しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

ドアは開いている

2015-07-27 00:01:33 | 日記
2日間の展示が終了した。

今回、私が出したのはステンド作品ではなくて、
フュージング(ガラスを溶かす技法)で作ったアクセサリーばかりだったので、
焼成したガラスに金具などをつけてアクセサリーとして仕上げるのにも
たいして時間はかからなかった。

学校が夏休みに入った今週の火曜あたりから少しずつ仕上げをし、
アクセサリー専用の梱包材を作り(小さい袋にボール紙とプチプチをセットしたものをつめたり)、
木曜夜の搬入に何とか間に合わせた。

グループ展で展示したのは私を含めて6名。
3月の時の展示を一緒にやった2人と、今回の発起人である方1人、
理系でマニアックな生物を好んで作るプロ作家さん1人、
そしてダンス系イベントのブース等で販売している方1人。
全員、私が通っている工房の生徒さん。(プロ作家さんは過去に工房の生徒さんだった。)


ガラスという素材の共通点を除けば、みんなそれぞれ全く方向性が違うのだけれど、
それぞれ違ってみんないい、というのが言葉じゃなくてよくわかる展示だった、と思った。

原色を多様した明るい色彩の作風の人、ロマンティックな人、
私のように淡い感じが好きな人、
マニアックな生き物(すごくマイナーなキノコとかオンブバッタとか果てはゴキブリとか!)ばかり作る人。
これが個性ってものなんだな・・と作品をみていてよくわかった。
多様な世界ってほんと面白いのね。


あと、お客さんが入ってきたときに、
私の作品を好きになりそうな人がなんとなくわかるようになった。
この人、手に取ってくれそうだなと思ってみてると、大抵当たった。
なんとなく空気感で・・・。(上手く言えない・・・)
なんとか言葉にしようと頑張ってみれば、
うーん・・なんか飄々としてるっていうか、
この世のことにあんまり執着なさそうというか(!)、
風とか鳥とか好きそうな人は、手に取ってくれたり、購入してくれた。
今回、夏だし、海や風をイメージしたものを多く作ってみた。
そういうのを感じてもらえたら嬉しい。



とにかく2日間ともよく晴れてかなり暑くなり、
土曜日の午後はギャラリー前の通りを歩く人すら少なくて困った。
しかし日曜日の今日は36度まで気温が上がったにも関わらず、
人通りが多く、ふらりとわりと多くの方が立ち寄ってくださった。
そこから購入にいたるまでの心理的ステップたるや、
かなり多くのものが立ちはだかっていると思うのだけど。


私は2日間で1万円ほど売り上げた。6人で9万超えた。
ステンド作品を出していた人の単価(6000円~)は高いので、
そこがかなりの売り上げを叩き出してくれていた。
私としては今回はアクセサリーばかりで
単価もかなり安かった(500円~1800円)ので売り上げ的にはたいしたことないけれど、
いろんな手応えがあった。

前回(3月)の展示会のときに購入してくださったガラスピンバッチを帽子につけて、
今回も買いにきてくださった方がいてすごく感動した。今回もやはりピンバッチをご購入。
あと、試しに指輪を2つ作ってみたのだけど、
「これ以外の色のはもうないんですか?」と何度も質問された。
ペンダントよりも指輪やピアスの方が人気らしい。
自分がほとんどしないからよくわからなかった。
「どこかに置かせてもらったら、コンスタントに売れるんじゃない?」とアドバイスをくださる方もいて、
調子にのってちょっと考えてしまった。
しかし、これ専門でやっていくには技量や細やかさが足りないなあとプロ作家さんの仕事をみて痛感した。
いやあ、彼女はすごい。
彼女は私より6歳年上で、なんと!キックボクシングが趣味なのだ。
(しかも強いらしい・・・)


そういえば、仲良くなる人が職場でも外でも格闘技系に偏ってきてるんだけど、何でだろう・・・。

でもよくよく考えてみたら前任校で一番仲が良かった先生も、
少林寺拳法をずっとやっていた体育科の女性だった。
男女ともまっすぐで正直で、爽快感ある人が多い。

私の方の武術もすでに4ヶ月過ぎて、動けるようになってきた。
連続型は10種類あり、それを1年間でマスターするのが平均らしい。
私は今、3つ目が終了して、4つ目を学び始めた。
中国拳法は動きが一見かなり独特で、覚えるのは大変。
でもいったん覚えると、合理的な動きであることがよくわかるから面白い。
なにげにまだ一回も練習を休んでいない。
先生もいろいろ話をしてくださるようになった。
日本でも有数の武術家だし、
怖い、厳しいばかりの人かと最初は思っていたけれど、
先生のあまり器用でない優しさや心のあたたかさを感じられるようになった。
いい先生についたと思う。

芸事は、ある程度身に付くまで休んではいけない、という。
バレエの方も何とか休まずやっている(バレエの先生も大好き!)し、
今とても身体を使うことが楽しい。



今回一緒だったプロ作家さんと来年の秋、また展示会をやることになった。
今度は、「ランプ」をテーマにした展示会。
私はまだランプって全く作ったことがないのだけど、挑戦してみることにした。
がっつりしたステンドグラスのランプもあるだろうけど、
面白いランプをたくさん作ろうという話になった。
今回の展示会の主催者である方(ロマンティックな作風の人)も参加することに。


しかし電気系統が悲しいくらいにわからないので、
工業高校から大学でもそれ関係のことをみっちり学んだ彼女に習うことにした。
知らないことを知るのも楽しい。

客寄せのためギャラリーのドアを開け放したら、すごい熱風が入ってきた。
クーラーや扇風機の風も負けてしまう。
でも外の空は夏の青い空。街行く人は飲み物片手に開放感に溢れていた。
光が溢れ、夕焼け空も美しかった。

だからだろうか、誰もが開けっぴろげな気持ちになる夏のせいだろうか。
疲れたけど、心が外に向かってバーンと開いて、楽しくて仕方ない2日間だった。




























願いはセリフに込めて

2015-07-19 23:09:04 | 日記
わー・・・。
5月31日からブログ書いてないや・・。
6月の最初に新幹線がストップしちゃって、予定がずれててんやわんやだった修学旅行があって、
すぐに中間テスト、その後採点祭りが終わったのが6月末。
7月入ったらすぐに三者面談がわっさわっさ始まって、そして今。

意外と忙しかった6・7月。我を忘れて突っ走ってきた。
職場の人たちと今までで一番協力できたし、
理解しあえる心優しい同僚にも恵まれた。


文化祭の劇の脚本を書いた。
私が第一担任推薦で出した「半神」は惜しくも選ばれなかったけど、
生徒が私に小説を貸してくれ、「これを劇でやってみたい。」と言ったので私も読ませてもらった上で
第二担任推薦で出した山田悠介氏の「スイッチを押すとき」で決まった。
脚本が販売されていないか調べてみたけれど、
販売されてはいなかったので書くことになった。


「スイッチを押すとき」は映画にもドラマにも舞台にもなっているというので、
脚本を書くにあたって舞台映像を見た。
小説の内容から大きく逸脱してはいないけれど、小説とは焦点の当て方が違っていた。
しかし、どうしたってかなり悲劇的なストーリーだ。


子どもの自殺が増え続けた近未来が舞台。
自殺を抑制する研究のため、無作為に選ばれた子どもたちが心臓にある機械を埋め込まれ、
10歳になった時点で国の研究機関に連れていかれて、とある施設で生活させられる。
そこではあらゆる自由が束縛され、娯楽もない。

どういう状態になったら人は自殺したくなるのか、
というデータを集めるための実験材料として、子どもたちは連れてこられたのだった。
子どもたちは「スイッチ」を持たされていて、
絶望した子どもがそれを押すと、痛みもなく心臓が止まり死ぬことができる。
そういう状況の中で、ほとんどの子どもたちが自殺していくのだけど、
ある4人の子どもたちは7年間も生き続けたのだった。

彼らは極限状態の中で、
どうして生きることを選んだのだろうか、ということに焦点を当てた物語。
この小説、発売されて5日で第二刷が出されるくらい爆発的に売れたという。


あくまでも私の感想。
最後があまりに悲劇的、
というか小説版があまりにヒロイックすぎてうーん。。。。かっこつけすぎ!
って思ってしまった。

死ぬって、別にかっこよくないよ。
・・・子どもが結局、全員死んじゃうこのストーリー。
中学生は好きなんだろうけどなあ・・・こういうの、って思いながらも、
あまりにクサい(すみません・・・)展開に正直悩んだ。
てか、荒涼としている。底冷えすらする。
・・・選んだ子どもたちの『心象風景』なのかなって思った。

それで、というかだからこそ、悩みながらラストを変えた。
そのままにしておきたくない。


小説の世界と、もう一つ、それに介入してくる並行世界を物語の中に入れ、
オリジナルストーリーに影響を与えて変えていくことにした。
演劇は、時間も空間も自由に超えられる。
「希望」をテーマにした、救いと未来のあるラストにした。

キャストは22人。かなり多くなった。
改変して書いたストーリーを気に入ってくれるだろうか・・と心配したけど、
賛同を得られた。キャストもスタッフもすぐに決まって、
夏休み直前の金曜日、初の立ち稽古をしてみた。面白くなりそうだった。
夏休み前最後の学級通信で、どうしてこういうラストにしたかを説明した。

「すげえ熱い担任だな!」と同僚に言われた。

でも生徒への願いって、どうやって伝えればいいんだろう。
いろんな主義主張を行うことが制限されている、「教員」というこの立場の中で。

いつでも希望を持って、明るい方に心を向けて生きていって欲しい。
脚本を書いていく中で、
「これは生徒たちが演じるんだ。」と思ったとき、
どうしても願いを込めたくなった。



「・・でもその前向き加減に支えられてんの、生徒だけじゃないから。」
これは、同僚のセリフ。