以前、深夜放送の話でKBS京都(前近畿放送)の「日本列島ズバリリクエスト」に少し絡めた記事を書いたが、関西エリア(特に京都)では、深夜放送を聴いているリスナーの間ではABC朝日放送の「ヤングリクエスト」と、MBS毎日放送の「ヤングタウン」が人気であったと思う。もっとも、これは四半世紀以上も前の話であります。
その後、東京から「オールナイトニッポン」がネットされるようになって状況がまた変わってくるのであるが、それより以前はこういった状況であった。
僕はむろん最もクリアに入る「ズバリク」をよく聴いていたが、僕のまわりの同級生の間では「ヤングタウン(ヤンタン)」に支持が集まっていたように思う。「ヤングリクエスト(ヤンリク)」は局アナが中心になってリクエスト紹介、というスタンスであったのに対し、ヤンタンは各界人気パーソナリティーを集めてDJのトークで売っていた。関西のことであるからしてしゃべくりの要素がないとやはり物足りなかったのかとも思える。
僕が記憶している初期の「ヤンタン」のパーソナリティーは以下の通り。
(月)笑福亭鶴瓶、浅川美智子、中村行延。(火)きたむらけん、有吉ジュン、阪神巨人。(水)谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子(局アナ)。(木)角淳一(局アナ)、笑福亭鶴光、原田伸郎、佐々木美江(局アナ)。(金)ピーター、鈴木美智子。(土)桂三枝、月亭八方、斎藤努(局アナ)。(土のみ公開録音)
記憶で書いているので間違いがあったらごめんなさい。しかし、このラインナップを見て懐かしくなった人とお話がしてみたい。
僕は曜日によって、或いは企画によって「ズバリク」と「ヤンタン」を聴き分けていた。
懐かしいことおびただしい。鶴瓶と中村行延さんは今でも「きらきらアフロ」などのTV番組をやっているが、もう姿の見えなくなった人も居る。きたむらけんさんは元気なのかなぁ。当時京都に住んでいる深夜放送族の中では超有名人だったのだが。この人のバンド「ばっくすばにぃ」と曲についてもまた語りたいことが多いのだが、今日はちょっと置いておいて。
聴き逃したくなかったのは火・水・木で、中でも水曜日の谷村新司・ばんばひろふみ両氏の「ちょっとエッチな」放送は小中学生にはドキドキものだったのだ。本当に隔世の感がある。「女性立ち入り禁止コーナー」なんて懐かしいですなぁ。佐藤良子さんも色っぽかったし。
谷村新司、とはもちろんアリスの谷村さんである。今では大御所として紅白出演何回目かもわからないほどであるが、当時はまださほど売れていなかった。時々中ヒットを飛ばす存在だった。すでにばんばさんは「いちご白書をもう一度」の大ヒットがあり、アリスにも№1ヒットが望まれていた。
当時は「今はもう誰も」や「帰らざる日々」がそれでもヒットしていた。番組ではアリスの新曲をオンエアしては、「今度は爆発的ヒットを! !」とリスナーが願っていた頃だった。
アリスはポップ路線で「冬の稲妻」をリリースする。そして番組でどんどんオンエアし出す。
これは瞬く間にヒットチャートを昇った。当時ちょうど「フォーク」でもない「ロック」でもない「ニューミュージック」という言葉が使われ出し、アリスの「冬の稲妻」はその尖兵としてとりあつかわれ、時代の寵児となっていった。
ギターを始めていた僕は盛んにコピーして仲間と歌った。しかし、ちょっと違和感も感じていたのもまた事実なのだった。
「アリス」はアコースティックギター2本(谷村、堀内孝雄)とドラム(矢沢透)という実にヘンテコな構成である。キンちゃん(矢沢)は後から加入しているのだが、アコギ2本のデュオにドラムを入れるという編成はどうして生まれたのだろう? よくそこいらへんの事情は知らないのだが、従来のフォークにはなかったリズム重視のバンドにしたかったのかもしれない。だからこそ「冬の稲妻」がヒットしたのだろうが、僕は谷村新司さんの達者な詞と優しいメロディーが好きだった。だから「チャンピオン」なんて曲はどうしても違和感があって馴染めなかったのが本当のところ。僕にとってアリスと言えば、デビュー曲の「走っておいで恋人よ」のような静かな旋律であり、そこに惹かれるのだ。
それでもLPには、そういう優しい曲も多く含まれている。
書き終えた便箋の追伸に「今でも私は…」と書けなくて。。(五年目の手紙)
あまり知られていないけれども、こういう路線が好きだった。でもこれがシングルではヒットしなかったかもしれない。
谷村新司さんだけでなくベーやん(堀内孝雄)も、真っ直ぐな視線で熱いうたをたくさん歌ってくれた。ソロの曲になっちゃうけれど、「カリフォルニアにあこがれて」なんて良かったなぁ。今は演歌の大御所という当時からは考えられないポジションにおられますが。
しかしながら、当時僕がいちばん好きだった曲は何故か矢沢透さんの「ある日の午後」という曲なのである。知っている人はどれだけ居るだろうか。
古びた本棚の隅に落ちていた写真
まだ君が若かった頃の 少しだけ大人びてはにかんだその笑顔が…
キンちゃんはドラマーとしての実力は非常に評価が高かったと聞く。アリスに入る頃、オフコースからも誘いがあったのだと聞いたことがある。オフコースは当時やはり小田、鈴木のアコースティックデュオで、アリスと同条件だった。しかし、オフコースはギターとベースを入れて5人編成のフルバンドに模様替えするところだったのである。アリスはそうじゃなくアコギ2本のままだ。なんでアリスをキンちゃんは選んだのだろう? 詳しいことは知らないが、チンペイ&ベーやんの関西トークに騙されたのだろうか。
何もないあの頃 少し疲れていたけど
君の瞳には いつも僕がいた…
ミュージシャンとして一流だった矢沢さんは、アリスの中では黒子に徹していた。でも、こんないい曲も残してくれたことを、通りすがりのファンとしてはとても幸せに思うのである。
ヤンタンも懐かしい。
その後、東京から「オールナイトニッポン」がネットされるようになって状況がまた変わってくるのであるが、それより以前はこういった状況であった。
僕はむろん最もクリアに入る「ズバリク」をよく聴いていたが、僕のまわりの同級生の間では「ヤングタウン(ヤンタン)」に支持が集まっていたように思う。「ヤングリクエスト(ヤンリク)」は局アナが中心になってリクエスト紹介、というスタンスであったのに対し、ヤンタンは各界人気パーソナリティーを集めてDJのトークで売っていた。関西のことであるからしてしゃべくりの要素がないとやはり物足りなかったのかとも思える。
僕が記憶している初期の「ヤンタン」のパーソナリティーは以下の通り。
(月)笑福亭鶴瓶、浅川美智子、中村行延。(火)きたむらけん、有吉ジュン、阪神巨人。(水)谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子(局アナ)。(木)角淳一(局アナ)、笑福亭鶴光、原田伸郎、佐々木美江(局アナ)。(金)ピーター、鈴木美智子。(土)桂三枝、月亭八方、斎藤努(局アナ)。(土のみ公開録音)
記憶で書いているので間違いがあったらごめんなさい。しかし、このラインナップを見て懐かしくなった人とお話がしてみたい。
僕は曜日によって、或いは企画によって「ズバリク」と「ヤンタン」を聴き分けていた。
懐かしいことおびただしい。鶴瓶と中村行延さんは今でも「きらきらアフロ」などのTV番組をやっているが、もう姿の見えなくなった人も居る。きたむらけんさんは元気なのかなぁ。当時京都に住んでいる深夜放送族の中では超有名人だったのだが。この人のバンド「ばっくすばにぃ」と曲についてもまた語りたいことが多いのだが、今日はちょっと置いておいて。
聴き逃したくなかったのは火・水・木で、中でも水曜日の谷村新司・ばんばひろふみ両氏の「ちょっとエッチな」放送は小中学生にはドキドキものだったのだ。本当に隔世の感がある。「女性立ち入り禁止コーナー」なんて懐かしいですなぁ。佐藤良子さんも色っぽかったし。
谷村新司、とはもちろんアリスの谷村さんである。今では大御所として紅白出演何回目かもわからないほどであるが、当時はまださほど売れていなかった。時々中ヒットを飛ばす存在だった。すでにばんばさんは「いちご白書をもう一度」の大ヒットがあり、アリスにも№1ヒットが望まれていた。
当時は「今はもう誰も」や「帰らざる日々」がそれでもヒットしていた。番組ではアリスの新曲をオンエアしては、「今度は爆発的ヒットを! !」とリスナーが願っていた頃だった。
アリスはポップ路線で「冬の稲妻」をリリースする。そして番組でどんどんオンエアし出す。
これは瞬く間にヒットチャートを昇った。当時ちょうど「フォーク」でもない「ロック」でもない「ニューミュージック」という言葉が使われ出し、アリスの「冬の稲妻」はその尖兵としてとりあつかわれ、時代の寵児となっていった。
ギターを始めていた僕は盛んにコピーして仲間と歌った。しかし、ちょっと違和感も感じていたのもまた事実なのだった。
「アリス」はアコースティックギター2本(谷村、堀内孝雄)とドラム(矢沢透)という実にヘンテコな構成である。キンちゃん(矢沢)は後から加入しているのだが、アコギ2本のデュオにドラムを入れるという編成はどうして生まれたのだろう? よくそこいらへんの事情は知らないのだが、従来のフォークにはなかったリズム重視のバンドにしたかったのかもしれない。だからこそ「冬の稲妻」がヒットしたのだろうが、僕は谷村新司さんの達者な詞と優しいメロディーが好きだった。だから「チャンピオン」なんて曲はどうしても違和感があって馴染めなかったのが本当のところ。僕にとってアリスと言えば、デビュー曲の「走っておいで恋人よ」のような静かな旋律であり、そこに惹かれるのだ。
それでもLPには、そういう優しい曲も多く含まれている。
書き終えた便箋の追伸に「今でも私は…」と書けなくて。。(五年目の手紙)
あまり知られていないけれども、こういう路線が好きだった。でもこれがシングルではヒットしなかったかもしれない。
谷村新司さんだけでなくベーやん(堀内孝雄)も、真っ直ぐな視線で熱いうたをたくさん歌ってくれた。ソロの曲になっちゃうけれど、「カリフォルニアにあこがれて」なんて良かったなぁ。今は演歌の大御所という当時からは考えられないポジションにおられますが。
しかしながら、当時僕がいちばん好きだった曲は何故か矢沢透さんの「ある日の午後」という曲なのである。知っている人はどれだけ居るだろうか。
古びた本棚の隅に落ちていた写真
まだ君が若かった頃の 少しだけ大人びてはにかんだその笑顔が…
キンちゃんはドラマーとしての実力は非常に評価が高かったと聞く。アリスに入る頃、オフコースからも誘いがあったのだと聞いたことがある。オフコースは当時やはり小田、鈴木のアコースティックデュオで、アリスと同条件だった。しかし、オフコースはギターとベースを入れて5人編成のフルバンドに模様替えするところだったのである。アリスはそうじゃなくアコギ2本のままだ。なんでアリスをキンちゃんは選んだのだろう? 詳しいことは知らないが、チンペイ&ベーやんの関西トークに騙されたのだろうか。
何もないあの頃 少し疲れていたけど
君の瞳には いつも僕がいた…
ミュージシャンとして一流だった矢沢さんは、アリスの中では黒子に徹していた。でも、こんないい曲も残してくれたことを、通りすがりのファンとしてはとても幸せに思うのである。
ヤンタンも懐かしい。
アリスも青春の思い出です!
私はべーやんが好きだったな。
確か文化祭の時もアリスの歌をみんなで歌った記憶が!何の歌だったかな?
今はもう誰も♪だったかも!!
ちなみにオフコースと言えば鈴木さんが好きでした!
シングルになって「鈴木康博」で出したアルバムも買った!!
オフコースは言葉にできない♪が好きです☆
アリスもオフコースもとても好きでした。
かぐや姫同様、青春時代の思い出なんですよ。
彼らの影響で、グループを組み、ギター弾いて唄ってたんですよ。懐かしいわぁ~~
アリスの『遠くで汽笛を聞きながら』が大好き。
オフコースの『愛を止めないで』は今でも胸がキュンと・・・(笑)
今度、レコードをご紹介しますのでTBさせてくださいね。
オフコースもチューリップもいずれ書こうと思っています。マイナーな人の間に挟んで(笑)。鈴木康博さんは、「SO LONG」にちょっと思い出が濃いです。
オフコースについてもいずれ書こうと思っていますが、「愛を止めないで」はすごく好きです。思い出も繋がって出てきますし。
君の人生が2つに別れてる
その1つが真っ直ぐに…
確かに胸が締め付けられますね(笑)。
矢沢透さんは、アリスのレコーディングでもちゃんとドラムスを叩いています。
ニューミュージック系のミュージシャンは、あの頃あまり自分たちでレコーディングの時楽器を弾いていなかったようです。
谷村・堀内両氏も初期はともかく後期は、確か歌だけしか参加していないようでした。
しかし、キンちゃんは自分でドラムスを叩いていました。
矢沢透さんの「ある日の午後」もちろん知っています。
懐かしいですね。
確か、アリスの最高傑作の『アリスVI』収録でしたね。
あのアリスの3人のチームワークは見ていてほのぼのとした感がありましたが(内面は知りませんが^^;)、アコギ2本とドラムスという編成は当時不思議でしたねー。パンチは効いていましたが(笑)。
そういえば「五年目の手紙」も「アリスVI」でしたね。いちばんアブラが乗っていた時期だったのでしょうね。
懐かしい歌の話は時々しか書いていませんが(汗)、また見てやってください♪
アリスのことを扱っていたので、うれしくて投稿しました。
私は「凛太郎」さんのような通の方からすると、邪道かもしれないですが、ミーハーなファンです。「限りなき挑戦/アリス・ライヴ
ー美しき絆 Hand in Handー」が初めて自分で買った「カセットテープ」で音楽で初めて鳥肌を立てて、聴いて以来のファンでした。それから初期の作品も聴いていったクチです。
私は初期では「走っておいで恋人よ」も、もちろんですが、「散りゆく花」そして「明日への讃歌」(アコースティックなバージョン)が好きです。
そして、ロックキャンディーズ「春は静かに通り過ぎてゆく」が好きでした。
ところで、鶴瓶と中村行延さんは今でも「きらきらアフロ」などのTV番組をやっているとのことですが、「きらきらアフロ」は好きでよく見てるのですが、中村行延さんてどこにでてますか?
べーやんの「忘れな詩」の作詞の中村さんですよね。
「忘れな詩」は大好きな歌だったので、どうしているのかなあと思っていました。
べーやんについては「言葉のない贈りもの」も好きでした。
もちろん、他にもいっぱいいい唄、好きな歌はありますけど…。
矢沢透(きんちゃん)はやっぱり、ソロの「あなたがいるだけで」が好きでした。「ある日の午後」聴き直してみました。
いい歌ですね。なんか、うれしくて支離滅裂な長い文章になってすみません。
アリスのことを書いている人って少ないのかなぁ? あれだけ売れたのに。一つには谷村、堀内両氏が頑張っていて、日々イメージを更新しておられるからかもしれませんね。でも過去にしてしまうには勿体ないと思うのですが。
しかし、僕の方こそ「通りすがりのようなファン」で、Alice0001さんの方がよっぽど「通」。なんせロックキャンディーズを知っている人など滅多にお目にかかれませんよ。さすがですね。
飛び去る鳥に想いをを乗せて あなたの下へ届けて欲しい…
「春は静かに通り過ぎてゆく」は確かによかったなぁ。あのアコギのストロークとメロディが「明日への讃歌」などのアリスの王道サウンドに繋がるんですよね。いやぁ懐かし過ぎる♪
アリス、素敵な曲が多かったですよね。Alice0001さんがまた語る機会をお持ちになったら是非教えてください。
さて、関西では「四人目のアリス」と言われた中村行延さん。もちろん「忘れな詩」の行延さんです。鶴瓶氏とは同級生で友だちという関係なのでときどき引っ張り出されています。「きらきらアフロ」では、エンディングの楽屋トークで、差し入れの紹介をしているおっちゃんが行延さんです(笑)。名前も出てこないので普通わかんないですよね(笑)。
あの人、中村行延さんだったんですねぇ~!
時々、音楽トークになったとき、鶴瓶さんも詳しいけど
このオッさん詳しいなぁ、と思ってたんです。
「店はどうしてんねん」とか言われてるから、何者なんだろう?
なんて、思ってました。ははは…。
ありがとうございます。
「きらきら」の見方もちょっと変わりますねぇ!
近々、Blog開設するので、その時は見てやって下さい。
また、コメントします。
ミュージシャンはいろいろな場面でさまざまな繋がりがあるようですね。鶴瓶師匠も「元・あのねのね」ですからね(笑)。昔師匠がやっていた「ぬかるみの世界」というラジオ番組がいつも硬派なフォークソングを流していたのも懐かしいです。
Blog開設の折にはまたお知らせ下さい。(^-^)