凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

THE ALFEE 「Rockdom-風に吹かれて-」

2007年12月28日 | 好きな歌・心に残る歌
 このブログに自分の「好きな歌」とそれにまつわる思い出話などを書き始めてしばらく経つ。振り返ると、個人はともかくグループ、ユニットなどは皆解散したか、活動停止をしたか、或いは活動を再開したとしてもスペシャル的なものであったりとか、様々に変遷していることに気が付く。僕が音楽になんとなしに興味を持ち始めてから30年を過ぎ、自我意識が特に高いと思われる(そうでなければやっていけない)ミュージシャンにとってはそれはもう必然とも言えるべきことで、発展であったり進化であったりする場合が多いので慶ぶべきことであるのかもしれない。でも少しは寂しかったりもする。
 そうした中で、アルフィーというユニットの息の長さにはひたすら驚く。

 アルフィーは、この記事を書いている時点で結成33年、その前身のコンフィデンス時代を含めるともっと長い。メンバーが桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦の三人となってからでも30年は超えている。チャゲ&飛鳥だってサザンオールスターズだって30年は超えていない。ずっと継続して活動を続けていたユニットとしては、これは記録ではないのか。あんな個性の強い、志向も同じとは言えない面々がこうして続けてこられたことに驚愕の思いがする。
 デビューは、小室等さんにコンテストで認められた事がきっかけ、とはよく知られる話。もともとはフォークグループだった。現在、坂崎幸之助氏は「フォークの伝道師」という役割を担われていてそのことに何の不思議も無いのだが、「メリーアン」のヒットとあの高見沢氏のド派手なヘビメタファッションを知る人は実に違和感があるのではないかと思う。
 僕はアルフィーというユニットの活動を知るより以前に、坂崎氏にまず憧れを持った。なんとギターの巧い人なのだろうと。丁度中学生でギターを始め出した頃、しばしば坂崎氏がTVに出てはギターを弾いていた。タモリが漫談をする後ろで伴奏を付ける。タモリの話はいつものように変幻自在に移るが、それに合わせて伴奏がバラードになったりスウィング風になったりはたまた中国音楽風になったり。それらを全てアドリブでやってのける坂崎氏に驚き、ギター一本の可能性というのはここまで広がるのかとまた驚いた。
 当時は「無言劇」がラジオで流れていた。

  裏切りの舞台 三文芝居のタイトルは台詞無用の無言劇 主役は冷めきった心と心

 リリカルな叙情で溢れている。いい曲だな。それからしばらくしてアルフィーは突出したヒット曲もないまま武道館公演を成功させ(これはあの時代から考えれば凄いことだ)、それが契機となったかのように「メリーアン」の大ヒット、それ以降はもう僕が書く必要など無い。現在も第一線で在り続け出す曲全てがヒットチャートを昇る。

 「Rockdom-風に吹かれて-」がリリースされたのは'86年。僕は大学生になっていた。
 その頃の僕は、有体に言えば生き方に迷っていた。しかしこれは当然のことで、この時期迷っていない若者など少数派だったに違いない。人生に指針を見出し、それに向かって突き進んでいる立派なやつもそりゃ居たけれども、大多数はこれから先どう生きていこうかという事に悩み、陽炎のような未来に漠とした不安を持つ、それが当然だったと思う。
 ただ、僕はもっと低いレベルのところで右往左往していたように思う。未来のこともそうだが、まず今をどう生きればいいのか。人に言わせれば「青春時代」と言われるこの時代だったが、その定義ってなんだろう。そんなことも分からずに二十歳を過ぎてしまったことへの悔いと焦燥。
 
  若さの他には何もない 俺達の愛は転がる石のようだった

 昔から理屈先行だった僕は、その「青春」と言われる時代を無為に過ごしたくはなかった。「風に吹かれて」。「転がる石のように」。ボブ・ディランがそう言っていることは知っていたけれど、どうしたら転がる石のようになれるのか、どうしたら風に吹かれていられるのか、それが全く見えてこなくてただ焦っていた。そうしている間にもどんどん時が過ぎていく。
 学生の多い街に生まれた僕は、幼い頃から若者の居る風景というものを見ていた。そして憧れを持った。デモやヘルメットや立看板も身近にあった。若者とはああいうものだ、と刷り込まれていたようにも思う。
 中学生の頃、甲斐よしひろが「男と女の事がいちばんデカい」と言い放っていた。当時その言葉に反発したのを憶えている。そんなことが一番大きなことじゃないだろう。若者は社会を変えるべく起たなくてはいけないのじゃないのか。
 今にして思えばあまりにも蒼い。その蒼さが青春の青だとはもちろんその時は気付いていない。それに、男と女の事なんてまだ何も知らなかったくせにそんな反発は不遜である。しかし当時は大真面目で考えていた。
 高校時代。クラスメートには民青に入っている男も居た。僕も勧誘された。しかしそれに対して怖さよりも、自分の立ち居地がまだ見えなかったために断った。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み、若者はこうあるべきだと強く思った。しかし具体的にどうすればいいのかまだ見えてはいない。今僕は何をすべきか。若者群像を知りたかった。指針を見出したかった。
 柴田翔の「されどわれらが日々」を読んだ。庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだ。高野悦子の「二十歳の原点」を読んだ。時代の空気とそこに身を投じている若者の気持ちは本当によくわかる。しかし、自分には置き換えられない。

  ロックアウトされたキャンパス やりきれないほどに灰色の毎日だった
  あいつが死んだ夜も 何も知らずに俺達は抱き合ってた

 何も分からないまま、ただモラトリアムの続きとして大学に進学してしまった。その大学には、もはやロックアウトなどという言葉を実感として知っている同級生は居ない。僕自身、何かを始めようという気力は全く無かった。その頃には、もう自分が頭でっかちのしょうがない人間だということは気が付いていた。しかしそんな自分が嫌いだった。なんとかしたい。けれども「自己嫌悪」なんて言葉ももう流行遅れになっていた。そして、甲斐よしひろに反発するだけの恋愛もまだ経験してはいなかった。男と女の事すら、流されるままだった。
 僕はいったいどうすればいいのだろう。途方に暮れた。

 先日、時代の先達と話していた。その人はこう言った。「あの頃~反戦運動華やかなりし頃~の若者は、まだ自分たちによって世の中が変わるのではないかと信じていたんだよ」と。
 しかし若者の望んだ未来は潰える。その後に「シラケ世代」が形成されていく。僕はさらに後の世代であり、若者のムーブメントさえ彼岸のことのように思えていた。ただ焦燥感だけがあった。それ自体が若者特有の蒼さからきていることにはまだ気付いていない。

 僕は、その空虚感を埋める為に、ただ旅ばかりしていた。せめて自分の限界点を知っておきたい、と思って始めた自転車による日本旅行だったが、そのときは受動的だと思っていた行動も、採点の甘い今となっては能動的であったようにも思える。いたたまれなくなって飛び出した、とも言えるが、当時は焦りから来る無為な行動~実際に「そんなことばっかりやってて何になるんだ」とはよく言われた~とは思っていたけれども、今になって思えば全く無為ではなかった。少なくとも「思い出」だけは僕に残してくれた。

 その時は何も分からないのだ。
 甲斐よしひろが言うことも今となっては理解できる。自分の軌跡を残すということが人生において「いちばんデカい」事だと言っていたんだろう。男と女のことというのは比喩であるとも言える。
 デカいこととは、社会に名を残すことばかりじゃない。自分の内面に残ることであってもまた。自分がどう生きたかがいちばんデカいことであって、例えば途方に暮れていたこと、焦っていたこと、悔いとして残ったこと、全てが糧になっているとは言わないけれど、紛れも無く追憶として残っている。

  陽炎のように光の中で揺れてる想い出たち
  懐かしき恋人 仲間たちの笑顔 眩しく輝くその時

 「Rockdom-風に吹かれて-」。アルフィーは、13年かけてこの曲にたどりついたと言う。そうだろう。この曲はその時代の真っ只中に居ては作れないはず。そして聴く側もまた然り。この曲は振り返ることの出来る軌跡を持っていてこそその真価が分かる。僕も本当にこの曲の良さがわかったのは、リアルタイムでは無かった。
 今の人生はもはや80年時代とも言える。それに従えば、青春・朱夏・白秋・玄冬という区分も20年サイクルだろう。さすれば、青春なんて時代のことは夏の時代にようやく分かることなのだ。渦中に身を措いているときに客観視など出来るはずが無い。
 あの時代はやはり黄金色した日々だったんだ。無為に見えてその実、あの頃がなければ今もない。

  俺達の時代を忘れないで 風に吹かれていたあの頃を

 懐かしむという行為をつまらないと言う人も居る。人間は前をただ向いて進むべきだ、とも。その意見に抗おうとも思わない。しかし、人は何故前を向いて進まなければならないかと考えるときに、それは後ろに連なる軌跡を作るためだということに気が付く。
 その軌跡こそが人生なのじゃないか。
 そうして自己弁護を続ける間に、僕も四十歳を過ぎた。四十の手前で僕はちょっとした病気になり、しばらく安静にせざるを得ない時期があった。動けない日々の中で僕は、「もう自分は白秋の時代に入ろうとしているのだ」と感じた。
 こんなことを言うのはおかしな事であるというのは承知している。そのときは分からないのだ、と前述したことと矛盾している。しかしそう思ってしまったものはしょうがない。そして同時に、自分の軌跡を残しておきたい衝動に駆られた。
 もちろんアルフィーの「Rockdom」には及びもつかないことはよくわかっている。それでも僕はまた今日もブログに記事を積み上げている。自分が過ごした春と夏の季節を留めておくために。
 

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6 コメント

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昼下がりの夢 (たくみ)
2007-12-30 20:28:16
凛太郎さんの世代が,若者の錯覚=でも夢もあった時代の遺跡しかなたったものだとすると,私の世代は同様に夢でしかなかった時代ながら,その辺りには屍に混じってまだ生あたたかい血の匂いがしていたのかも知れません。だから,誰からみても過去でしかないのと異なり,”自己嫌悪"真っただ中の我々の世代としては,それを知りながら知らんぷりするか,知らないくせに知ったかぶりするしか仕方なかったのかも知れません。

かくゆう私は坂崎幸之助さんと同い年ということになります。彼は明治学院,実は高説さんの後輩なんですね(これNACK5の情報),まああんまり関係ないか(失礼).
その意味では,凛太郎さんの適切なる自己分析とは異なり,漠然とした"遅れて来た青年"という喪失感しかありませんでした。
但し,私があの世代に間に合っていたとしたら,何かが変わっていたのかと問われれば,多分何も変わらなかったのだと想います。残念ながらその時代ですら,そうした若者のエネルギーを操作しようとした力(左右問わず)が働いていたのは事実ですし,少なくともそうした力はそのエネルギーの純粋さとは乖離した存在だったと思います。

私の場合は,予定通り失敗した大学受験の結果,遠回りした予備校で感化された"平和主義的アナキスト"が生きる上での,信条になってしまったようです(笑)
その結果,社会人として成功したとは思いませんが,一人の人としては自分に嘘をつくことを最小限に生きてきたのだと思います。確かに過去は何ひとつ否定はできませんし,懐かしむだけでは意味はありません。如何に今の自分とつき合っていくか,その自分自身はすべてその背負ってきた過去の産物であることは逃れられないでしょう。

あ~何が言いたいんだろう。正にライク・ア・ローリング・ストーンな人生かな?

さて,実はコンフィデンスに反応してしまいました。
アルフィーとしてメリーアンのヒットを得るずっと前,正に審査員の小室さんに見いだされ,小室さんが関わった映画の挿入歌として作られたのがコンフィデンスが歌った"昼下がりの夢"でした。大好きな白石アリスさんの作詞,小室さん作曲のアンニュイないい歌です。アルフィー繋がりとしてお許しください。
返信する
>たくみ様 (凛太郎)
2008-01-05 20:11:36
レス遅れました。どうもすみません(汗)。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

このアルフィーの「Rockdom-風に吹かれて-」という曲は高見沢さんの曲なのですが(と言いますかアルフィーの曲はほとんど高見沢氏ですが 笑)、もちろん彼らはみんな同級生ですから、たくみさんと同い年ということになります。ところで、この曲のサビは、

 When I was young 1969 風に吹かれていただけさ

という一節なのです。1969年と言えば、もちろんたくみさんもアルフィーの面々もまだ大学生のはずはありません。じゃなんでアルフィーは1969年の曲を作ったのでしょうね…。
その答えはたくみさんのコメントに現れているような気がしてなりません。アルフィーもまた「遅れてきた青年」であったのではないでしょうか。
1969年と言えば、70年安保闘争真っ盛り。「赤頭巾ちゃん~」の薫クンが日比谷高校三年生であるのに東大入試中止に直面してしまう年であり、高野悦子が自らの命を二十歳で終わらせてしまった年です。
「ヘルメットとゲバ棒」で象徴される「まだ自分たちの力で世の中が変わるかもしれない」と信じることが出来た時代。この時代に対する憧憬~と言ってしまっては本意ではないと言われてしまうでしょうし失礼にもあたりますが、オマージュであったと思えるのです。

僕がこの時代に生きていたら、ということを、やはりずいぶんと当時は繰り返し考えたものです。当時は60年安保の時代とは異なり、そのムーブメントは若者~しかも少数の若者~に限られていたことも後からの時代の人間である僕はよくわかっています。世論を味方につけることも叶わず、一人相撲で終わってしまったとも言える。「そのエネルギーの純粋さとは乖離した存在」とはさすがの視点です。そうした中で、自分は何が出来たのか。
おそらく何も出来なかったに違いありません。安保継続には反対であっても、何故代々木系と反代々木系が反発し合うのかも理解できないまま終わってしまったことでしょう。後の「フォーシーズン」の時代の沖縄返還についても、自分の歴史認識に基づく考えとしては、あれは「返還」ではなく「再併合」であると思ったとしても、おそらく何も出来なかったでしょう。
「独りであること、未熟であること」と言った高野悦子の気持ちが実に響きます。

結局、独りの個として生きていくよりしょうがないんだ。そう思ったときに、自分の道標をどう探していくのか。それは連なる軌跡に誇りを持つことを考えていくしかない。たくみさんの「一人の人としては自分に嘘をつくことを最小限に」というのも実に金言だと思います。そして、人生を終えるときに莞爾として逝けるか。
そんなことを考えられるようになったのはごく最近のことのように思えます。まだまだ未熟やのぉ(笑)。

ところで、また僕は知ったかぶりをして書いていますが、アルフィーのコンフィデンス時代の曲については全く知りません(汗)。「昼下がりの夢」も聴いていない。まったくお粗末なことでございます。笑ってお許し下さい。なにぶん「遅れすぎた青年」でありました故に(笑)。
返信する
無言劇 (アラレ)
2008-01-24 00:03:11
この記事を書かれているころは
ノロと格闘していた頃ですね(笑)

アルフィーの坂崎さん
ニッポン放送のオールナイトニッポンを担当していた頃は
ほとんど無名でした。

ラジオから聞こえてきた♪無言劇が
とても好きでした。

>柴田翔の「されどわれらが日々」を読んだ。庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだ。高野悦子の「二十歳の原点」を読んだ。

私も読みました。

青い春に惑っていたことの答え
今でも出ていないことをふっと思い出しました。

春の惑いは、夏の熱さに目隠しされて
人生の秋が訪れた頃思い出すものだと
思います。

答えを探す人生の旅
これがいつ終わるかわからないから生きていけると
トルストイは言っています。

ひとり…一人きり
誰だって死ぬときは一人

浜田省吾は歌っています。

自分の軌跡を時折こうして思い出すのも
大切なことかもしれないですね。
返信する
>アラレさん (凛太郎)
2008-01-24 23:36:55
ノロは大変でしたね(汗)。健康が一番、と当たり前のことをまた思います。
この記事は実は昨年の秋くらいにおおまかなことは書いていたのですが、いつ出そうかと迷ったあげく、大幅に加筆しまして年末の記事にしました。年の最後の徒然草の記事はうたの話にしようと毎年決めていまして、特に拘っているわけでもないのですが結果的には「軌跡」についての話になりました。相応しかったかどうかは今でも疑問ですが、振り返りがテーマのブログですのでまあこれでよかったのかも。

もちろん今、迷いが晴れたわけではなく誰もと同じように試行錯誤の毎日なのですが、あの頃と違うことは「自分にも終わりが来るはず」ということを知っていることでしょうか。秋を自覚するようになって、「惑うこともまた自分の歴史」だと思えるようになったこと。「どうやって生きていこう」だけではなく「どうやって終わろう」ということが視野に少し入ってきたのかもしれません。ならば莞爾として終わりたい。しかしどうやったら莞爾として終われるかはやはりまだ霧の中です。結局分かったように見えて全く春の時代と同じことですね。トルストイはうまいこといいますねー(当たり前だ、トルストイだもの)。

柴田翔。庄司薫。高野悦子。また高見沢俊彦。坂崎幸之助。そして浜田省吾。トルストイ。先達は道を示してくれてはいるのですが、自分が見えない限りはその道も見えてはこない。未来を見る能力がないのだもの当然か(笑)。まあ惑いつついきましょう。「惑ワズ」の年齢ではあるのですけれどもね(汗)。
返信する
15曲目 (さくぞう)
2011-06-28 08:38:58
15曲目の書き込みになります。
「Rockdom-風に吹かれて-」…
この歳の親父がALFEEを好きだと言うのが何だか言いづらい感じがします(しませんかぁ?)が、僕はALFEEが好きです。
レンタルレコード屋には置いて無かったので、LPも随分買いました。

渋谷公会堂でのコンサートで「TIMEandTIDE」(だったかな?)を購入した際にサインとくじ引きで、「無言劇」or「宛先のない手紙」の宣伝入りの「桜井たでんじ商店」の醤油1リットルが当たりました。

オールナイトニッポンの2部の最後の川崎岡田屋モアーズ屋上での公開ライブにも行きました。
葉書も読んでもらいましたぁ!

現在、拓郎と二人でやっている月曜の晩の番組でもギターテクニックは発揮されていますね!

本当に、生ギターの可能性、奥行きを教えてくれますね!
返信する
>さくぞうさん (凛太郎)
2011-06-29 06:07:34
アルフィーの支持層ってどのあたりなんでしょうね。今でもヒットチャートを駆け上る。そりゃ昔に比べてCDセールスの分母は極端に小さくなったとはいえ、現在でも強い支持がある。
僕ら世代か、もう少し上の世代が支えているような気がしないでもないんですけれどもね。
でも、おっしゃる「この歳の親父が~何だか言いづらい感じが~」という感覚はわかる(笑)。なんででしょうねー。
僕は、この記事では「蒼かった時代」の心象風景みたいなものを書こうとしたので、アルフィーについてはそれほど詳しいわけじゃないのです。上に書いたことくらい。もちろん普通の人よりは聴いているとは思いますけれども。^^
坂崎氏には、あこがれましたねぇ。ギター始めた頃の僕は、遠藤賢司、長谷川きよし氏にもビックリしましたけど、やっぱり坂崎さんはね。すげぇなぁと思います。
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