣寺は何回も今まで行ったし、こんなに人がいては疲れると思い、銀閣寺に入らず、人のいない、参道から左の道へ曲がった。
誰もいない。
と、そこに大きな鳥居が見えた。神社だ。

近くに寄ると「八神社」という名前の神社があった。
ほとんどの人が銀閣寺目当てなので、ここには人が来ない。
しかも無人の神社だった。

誰もいない神社というのは不気味だけど、なんとなく心惹かれた。入ってお参りしてみる。

携帯で由来を調べたら、かなり由緒正しい神社だった。
しかも、無人だからお金を箱に入れ、引いたおみくじは「8番」の大吉だった。
なんだか不思議な気持ちになった。八繋がり。末広がりー!

励まされる内容・・ちょっと元気でた。



携帯で調べている途中、八神社という名前のまた別の神社が京都市内にあることを知った。
大将軍八神社。陰陽道と関係があり、かなりのパワースポットらしい。俄然行きたくなった。
調べていたら203系統のバスで直接行けることがわかった。
でもちょっと休憩したい。

携帯の地図を見ていたら、京都大学まで歩いていける距離だったので、カフェの進々堂に行ってみることにする。
進々堂は学生時代からちょっと憧れのカフェだった。
大きな机に向かい、注文したトーストとコーヒーを脇に置いて熱心に勉強する京大生や教授が集まる店だ。
私は近隣の大学の学生だったけれど、そういう意味でなんだか敷居の高い店のような気がして、当時は入れなかった。

進々堂はそんなに混んでいるというわけでもなく、温かいカフェラテを注文した。
白い小さな角砂糖が二つついていて、懐かしい感じだった。
普段は砂糖は要らないのだけど、歩き疲れていたので、角砂糖を一つ、カフェラテに混ぜた。ふっと和んだ。
写真とっとけば良かった!


203系統のバスに京大農学部前から乗り込む。
結構混んでいた、と後ろから「ここに座らはる?」と声をかけられた。
70歳代くらいのおしゃれな女性だった。彼女がいる二人がけの席の窓側が空いていたのだ。
座ると京都弁で話しかけられた。旅行中、私はかなりの高確率で高齢の女性に話しかけられる。
ここまで来るともう特技だ。履歴書にも書けそうだ。

「若い人が座ってると、席を譲らないって怒る年寄りもいるけど、最近は若い人も疲れてはるもんねえ。」。
疲れて見えたんだろうか…
という私の疑問をよそに、「ここの人?」と聞かれたので、旅行で来てます、と答えた。
「ほんとは昔4年ほど住んでました。」とは余分なので言わなかった。

「京都はね、バス移動だとえらい時間がかかるから、今回はこのエリア、とか決めて旅行するのがいいんよ。嵐山行くのにバスは絶対ダメ…」
などなど、いろいろ旅するコツを教えてくださった。

大将軍八神社のある北野白梅町までだから、バスで一本道のはずだ。
あまり時間はかからないのかと思いきや、道路も混むし、バス停ごとに大量に人が乗車してくるし、結果的には長いこと、その女性と話すことになった。

元々は八坂の塔あたりに住んでいたけど、あまりの観光客の多さに生活が不便になり、北野白梅町付近に引っ越したこと。
今日は吉田神社近くにある薬屋さんに腰痛の薬をもらいに行った帰りであることなど、いろいろ話してくれた。


彼女はただ話し相手が欲しかったのかもしれないけど、一人で旅してる私は、そのたわいないコミュニケーションがとても嬉しかった。
窓から風景を一人で眺め続けているような、誰とも何も共有できない孤独感は、短くても一人旅にはつきもののような気がする。


最後、その女性がバスを降りるとき、「良い旅を!」と話を結んだ。爽やかな気持ちになった。

桜色に染まる その2

2018-04-01 16:44:19 | 日記
6時頃目覚める。
真新しいシーツに嬉しくて思わす二度寝したので、チェックアウトは8時半頃になった。朝ごはんはなし。

荷物をホテルに預け、京都駅へ。
朝は食べなくてもコーヒーは飲みたい!ということで、駅の地下にある小川コーヒーへ。カウンターには海外の方がいっぱい。
朝のセットメニューもあったけど、先をちょっとだけ急ぐ私は温かいカフェラテをテイクアウトで。
海外からの旅行客の人たちがリュックに軽装で、カッコよくコーヒーをテイクアウトしていく姿を自分に当てはめてみたけど、私がやるとなんか違うのが切ない。
何はともあれ、小川コーヒーのカフェラテは豆もいいのか美味しい。


そのまま地下鉄で烏丸御池へ、そこから東西戦に乗り換えて蹴上まで。
蹴上駅から歩いて10分もかからないところに南禅寺はある。
南禅寺といえば、あのレンガのロマンティックな水路。何度見てもいいよね。




で、南禅寺。

南禅寺から北上する。

哲学の道まで行って、更に銀閣寺方面まで行こうという算段だった。
哲学の道は桜満開の時期にちょうど当たった。
風が吹くと桜吹雪が散り、その美しさに何度も足を止めた。




道々、知らなかった寺社に立ち寄ってみた。


永観堂(禅林寺)。*写真撮影は一切禁止でした。

ここは「もみじの永観堂」と言われているところらしく、秋の観光名所として知られているらしい。
今は春だから、観光客の多くが立ち寄らない。
しかし美術資料か何かで「みかえり阿弥陀如来立像」を見たことがあり、首を後ろの方にひねっている独特なポーズの仏像が、このお寺にあると知り、行ってみた。

写真撮影禁止になっているので撮影は何もできなかったけれど、「みかえり阿弥陀如来立像」を実際に拝めたのは良かった。
正面からだけでなく、横からの方がお顔が拝見できるので、横からもお参りできるようになっていた。

修行をしていたこの寺の主人であった永観の前にいつの間にか現れ、振り向いて「永観、遅し。」と言ったとされているらしい。
なんだか、人間味のある仏像さんだ。
絵のスズメが、欄間から飛んで行ってしまった跡がある、というのもあった。不思議なことが事実として普通に書かれている。
ここの修行僧の方々がお勤めをしている姿を間近で拝見することもできた。
びっくりしたのは修行僧の中に、明らかに中学生くらいの子どもがいたこと。
2人いた。あの2人は一体…高らかにお経をあげていて、度肝を抜かれた。



熊野若王子神社。

桜の可憐さに思わず立ち寄るが、ここでちょうどいいサイズのみたらし団子と甘酒をいただく。
ついでに昨日買ってて食べられなかったおにぎりも食べる。
桜以外に気が散りまくりだ。


なぜか、ヤタガラスの置物の中に紙が入っているという可愛いおみくじを売っていたので購入。
中吉だったので、おみくじの紙は結んできた。

境内の裏山には桜花苑という小山があり、その昔、教え子を戦争に送ってしまったことを悔いた教員が、教え子の鎮魂と、平和を願う気持ちから桜の木をたくさん植えたということだった。

哲学の道は観光客でいっぱいだった。
桜満開の時、国籍も性別も何もかも超えて、そこにいる人はみんな笑顔だった。

そんな中、犬が飼い主を散歩させてた。

・・・・平和。


哲学の道から銀閣寺方面に向かう参道に入る少し手前、弥勒院という小さなお寺がある。
そこの幸せ地蔵尊という優しい響きの言葉に惹かれ、ちょっと中に入ってみる。
狭い境内には所狭しと屋台が出ていた。ハンドメイドのお店ばかりだった。

麻で作ったブレスレットやアンクレットを売っているお店をのぞいてみた。
麻というのは強力な魔除けになるというのを聞いたことがあった。
値段もそんなに高くないので、2本購入した。
プレゼントしたい友達がいたのだ。
最近ずっと怪我が絶えない友達がいた。気休めでもいい、彼女にあげたかった。

桜色に染まる その1

2018-04-01 16:07:24 | 日記
土日はだいたい毎週、習っている武術の練習がある。
なので旅好きな私も、ここ最近はめっきり旅に出なくなっていた。

教員生活がちょうど満10年になった昨年春、勤続10年祝の旅行券15000円分を頂いていた。しかし忙しさの中でその券の存在はすっかり頭から消えていた。

年度末で担任だったクラスも解散、なんとなく空っぽな気持ちで机上整理をしていたら、この券を見つけた。
使用期限は18年3月31日…使わなければ!!ちょうど5週目にあたるから武術の練習もお休みだった。行くしかない。



というわけですぐに旅行会社に行き、京都の宿を探してもらった。私にとって京都は、何度行っても飽きない場所だし、しかも桜満開の時期。
本当なら30日から二泊くらいしたかったけど、土日にかけての宿はなかなか見つからなかったので、金土の一泊にした。
京都駅から徒歩1分のホテル京阪京都グランデ宿泊+往復の新幹線で35000円。旅行券に20000円を足して、すぐに手続きをした。

夜に到着するから、夜間拝観できる寺が多い東山区付近を中心に回ろうとだけ大雑把に決めた。
誰かと行くときは、ご飯の場所も予約するほど相当綿密に計画を練るのだけど、一人だと気の向くまま。気楽な旅。

30日は午前中、仕事に出て、午後は年休を取った。新横浜駅で新幹線の中で読む本を物色する。
小説って気持ちじゃないけど、かといって実用書もつまらない。だからといって小難しい哲学書や専門書も嫌だ。。。
と贅沢なことを考えながら書棚を眺めていると、面白そうな本に出会えた。



「人工知能の見る夢は ~AIショートショート集~」

星新一氏のショートショートのテイストが大好きだった中学生時代を思い出した。
AIについてもちょっと知りたいし、何より面白そうなのは、有名なSF作家が書いたショートショートに、その道の研究者が解説を付けるという画期的な企画なのだ。
このショートショートは人工知能学会というところが出版している研究誌に掲載されていたものらしい。
空想と科学のコラボレーション、旅の友はこの本に決めた。
AIのもたらす未来はバラ色なのか、それともそうでないのか。
様々な視点から語られる未来は、AI云々を超えて、じゃあ人間ってなんなのか、という存在の哲学にまで考えが及ぶものだった。



考えがまとまらぬ間に、京都駅に到着。
18時頃。薄明るいが夜、しかも結構寒い。コートを着てきたのは正解だった。
京都は昼間、気温が上がっていたらしく、道行く人には薄着の人が多かったが、口々に寒い寒いとぼやいていた。
ホテルにチェックインして荷物を置くと、清水寺が夜間拝観をやっている。
しかも桜が美しいと聞いたので、とりあえずそちら方面に向かうことにした。あと、学生時代にみた円山公園の夜桜が息をのむほど美しく妖しかったので、そちらにも行きたかった。



206系統のバスに乗ればいいんだけど…やはり京都駅のバス停は人でごった返していた。
ご飯を食べてから行こうかな…と思ったけれど、時間的にご飯屋さんも人でごった返していたので、アバンティのおにぎり屋さんで残っていたおにぎりを2つ買う。どこかで食べよう。

住んでいたものの強み、地理は把握している。というか京都は碁盤の目のような道だから明快だ。
京都駅から京阪七条まで歩くことにした。京阪電車で四条まで行けば、円山公園や八坂神社は歩いてすぐだし、健脚向きだけど、そこからそぞろ歩いて清水寺まで行こうと思えば行ける。

京阪電車で三条に到着し、豆腐料理の美味しかったお店で夕飯を食べられないかなあ…と覗いてみたけど、ものすごい混みようだったので諦め、京阪三条の駅のお蕎麦やさんに入る。
せっかくだから、京都っぽいものをと思って、にしんそばにする。これが美味しかった!
そして京阪電車で四条に移動、祇園を歩く。
昔もこんなだったか…観光客が残していったらしいゴミが道の脇に転がっていた。




八坂神社は屋台で賑わっていた。
お祭り気分でそぞろ歩き、円山公園へ着くと、ライトアップされた桜の木々の下でたくさんの人たちが大宴会中だった。
日本人って桜がほんとに好きなんだな…この時期、みんな頭の中まで桜色みたいだ。





桜を眺め、清水寺方面に向かう。あらかた沿道の店も閉まっているし、距離もあるから歩いて行こうとする人は少ない。だからこそ夜の京都の妖しさを味わうことのできる、静かでなかなかいいコースだった。この辺り、夜に歩くのおすすめ。







*清水寺。のんびり歩き過ぎて夜間拝観の時間にギリギリ間に合わず・・・。外から撮りました。でも今、工事中だそうです。

で、結局、おにぎりを食べることなく、バスで京都駅まで戻る。21時45分頃。
にしんそばはとても美味しかったけど、京都の夜にそれだけというのはちょっと切ない気がして、以前の旅でたまたま入って美味しかった、京都駅から歩いてすぐのビル2階にある京野菜の料理屋さんへ。ちょっと飲みたかったのよね。

チーズとシソの湯葉巻き、京野菜のグリル、シャケといくらの釜飯、梅酒と京野菜のカクテルを注文する。野菜が美味しいのでバリバリ食べる。にしんそば食べてるんだけど…。
一人で来てる人はいなくて、周囲は女性二人でという人たちが多かった。野菜メインだし、女性に人気のお店のようだった。

食べながらなんとなく耳に入ってきたワードがあった。「中体連」…え。それって。
中学校教員、しかも運動部の顧問しか使わないワードである。中学校体育連盟の略だ。
カウンター式のテーブルで二つ向こうの椅子に座っていた着物を着た女性二人は、どうやら中学校教員のようだった。
自分が持っていたクラスのLINEトラブルの話、扱い辛かった生徒のこと…おそらく同じ教員仲間と旅行中なんだろう。
日頃あまり言えないことを発散していた。

異世界を感じたい夜なんだけど、どこに行ってもなんだか職員室っぽいよなあ、と飲みながら思った。

そのあとのんびりホテルに帰り、1時頃就寝。明日は南禅寺方面がいいな。

いろんな色で描きたいから

2018-01-26 23:52:49 | 日記
2015年あたりからしばらくブログを休んでいた。
その頃から知り合いの多いfacebookの方に徐々に投稿を移行していったのだけど、最近、facebookの方に自由に記事を書けなくなってしまったので、ブログに復帰することに。

自由に書けなくなったというのは。

何かの集団に属すると、当然そこに新しい人間関係ができる。
私はいろんなことに興味があって、いろんなことに首を突っ込んでいるから、いろんな集団に所属している。
で、そこらをわりと自由に行き来して、どの集団の人たちも優しくてフランクだったから、思ったことや感じたことをfacebookに書いていたのだけど、そういう私の生き方を気に入らないのか、その人のいる集団のことだけを記事に書けという人がいる。

面倒なことは嫌だから、気が向く限りはそのことを書けと言われれば書くし、書くことで考えることも多く、自分自身に実りもあるので書いている。
けど私はもっといろんなことに興味を持ち、いろんなことを考えるから、本当はいろんなことを書きたい。
他のことを書くことを否定され、自分の自由な心とか人生観も否定されたみたいでかなり悲しかった。そしてそう言ったのが自分の尊敬してる人であったことが余計に悲しかった。


私とfacebookで繋がっている人なら、最近の私が投稿する記事の内容が偏っていることにすぐ気付くだろうな。

知り合いの方々、もしこのブログを読んでいたらそういうわけなんで、facebookの方も、もちろん本音なんだけど、それだけじゃないってことで。
大好きな美術のこと、ステンドグラスのこと。勤務先での悲喜こもごも。最近じゃあ忙しくてすっかり行けなくなってしまったけど旅行のこと。

いろんな色で彩られているのが私の生活であり、一生なんだから。



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ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その3

2015-08-18 23:43:31 | 日記
3日目、最終日。晴れた!
朝ご飯前に、今度は歩いて天河大辨財天社へ。6時40分から朝拝というのを行っているらしい。
「毎日ですか?」と民宿のおかみさんに聞くと、
「雨の日も雪の日も毎日なんですよ。」とのこと。

歩くと、神社まで20分ほどかかる。村道をひたすら歩く。見渡す限り、下は川、上は山。霧が山に立ち込めている。






とても美しい、絵画のような風景なのだけど、私はとてつもない恐怖を感じてしまった。
空の果てがわからない。宇宙と直に繋がってる気がして、どこまでも広がっている。広所恐怖症の気がある私は、思わず屋根があるところに逃げ込みたくなった。広すぎる、自分がちっぽけすぎる。
ちなみに天川は、UFOの目撃談が多いところなんだそうだけど、納得した。
宇宙と繋がってる感が、ここはほんとに体感できる。ある意味、怖いところだ。

やっと見つけた自販機でミルクティーを買って気持ちを落ち着ける。
私はなんて卑小なんだろうな。。。

神社では既に朝拝が始まり、太鼓の音と笛の音、祝詞が聞こえてきた。
8名ほどお参りの人がいる中、清々しい雰囲気で20分ほどの朝拝が終わった。
お参りにきている方々は通りすがりにみなさん、挨拶をしていかれる。
爽やかで温かい雰囲気だった。









帰って朝ご飯。2日目の朝は写真を撮り忘れたので、今朝はきちんと撮る。
炊飯器に残ったごはんはおにぎり3つに。

2時間ほど部屋でのんびりして、今日はもう帰るばかりの日。
民宿のご夫婦に丁重にお礼。
ご飯も美味しかったし、名所もいろいろ教えてくださった。細かいところまで気を配っていただいて、田舎の実家に帰省したように快適だった。

11時35分天川川合発の奈良交通のバスに乗る。バス停に民宿のご主人が車で送ってくださったのだけど、その前に天川で一つしかないお土産屋さんに寄ってくださった。山椒味噌など購入。

行きと同じように1時間バスに揺られる。どうやら今年度だけ試験的にやっているらしいのだけど、奈良交通バスではキャッシュバックの特典があり、証明書さえあればバス代はいらない、もしくは宿で立て替えてもらえるのだった。これで3000円ほど得をした。ずっとやればいいのに。

証明書はこんなの。

近鉄の下市口から近鉄電車、橿原神宮前まで普通で、そこからは乗り換えて特急で京都まで。橿原神宮前で柿の葉寿司を購入。さっき食べたけど、
とっても美味しい。
もっと買ってくれば良かった!後悔先に立たず!


実はバスに乗った頃から熱っぽい感じがしていた。いろいろ考え込んだし、動き回ったから身体は消耗してるのかもしれない。
けど、心に静けさを取り戻したというか、それはいつでも本来ならばあるものなんだと気づかされた。
天川では、ゆっくりと静かに時間が流れていた。コンビニも大型量販店もない。ただ、山と川がひたすらあるだけだ。しかし、それら命あるものに過剰なほど囲まれて初めて、うーん、なんだろ、自分も悠々と生きてよい大事な命なんだ、と思うに至った。

忙しく、人が溢れる都会では、どうしてもそのペースで生きなければいけないと自分を追い詰めて、できなければ脱落者のような惨めな気持ちになってしまうこともある。自分を大切にしないことが常態化してしまうし、それを自覚することすらできない。


天川に来て良かった。ゆっくり時間が流れ、心の澱は綺麗な水に流された気がする。
また自分を大切にできなくなりそうになったら、ぜひ行きたい。
あ、今度は晴れていたらばっちり見えるという、本物の天の川が見たいな。





ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その2

2015-08-18 21:45:13 | 日記
2日目。明け方に大雨。夜中にそういえば雷も鳴っていた気が。
朝ご飯のとき、民宿に宿泊してたご夫婦が、
「4時とか、とにかくまだ暗い時間に、川が増水してますっていう村内放送があって驚いた。」
とおっしゃっていた。私は深く眠っていたからか、聞こえていなかった。

お腹いっぱいに朝ご飯を食べると、サランラップと食卓塩と梅干しを持ってきてくださり、
「炊飯器にあるご飯でおにぎり作って持って行ってー!」と言われた。
梅干しを入れたおにぎりを2つ作り、持っていくことにした。
2日目は天川川合のバス停から20分ほどのところにある洞川(どろかわ)温泉というところに行ってみることにした。

ここは修験道の登山基地として栄え、旅館やお土産物屋、食事処が軒を連ねて、小さな温泉街を形づくっているところ。



こういう感じの風情ある旅館がたくさん。雨降りで、一見すると人は少ないように見えたが…。

もらったマップ片手に、自然遊歩道と記されたところに行ってみることにした。しかし、遊歩道とは名ばかり(?)の、アップダウンの激しい、結構険しい道だった。
通り過ぎる人も少ない鬱蒼とした木立が続く。薄暗い。かなり不安になる。


八幡宮のあたりでは白装束を来た人たちもいた。修験道の行者さんたちだろうが、女性が多い、というかほとんど女性だったのには驚いた。


木立を20~30分ほど歩き、龍泉寺というお寺へ。写真さすがに撮りづらかったんだけど、甚平をきて、法螺貝吹いてる人がいた。時々、プヒッ、とか明らかに失敗した音を出していた。あの人は一体…。

あれ?鳥居?…お寺じゃないっけ?
この形の鳥居、天河大辨財天社にもあった。奈良県スタンダード? 初めてみた形。いろいろ不思議。

この時点でまだ午前11時ぐらい。14時後半のバスに乗って天川川合に帰る予定だったので、まだまだ時間がある。

自然遊歩道に戻り、かりがね橋という吊り橋を見る。

景色、綺麗だな。

そこからまた引き返して、面不動鍾乳洞へ。歩いても登れる場所にあるけど、頭が痛かったので、モノレールで登ることに。ここで初めて、結構たくさんの家族連れがいることに気がついた。鍾乳洞は子どもたちにとって、ドキドキするところだろうな。



鍾乳洞の中は平均8度らしい。入り口に入ると、寒っ! 半袖が辛い。ライトアップされた岩が人工的にみえるけど、全部自然のもの。しかも中はかなり広い。





そうこうしてたら雨が強くなってきた。普段あまり食べないのに民宿で夜も朝もたくさん食べているので、お腹いっぱい。だからお茶しよう、どこかでひと休み、と思って歩いていたら、不思議な雰囲気のカフェ兼アクセサリーショップが。

天然石や布、金属を使ったアクセサリーが個性的で、特に金属のに見入っていると、店主の女性に声をかけられた。
「それはタイの“カレン族”という少数民族の使っている印の型を押してます。魔除けの意味があるんです。」

アクセサリーは全て、この方の手作りで、金属のシリーズはタイに行ったときに、自分で買い揃えてきたパーツで作ったという。織物作家さんだという。
織り機が置いてある。

大阪にいたのだけど、その時は「売れるブランド」を意識してモノづくりをしていたらしい。生まれ育った洞川に戻ってきて、いらない情報があまりないためか、自分の中でいろいろなものが削ぎ落とされていくことを感じ、本当に作りたいな~と思うものが作れるようになったという。カフェも、やってみたいからやってみた、とのこと。
豆乳チョコレートのケーキとチャイを飲む。美味しい!
訪れた人が書くノートがあった。前のノートが書き込みでいっぱいになっていたので、新しいノートを持ってきてくださった。なんとそのノートで42冊目!!

こんなふうにびっしり書いてある。何年か後に来て、自分が書いたのを探して盛り上がったりするらしい。そういうのも楽しい。
私も書いたよ。

何年か後に来て見たい!その時の私は、どんな生活してるだろうな。未来へのお手紙みたい。

その後、雨上がりの道をふらふらする。道々に『陀羅尼助』という看板が。

うーん、妖しげ…。
なんだろうなーと思っていたら和漢の胃腸薬だった。だらにすけ、と読む。由来は古く飛鳥時代まで遡るらしい。
今でも名産品なんだな。
あと50分ほどバスの時間まであるので、バス停近くで名水珈琲と葛餅を食べる。
もう珈琲が美味しくて!部屋にもインスタントコーヒーが置いてあるのだけど、水がきれいだからほんとに美味しいのだ。
水と葛はここの名産だから、堪能し尽くした。

砂糖いらない。

天川川合まで帰ると、民宿の方が迎えに来てくださっている。車に乗って、みたらい渓谷へ。

ここ、映画で使われた気がする…。
エメラルドグリーンの水、なんて美しい。流れはわりと急。


その後、またまた天の川温泉へ。空いてた~、のんびり入る。昨日は人が多くて露天風呂は諦めたけど、2日目は入ることができた。


夕飯のボリュームが…!
普段、お肉は食べないのだけど、民宿の方がじっーとみてる中で、残すわけにはいかないでしょう!!

魚の食べ方が上手いわあ~と褒められた。魚、好きなんです…。

写真にはないけど、後でトマトをデザートにいただく。昨日も食べたけど、甘いの! 驚いた。
雨脚が少し強まった。満天の星は今回はお預け。また来るしかない。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心も解けていく。もっといたいけど、明日が3日目、最後の日。
















ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その1

2015-08-17 17:27:12 | 日記
先日、母との京都旅行が終わったばかりだけど、その余韻に浸る暇なく次の旅へ。
私としてはこの夏のメイン行事、憧れの奈良県吉野の奥にある天川村へ。

天川村近くの大峯という場所は修験道の道場で有名らしく、たくさんの霊場があるらしい。
なかでも山上ケ岳は日本最古の山岳信仰の聖地で、今だに女人禁制の地。

大峯山寺や修行の道である大峯奥駈道は世界遺産になっている。

天川村も歴史的に重要な場所で、古くは飛鳥時代の大海人皇子が壬申の乱で勝利したときに吉野総社として天河神社の神殿を造設したという言い伝えがあったり、南北朝時代、後醍醐天皇や彼に続く数名の天皇がこのあたりを南朝奥吉野の拠点にしていたという。

また今回一番行きたい場所である、日本三大弁財天の筆頭と言われている天河大辨財天社に御所が置かれたりしていたという。

なぜ、天河大辨財天社に行きたかったかというと…。

実は高校時代にみた映画「天河伝説殺人事件」の舞台だったから!(笑)



ちょっと前に不食で話題になった榎木孝明さんが主役の浅見光彦、素敵だった!

ジェット・リーと榎木孝明さんが私の10代の頃の理想の男性像!
どちらも浮世離れしてるっちゃあ、してるけど…どうでもいい情報。

それはさておき、「天河伝説殺人事件」でえがかれていた天川という場所の神秘的な美しさが忘れられず、いつか行ってみたいなと密かに思い続けていたわけ。




ちなみに5月に行った竹生島の辨財天様と、6月の修学旅行で行った厳島神社の辨財天様を加えて、日本三大辨財天というらしい。(江ノ島の辨財天様がはいることもあるらしい。)
一年間、いや半年の間に日本三大辨財天様全てにお参りすることができるわけ!

新幹線で京都まで、そこから近鉄奈良線の特急で橿原神宮前まで、吉野行きの各停に乗り換えて下市口まで。
ここまでで約5時間ちょっと。
そこから今度は奈良交通バスに揺られて山道をひたすら登り1時間。途中で「○○さん宅前」というバス停があったりしてびっくり。
橿原神宮前の駅で見たのが最後、その後、コンビニらしきものはどこにも見当たらない、本物の秘境だった。

ようやく天川川合(てんかわ かわあい)というバス停に到着。そこで宿泊する民宿のご主人が車で待っていてくださった。


バスは「天の川(てんのかわ)」という川沿いを走るのだけど、たくさん川遊びに興じる人がいた。親子連れ、はたまた大学のサークルメンバーっぽい人たちなどなど。
民宿のご主人は、そういう人たちをあまりに良く思っていないようで、
「人気が出るのはいいんですが、若い方が天川には似つかわしくない格好(ビキニとか!)で歩き回ったり、バーベキューのゴミをそのまま置いて帰ったり。かなり迷惑してるんですよ。今日も村道に車を置いている人がいて、警察に苦情言わせてもらいました。」
とおっしゃっていた。
天の川は透明度がとても高く、飲んでも大丈夫なくらいらしい。でもそれは意識して守っていかないとたちまち汚れてしまう。天川へ行く人は、ゴミの始末や交通ルールを守るなどの基本は守ってほしい。


いったん宿に荷物を置き、お茶とお菓子をいただいた後、今回の第一目的である天河大辨財天社に車で連れていってもらった。
ここは芸能の神様として有名で、長渕剛が結婚式を挙げた場所としても有名。能楽関係の資料も多数保存されているという。

で本物の天河大辨財天社は、思っていたよりも小さめだったけれど、やはり清浄な「気」に満ちているところだった。
鈍感な私でもわかるぐらい。
しばらく座っていたらずんずん元気が出てきたし、迷いや悩みの糸がするっと解けていく感覚があってすっきりしたから。
パワースポットといわれる所以なのだろう。

能舞台



隕石と言われている『天石』


7月末の集中豪雨で、神社裏の山の地盤が緩んでいるという。ボーリングで水を地底から抜き、山崩れが起こらないように対策をとっているとのことだった。そのせいで8月20日に大々的に行われる七夕祭は、今年はこじんまりと行われるとのこと。

天河大辨財天社は、ご縁のある人しか来られない、という噂がある。
これはその昔、交通網が発達していなかった時代の話だと思われるけれど、今でも、こようとしても怪我や事故、交通事情、天候で来られないということが多々あるという。
お参りができたぶん、一応ご縁はあったようだ。

そのあと、徒歩3分で天の川温泉という日帰り温泉へ。30分待ちという混みようだったけど、気持ち良かった。川遊びやバーベキュー終わりの学生さんがたくさんいた。青春ですな!




民宿のご主人がまたまた車で迎えに来てくださる。この民宿、送迎のサービスも込みなのだ。ありがたい。

民宿は、ご主人が元商社マンで世界中を旅していた経験を活かしてご夫婦で営んでいた。
お二人とも気さくで温かく、田舎の家に帰ってきたみたいな気持ちになる。


部屋も実家みたいで落ち着く。一人旅なんだけど、ベッド2つある部屋だった。ご夫婦二人で営んでいるので、最高3組までしか宿泊させられないという。

1日目は私の他に、家族4人で宿泊される方がいた。5歳のお兄ちゃんと4歳の妹さんが、食欲旺盛で可愛かったし、私より年下かもしれないご夫婦も気さくな方々で、夕飯時は盛り上がった。

知らない人と夕飯を共にする、しかもオイルフォンデュで野菜や魚を揚げる鍋が一つ、ということで必然的に仲良くなる。内気な私でも、自然に楽しく話せた。いい仕組みかもしれなかった。




19時半には食事も終わり、長い長い夜。虫の声しか聞こえない。この豊かな静けさを壊したくなくて、テレビをつけるのがもったいないなと思ったのでつけず。

本棚の本を物色していると、あった!

読みながら就寝。
が、最後まで読み切りたくて、結局1時半まで起きて上巻全て読む。訪れた場所の名前が多数出てきて、なんとなくドキドキ。小説の世界のなかに私も参加してるみたいな気持ちになる。

下巻がないのが残念!


あの世とこの世の境目 その3

2015-08-12 12:51:37 | 日記
無事、嵐山に到着し嵯峨野散策へ。
冷たいものでも…とお昼時にも関わらず甘味処「鼓月」へ。
今年初の宇治抹茶氷!!
多そうだけど、ペロリだった。

それにしても、渡月橋付近は人力車いっぱいだったのだけど、女性の人力車の引き手さんがけっこういた。はじめてみたよ。さっきの船頭さんじゃないけど、ものすごい重労働なのに大丈夫なんだろうかと思ってしまった。
どの分野でも女性は普通にいるよね。


お昼ご飯は母の要望もあって、嵯峨野の寿楽庵さんで食べよう!(詳細知りたい方は、過去のブログ:「静寂の旅 琵琶湖と京都2日目7」を参照してね)と思い、嵯峨野の道を歩いた。

野宮神社、祇王寺、前回一人で行ったコースを再び行く。
日陰があるところはいいけれど、祇王寺近くになってくると、午後の日差しがキツい。
祇王寺の庵で、30分ほどぼんやりする。蝉の鳴き声と水の流れる音だけ。
庵の障子が緑色がかっている。
祇王寺、緑色が美しい。
しかしちょろっと秋の気配が…。

白い花は芙蓉?

祇王寺の庭。


苔。フワッフワッ。



残念ながら寿楽庵がお休みだったので、何も食べずに化野念仏寺へ。


前回来たときは曇り空で寂しい雰囲気があったけど、今回はカラッと青空で爽やかだった。(画像悪くてすみません。神奈川に帰ったら差し替えます。ネット環境悪くて、なんとパソコンに映した画像をケータイで撮って載せました…)




化野念仏寺は前回のときも思ったけど、無縁仏になってしまった人の終の住処として、誰でもどんな人でも受け入れてくれる優しさを感じた。

嵐山まで歩いて帰る途中に自販機で懐かしの冷やしあめを見つけてはしゃいで購入していたら、
通りがかりの外国人の女性に「嵐山駅はどこですか?」と聞かれた。
私たちも嵐山駅に行きますよ、良かったら途中まで一緒に、ということで話しながら歩いた。
バックパック1つ背負ったその女性は上手な日本語で、チェコからボーイスカウトの行事で日本に来ていること、他の人とはぐれてしまったこと、嵐山駅まで行ければ待ってる人がいるはずだから大丈夫であることを話してくれた。
あんまり日本語が上手だったので、どこで学んだの?と聞いたら、
19歳の大学生でチェコで日本語を少し勉強したこと、日本語以外にも英語、韓国語など5か国語が話せること、9日間の旅でこれから福岡にも行くことなどを教えてくれた。
嵐山駅の場所がわかり、野宮神社に行きたいようだったのでそこで手を振ってお別れした。

京都に行くと、普通に海外の人が話しかけてきたりするから面白い。
帰りのJR嵯峨野線の中でも、母を空いていた優先座席に座らせ、まだ席は空いていたものの私は立っていたのだけど、
後から乗って来たヨーロッパ系の金髪巻き毛の美しい少年がこちらを「ここは座っていいの?」という風に見たので、ジェスチャーで、「どうぞ」とすると、こちらの目をしっかり見て、にっこりと美しく笑って座った。なんて綺麗!と息を呑む、絵本に出てくる天使のような笑顔だった。

あんなふうなアイコンタクトって知らない者同士の日本人ではほとんどしないから、新鮮だし心の通い合いを感じてとても嬉しかった。
席を立ったときもこちらをみてニッコリ笑ってから下車して行った。
ああいうところは日本人もマネしたい。爽やかだった。

暑い中歩き回ったから、帰りの新幹線では爆睡していた。そのまま実家へ帰り、バタンキュー…。

でもその前に仏壇に手を合わせることは忘れなかった。

生者も死者もかえってくる、あの世とこの世が交わるお盆の始まりの旅だった。

でもあの世とこの世の境目、なんて発想は、恐怖心が作り出す幻想なのかもしれないと思った。

心静かにお盆を過ごしたい。



あの世とこの世の境目 その2

2015-08-12 10:59:03 | 日記
2日目。
京都駅の中にあるホテル、「ホテル近鉄京都駅」は安価だし部屋も綺麗でアメニティもいいし、とにかくとても便利。新幹線の改札出たら一分以内にいけるのがいい。母のお気に入りのホテルだ。
京都観光はここのホテルをとれたらとるようにしている。

朝ご飯のバイキングをしっかり食べて8時30分には出発。チェックアウトしても、ホテルで荷物は預かってもらえる。夕方まで預かってもらった。

京都からJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅へ。JR使うと嵐山方面へ20分くらいでいけちゃう。

朝のニュースでは35度まで上がるという高温注意報が出ていた。麻と綿混紡の紫外線を防ぐという帽子と日焼けどめをしっかり塗って出かける。

9:07分にトロッコ嵯峨駅から出発するトロッコ列車「嵯峨野1号」の指定席を購入していたけど、JR嵯峨嵐山駅に着くのが9:00ちょうどで焦る。
といってもJR嵯峨嵐山駅とトロッコ嵯峨駅は隣同士なのですぐ乗り換え。
トロッコ列車出発2分前に乗り込んだ。
目に爽やかな緑の中を走る。

嵐山では、私が乗っていた2号車、トンネルの中みたいなところに停車。


驚いたのが、途中でトロッコ列車がストップしたこと。線路に木が倒れてたとのこと。木をどけるのにスタッフの方が列車から降りて、手動でどかせたみたい。停車した場所がいい景色のところ。ほんの10分にも満たない時間だったけど、トロッコ列車自体の乗車時間が25分間ぐらいしかない短い旅なので、かえってラッキーだったかも!?


亀岡駅到着後、そのまま嵯峨野2号で引き返すか、それともバスに乗って保津川下りのスタートのところまで行くか迷う。
保津川下りはやってみたかったけど、前日にふと、お盆の時には水辺に近づくのはよくないのかなーと思ってしまった…迷信かな。

母は行きたい!というので、保津川下りへ。
迷った要因はあともう一つ、雑誌で読んで乗船代が一人4100円と知って…え!高っ!と思ったから。
でもいざ乗船してみると、この値段は妥当だとわかる。亀岡付近から保津川を下り、嵐山の渡月橋近くまで1時間40分の旅で、その間、3人の船頭さんが手動で船を漕ぎ、その間ほぼずっーとしゃべり通しなのだ。
ただ川を下っていくものだと思っていたから、思わぬエンターテイメントに驚いた。ほんとにずっと笑いっぱなしだった。

私たちのところには屋根があって直射日光は当たらないけれど、船頭さんは直射日光に晒されながら1トン近くある船を進めていく。
20代らしい一番若い船頭さんは爽やか、40代っぽいベテラン船頭さんはトークがお笑い芸人に引けを取らないレベル。一番年上の船頭さんは60~70代くらいの方で安心感があった。
若い船頭さんが中年の船頭さんにこっそりとアドバイスをもらっていたりして微笑ましかった。
職人の素敵な仕事ぶりを見せてもらったという感じ。


3分の2ぐらい川下りが終わったときに現れた小舟の「売店」。船頭さんたちも飲み物を購入して小休憩。
私と母もわらび餅を食べた。


ちなみに船頭さんたちは嵐山に着いたあと、JRで亀岡まで戻って再び次の川下りを行うとのこと。身体を休めるのはJRに乗っている15分間だけということで、あまりの重労働に驚いた。1日で3キロほど体重が落ちるそうだ。
そうだろうな…壮絶な仕事。

川下りは風が気持ち良く、涼しかった。山の緑と空の青が目にも心地良かった。














あの世とこの世の境目 その1

2015-08-11 22:01:16 | 日記
8月10日、午前中に胃の検査以外の健康診断を終えて、すぐに新幹線で京都へ。
毎年の夏の恒例行事である、母との旅行、今年はまたまた京都を目的地に選んだ。
私は今年のゴールデンウイークのときと修学旅行でもう3回目の京都。まあ何回来ても京都は奥深いからいいけど。

夕方に京都着なので、寺社仏閣のほとんどは閉門しているはず。
どこか夜間拝観できないかなと事前にガイドブックで探していたら、
ちょうど7日~10日まで精霊迎えの行事である「六道まいり」というお盆の行事が行われているという。
場所も、祇園近くの六道珍皇寺。夜の祇園はしっとりと柔らかく魅力的なので、フラフラと祇園散策をしながらぜひいってみたいと思った。

六道珍皇寺のことを調べてみると、
「あの世とこの世を結ぶ寺」といわれているお寺だった。
この辺り、中世以降は「六道の辻」と呼ばれ、他界との入口とされているそう。
あの世とこの世の分岐点。

ちなみに六道っていうのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の6つの死後の世界といわれ、善悪の業によってどこに行くのか決まる…とのこと。怖い。

母に電話でここに行きたいんだけど、いい?と確認をとったとき、
「お盆にそこって…なんとなく怖いよね。何か連れて帰りそう。」
という大人げない(?)リアクション。

でもそういう母も「化野念仏寺に行きたい。」と言っていたので、
思い切って今回は「あの世とこの世の境目」を狙っていくような旅にしよう!ということにした。

京都の200番系統の循環バスはやっぱり苦手だ。清水道を通らないバスに乗ってしまったので、
途中で降りて、東西線で三条まで。
三条から鴨川沿いをそぞろ歩く。
夕方の風は気持ちよく、向こう岸には豆電球のついた七夕飾りが何メートルかおきに飾られており、夕暮れの風景の中に浮き上がってみえる。
今年は大学の学生さんたちの協力でそういうのをやっているらしい。

そうそう、浴衣の人が多くて、目にも涼し気だった。

鴨川沿いの夕暮れ、気持ちいい。


四条まで歩き、南座のあたりから東へ曲がると祇園。
祇園辻里でテイクアウトのお抹茶アイス、母はホットの抹茶オレ。お茶屋さんのは格別。

華やかな花見小路を過ぎると、普通の暮らしの路地に出る。六道まいりは、町の人がずっと守ってきた地域の行事だ。
すのこのような台を出し、近所の人たちとおしゃべりに興じる大人たちと、花火をしたり、路地を走り回って遊ぶ子どもたち。懐かしい風景。




うちわをハタハタしながらおしゃべりしている、どうやらこのご近所に住むおばあさん2人のあとをついていって、六道珍皇寺へ。
精霊をお迎えするという鐘の音がひっきりなしに聞こえる。


この風景の中で、心は昔、祖母に連れられて行った地蔵盆にタイムスリップした。
煙を頭に浴びるおばあさん、お寺の外に必ずいた、物乞いの人に戸惑ったことをありありと思い出す。

ネットも流行も届かない世界、まるで別次元で訥々と続くもののようで、とてもとても懐かしい。地の臭いがする行事だ。民族、という括り、普段感じることが少ない手触りを感じた。


幽霊子育て飴、この怪談、聞いたことある! ほんとに店があんの!?びっくり。


ここには九相図という人が朽ちていく過程を描いた絵画や、あの世を図式したものが展示されていた。
地元の若いお母さんが小さい子どもとともにお参りにきていて、
「親より先に死んだらいけないんよ!」と賽の河原で石を積む子どもたちの絵を見せながら子どもに言ってて、なんとも微笑ましかった。

その後、三条あたりで薬膳料理のお店へ。写真は鱧&梅酒。美味!

夜の京都タワー、いいね。
お盆のロウソクのよう。











ドアは開いている

2015-07-27 00:01:33 | 日記
2日間の展示が終了した。

今回、私が出したのはステンド作品ではなくて、
フュージング(ガラスを溶かす技法)で作ったアクセサリーばかりだったので、
焼成したガラスに金具などをつけてアクセサリーとして仕上げるのにも
たいして時間はかからなかった。

学校が夏休みに入った今週の火曜あたりから少しずつ仕上げをし、
アクセサリー専用の梱包材を作り(小さい袋にボール紙とプチプチをセットしたものをつめたり)、
木曜夜の搬入に何とか間に合わせた。

グループ展で展示したのは私を含めて6名。
3月の時の展示を一緒にやった2人と、今回の発起人である方1人、
理系でマニアックな生物を好んで作るプロ作家さん1人、
そしてダンス系イベントのブース等で販売している方1人。
全員、私が通っている工房の生徒さん。(プロ作家さんは過去に工房の生徒さんだった。)


ガラスという素材の共通点を除けば、みんなそれぞれ全く方向性が違うのだけれど、
それぞれ違ってみんないい、というのが言葉じゃなくてよくわかる展示だった、と思った。

原色を多様した明るい色彩の作風の人、ロマンティックな人、
私のように淡い感じが好きな人、
マニアックな生き物(すごくマイナーなキノコとかオンブバッタとか果てはゴキブリとか!)ばかり作る人。
これが個性ってものなんだな・・と作品をみていてよくわかった。
多様な世界ってほんと面白いのね。


あと、お客さんが入ってきたときに、
私の作品を好きになりそうな人がなんとなくわかるようになった。
この人、手に取ってくれそうだなと思ってみてると、大抵当たった。
なんとなく空気感で・・・。(上手く言えない・・・)
なんとか言葉にしようと頑張ってみれば、
うーん・・なんか飄々としてるっていうか、
この世のことにあんまり執着なさそうというか(!)、
風とか鳥とか好きそうな人は、手に取ってくれたり、購入してくれた。
今回、夏だし、海や風をイメージしたものを多く作ってみた。
そういうのを感じてもらえたら嬉しい。



とにかく2日間ともよく晴れてかなり暑くなり、
土曜日の午後はギャラリー前の通りを歩く人すら少なくて困った。
しかし日曜日の今日は36度まで気温が上がったにも関わらず、
人通りが多く、ふらりとわりと多くの方が立ち寄ってくださった。
そこから購入にいたるまでの心理的ステップたるや、
かなり多くのものが立ちはだかっていると思うのだけど。


私は2日間で1万円ほど売り上げた。6人で9万超えた。
ステンド作品を出していた人の単価(6000円~)は高いので、
そこがかなりの売り上げを叩き出してくれていた。
私としては今回はアクセサリーばかりで
単価もかなり安かった(500円~1800円)ので売り上げ的にはたいしたことないけれど、
いろんな手応えがあった。

前回(3月)の展示会のときに購入してくださったガラスピンバッチを帽子につけて、
今回も買いにきてくださった方がいてすごく感動した。今回もやはりピンバッチをご購入。
あと、試しに指輪を2つ作ってみたのだけど、
「これ以外の色のはもうないんですか?」と何度も質問された。
ペンダントよりも指輪やピアスの方が人気らしい。
自分がほとんどしないからよくわからなかった。
「どこかに置かせてもらったら、コンスタントに売れるんじゃない?」とアドバイスをくださる方もいて、
調子にのってちょっと考えてしまった。
しかし、これ専門でやっていくには技量や細やかさが足りないなあとプロ作家さんの仕事をみて痛感した。
いやあ、彼女はすごい。
彼女は私より6歳年上で、なんと!キックボクシングが趣味なのだ。
(しかも強いらしい・・・)


そういえば、仲良くなる人が職場でも外でも格闘技系に偏ってきてるんだけど、何でだろう・・・。

でもよくよく考えてみたら前任校で一番仲が良かった先生も、
少林寺拳法をずっとやっていた体育科の女性だった。
男女ともまっすぐで正直で、爽快感ある人が多い。

私の方の武術もすでに4ヶ月過ぎて、動けるようになってきた。
連続型は10種類あり、それを1年間でマスターするのが平均らしい。
私は今、3つ目が終了して、4つ目を学び始めた。
中国拳法は動きが一見かなり独特で、覚えるのは大変。
でもいったん覚えると、合理的な動きであることがよくわかるから面白い。
なにげにまだ一回も練習を休んでいない。
先生もいろいろ話をしてくださるようになった。
日本でも有数の武術家だし、
怖い、厳しいばかりの人かと最初は思っていたけれど、
先生のあまり器用でない優しさや心のあたたかさを感じられるようになった。
いい先生についたと思う。

芸事は、ある程度身に付くまで休んではいけない、という。
バレエの方も何とか休まずやっている(バレエの先生も大好き!)し、
今とても身体を使うことが楽しい。



今回一緒だったプロ作家さんと来年の秋、また展示会をやることになった。
今度は、「ランプ」をテーマにした展示会。
私はまだランプって全く作ったことがないのだけど、挑戦してみることにした。
がっつりしたステンドグラスのランプもあるだろうけど、
面白いランプをたくさん作ろうという話になった。
今回の展示会の主催者である方(ロマンティックな作風の人)も参加することに。


しかし電気系統が悲しいくらいにわからないので、
工業高校から大学でもそれ関係のことをみっちり学んだ彼女に習うことにした。
知らないことを知るのも楽しい。

客寄せのためギャラリーのドアを開け放したら、すごい熱風が入ってきた。
クーラーや扇風機の風も負けてしまう。
でも外の空は夏の青い空。街行く人は飲み物片手に開放感に溢れていた。
光が溢れ、夕焼け空も美しかった。

だからだろうか、誰もが開けっぴろげな気持ちになる夏のせいだろうか。
疲れたけど、心が外に向かってバーンと開いて、楽しくて仕方ない2日間だった。




























願いはセリフに込めて

2015-07-19 23:09:04 | 日記
わー・・・。
5月31日からブログ書いてないや・・。
6月の最初に新幹線がストップしちゃって、予定がずれててんやわんやだった修学旅行があって、
すぐに中間テスト、その後採点祭りが終わったのが6月末。
7月入ったらすぐに三者面談がわっさわっさ始まって、そして今。

意外と忙しかった6・7月。我を忘れて突っ走ってきた。
職場の人たちと今までで一番協力できたし、
理解しあえる心優しい同僚にも恵まれた。


文化祭の劇の脚本を書いた。
私が第一担任推薦で出した「半神」は惜しくも選ばれなかったけど、
生徒が私に小説を貸してくれ、「これを劇でやってみたい。」と言ったので私も読ませてもらった上で
第二担任推薦で出した山田悠介氏の「スイッチを押すとき」で決まった。
脚本が販売されていないか調べてみたけれど、
販売されてはいなかったので書くことになった。


「スイッチを押すとき」は映画にもドラマにも舞台にもなっているというので、
脚本を書くにあたって舞台映像を見た。
小説の内容から大きく逸脱してはいないけれど、小説とは焦点の当て方が違っていた。
しかし、どうしたってかなり悲劇的なストーリーだ。


子どもの自殺が増え続けた近未来が舞台。
自殺を抑制する研究のため、無作為に選ばれた子どもたちが心臓にある機械を埋め込まれ、
10歳になった時点で国の研究機関に連れていかれて、とある施設で生活させられる。
そこではあらゆる自由が束縛され、娯楽もない。

どういう状態になったら人は自殺したくなるのか、
というデータを集めるための実験材料として、子どもたちは連れてこられたのだった。
子どもたちは「スイッチ」を持たされていて、
絶望した子どもがそれを押すと、痛みもなく心臓が止まり死ぬことができる。
そういう状況の中で、ほとんどの子どもたちが自殺していくのだけど、
ある4人の子どもたちは7年間も生き続けたのだった。

彼らは極限状態の中で、
どうして生きることを選んだのだろうか、ということに焦点を当てた物語。
この小説、発売されて5日で第二刷が出されるくらい爆発的に売れたという。


あくまでも私の感想。
最後があまりに悲劇的、
というか小説版があまりにヒロイックすぎてうーん。。。。かっこつけすぎ!
って思ってしまった。

死ぬって、別にかっこよくないよ。
・・・子どもが結局、全員死んじゃうこのストーリー。
中学生は好きなんだろうけどなあ・・・こういうの、って思いながらも、
あまりにクサい(すみません・・・)展開に正直悩んだ。
てか、荒涼としている。底冷えすらする。
・・・選んだ子どもたちの『心象風景』なのかなって思った。

それで、というかだからこそ、悩みながらラストを変えた。
そのままにしておきたくない。


小説の世界と、もう一つ、それに介入してくる並行世界を物語の中に入れ、
オリジナルストーリーに影響を与えて変えていくことにした。
演劇は、時間も空間も自由に超えられる。
「希望」をテーマにした、救いと未来のあるラストにした。

キャストは22人。かなり多くなった。
改変して書いたストーリーを気に入ってくれるだろうか・・と心配したけど、
賛同を得られた。キャストもスタッフもすぐに決まって、
夏休み直前の金曜日、初の立ち稽古をしてみた。面白くなりそうだった。
夏休み前最後の学級通信で、どうしてこういうラストにしたかを説明した。

「すげえ熱い担任だな!」と同僚に言われた。

でも生徒への願いって、どうやって伝えればいいんだろう。
いろんな主義主張を行うことが制限されている、「教員」というこの立場の中で。

いつでも希望を持って、明るい方に心を向けて生きていって欲しい。
脚本を書いていく中で、
「これは生徒たちが演じるんだ。」と思ったとき、
どうしても願いを込めたくなった。



「・・でもその前向き加減に支えられてんの、生徒だけじゃないから。」
これは、同僚のセリフ。




































小さき者も高みを目指す

2015-05-31 10:28:19 | 日記
昨日の地震は長過ぎて焦った。
自宅は5階にあるので、結構揺れた。
地震には慣れたとはいえ、
昨日のは、「逃げなきゃやばいかな、箱根、ついにいっちゃったのかな・・」
とか、いろいろなことが心を去来した。


Twitterでみんながつぶやいている様にちょっと安心する。
Twitterって人と繋がってる感がものすごくあって、
大規模災害があったとき、
情報が流れて来るという実質的な利点を度外視しても、
どれほど慰めになるか知れないという大きな心理的利点があると思う。
東日本大震災のときだってそうだった。
みんなの集合意識が実体化したみたいで凄いな。


先日、学活中にも地震があった。
すぐに机の下に隠れる指示を出した。
しかし生徒は地震にはもう慣れている。
地震がやんでしばらくしたら、また普通に学活を再開した。
でも、普通になってしまうのは実はまずいことだ。
『恒常性バイアス』だっけ、危機感がなくなり、いざというとき逃げられなくなる。



もうすぐ3学年のビッグイベントである修学旅行。
生徒たちのワクワク感はこちらにまでビシビシ伝わってくる。
大人の事情的に言わせてもらえば修学旅行は「学習」の一環だけど、
生徒目線ではそれどころでなない(笑)。非日常の極みだもの。
この懐かしい感覚。
学年会での「新幹線デッキと宿舎のロビーはマジで『告白祭り』になるから気をつけろ!」
の発言にみんな大爆笑。
デッキには担当職員つけなきゃ!!
混むと一般の人の邪魔になるから! てか混むのか・・・(笑)。



夜遅くまで学年会をする日も増えてきたけど、
大規模災害が起こったときの対応策についても考えた。
そういえばそれって、3年前は考えなかったなあ・・。

いつ起こっても嫌だけど、
特に1日目の京都で、生徒たちだけで行動する班別自主行動時に何か起こるのが怖い。
担当職員は時間帯によって変わるけど、
誰かが常にいる清水寺と金閣寺、
そして本部のある宿舎の3カ所を集合・避難先にする。
その中で一番近いところに向かうこと、とした。

子ども達の動きって、それでなくても予想不可なところがあるから、
+自然災害なんて、ほんとにごめんこうむりたい。
特に人手が足りなくて、ボランティアさんを2名も連れて行くし、
何もないことを祈るばかりだ。


学年会での、先生たちの詳細かつ熱い話し合いにちょっと安心する。
いい先生が入ってきてくれたら学年の雰囲気って変わるものだ。
昨年まで、南国チックでどことなく怠惰な雰囲気があった(?)うちの学年だけど、
他校の学年主任経験者で、
昨年、修学旅行の実質計画を全て1人で立てたS先生が細やかに意見を出してくれたおかげで、
今年の修学旅行細案は結果、きっちりしている。

案を立てたのは6年目の若いM先生で、
熱心だし真面目だし3年前に修学旅行には行っているけども、
案立ては初めてだったから細かいところまでわからない。
そこをS先生がしっかりとフォローしてくれた。

普段は面白くて変なことばかり隣の席で言っていて、
こっちはいつも爆笑してしまうS先生だけど、
さすがは数学科、いざとなると細か過ぎるくらい細かいところまで気にかけているので、
うちの学年にはかつてない神経質なほど細か過ぎるキャラ(?)でありがたかった。

S先生は同じ学年の仲間として普段のバカ話を通して既に慣れ親しんでいるけど、
この人の『スイッチ』が入ったらなんとなく背筋がピンとする。
普段はとても穏やかかつ面白い人なので、
前任校でS先生が持っていた部活が『まるで軍隊』、
と他の先生に密かに噂されていたのが全く信じられなかった。
でもスイッチが入ったときのS先生の雰囲気を見てると、
この人の本来持っている厳しさとか、底知れぬ怖さと頭の回転の速さが伝わってきた。
確かに『軍隊』を育てることのできる人だ。本当に怖い人は、一見、穏やかだ。


私が普通に相当バカなことを話しているのを見て、
他の先生たちから「・・・怖くないの?」と聞かれたりもよくするので、
本人に自覚してもらおうと思って、
「時々、めちゃくちゃ怖いよ。」というと、
「俺みたいに優しい男はいないよ。人見知りだし酒は全然飲めないし・・怖いかなあ?」と返された。
そういうことじゃない(笑)。優しいとは思うけど自分の二重性を全然わかっていない。
「時々にゅっと顔を出す人格が、とっても怖いやつなんだよ(笑)。」と真実を伝えておいた。


なにはともあれ、この先生が加わったことで学年職員の雰囲気が一気にぴしっと熱くなった。
ありがたいことだ。
特に若い先生には、仕事の仕方や視点の持ち方で結構いい影響を与えるはず。



人なんて、なんてちっぽけな存在なんだろうと思うことが増えた。
うちは箱根からそんなに離れていない。
もし箱根に何かあったら、すぐに逃げなければいけない。
自然の前では、人はなんてちっぽけなんだろう。だから傲慢になってはいけない。
神様がもしいるとすれば、そんなことを私たちに伝えようとしてるかのようだ。



武術の師範から、昨日Facebookを通じてメッセージをもらった。
食品の害についての記事だ。コーラの害、食品添加物の害。
私が直接、子どもと接する仕事をしているのを知っていてのこと。
最後にこう付け加えてあって、じんときた。


「君自身のため、生徒のために自分を高めてください。」


どれほどちっぽけな存在であっても、努力や謙虚さを忘れてはいけない。
周囲に起こることや取り巻く人々が、私にそう伝えていると感じた。