『NYタイムズ今年の10冊』に選ばれた村上春樹の
「海辺のカフカ」はノーベル文学賞の最有力候補と言われて
いました。
これには根拠があり、村上春樹はチェコの「フランツ・カフカ賞」を
受賞したのですが、実はこの賞を獲得した人が二年連続ノーベル賞をとって
いたのです。
その為、「ノーベル賞に最も近い男」と言われました。
結果は“残念”に終わりましたが、世界での反響はすさまじい
ものがあります。
国際シンポジウムで基調講演を行ったアメリカの作家、
リチャード・パワーズ氏は、
村上作品は、アメリカで
「数少ない世界的作家の1人として広く認識されている」ことはもちろん、
「ヨーロッパではベストセラー・リストの常連」であり、
「環太平洋地域では偶像的存在であり、一世代に広がる模倣者を生んで」いる
と絶賛。
さらに
「同じ1人の作家が、イタリアと韓国で大ベストセラーとなり、
トルコで文化的事件となり、ロシアと中国ほども異なった国々で
最高の文学的敬意を得ている。
どうしてそんなことがありえるのでしょう?」
とも続けています。
また「過去の歴史」から日本文学への抵抗感が強かった韓国でも、
村上春樹ファンが何十万人もおり、ファンクラブだけでも何十もあり、
「ハルキセデ(春樹世代)」と呼ばれる作家たちまで登場している
そうです☆
中国でも村上春樹ブームで、
中国の五つの大学でアンケートを実施したところ、
★名前を知っている…92%
★読んだことがある…66%。
『ノルウェイの森』の発行部数は、外国作品としては異例の
140万部を越えており、「非常春樹!」{春樹はスゴイ!)が
一つの標語のようになっているそうです。
ノーベル文学賞候補と注目されながら、トルコの作家が受賞した際、
『トルコの村上春樹と呼ばれる作家がノーベル文学賞受賞』
という報道まであったそうです。。
ドナルド・キーン氏は、
「村上春樹は日本人ではじめて世界的作家となった」と評します。
ロシアでの人気については
「村上春樹の父や祖父が信念ある仏教徒であったことを知っているロシア人は
多くはない。
しかし彼の人生にとって仏教の思想は、いつもではないにせよまたはっきりと
意識的にしたわけではなかったにせよ、つねに身近にあり作品に反映された。
D.コヴァレーニンは、これはロシアでの村上春樹の人気の秘密と見なすことが
できると指摘している。
今日では、この「海の向うから来た」宗教のこのような思想はロシア正教の
信者の意識の中でも人気が高まっていることは誰の秘密でもない」
と語られ
「文藝春秋」には
「消費社会における虚無感、喪失感を内部に抱えながら、
倫理感を持って生きている村上文学の登場人物から、
やはり仏教に通ずる東洋的諦観を感じる。」
としめくくられていました。
「ブータン仏教から見た日本仏教」という本を最近読んで衝撃を受けたので、その話をさせてください。著者はフランス在住でフランス国籍を取得した日本人なのです。日本、フランス、ブータンと3つの国で生活をしてきた著者の視点は面白く、わたしと同じ浄土真宗檀家の人です。
著者が帰国して親の法事に出て、もはや日本仏教には帰依できないと感じたことが執筆動機とのことです。わたしも肉親が死んで同様の経験をしたばかりなので、共感できました。①日本仏教の本質は先祖崇拝であり、インドで生まれた仏教の枠を超えてしまっていること。②日本の知識人は、西欧人の仏教受容などどうせ大したことないだろう、という先入観を持っているが、これは根拠のない偏見であること。これが著者の主張です。
2.東南アジアやチベット仏教圏では、葬式と49日の法要まではやるが、日本のように1周忌、2周忌と繰り返すことはない。これは49日後には輪廻転生していくという仏教の教義からは当然である。日本仏教が行っているのは、もはや仏教とは何の関係もない先祖崇拝の行事である。
3.「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽往生できるという教えは、インド仏教どころか中国仏教の中にすら見出せない。もはやこれは仏教と呼ぶよりも、法然・親鸞教とでも呼ぶのが実体に即している。
フランスで読まれている聖書は、フランス語で書かれていますよね。何を当たり前のことをと思われるでしょうが、日本で読まれるお経は(今でも)漢文のままなのです。大多数の日本人にとって、お経は意味のわからないありがたい呪文にすぎません。
著者の主張では、日本語訳の大蔵経は、日本史の中で存在していなかった。このことが何を意味するのか、知識人すらも考えてみようともせず、日本は伝統ある仏教国で西洋人の仏教受容など大したことないと、根拠もなしに決めてかかっていると言います。わたしは著者の主張のすべてに賛同するわけではありませんが、それでもハッさせられたことは事実です。
いろいろ勉強しておられるようで、為になりました!
「仏教の衣をかぶった先祖崇拝」
まーーーたっくそのとおりですね!!!
嘆かわしいにもほどがあります。
今の仏教会は腐りきってるといってもいいでしょう。
あと、非常に誤解が多いですが、
「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽往生ということを
親鸞聖人は教えられていませんね。
「念仏を称うれば極楽に往生すべきように思いはんべり」
と蓮如上人の「御文章」にあるのが一番分かりやすいでしょう。
浄土真宗の教えを漢字8字であらわせば
「信心正因 称名報恩」
で念仏は、お礼の念仏です。
お経の根拠は、大無量寿経の弥陀の18願にある
「乃至十念」ですね。
詳しくお聞きになりたければどれだけでもお話しますが。。。
今は教科書にも「念仏称えたら極楽」とあるので
嘆かわしいものです。
教行信証や御文章の勉強不足ですね。
あと、歎異抄の誤解が大きい。
歎異抄は、あまりに内容が深いので、信仰の浅い人
が読むと誤解してしまう諸刃の剣で、カミソリ
聖教といわれます。
ではまたのお越しを楽しみにしております(^-^)/