凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

まるで六文銭のように「街と飛行船」

2007年12月19日 | 好きな歌・心に残る歌
 極私的なことから書き始めるが、この「凛太郎の徒然草」というブログも、現在(2007/12月)で書き始めて丸三年を過ぎ、四年目に入った。この間、アップした記事は300あまり、昨今は自分の習性により文章が長く延び出し、ブログの字数制限ギリギリまで膨らむことも多く、そう思うと、駄文ばかりながらこれだけ書いたことに自分でも驚く。全て現実逃避の産物であり、恥ずかしい限りではあるのだが。
 内容は主として夢想であり思い出話で、昔旅をした追憶や酒に溺れた事、また趣味である歴史やプロレスのクドクド話なのだが、割合は少ないにせよ、自分の好きな歌についての話も挟んでいる。音楽など実際全くの門外漢で、ちゃんとした聴く耳を持っているわけでもなく、趣味もジャンル分けすればバラバラなのだけれども、ここでは所謂「フォークソング」と呼ばれる一群の音楽ジャンルを中心に書いている。なぜフォークなのかと言えば、このブログを書くテーマが前述したように追想が主なので、最も自身の思い出話に結びつきやすいのでそれに絞っているに過ぎない。

 しかしながら、フォークソングという音楽が最も隆盛期であったのはやはり’60年代から’70年代と言われていて(こういう書き方に語弊があるのは百も承知だが、便宜的にそう書く)、僕は’65年生まれであるので当然その時期は生まれていたかいなかったか、または幼年期でありとてもリアルタイムであるとは言えない。全ては遡ったものであり、深夜放送のリスナーであった頃に聴き及んだものが中心である。リアルタイムで言えばその頃、ちょうど「ニューミュージック」と呼ばれる意味不明のジャンルをマスコミが作り出した頃に重なり、とても自分としては創成期のフォークソングなどを語れる立場には居ない。しかし時代の空気は知らずとも、自分としてはレビューを書いているつもりもなく、自分に置き換えた私的な追憶を書いているに過ぎず、ブログという媒体の気安さで公開している。

 そんなお気楽ブログを書き続ける日々で、あるとき、"六文銭「それから」"という記事をアップした。
 六文銭という音楽集団については当時も今もさほどの知識もなく、僕がこの唄が好きだのあれが好きだのという音楽的自我がまだ生まれる以前に活動を停止していたグループであり、ただ、昔聴いた「それから」という曲のあまりにも澄んだ美しさが印象に残り自分から離れず、それだけを頼りに一記事を書いた。ただ、それだけだと「六文銭のそれからという曲は綺麗で素晴らしいよ。僕は本当に好き」だけで話が終わってしまうので、様々に肉付けをした。
 所持しているフォークのウンチク本などから六文銭の歴史を辿り、そういえば僕はギターを始めたときに頼りにした教則本は六文銭の小林雄二さんの「ユーミン譜」だったな、とか、またメンバーの変遷などから、大好きだったザ・ナターシャセブンの木田高介さんも参加していたのか、とか、最終メンバーにはあの綺麗な四角佳子さんも居たのだな、とか、甦った記憶や後付の知識や知ったかぶりを大いに書き加えて一本の記事として公開した。不遜な言い方を許してもらえるなら、自分の中ではそれほどいい出来の記事ではなかったと思う。肝心の「それから」という曲については、ただ綺麗とか優しいとか、そんな抽象的な言葉での表現に終始し、それを知ったかぶりで装ったに過ぎない。

 ネットというものの可能性と恐ろしさを知ったのはそれからしばらく経って後。
 あるときこの記事に「元六文銭メンバーのひとり」とおっしゃる方からコメントが付いた。これが六文銭の入川捷さんのコメントであると知ったときには震えが来た。
 ネットで公開~それは全世界の人々が閲覧する可能性を秘めている、ということは自分でも分かっていたし、時々ブログ論ブログみたいな記事でその可能性についても常々言及していたので、むろん理屈ではよくわかっていたつもりだった。しかしそれが現実のものとなると話は別。嬉しさも人一倍ではあったが(実際望外の喜びではあったが)、同時に大恐縮であったのも事実である。あんな知ったかぶりの記事を読んでいただいたとは。穴があったら入りたい。
 さらに追いかけるように、「たくみ」と名乗られる六文銭の筋金入りのファンの方からコメントがつく。またまた恥ずかしい。僕は歴史やプロレスなどの記事において、その単体に向けて結構踏み込んだ内容を書くので、しばしばこのように「その道のプロ」的な方からご意見を頂戴する。ブログという媒体はパーマリンクの集合体であり、記事ごとにコメントを受け付けている以上は記事一つ一つが顔であり責任を持たねばならない。なので時々専門的な方からお叱り(?)のコメントが付く。これは全世界に向けて発信するネットの宿命でもある。甘んじて享受する。
 しかしながらたくみさんはそんな怖い方ではなく優しい方で、当方がそれほど深みを持っていないと知るや、懇切丁寧に、僕の知らない頃の「時代の空気」をコメント欄に書き綴り続けて下さった。それはもはや連載エッセイとも言えるもので、この"六文銭「それから」"という記事に大変な付加価値が生まれることになった。この記事の値打ちは特化してコメント欄に存する。
 ここには後にたくみさんの人脈で「いるか」という方からコメントが寄せられ、これがまた驚くべきことにやはり元六文銭の若松広正さんで、当方としてはさらに恐縮至極の事態となってしまうのだが、その貴重なお話によってまた価値が上がった。もはや記事本文などどうでもいい。このコメント欄だけは、それこそ全世界の人に見てもらいたいと切望する。

 と、ここまでは前置きであって… (゜ロ゜;)エェッ!? (笑)
 前述のたくみさんに、あるとき「フォーシーズン」というラジオドキュメンタリーをご紹介いただいた。たくみさんの解説によればこの「ステレオによる叙事詩・フォーシーズン」という番組は、沖縄返還の年でもあった1972年、「出発の歌」の大ヒットをきっかけに解散していく六文銭を四季に分けて追いかけたもので、この年の芸術祭大賞受賞作でもあるという。僕は年齢的に言えばちょうど小学校に上がる頃であり、とても知るには及ばない世代でもある。

 「1972年5月 ひとつの島がもうひとつの大きな島に統合された頃 ひとつのフォークグループが解体した」

 このナレーションで始まる番組は、冒頭に最後の六文銭(結果的に最後になってしまった)のメンバーへの短いインタビューへと続く。そして、この番組のテーマ曲である「街と飛行船」がかぶさるように奏でられていく。

  空には飛行船 地上には お祭り

 ギターの激しいストロークと共に始まるこの「街と飛行船」が耳に飛び込んできた。
 この時、僕は陳腐な言い回しかもしれないのだけれども、全身に鳥肌が立った。うわなんだこの曲は。音楽に対する言葉としては相応しくないかもしれないが、戦慄した。ありていに言えばびっくりしてしまった。音の洪水じゃないか。
 曲に対して音の洪水などと感じたことは、拙いリスナー体験であり経験が少ないため他の人とは比較出来ないが、そうそうはないことである。思い返せば、過去に一度だけあった。ハードロックの雄、クイーンのセカンドアルバム、そのB面であるブラック・サイドを聴いた時に確かにそう思った。フレディ・マーキュリーが精魂込めて編み上げた組曲とも言えるブラック・サイド。オウガ・バトルから始まるこの一群の曲たちを聴いた時に確かにそれを感じた。あっちからもこっちからも音が襲ってくる。
 ただクイーンは、多重録音をしている。何が主旋律で何がバッキングなのかもわからないほど複雑に溢れ出す曲たちは、ステージで正確に再現することは不能である。
 この「街と飛行船」は違う。音的にはそれほどたくさんの楽器が使われているわけではない。アコースティックギターが中心でベース音が響くくらい。声も、主旋律を歌う小室さんにおけいさん他のコーラスが加わるだけ。ライブで再現するのにさほどの壁はないだろう。さほどどころか、ライブではより以上の迫力を持って迫ってくるに違いない。
 これはいったいなんだろうか。ただ「めちゃくちゃいい曲」と言って済ませてしまうには自分の中で決着が着かない。

 さて、この「街と飛行船」という曲は「いわくつき」の曲である。僕は、実はこういう曲が存在することは既に知っていた。知っていたと言うと既知の曲であったようにも聞こえるがそうではない。タイトルだけ知っていて聴いたことがなかったのだ。
 ここが僕のアホなところでもあり理屈先行の頭でっかち人間であることの証明でもあるのだが、書物その他で存在を知るだけだったのだ。そしてこの曲は「幻」であると勝手に思い込んでいた。何故なら「発禁処分」を受けた曲であると認識していたからである。
 この経緯については、及川恒平さんのHPの中にある歌の話特別編「街と飛行船」、またはたくみさんの記事街と飛行船に詳しい。

  爺さんも婆さんも皺だらけの顔にお白粉をべたべた塗って踊ろう

 このあと歌詞は「リュウマチも小児麻痺も…」などといかにもレコード会社が二の足を踏みそうな詩を辿る。そもそもこの曲は劇作家の別役実氏の作詞で、その詩に曲を乗っけたものである。
 その詩のことはともかく。
 この既成の詩に曲をつけるとこんなにもドラマティックになるのか。こんなにも音が溢れ出すのか。小室等という人の凄さというものをまざまざと知ったように思う。
 作曲家、という言葉について様々に考えさせられた。日本のポピュラー音楽というものを考えるに、「うた」というものは基本的に作詞家、作曲家、編曲家で成り立っている。誰しもそう認識しているだろう。メロディーを作る人がいて、それに装飾を施す編曲という作業を加えてうたは世に出てくる。シンガーソングライターという言葉はフォークシンガーの代名詞みたいになっているけれども、作詞作曲をして歌うというこの言葉の中に、編曲という意味合いはさほど濃くない。
 作曲家という言葉を英語に訳せば、コンポーザー(composer)となる。僕はずっとソングライター(songwriter or musicwriter)だと思っていたのだが、そのことを先年、TEAMNACSという劇団の「COMPOSER~響き続ける旋律の調べ」という芝居で知った。付け焼刃の知識で恥ずかしいのだが、composeという単語には「組立てる、構成する」という意味がある。総合的に音楽を編み上げてゆく人のことをコンポーザーと呼ぶ。それすなわち「作曲家」なのだ。
 小室さんという人は、まさにコンポーザーではないのか。この2分にも満たない曲の長さ、5名のメンバーだけで繰り広げる構成でありったけの技巧を駆使し劇的な音楽を生み出す。詩を追っかけて歌うのは小室さんだが、そこにコーラスが登場、その詩を歌うボーカルとコーラスの波がせめぎ合い重なり、最終的にどちらも主役になる。かくして音の洪水が生まれる。凄い。
 これはもちろんコンポーザーたる小室さんの力だけでは到達できない境地である。いずれのボーカルも主張できる実力がないとただの主旋律とバッキングになってしまう。拮抗した実力があってこそ。
 及川恒平さんの歌唱力についてはもちろん定評のあるところだが、女性コーラスとして参加する四角佳子さんの声がまた凄い。こんなにも澄んだ伸びやかな綺麗な声がこの世に存在したことを我々は喜ばねばならないだろう。そしてこのグループにこれだけの才能が集結したことを。かくして奇跡の一曲が生まれた。

  踊って歌って笑って走れば 踊って歌って笑って走れば

 「まるで六文銭のように」という音楽集団は、あの1972年の六文銭の解散を経て28年後、20世紀最後の年に活動を開始した。メンバーは小室等、及川恒平、四角佳子。あの最後の六文銭の人たちだ。その名のとおり「まるで六文銭のような」皆さんである。
 その「まるで六文銭のように」のファースト・アルバムが10月、ついに発売される運びとなった。その中にはあの「街と飛行船」も入っているという。
 普段、もはやレコード屋ではなくなったCDショップになどついぞ足を運ばず、中古の音源ばかり探して彷徨うことの多い僕が、久々にショップを訪れ、発売日を待ちかねて予約をした。こんなこと何年ぶりだろう。
 そして秋のある日、僕は漸く手に入れた「まる六」の音に耳を傾けることが出来た。
 アルバムタイトルでもある「はじまりはじまる」。「あめのことば」「ただあたたかくカラッポに」…珠玉の曲が並ぶ。「サーカス」という曲は中原中也の詩だが、小室さんのコンポーザーぶりがいかんなく発揮されている。いいなぁ。
 35年前を再現するかのような「夏・二人で」。この曲の「鮮度とメルヘンの系譜」についてはたくみさんの記事に詳しいが、この曲、はじめて聴いたのは実は六文銭バージョンではない。約15年前、吉田拓郎のアルバム「吉田町の唄」にてカバーされている。これはほぼリアルタイムで聴いている。順序が逆になるのだが、六文銭バージョンの「夏・二人で」の方をあとから聴いた。
 ところで、僕は六文銭バージョンを聴いたのは12、3年前だったと思うのだけれども、そのときはこの曲のカバーを既に聴いていたことに僕は"気付かなかった"のである。
 これが逆(六文銭→吉田拓郎)であれば直ぐに気が付いたとは思うのだが、恥ずかしいと思うと同時に不思議なことだと思う。歌い手と編曲が違うだけで、曲の印象というのはこれほど変わってくるのだ。
 そしてこれは好みもあるだろうし一概に言っては怒られるが、幾重にも音が積まれた吉田拓郎バージョンよりも、今回のギター2本と3声だけで綴られたまる六バージョンの方が伸びやかさと広がりを感じる。いろいろ原因はあると思うけれども、音が詰まりすぎていないのどやかさとボーカルの絶妙な重なり合いがこの美しさを呼んでいるのだろう。これ以上生意気なことを素人が言うのは避けるが。
 そして「街と飛行船」。この曲がどう表現されているのかをどうしても聴いてみたかった。「フォーシーズン」では5人の六文銭だったが今回は3人である。あのときの歌に僕は「音の洪水」を感じた。今回はどうか。
 
 伝わってきたのは「確固たる信念」のようなものだった。やはり凄い。
 35年前の「街と飛行船」には、若者の叫びがあった。弾ける躍動感のようなものが支配し、勢いが音を押し出していた。小室等28歳、及川恒平23歳、おけいさんは20歳である。瑞々しいきらめきで輝いていたとしても不思議ではない。
 以来35年。迫力は衰えず…と書くのも違うような気がする。進化した、と書けば僭越に過ぎる。どう書けばいいのか屈するが、印象だけを素直に言えば、曲のキーは変わっていないのに、何故か通奏低音のような響きを感じる。35年前が水しぶきであるとすれば今度は地鳴り。別の力が備わっている。音の数は減っているのに。今回は3声とギター2本なのだ。
 これを「年輪」と書くのは容易い。ただそんなのは常套文句で分かった振りをしているに過ぎない。しかし依然として音は溢れてくる。ただ飛び越えてくるのではなくしっかりと響き渡る。
 僕は音楽に造詣が深いわけでもなく、技術的なものはなんにも知らないので、ただ印象だけを書くしか手段がない。しかし、こういう時に語彙の拙さを感じる。もっとうまく表現出来ないか。僕の今の気持ちを。
 しかしもう諦めた。すごくいいんですよこの曲は(なんだそりゃ)。それでもまだ足掻いて言うとしたら、前述の「確固たる信念」がそこに具現化しているのだろうか。

 「フォーシーズン」をまた聴き直してみる。
 このラジオドキュメンタリーを聴くと、僕は何故か精神が分裂していくように感じてしまう。
 さすがは芸術祭大賞であって構成がよく聴きやすい。そしてそこには、刃物のように危うく、そしてキラキラした若者たちの姿がある。時は沖縄返還。ベトナム戦争も安保も既に若者たちは通り過ぎている。でも戦争は知らない。しかし傷跡は脈々と残り続ける。若者たちは議論をし、自らをどう御していくか悩み続ける。
 この若者たちの姿は真っ当だと思うし、真剣に生きている眼差しがある。振り返って自分の若き日はどうだったのだろう。ただ木枯らしが吹くに任せていた若い日。拠り所を自分の内面にしか持ち得なかったのは、ただ逃げまくっていただけじゃないのか。
 そんな自己批判をしながら、じゃ今の若者はどうなんだろう、今の若者はちゃんと考えているのだろうか、などという事が頭を過り、そして昔最も嫌っていたおやじに自分が変貌していることに気が付く。そして僕は分裂していく。
 そしてまたさらに僕は気が付くのである。あの「真っ当」と思った若者たちは実は若者でありながら僕たちの先達であったことに。若者たち、などと僕が気安く呼んではいけない存在であったことに。そのことに思い当たって愕然としまた僕は分裂していくのである。
 「時代」とは何か。「過去」とは何か。「歴史」とは何か。そう考えつつ僕は袋小路に入る。

 でもやっぱり時は流れていくんだ。確実に。それだけは抗いようがない。
 じゃ僕たちに出来ることはなんだろう。それは、莞爾として振り返えることの出来る足跡を残すことしかないのではないか。しかしそれは難しいこと。
 でも、先達はそうやって生きている。そうでないとあの「確固とした信念」というものは生まれてはこないのではないか。
 35年前の「街と飛行船」、そして今の「街と飛行船」。不変であるようにも聴こえるし変貌したようにも聴こえる。ただ心を震わせる曲でありつづけたことは間違いない。その説明はもう不要だろう。
 彼らの未来に幸多かれ。さようなら六文銭。その送辞でフォーシーズンは終わる。そして35年経った今、また彼の人たちは「街と飛行船」を歌い継ぐ。これは僕たちの指針にもなるのではないか。足跡に誇りを。そして未来に恥じぬよう。

  きっと空には飛行船 地上にはお祭り
  きっと空には飛行船 地上にはお祭り

 さあライブに出かけよう。大いなる先達たちに出逢うために。その日が僕にとって祝祭となることを念じつつ。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もしも西南戦争に西郷軍が勝... | トップ | THE ALFEE 「Rockdom-風に吹... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お恥ずかしい限りです。 (たくみ)
2007-12-21 00:46:43
わざわざ私のことまでご紹介頂き,恐縮です。
凛太郎さんの精緻な文章で,まる六やその名曲の数々を
表現して頂けるのがとにかくうれしい。
私にとって幸いだったのは,
35年目にじかにお会いできたおけいさんやこへさん
そして御大小室さんが,想像していたとおり
否,想像以上にすばらしい方々だったということでしょうか。
そして,こんな形で凛太郎に巡り合えたことだと
思います。

ありがとうございます。
返信する
>たくみ様 (凛太郎)
2007-12-21 23:35:29
とんでもないです。恐縮なのはこちらのほうです。いつものとおり思うがままに書いておりましたら延びに延びまして、お時間をとらせてしまいました。ただ、この話はたくみさんとの出逢いから書き起こさないと僕の中では完結しませんので。

僕はこのブログで、「ついこの間知った曲」について書くのは初めてのことです。この曲自体にはそれこそ37年(フォーシーズンからは35年)の歴史が刻まれているわけですが、僕の中ではつい先般、たくみさんの導きで初めて聴いたうたでありまして、思い出ブログとしては異例なのですが、書かずにいられなかった。想いが飽和して噴出してしまった結果でもあります。それほどに衝撃的でありました。

この曲、そして六文銭とそれに連なる方々の素晴らしさを教えてくださったたくみさんに深く感謝致します。
返信する
冷たい雨の神戸で (たくみ)
2007-12-23 20:13:40
まる六マイナス小室さんのミニライブに出かけてきました。
会場内も少し寒かったのですが,
エンディングの曲についての再発見もあり
収穫の多いものでした。

ますます美しいおけいさんと吟遊詩人のようなこへさん。
小さな会場とは言え,PA無しの生音でのライブは
贅沢といえるでしょう。
いい気になって観戦記を作成しました。
お時間があれば覗いてみてください。

ではまた。

返信する
>たくみ様 (凛太郎)
2007-12-24 09:04:00
冬の雨は比較的暖かな神戸も少し冷えますね。
ありがとうございます。早速レポ拝見させていただきます。
返信する

コメントを投稿

好きな歌・心に残る歌」カテゴリの最新記事