亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

舎衛の三億で広宣流布とは呆れたね

2018年08月02日 13時38分30秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考(P.49~52)に「三 戒壇建立の時期について」と題して、今頃になって坊主らは、半分どこかで聞いたような正論らしきものを述べていますが、悪僧日達の御指南と称するものは、池田大作が広宣流布を誤魔化すために「舎衛の三億」の逸話を持ち出して創作した邪義であります。その邪義を坊主が主権在民の今日に当てはめれば、大聖人様の教えを現代に移した正論だとして日達の振りまく邪義を称揚し、浅井昭衛氏を守文の徒などと誹謗しています。

坊主云く「大本門寺戒壇が事相の上に顕現するのは、すでに明らかなとおり、広宣流布達成の時である。しからば、それは何時、どのような状況となった時をさすのであろうか。大聖人は、これを『三大秘法抄』に、『王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時』(御書 1595㌻)と仰せられ、また『一期弘法抄』に、『国主此の法を立てらるれば』(御書 1675㌻)と仰せられている。

すなわち、仏法と一切世間の法とが深く冥合し、国の主権者および一般民衆の多くが三秘を受持し、しかも仏法を断絶せしめないだけの確固たる外護の体制が成った時、その時を広宣流布達成の時とせられているのである」等と。

  日達上人の御指南   

続けて坊主云く「こうした大聖人の御金言を体され、日達上人は、昭和四十九年十一月十七日、広宣流布の意義について、『日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純粋な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国は広宣流布したと申し上げるべきことである』と御指南あそばされた。

この御指南は、要するに、今日の日本国の主権者が、天皇でも幕府でもなく、国民であるという、主権在民の現実を鑑みられた上で、さらに、一国に正法が流布され渡り、実質的に、正法によって一国の動向が決せられるまでの状態(『全人口の三分の一以上の人達』)が実現した時、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態(『純真な、しかも確実な信心をもって』)を作り上げた、まさにその時を、広宣流布達成の時と御示しになったのである。前の大聖人の御金言と照らし、拝するならば、この日達上人御指南は、大聖人の御聖意をそのまま現代に移して展開せられたもので、その間に豪の異なりも存してはいない」等と。

つづけて云く「しかるに、浅井昭衛は、これを、『広宣流布のごまかし、考えるだに恐ろしい御遺命の破壊である』として、『諸法実相抄』の、『広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は大地を的とするなるべし』(御書 666㌻)の一節を引き、『必ず、上一人より下万民まで、一人残らず正法を信ずる時が来る。それが広宣流布である。この御金言が信じられないか』等々と強弁するのである。

この守文の徒ともいうべき偏頗さこそ、浅井教学の何たるかを如実に物語るものといえよう。もし、御金言をどうしても信じられないか等というなら、『災難退治抄』の『日本国中の上下万人深く法然上人を信じ』(御書 196㌻)との仰せ、また『選時抄』の『上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰せ給ふ』(御書 845㌻)『日本国は皆一同に法然房の弟子と見へけり。此の五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる』(御書 853㌻)等の仰せを、浅井は、いったい、どのように信ずるのであろうか。

これらの御金言は、いずれも、一国の動向を左右するほど広く流布していることを強調して、かく形容せられているのであり、前の『諸法実相抄』の御文も、また同様である。一文一句にのみ拘泥して、御聖意を読み誤り、かえって、大聖人の血脈を継承せらるる御法主に対し謗言を恣にする・・・・こうした浅井の姿勢こそ、浅井らが異流義化した根元であって、未だ得ずこれ得たりと謂うとは、まさに、浅井のためにあるような経文ではないか」等と口を極めた誹謗を繰り返しています。

ここで云う「日達上人の御指南」なるものは、似非信徒池田大作が創作した詭弁を上塗りしたものであります。

はじめに「舎衛の三億」とは、見仏聞法至難の譬えのことであります。

大智度論に云く「舎衛の中に九億の民あり、三億の民は眼に仏を見、三億の民は耳の仏有りと聞くとも、しかも眼に見ず。三億の民は聞かず見ず。仏、舎衛に在すこと二十五年、しかも此の衆生は聞かず見ず。何に況んや遠き者をや」と。

この意味が池田が発する詭弁になると、見仏聞法の至難、いわゆる「舎衛の三億」の逸話が次のように創作されるのであります。

云く「釈尊在世において、全インド中、もっとも釈尊に縁深き仏国と称せられた舎衛国に『舎衛の三億』という原理があります。すなわち、その民衆の三分の一は仏を見、仏の説法を聞いて信仰しました。つぎの三分の一は仏を見たが法を聞かなかった。残りの三分の一は仏を見たことも、法を聞いたこともなかったといわれております。いま、われわれの化義の広宣流布、王仏冥合の実践をば、その方程式にあてはめてみるならば、学会員が日本の総人口の三分に一となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、つぎの三分の一となり、あとの三分に一は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」(大白蓮華 昭和40年9月号)と。

日達の云う広宣流布説は、池田流の舎衛の三億説をそのまま模倣した、瓜二つの邪説であることがよく分かります。これは御本仏大聖人様が御示しになられた、広宣流布の姿とは天地雲泥の違いがあるほどの邪義であり、悪僧日達は大聖人様の弟子ではなく、池田大作の弟子になり下がり、大聖人様の唯一の嫡流と謂われてきた正系門家の富士門流日蓮正宗が、池田教一色に染め上げられてしまったと言っても過言ではありません。その結果、「源濁れば流れ清からず」と仰せのとおり、僧族信徒は一切の功徳を失い、成仏を遂げる者など一人も存在しない宗門となってしまいました。

考えて見て下さい。全国民の三分の一が入信で広宣流布達成などと叫んでいますが、残る三分の二は、信心にはあまり関心のない者とか、信心には大反対の者たちとか、いずれにしても未入信の者たちで大半が占められるということであります。これで広宣流布ならば、念仏・真言・禅・律等々のあらゆる邪教と共存する事になるのでありますから、大聖人様の命がけの御化導を水泡に帰せしめる事となるのであります。まさしく悪僧日達や坊主らの主張は狂人の戯言であります。

それにも増して胡麻摺り三昧の日顕は、池田と日達の垂れ流す邪義を、異様に称揚していたのであります。

日顕云く「ここに猊下は、正本堂建立第三年に当たる本年十一月十七日、名古屋における創価学会総会におかれまして、将来の広宣流布に関する大綱を御示し遊ばされました。これは宗門七百年の歴史において、実に未曾有とも云うべき重大な指針であり、我々一同この大目標の御指南を賜わった事に深い意義と喜びを感ずるものでございます」(大日蓮 昭和50年1月号)と。

つづけて云く「御法主上人猊下には、昨年十一月十七日の創価学会本部総会において、広宣流布は近きにありと高唱あそばされ、日本全国民衆の三分の一が純真かつ確実な信心を持った時は広宣流布であり、またその僧俗の関係首脳協議の上で本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南遊ばされました。---吾々正宗の僧俗は、本仏大聖人の御遺命たる一期弘法抄の『国主此の法を立らるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』の金文が、七百年後の今日、現実にどのような形で実現されるものであるかを待ち望んでおりました。---このたびの大指針こそ、あらゆる点から考えて世界公布の一大基盤としての日本広布に関する、本仏大聖人の大慈悲に尤も適合し奉るものと拝するのであります。

また大聖人の御遺命・御金言を、現実の公布の上に指南あそばされる唯一人の御方こそ、血脈付法の法主上人にあられます。---国中の三分の一に満ちたとき、他の宗教や政治に対する圧力は微塵もなく、---常楽をかなでる幸福の社会が顕われることを確信いたします。また全信徒の指導者たる法華講総講頭・池田大作先生も至極お元気で、---猊下と宗門を常にお守り下さっておられます。この僧俗一致こそ大本門寺建立につながる公布の基盤であります。吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、邁進いたそうでではありませんか」(大日蓮 昭和50年1月号)等と。

日顕という悪坊主は読んでいて気恥ずかしくなるようなお世辞を使って邪義を垂れ流す池田と日達を喜ばし、邪教と共存する姿を手放しで喜んでいる様子が見てとれますが、この茶坊主の諛言を赤文字でお示ししたごとく、そうした口の裏には近き将来、大石寺の寺号を本門寺に変更しようとする空恐ろしい陰謀が隠されているのであります。

それは大聖人様が一期弘法抄で仰せられる「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の御文と、百六箇抄の「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」の御文を偽戒壇正本堂に当てはめ、純真な罪のない信徒を手玉に取り、広宣流布を詐るという、驚天動地の大陰謀だったのであります。

話を本題に戻します。このような状態の中で何が「一国に正法が流布され渡り、実質的に、正法によって一国の動向が決せられるまでの状態(『全人口の三分の一以上の人達』)が実現した時、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態」が保たれる等と果たして言えるのでしょうか! 開いた口がふさがらないとはこの事であります。

大聖人様が三大秘法抄で仰せられる「王仏冥合」とは、一口で言い表せば、王法であるところの政治と、三大秘法の慈悲の精神が融合した政治、つまり、万人に福利をもたらす理念に基づいた政治体制のことでありますが、仮に創価学会の池田大作が作った公明党が総人口の三分の一の賛成を経て、国会の議席数もそれなりに獲得して彼らなりの理想の政治が一時的に行われたとしましょう。しかし、昔から政治の世界は一寸先は闇と言われていますように、残る三分の二の人口が、公明党に反対だったり、政治に無関心だったりするような層が占める体制の中では、政権がいつ反対勢力からひっくり返されるか分からない。

ましてや、このような体制の中で「実質的に、正法によって一国の動向が決せられるまでの状態、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態」が確保できて、末永く続くとでも思っているのでしょうか!

要するに彼らは大聖人様の御本願たる国立戒壇に反対したいが為に、このような邪義を編み出したのであります。 

大聖人様は二年半に及ぶ佐渡流罪を終えられて鎌倉にお帰りになられ、文永11年4月8日、殿中において平頼綱(平左衛門)に対する三度目の諫暁に立たれた時、その時大聖人様は歯に衣着せぬ強言を以て二度目の蒙古襲来を警告せられました。そうしたところ、幕府は念仏宗や真言宗の者たちと一緒になって国家安泰の祈りをしてくれるならば、一寺を建立して莫大な引き出物と多くの田畑を寄進することを申し出たのでありますが、大聖人様はその要請を断られて同年6月には身延へ入られたのであります。果たせるかな、その年の11月には二度目の蒙古襲来を受け、日本国は危急存亡の危機を迎えているのであります。

大聖人様が幕府の要請を受け入れ、謗法と同座して国家の祈りをすることは、毒と薬が併存することとなり、三大秘法を立てる事にはならないからであります。今、悪僧日達や坊主が主張するように、総人口の三分の一の入信で事実上の広宣流布達成などと叫んでいる様は、まさしく邪教と仲良く共存した中で、広宣流布が実現すると言っているバカげた話なのであります。

大聖人様は日本国が広宣流布に至る過程と仏国実現の原理について、次のような御教示を下されています。

如説修行抄には「念仏・真言・禅・律等の八宗十宗の敵人をせむるに、或いは逃げ、或いはひきしりぞき、或いは生け捕りにせられし者は我が弟子となる。或いは攻めかえし、攻め落としすれども、かたきは多勢なり、法王の一人は無勢なり。今に至るまで軍やむ事なし。法華折伏破権文理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなく攻め落として法王の家人となし」云々と。

大聖人様は広宣流布に至るまでの正法流布の闘いは、念仏・真言・禅・律等の邪教は本より、あらゆる悪思想との折伏戦は上記に記されたような、熾烈な闘いを経なければ絶対に実現しないことを指摘せられ「終に権教権門の輩を一人もなく折伏して、三大秘法を受持させなさい」と仰せられているのであります。

諸法実相抄には「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人三人百人と次第に唱えつたふるなり。未来も又しかるべし。是れ豈地涌の義に非ずや。剰え広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と仰せられ、三大秘法の広宣流布は大地を的として弓を引いた場合、矢は大地という的から絶対に外れる事がないように、日本国の広宣流布は必ず実現すると断言せられておられますが、坊主らは此の御金言が信じられないばかりか、ウソだ、有り得ない話だ、などと騒ぎたて、池田の言う「舎衛の三億」が達成された時が、事実上の広宣流布だと宣伝しているのであります。

それにしても呆れたのは、坊主が引用した災難退治抄の「日本国中の上下万人深く法然上人を信じ」の御文、或いは選時抄の「上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰せ給ふ」の御文、或いは「日本国は皆一同に法然房の弟子と見へけり。此の五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる」等の御文を引き合いに出し、大聖人様が諸法実相抄の中で仰られている日本国の「広宣流布は大地を的とするなるべし」との御教示も、三大秘法が日本国中に必ず広まるという大ボラと願望を述べた単なる形容詞のごとく誹謗していますが、とんでもない罰当たりであります。坊主がそうした断定を下すに至った発端は、彼の池田大作が始めた舎衛の三億の逸話をもじった邪義と、悪僧日達が池田に諂って、法主の権威を笠に着て、広宣流布の定義を勝手に変更した邪義から始まっているのであります。

悪僧日達と坊主らは種々御振舞御書で仰せの「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」の御文の意がまるで理解できていないのであります。

この御文を端的要約しますと、日本国の平和的存続は大聖人様の三大秘法を国の柱に据えるか、しないかで決まるのである。例えば家に柱がなければたもたない。人に魂がなければ死人(しびと)と同じである。日蓮は日本国の魂である。となるのであります。

その事は取りも直さず、本門戒壇の大御本尊を国家的に受持して守護するならば、日本国の魂は戒壇の大御本尊となるという事であります。まさしく戒壇の大御本尊を魂とする国は、即仏国であります。

したがって本門戒壇の御本尊を魂とする国は仏国である故に、三災七難等の災厄に見舞われることなど夢にも無く、隣国から武力に依る脅しや侵略を受けることの無い豊かな平和国家が築かれるという事であります。

その事を四十九院申状に「夫れ仏法は王法の崇尊によって威を増し、王法は仏法の擁護によって長久す」と仰せなのであります。

亦立正安国論には「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく崇むべし」仰せられているのであります。

日蓮大聖人様は、似非信徒池田大作の先導する謗法に追随して、堕落した坊主の行状について次のように戒められています。

「南岳大師の四安楽行に云はく「『若し菩薩有りて悪人を将護し治罰すること能わず。乃至其の人命終して諸悪人と俱に地獄に堕せんと。』この文の意は若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専らにして邪正権実をも簡ばず、詐って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と俱に悪道に堕つべしと云う文なり。今真言・念仏・禅・律の謗人をたださずんば、いつはて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし」(聖愚問答抄)と。

この意を要約しますと、南岳大師の四安楽行には、「若し菩薩がいて悪人を擁護して罰してたださないならば、その人は命が終わって諸悪人とともに地獄に堕ちる」とある、この文の意味は、もし仏法を修行する人がいて、謗法の悪人を罰しただすことをしないで、ただひたすら観念・思惟の行に専念し、邪法と正法、権教と実教のたて分けもしないで、さも慈悲のあるようなふりをして人を欺く者は、もろもろの悪人とともに悪道に堕ちるというものである。今、真言・念仏・禅・律の邪宗謗法の人々の誤りを糾明せず、詐って慈悲の姿を現ずる人は、この文のようになるのである。」となるのであります。





2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わっはっはっ、ヒステリック更年期削除に死に物狂いの顕正OSインストール済思考停止硬直化サイコパストンズラ遁走痴脳ボーヤ♪ (よ っ ♪ 更 年 期 ヒ ス テ リ ッ ク 削 除  耳心 脳 ボ  ー  ヤ ちゃん ♪)
2019-05-01 11:32:53
御先師日達上人が、現御隠尊日顕上人が、
正本堂完成落慶時に広宣流布の暁にはその時の全人類全信徒の代表に対して
「これらが大聖人が顕わされた御本尊である」
と披露なされたかえ? お ? ノ ー タ リ ン 脳 乱 ボ ー ヤ よ っ !


なんとか言うてみぃ、 マ ヌ ケ ♪


故に昭和47年に御先師日達上人は〝現時に於ける事の戒壇〟と意義付けを公言なされ、


☆【「これはもう、これじゃ、このままじゃ話にもならない。
   どこまでも、もし、学会がこなければ、もう、それは
   『正本堂』を造ってもらって有難い、『正本堂』は、その時の、
   日蓮正宗の、少なくとも信心する人、の集まりによって、
   その供養によって出来た建物である。だからもし、学会が来なくて、
   こっちが生活が立たない、というならば、御本尊はまた御宝蔵へおしまいして、
   特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら、御開帳してもいい」
  と、いう覚悟を決めたわけです。】


と昭和49年に時の御法主上人としての覚悟をお示しあそばされとるやない ケ 、 バ カ よ 。


他宗のような商売売僧のようであれば、御先師日達上人はこのように仰せられる道理はねえし、
現御隠尊日顕上人に於かせられても、世間的に見れば〝金の成る木〟である創価を
破門にするわきゃねえだろが、 あ ん ? ノ ー タ リ ン よ っ ♪


脳 乱 し た ア ホ は ミ ッ ト モ ナ イ ♪ ハ ズ カ ッ チ ュ イ ッ ♪( 大 爆 笑 )




ほんで、あんだって?


■「日蓮大聖人様は、似非信徒池田大作の先導する謗法に追随して、
  堕落した坊主の行状について次のように戒められています。」


だぁ~あ?( 笑 )


てか、脳 乱 ボ ー ヤ が持ち出した箇所↓


※【南岳大師の四安楽行に云はく
 「『若し菩薩有りて悪人を将護し治罰すること能わず。
   乃至其の人命終して諸悪人と俱に地獄に堕せんと。』
  此の文の意は若し仏法を行ずる人有って、
  謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専らにして邪正権実をも簡ばず、
  詐って慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と俱に悪道に堕つべしと云う文なり。
  今真言・念仏・禅・律の謗人をたださずんば、
  いつはて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし】


のドコに「堕落」という文言があんねん? え ?
その箇所、抜粋してみぃや、 お ?( 大 笑 い )


あ ん ? この
「若し仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして
 (中略)今真言・念仏・禅・律の謗人をたださずんば、いつはて慈悲を現ずる人」
が、つまり、大聖人が他抄で仰せの↓


※【受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして
  徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり】


と仰せに違背して御先師日達上人も現御隠尊日顕上人も池田豚作を破折もせずに
邪宗を破折折伏もせんで偽りの慈悲を現じてひよったとして恥 脳 ボ ー ヤ は
両上人を大聖人が誡めあそばされている、ゆーんやな?( 爆 )




であれば、大聖人は波木井実長日円に対して↓


※【はきり(波木井)どのの事は法門の御信用あるやうに候へども
  此の訴訟は申すままには御用いなかりしかばいかんがと存じて候いしほどに
  さりとてはと申して候いしゆへにや候けんすこししるし候か】


と、地頭にして、身延の敷地を寄進した、という立場以て
大聖人の御指示に耳を貸さんと仰せられ、他抄では↓


※【坊は十間四面にまたひさしさしてつくりあげ二十四日に
  大師講並びに延年心のごとくつかまつりて二十四日の戌亥の時御所にすゑして
  三十余人をもつて一日経かきまいらせ並びに申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし】


と、大坊寄進者の波木井実長を満足させるように大聖人は大師講を開くのみならず、
途中でやめさせたにせよ、三十余人の弟子に命じて
末法の修行には不必要の一日写経をさせておる。


また、富木常忍と四条金吾は草創期の入信で別の意味で信心強盛であったけどもやな、
大聖人が他の弟子檀那に対しては次々と御本尊を授与あそばされる中で、
この両名に対して御本尊授与あそばされたのは実に四条金吾夫妻が弘安3年
そして、富木常忍に至っては弘安4年やぞ?


その理由は、この両名、別な意味で信心強盛な信者やったが、
どちらも、後に退転した五老僧らと同じで、
大聖人が文永8年に佐渡配流に遭われてから、それまで親しく御教示されてた御法門を
佐渡に流されて以来、親しく御法門の御教示を受ける機会を失って、
佐前までの下種仏法法門を御教示される為の導入時期として
釈尊脱益法門を前面に押した御教示を受けてたことが起因して、
五老僧並びに富木常忍、四条金吾は造佛思考が強烈に脳にこびり付き、
その当時、発迹顕本前の時機未熟故に大聖人が御本尊を顕わせずにいた時期故に
他宗にはある本尊が、大聖人の宗旨には未だなくて遥拝信仰状況故に
大聖人の御真意に違背して富木常忍は文永7年に、四条金吾は建治年間に
造佛して釈迦像を造立して勝手に安置し、事後報告という形をとるという、
大聖人の本尊義を全く理解してないが故に富木常忍が造佛安置した時は
弟子の伊予公に【形式的】な本尊開眼の為に遣わせて一時的な措置をされておられるが、
 ボ ー ヤの 狂 っ た 幼 稚 且 つ 稚 拙 な 恥 脳 によれば( 爆 )、


◆「大聖人は両名にひよって諂い、破折もせずに釈迦フィギアを本尊として認めた」


と大聖人を口汚く罵倒し( 笑 )、


◆「さも慈悲のあるようなふりをして人を欺く者は、
  もろもろの悪人とともに悪道に堕ちるというものである。
  詐って慈悲の姿を現ずる人はこの文のようになるのである。」となるのであります。」


と誹謗中傷してることになるが如何?


なんとか言うてみぃ、ホ レ ホ レ ♪ 
( ノ ∇ ≦ 、 ) ノ 彡 ☆   キ ャ ハ ハ ! ! バ ン バ ン ッ ! ! ヾ ( ▽ ⌒ * ) キ ャ ハ ハ ハ o ( _ _ ) ノ 彡 _ ☆ バ ン バ ン ! !
わっはっはっ、ヒステリック更年期削除に死に物狂いの顕正OSインストール済思考停止硬直化サイコパストンズラ遁走痴脳ボーヤ♪ (よ っ ♪ 更 年 期 ヒ ス テ リ ッ ク 削 除  耳心 脳 ボ  ー  ヤ ちゃん ♪)
2019-05-01 11:33:21
どした?ドチタノ?ん?(笑)

ハナから削除するくれえならよっ、チョーシ扱いとらんで、コメント投稿をさせねえ設定にすればエエんちゃう?(嗤う)

耳心 脳 よ っ、オツムのビョーキ、末期やな♪

前に紹介してやったろ♪☟

https://www.nisseikyo.or.jp/hospital_search/hospital_search_Map.php?ps=non

なっ!なっ!なっ!♪☝

俺って慈悲深いやろ?♪

もう 耳心 脳 は既に頭破作七分の手遅れ・匙投げ【常】態なんやから、
最寄りの気に入ったトコ受診して、顕さしてもろうたら、そのまんま、独房病棟に隔離してもえやっ♪

耳心 脳 に今世に於ける、当体基底部での仏界常態化、つまり、現在の 耳心 脳 の当体レベルアップは   無   い   ゆーこっちゃな。

わかるかえ?ん?ん?ん?

コメントを投稿