凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

吉田拓郎「今日までそして明日から」

2014年11月30日 | 好きな歌・心に残る歌
 「恥の多い生涯を送って来ました」

 もちろん太宰治の有名な一節だが、その太宰は「人間失格」を書き終えて、自死を選んだ。39歳の誕生日を迎える数日前。
 僕も同年齢にして、「死」というものを意識するようになったことを記憶している。無論のこと太宰とは異なり自ら死を選ぼうなどとは微塵も考えてはいなかったが、少なくとも人生は有限である、ということをはっきりと認識したように思う。
 それには様々な要因があったのだが、同時に「自分史」というものを無性に記したくなった。自分史といえば大仰でありそんな大層なものではないが、自分の軌跡を、その追憶の断片をどこかに残しておきたくなった。

 ブログというツールを知ったのはいつだったか。
 はっきりとは憶えていないが、それまでWeb上で日々雑感を書いていた日記ツールに限界を感じはじめた頃、おそらく2004年の夏くらいではなかったか。下書きが出来る(執筆に時間をかけられる、また推敲・修正も可能)、字数制限が厳しくない、活字の大きさ等紙面上の自由さやデザインの選択幅の大きさなど、非常に魅力を感じた。
 ただ、しばらくは使用に踏み切ってはいなかった。
 その頃、日記ツールやBBSなどをWeb上で運営していた以外に、僕はHPを作りたいと思い、その準備をコツコツと行っていた。これがつまり、人生が有限であると気付いた僕が書き残そうと思った自分史にあたる。
 しかしそれは公表するまでには至らなかった。少し身体を悪くしてしまい、そのため長時間座って作業を続けることが叶わなくなった。
 では、書き溜めていた文書、またこれから書こうと温めていた思いをどうやって吐露してゆくか。
 僕は、ブログツールを使おうと思った。それが、このブログにあたる。
 2004年も暮れに差し掛かった頃、僕はとりあえず最初の記事を書いた。以後、昔話を中心として記事を積み重ね、これでちょうど10年になる。

 この10年というもの、ずっとブログを書いてきた。途切れることなく。稼動させたブログサービスはいくつもある。僕の中の引き出しはとうに空っぽになり、つまり内面にもうネタは無く、自分史という段階は超え、今はもう好奇心に引っかかったものを引きずり出し調査して思考して書くという状況になっている。それでも飽かず、書くことに多くの時間を費やしてきた。
 僕にとってのこの10年とはいったいなんだったのだろうか。そんなことを今考えている。

 厳しく見れば、それはただの浪費だったのかもしれない。
 この費やした時間というものを、もっと有効活用していれば、と人は言うだろう。事実、いくらWeb上に書き続けても、それは何も生み出していないに等しい。
 だが、それでも書いてきた。
 そして、いつしかこれは僕の「墓標」であると思うようになった。

 人は、いつか死ぬ。
 そして、死んだ人の軌跡というものは、史上に残る事績を成したひとにぎりの群像を除いては、何も残らない。多くの市井の人々は、忘れ去られてゆく。
 例えば子孫や親しい友人は、彼らのことを憶えているかもしれない。だがそれらの人々の人生も有限であり、人は死んだ瞬間から、忘却の波に呑まれていく運命にある。
 市井の人が生きてきた証しというものは、極端なことを言えば墓標しか残らない。しかしその墓標すら現代社会においては、建立も難しい時代となっている。そして仮に墓を建てても、祭祀者が途絶えれば終る。
 ふつうの人は、何も残らない。
 まして、その故人が何を思い、どのように人生を積み重ねてきたかということなどは、その人の脳内にしか存在しないもの。
 生きるということは、そういうことなのだ。
 彼らが育まれ、努力し、恋をし、幾多のことに感動し、辛いことを潜り抜け、褒められ励まされ、愛情を注ぎ、笑ったり泣いたりしてきたことは、全て無になる。
 もちろん、それは自明のことである。消失することに対して抗うことは出来ない。銅像を建てたり、小惑星に名前を冠したりしても、その人の思い、その人の追憶というものは残らない。
 ただ、こうして書くことは、銅像よりも彼の人の追憶を留めておくことにはならないだろうか。

 Webというものに自分を表現することが可能になってから、しばらく経つ。
 以前は、自分の思いを吐露したものを残しておくことは、ごく限られた人にしか不可能だった。作家になるか、あるいは芸術家になるか。自伝を書ける人は幸いである。いくら史上に残る大物であっても、伝記をしるされたり小説の題材になったりするのは、自分の思いを残したとは言いがたい。
 今は、誰でもこうして書ける。自分の思考を公表できる。いい時代になったと思う。
 同時に、恥を晒しているという見方も出来る。内面を公表するというのはそういうことで、だからHNで書いている。
 あらためて昔の記事を読むと、耳まで赤くなる。恥の多い人生であったとつくづく思う。
 それでも、こうして自分の軌跡を残しておけるのは、幸せなことだと感じている。

 ブログサービスに限れば、例えば日本においては今世紀に入ってから隆盛し、歴史はそろそろ15年になる。
 既に管理人がこの世にいないブログも数多くあるだろう。震災のときに「更新が止まったブログ」のことが話題になったが、そんなブログは数多いに違いない。さすればそれは、サーバー上に残る彼の人の墓標であることになる。
 願わくは、いつまでも残しておいてやってほしい、と思うのである。無縁仏として片付けてしまわずに。先方も商売でやられていること、難しいとは思うが、何とかならないものかと思う。

  わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかの力を借りて
  時にはだれかにしがみついて
  わたしは今日まで 生きてみました
  そして今 私は思っています
  明日からも こうして生きて行くだろうと

 「今日までそして明日から」を聴きながら、またいろんなことを考える。
 僕は、いつまで書いてゆけるだろう。

 自分的に「虎は死して皮を残す」程度のことは、もう書いたと思っている。だからといって、終了宣言には踏み出せない。それをするには、僕はどうも書くことが好きすぎるようだ。
 しかし、書こうと思ってもなかなか書けなくなってきた。
 かつて量産していた時代は、いくらでも書きたいことがあった。そういう蓄積や衝動がなくなったことは確かにある。そして同時に、筆力の衰えも感じる。言葉が流れ出てこなくなった。脳の硬直化か。体力の衰えと同様のものを感じている。
 でも、書きたいな、まだ。頻度は落ちたとしても。
 ブログを始めた頃は、まさか10年後もこうして僕が「凛太郎」としてWeb上に棲息しているとはとても想像がつかなかった。そして今も、将来のことは全く見えない。例えば、還暦を迎えても書いているなんてイメージは全然持てない。
 今後何が起こるかは、わからない。
 でもしばらくは、道はまだ続いているみたいだ。
 終了宣言もしないし、生涯ブロガー宣言もしない。ただ道が続いているなら、少しづつでも歩いてゆくか。そんな心境かな。

  けれど それにしたって
  どこで どう変わってしまうか
  そうです 分からないまま生きてゆく
  明日からの そんなわたしです

  わたしは今日まで生きてみました
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今 わたしは思っています
  明日からもこうして 生きてゆくだろうと

 そんな感じで、まだ凛太郎はWeb上に居ます。
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5 コメント

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意識 (アラレ)
2014-12-06 12:06:48
死を意識しながら生きる。
これは私もずっと同じです。

いつかは終わる人生だから
今は楽しく生きていきたい。

文章を書くことが好き

ただそれだけで、私も続けてきました。
仕事用のブログには、イメージ戦略とも言える(笑)ステレオタイプの日常を。
想いを整理し、吐露し、楽になる為のブログには、藤圭子か中島みゆきか(笑)の恨み節。読み返すのが自分自身でもしんどいくらい(笑)
それでも、こうして書いてきました。

先のことはわからない。
でも、書きたい言葉がある限り
私も書いていくでしょう。

私が私として、一番私らしいのが
本当はwebの私なのかも。

お互いに実情も知らぬまま、こうして
言葉を交わし続けて、もう何年になるでしょうね(笑)

そして、これからも
同じスタンスで…。

恥の多い人生を自分で笑いながら。
>アラレさん (凛太郎)
2014-12-07 11:15:14
ありがとうございます。
書いていることは死だの墓標だのと縁起の悪い話になっていますが、この一年ずっとお墓のブログを書いてきた名残だと思って勘弁して下さい(汗)。
でもね、僕がいずれこの世からいなくなるとすれば、僕の精神と申しますか思考と申しますか、大雑把に言えば「思い」みたいなものは、僕の脳が消滅すればこの世界からは消えてしまうわけですよ。ただここに書いたことは、Webの状況がこのままであれば、サーバーには残るなと。そんなことをぼんやりと思うわけです。
書くことが好き、というだけで書いてきたわけですが、書き続けて積み重ねられてゆけば、そういうことになります。

「私が私として、一番私らしいのが本当はwebの私なのかも」

これは、共感しますねー。
別ブログのレスに最近同じようなことを書いたのですが、僕の場合は、Web上での自分は本当に自らの精神だけで成り立っているわけです。実生活の自分と凛太郎を繋げていないので、人目を一切気にせずに自分の思考回路をそのまま書きます。なので、恥の多い人生のことも書けるのです。もしも実生活上の知り合いや友人、さらには親兄弟やカミさんがこれを読む可能性があるとすれば、とてもこういう話は書けません。
しかし、状況は10年前とかわりました。かつては、ネット民というのはそんなに多くなかった。でも今はね…。そのうちに気が付く人も出てくるかもしれません。特定されるようなことは結構書いてしまっています。「あんた凛太郎でしょ?」と実生活上でもしも言われたら、それが終焉のときですわ。
それがなければ、道は続くんです。しかしだんだん綱渡りになってきたような気もします。いつまで書いてゆけるんだろう(笑)。でもまだ、道はなんとか続いているみたいです。
あんた、よぴちでしょ (よぴち)
2014-12-10 01:25:42
凜太郎さん

昨年、84歳で逝った上司が、全く同じことを言っていました。そして彼もまた、逝く20年以上前から、自分のこれまでや、旅行記、エッセイのようなものを、何冊も本にしていました。
Web上の墓標…
本物の墓標とはまた違った、むしろ そこにこそ自分の真実があるようで、私も、遺せたら素敵だな、と思います。
でも、すでに私は失敗しました。 ブログ上でのHNは、イコール私の家族内での実際の呼び名でもあったために、プライベートな場面で公にしてしまい、結果、「あんた、よぴちでしょ」ということになってしまった…。
おかげで、ブログに書く内容は確実にそれまでと変わってしまいました。
実際に お会いする方々が見ておられる、という前提が、やはり私を制約する…。
そのことに、早くから気付いておられた凜太郎さん、正解でしたね。
今となっては、後のまつりですが、私も、それでも書いて行くと思います。
>よぴちさん (凛太郎)
2014-12-11 06:21:05
ありがとうございます。
まーその、本を出版しようと思えば、作家になるか有名人になるか、あるいはまとまった額のモノを用意するしかないわけです。才能も甲斐性もなく、いずれも無理な僕にとっては、Webという世界は実に有難いわけです。
何度か書いたことがありますが、僕が「凛太郎」をはじめて名乗ったのは遥か昔の、学生時代に少しかかわった同人誌です。その青焼きコピーで作ったわずか20部程度のメディア(?)と比べれば、ブログというものが持つ力は比べ物にならないわけです。

…しかしその20人は、僕が凛太郎だということを知っているのですな(笑)。
今は、その20人がどうしているのかほとんど知りません。寄稿していたのは6人くらいで、うち2人と年賀状程度の付き合いがあります。
まさか気付いてはいないと思いますが、その冊子に書いたものを焼きなおした内容の記事がこのブログにいくつも紛れ込んでいます(汗)。
そいつらには、もう知られてもしょうがない。ただもう30年近く昔の話ですから、「凛太郎」なんて筆名を覚えているのは本人の僕くらいだと思いますがねぇ。もしも気付いたとしても、とにかく黙っていてくれ。コメントとか書き込むな(笑)。

その20人のことがどうも喉に刺さった小骨のような感じなのですが、よぴちさんと比べれば、僕の場合はほぼ制約はありません。これを制約ととらえるかは価値観ですけれどもねー。ただ家族に知られていたら、僕は昔恋をした話とかは書けないでしょうね(笑)。
ありがとうございます。 (nage)
2017-01-23 22:47:43
素敵な文章を読ませて頂きました。
少し兄さんか同世代だと思うのですが、楽しく読ませてもらいました。
選曲がマニアックすぎて(笑)わからないところも多かったのですが楽しませてもらいました。
ちなみに、小椋佳の時から来ました。
ありがとうございます。

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