亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

顕正会を誹謗する大白法

2018年12月14日 17時41分41秒 | 亡国の坂道 
「国立戒壇」に執着する浅井として

坊主云く「この指導では浅井は、相も変わらず『国立戒壇』への執着を見せている。浅井は最近、宗門の各誌で掲載される、現在では国立とは国が建設し、国が管理すること。本門の戒壇堂にそぐわないとの指摘を意識してか、国立戒壇といっても、なにも国家の費用で建立し、これを国家が管理するなどというものではない。(同)などとし、それはまさしく『勅宣並びに御教書を申し下して・・・』との仰せのままに、『国家意思の表明』を必要手続きとして建立される戒壇だから、『国立戒壇』と呼ばれて来たのであります。(同)と弁明した。

しかし、国語辞典で『国立』を見れば、『国が設立・維持・管理すること』(新潮国語辞典 第二叛)とあり、誰もが『国家の費用で建立し、国家が管理する戒壇』と解釈するだろう。また、『三大秘法抄』の、『勅宣並びに御教書』(御書 1595㌻)とは、東大寺等の小乗戒壇や延暦寺の大乗戒壇建立の際から踏まれている、朝廷の勅令によって建立される手続きである。そもそも、『国立戒壇』なる名称は御書のどこにもなく、明治時代に、国柱会の田中智学によって初めて使われたものである」について

坊主らは今頃になってこんなことを言っています。「国立戒壇は、国家が管理することとなり、本門の戒壇堂にそぐわないと宗門が各誌で指摘した」というのは真っ赤な嘘であります。そもそも三大秘法は日本国の国教として国家を挙げて尊崇すべき大仏法であれば、国立戒壇を建立して戒壇の大御本尊様の御守護と施設の管理は国が関与するのは当然であります。坊主らはあくまでも国の関与を嫌い、戒壇の大御本尊は坊主の独占物のように思っているようですが、それは大きな間違いであります。また「『国立戒壇』なる名称は御書のどこにもない」などと云うに至っては呆れてしまいます。御本仏大聖人様が顕わされた「立正安国論」の御教示そのものが、まさしく国立戒壇を建立して、現当二世にわたって仏国の実現を強く勧奨せられた一大指南書であることが、今の坊主にはまったく理解できないのであります。

彼の英邁な第二十六世の日寛上人は、立正安国論を「此の論、首(はじめ)に居(おく)事」と仰せられ、次のごとく御指南されているのであります。

「およそ此の論はこれ国主諫暁の書、兼識差(けんしんたが)わざるの判なり。いわんや句法玉を潤し義勢地を震う。ゆえに師自賛して云く『白楽天の楽府にも超え、仏の未来記にも劣らず』と。此に三意あり。一には彼は前代に託して諷諭し、これは直ちに災難の起こりを示す。二には彼はその言に用捨あり、これは強言を以て暁諫す。三には彼はただ世間政道の誤りを糺す、これは現当のために謗法の罪を糺す。あに楽府に勝れたるにあらずや。他国侵逼・自界叛逆の兼識・秋毫(けんしん・しゅうごう)も差(たが)わず。寧ろ仏の未来記にも劣らざるにあらずや、以てこの論・首に居くこと、誰かこれを疑うべけんや」と。

「首」とは最上位の意であります。御書四百余篇の代表、つまり「立正安国論」は最上位に位置する書であると仰せられているのであります。したがって大聖人様の御化導は、まさしく立正安国論に始まり、立正安国論に終わると云われていますように、此の世に国家と人類のあるかぎり、国家の興亡・盛衰と個人の幸・不幸の根本原理は、この立正安国論に全てお示し下されていることを知るべきであります。しかるところ三大秘法は、国立戒壇を建立して国家的に尊崇する事によって、はじめて仏国が実現し、国家の永遠の安泰と、個人の幸福がもたらされるということであります。

その大事を安国論の巻末に「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく仰ぐべし」との御教示を深く味わうべきであります。 

また、坊主が認めていますように「延暦寺の大乗戒壇は朝廷の勅命によって建立された」等と記していますが、朝廷の勅令による戒壇とは、専制時代に於ける国主の勅命によって建立される戒壇であります。それに対して民主政体の今日、国家的に建立される戒壇については「勅宣並びに御教書」と仰せの如く、天皇陛下の詔勅と国会の議決という民主的な二重の国家的手続き経て建立される戒壇となるゆえに、宗門ではこの戒壇を端的に国立戒壇と通称してきたのであります。ところが今の坊主には、専制時代と民主政体における戒壇建立の手続きと手法の違いがまるで解っていないのであります。

ところで浅井昭衛氏の国立戒壇論は、坊主が指摘するとおり、次のような戒壇論を展開しています。

浅井氏云く「『国立戒壇』とは、国費によって立てる戒壇の意ではない。広宣流布の暁の事の戒壇は、全国民の燃えるような赤誠の供養によるべきである。また国立戒壇とは、国家権力による強制を意味しない。信仰は強制によってなし得るものではない。あくまでも一対一の折伏により全国民が三大秘法を受持する時が広宣流布であり、その時が戒壇建立の時だからである」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求むP.191)等と記されています。しかしながら浅井氏の国立戒壇論は残念ながら認識が少々甘いのではないでしょうか!

そもそも大聖人様が一期弘法付嘱書と三大秘法抄で仰せ遊ばす戒壇とは「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇の戒壇を建立せらるべきなり」と仰せのごとく、全国民の燃えるような戒壇建立への願望が前提となって、広宣流布の暁に、日本国の本有の国主たる天皇陛下の発せられる勅宣と御教書たる国会の議決という国家的な二重の手続きを経て建立される戒壇は、正しく国教樹立の宣言とも云うべきものであって、この戒壇の建立を基点として、愈々新世紀の建設と併せて未曾有の文化の発展と、わくわくするような希望溢れる日本民族の力強い興隆が始まるのであれば、国が口先ばかり出して、国家財政の伴わない国立戒壇なんて絶対に有り得ないのであります。

いずれに致しましても、国語辞典を引いて坊主が国立戒壇に反対する理由は「国が設立・維持・管理すること」になれば、本問戒壇の大御本尊に自分たちの手が届かなくなる。「主権在民の民主主義の世の中では憲法で信教の自由が保障されているのであるから、国があれこれ口出しをするような国立戒壇なんて有り得ない」などと、くだらない屁理屈を並べて国立戒壇に反対し、民衆立戒壇を主張しているのでありますが、坊主が主張する民衆立戒壇なるものは、かつてのニセ戒壇正本堂と同じ類いの戒壇となり、池田大作と悪僧日達が言っていた舎衛の三億、つまり全人口の3分の1の入信で広宣流布などというバカげた広宣流布説であります。したがって坊主の云う広宣流布とは、残るところの3分の2の人々は、信仰に無関心な者たち、あるいは未得道の雑多な爾前権教に執着する者たち、さらには三大秘法には絶対反対の者等が占める世の中を広宣流布だと言っているのでありますが、こんな世の中は異常気象による災害は毎年のように繰り返され、詐欺や殺人等の様々な凶悪犯罪は無くなるどころか、日に日に増大するばかりの殺伐とした時代の延長でしかなく、新たに戒壇を建立する意味はまったくないのであります。

大聖人様が定められた広宣流布とは、国立戒壇の建立を一点に見つめて大折伏を敢行し、三大秘法の流溢を以て建立する戒壇であります。すなわち諸法実相抄で仰せの「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と仰せられる時代相が顕われた時、天皇陛下をはじめ、国政の衝にあたる各大臣も、全国民も、本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え「有徳王・覚徳比丘」の故事にあるような、戒壇の大御本尊様を守護するにおいては、身命をも惜しまぬという国家的な護法心が日本の朝野にみなぎった時、全国民の燃えるような供養と国家の財政を以て建立する戒壇であります。その時建立される国立戒壇こそ、三大秘法の防非止悪の秘術に依って「大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇」が事相となり「吹く風枝をならさず雨壊を砕かず世は義農の世となりて」と仰せられる、戦争による大量殺戮や飢餓に疫病等、毎年繰り返される自然災害による恐怖から解放された、真の平和国家が実現するのであります。

それに反して大聖人様の窮竟の御本願たる国立戒壇を放棄した信心は無気力と惰性に流され、広宣流布という大目的を失った信徒は、坊主が食うためのお囲い者でしかなく、信心による功徳の感激と歓喜は完全に失われた結果、肝心な折伏は進まなければ、爪の垢ほども功徳のない組織は沈滞するばかりで覇気もなく、広宣流布はまったくの夢物語となってしまいました。その結果、本門戒壇の大御本尊に対する恋慕渇仰の信心は観念的なものとなってしまい、自らの身命を賭しても御本尊お護りするという、有徳王・覚徳比丘の古事にあるような護法心が日本の朝野にみなぎるなんて、絶対に有り得ない姿となってしまったのであります。

大聖人様の仏法は何処までも破邪・立正の闘いを貫かなければならない、謂わば攻めの宗教なのであります。悪僧日達以来曲がったままの宗門の邪義を糺すことは勿論のこと、世の中に害毒を流し続け、人々を不幸のどん底に陥れる邪義・邪宗に対しては、決して追撃の手を緩めてはならないのであります。邪宗・邪義を撲滅する破邪の闘いがあってそこ立正が顕現し、安国が実現するのであります。その闘いは、宗門の中で妙信講が起こさなければならなかったのであります。

思い起こせば、初代講頭浅井甚兵衛氏が率いていた妙信講は、日淳上人から講の認証状まで賜わり「熱原の法華講の命を継ぐ講中となって、将来の宗門を外護して頂きたい」と、懇請にも似た激励を受け、宗門の中では最も期待された模範の講中と云われる名誉ある立場を与えられていたのであります。それが浅井昭衛氏の時代になると、日淳上人の温情あふれる御慈悲を仇で返し、講員との固い約束をも破って、妙信講の名を捨てて外へ飛び出したのであります。外へ飛び出した信講は、顕正会へと名前を変えて宗門とは完全に縁を切ってしまったのでありますが、何故に妙信講という法華講の名誉ある立場を捨てて、僧侶のいない外の顕正会へと変身する必要があったのでしょうか、残念の一語につきるのであります。

浅井氏は内の妙信講の名を捨て、顕正会と名称を変えて外へ飛び出した理由について「顕正」とは「日蓮大聖人の御遺命の正義を顕わすための団体」などと言っておられますが、妙信講を名乗っていたのでは御遺命の正義を顕わす事ができなかったとでも言いたいのでしょうか、まことに取り返しのつかない事をしてしまいました。古の富士門流の上代に目を転じて、大聖人様をはじめ日興上人・日目上人等の艱難辛苦の激闘の御一生に思いを馳せ、今日の宗門僧侶の腐りきった実体を併せ見る時、浅井氏の行動には、長嘆息とともに暗澹たるものを感じています。  

それでも最近の顕正会は、ようやく会員数二百万を達成し、次の目標として三百万を目指して新たな折伏戦を展開されたようですが、そんなケチな事を言っている場合ではないのであります。仮に、浅井昭衛氏が妙信講として、宗門の中で国立戒壇を掲げて今日のような果敢な折伏戦を展開していたなら、その成果はあらゆる方面に劇的な変化をもたらしていたものと思われるのであります。

第一に、いま宗門に所属する約一千名に及ぶ日達・日顕の邪義に染められた坊主は勿論、正信会を結成して未だに宗門と争っている二百人を超す坊主と、正信会が占拠している全国30ヶ寺に及ぶ約十万人を数える正信会に所属する信徒は間違いなく宗門への回帰が叶っていたものと思われます。第二には、池田大作に騙されて宗門から離れていった八百万人の学会員と、世界192ヶ国におよぶ約四百万人のSGI会員は正宗信徒としての帰属が実現し、これらの僧俗が一結して折伏戦が世界的に展開されていたなら、大聖人様の御本願たる国立戒壇論はとっくの昔に宗門の公論なっていた筈で、今日では三千万人~六千万人を優に超す、折伏が適っていたものと思われるのであります。

その一方、国立戒壇の実現を目指して政界進出を果たした創価学会・公明党の存在は如何にと想像するに、今日の自民党を政権を尻目に国政を担う大政党として発展していたか、あるいは分裂を繰り返して消滅していたかは想像の域を出ませんが、いずれにしても公明党が末永く存続するには、軸足をもう一歩右に踏み出すことが必要なのであります。そうすれば国政に、甚大な影響をもたらしていたものと思われます。 

それは置くとして、いまの坊主らは、二言目には国立戒壇は「国が設立・維持・管理すること」になるとして反対していますが、本門戒壇の大御本尊様は一閻浮提総与の御本尊と謂われ、全世界の人々に等しく与えられた御本尊であります。したがって邪義を垂れ流す坊主だけに特別に与えられた彼らの占有物ではありません。ただ出家僧侶には伝持付属といって、三大秘法を生々世々に正しく相伝受持し、令法久住せしめる使命のみが与えられているのであります。

ここで仏法の付嘱について一言申し上げれば、次の三つの付嘱があるのであります。①弘宣付嘱・②伝持付嘱・③守護付嘱であります。

①弘宣付嘱とは、僧俗全員に広宣流布を命じられた付嘱のことであります。具体的には一期弘法付嘱書の「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之れを付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とあるのがそれであります。これは別しては二祖日興上人御一人に付与されたもので、総じては、僧俗全体に広宣流布を命ぜられた付嘱の事であります。
 
②伝持付嘱とは、池上相承書のことであります。「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。・・・」の御文がそれに当たります。これは僧侶だけに与えられたもので、二祖日興上人以来の歴代上人が大聖人様の三大秘法を正しく相伝受持し、生々世々に相継いで令法久住せしめる事をいうのであります。

③守護付嘱とは、安国論に御示しの如く、仁王経に云く「仏破斯匿王に告げたまわく、是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず、何を以ての故に、王の威力無ければなり」とありますように、国主・為政者および在家の信徒に対し、三大秘法を守護せよと命ぜられたものであり、袈裟を着た出家僧侶には悪人と戦って仏法を護るだけの実力を持ち合わせていない故に、守護付属は与えられていないのであります。したがって、国立戒壇が建立された時には、天皇陛下と共に国家が国の威信をかけて戒壇の御本尊を御守護申し上げ、国が施設を監理するのは当然であります。

それに坊主らが云うように、国立戒壇は「国柱会の田中智学によって初めて使われたものである」については、先般のブログで詳述したので簡単に触れておきますが、彼の六十五世を継がれた日淳上人は「田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものである事は明白である」(興尊雪寃録)と指摘せられ、元々国立戒壇論は、大聖人様以来の富士門流・日蓮正宗の根本宗旨であることを強調せられて、悪僧日顕と坊主が垂れ流す邪義を一刀両断のもとに、完膚なきまでに粉砕せられているのであります。

また、嘗ての創価学会ですら本会発刊の「日蓮正宗創価学会批判を破す」の中に、国立戒壇について、次のように記しているのであります。

「国立戒壇こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そして、その場所も、富士山と明白に御指示になっている。また、あらゆる正資料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命を受けて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を重ねてきたことは明白になった。近ごろは田中智学門流でさえも、囀っているではないか」と。

さらには「国柱会の田中智学は、富士の正義を盗み、三大秘法抄によれば富士に本門戒壇を建立すべきだ、などと主張した」(大白蓮華 昭和35年6月号)と。

今日の宗門は、そうした歴史的事実を覆い隠し、日達・日顕の発する邪義に洗脳された、ろくでもない坊主たちの巣窟となっているのであります。元々田中智学なる人物は、日蓮宗・身延派の坊主だったのでありますが、大正三年ごろ還俗して国柱会を結成した男です。そもそも身延の元をたどれば、二祖日興上人へ叛逆した五老僧の一人、民部日向が開基なのです。そんなところには「国立戒壇論」なるものは初めから存在していなかったのであります。

次に伝統教義にない「国立戒壇」として

つづけて坊主云く「大聖人が示される名称は、あくまで、「本門寺の戒壇」(同)1675㌻である。それを『三大秘法抄』や『一期弘法付嘱書』の御書の名を挙げて、あたかも大聖人が「国立戒壇」の語を御遺命として残された、伝統教義のようにごまかしているのである。さらに浅井は、文証として「国立戒壇」の語を使われている、日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人の御指南を挙げ、「このように、およそ血脈付法の正師にして、国立戒壇を熱願されなかった貫首上人は、七百年間、一人としておられない(顕正新聞 平成30年7月5日付)と述べている。

たしかに、浅井が列挙する御指南のように、本宗において昭和中期頃に便宜上、用いられたこともあったが、主権在民となり、信教の自由が保障された今日、時勢にそぐわず、さらには伝統教義ではない「国立戒壇」の名称は、使用しなくなったのである。ましてや、その名称すらなかった時代に「国立戒壇」を熱願したり、宿願とする御法主上人がおられるはずもない。その証拠に、「国立戒壇」の名称が世に出る以前は、御書はもちろん、御歴代上人の御指南にも「国立戒壇」の表記は一切ない」について

坊主の云う邪義と屁理屈もここまで来れば、もはや手の施しようもありません。坊主らは大聖人様が「一期弘法付嘱書」と「三大秘法抄」の両抄を以って、広宣流布の暁に建立する戒壇は「本門寺の戒壇」と断定しておきながら「国立戒壇」を否定していますが、坊主のいう「本門寺の戒壇」と「国立戒壇」は、同義語なのであります。池田大作の邪義に染められた坊主には、依義判文の意味がまるで理解できていないのであります。

池田の云く「戸田先生もわれわれも、いちじ『国立戒壇』といってきました。しかし、どこを捜しても、御書には『国立戒壇』ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目的である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。其れが本門の戒壇堂である。これでもう決定されたのですと。私ども創価学会員ならびに日蓮正宗信徒の真心の結集によって、本門の戒壇堂は、もうできてしまうのです。・・・・国家予算によって国立戒壇が建立されるということはありえないのです」(聖教新聞 昭和40年9月22日)と。

莫迦を云うのも大概にしなければなりません。ニセ戒壇正本堂が「本門の戒壇堂」である道理はありません。そもそも大聖人様が一期弘法付嘱書で仰せられる「国主此の法を立らるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との仰せと、三大秘法抄に御示しの「勅宣並びに御教書を申し下して」建立する戒壇とは、まさしく国教の樹立に他なりません。したがって両抄で仰せられる戒壇とは、国立戒壇のことであります。

ところが坊主らは「主権在民となり、信教の自由が保障された今日、時勢にそぐわなくなった」などと言って、国立戒壇に反対していますが、彼らは憲法を主、仏法を従とした本末転倒した考えに陥り、憲法を絶対的な不磨の大典の如く崇め、仏法は憲法の下に従属すべきものと決めつけていますが、これを称して転動の衆生と呼び、催尊入卑の典型と言うのであります。

仏法は、過去・現在・未来の三世を貫く国家の興亡盛衰と個人の幸・不幸の根本原因を仏様が説き明かされた永遠不滅の経典であります。それに対して憲法は、迷いの凡夫が作った国の基本法とも云うべきもので、如何なる憲法と雖も時の政権によって都合よく改正され、場合によっては、独裁政権によって廃止される事だってあるのであります。それをいまの坊主らは「主権在民だ、信教の自由だ、国立戒壇は時勢にそぐわない」などと目を三角にして騒ぎ立て、憲法は絶対の不磨の大典、仏法は憲法の下に従属するものと捉えて軽賤したうえに、大聖人様が定められた本門寺の戒壇=国立戒壇を徹底して虚仮にしているのであります。

此処で信教の自由について一言申し上げれば、例えば、大麻・アヘン・コカイン等の麻薬については、国家が麻薬取締法によって、これ等の使用を厳しく取り締まっています。それは麻薬は人間を根本からダメにし、家庭を崩壊させ、廃人にしてしまうからであります。宗教もそれと同じで、間違った教義を展開する邪教は、長い年月を掛けて一族郎党を、何代にも亘って不幸のどん底に陥れてしまうのであります。したがって、国家がその事の重大性を認識し、宗教の正邪に理解が及ぶならば、信教の自由なるものは、憲法の条文から削除されるのは当然であります。ただ悲しいかな、人間の内面の自由ばかりは、如何なる法律を以ってしても、是れを取り締まったり、制限を加えることはできないのが現実であります。

つづけて本門寺の戒壇を建立せらるべきなりとして

最後に坊主云く「大聖人の御遺命は、ひとえに一天四海広宣流布である。そして、その広布の暁に本門戒壇の大御本尊を御安置申し上げる「本門の戒壇堂」の建立である。建立の形態や手続き等に関しては、その時代の状況に則って、時の御法主上人のご判断によって決せられるから心配無用。破門され、大御本尊から離れた浅井ら顕正会が叫ぶ「国立戒壇」は、叶うことのない幻想なのである」等と記して、国立戒壇を主張する顕正会を笑い飛ばしています。

坊主の云うように「大聖人の御遺命は、ひとえに一天四海広宣流布である」については当然の事であります。それに坊主の云う「本門の戒壇堂」とは、一期弘法付嘱書で仰せの「本門寺の戒壇」のことだと思われますが、坊主は「本門寺の戒壇」と「本門の戒壇堂」は、まったく異なる戒壇であるごとき説明をしていますが、坊主のいう「本門の戒壇堂」なるものについては、如何なる性質の戒壇なのか、詳しい説明を是非とも聞きたいものであります。

それに広宣流布は「時の御法主上人のご判断によって決せられるから心配無用」などと喜んでいるようですが、日達や日顕のような悪貫主が再び出てくると、時の貫主が、国民の三分の一にも満たない時期を指して、広宣流布は達成と宣言する事ができます。坊主のこうした一方的な断定は、悪僧日顕が言い出した邪義であります。

日顕云く「いつが現実的な『(広宣流布の)暁』であるか、さらに広布の時期とその建物建立の前後等の決定は、一に法主上人の御判断によるべき処である」(国立戒壇の誤りについて 昭和47年6月刊)と。それを今の坊主は鸚鵡返しに叫んでいるのであります。広宣流布とは、どこから見ても万人が異論なく五官で感ずるものであります。

最後に当流行事抄の一節を拝読して終わりたいと思います。

寛尊云く「行者応に知るべし、受け難きを受け、値い難きに値う、曇華にも超え、浮木にも勝れたり、一生空しく過ごせば万劫必ず悔ゆ、身命を惜しまず須く信行を励むべし、円頂方袍にして懶惰懈怠の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道のでしなり云々。慎むべし、慎むべし、勤めよや、勤めよや」と。

此処で仰せられる「円頂方袍にして懶惰懈怠の者」とは、仏法の事は二の次にし、己が食うために出家して、頭を丸めた職業坊主のことであります。

いま宗門の中で大聖人様の御本願たる「国立戒壇」に反対し、邪義を振りまく坊主らを外道の弟子とまで仰せであります。また、法華経を杖として地獄に堕ちる者があると云われていますが、それは、せっかく富士門流生粋の日蓮正宗の僧侶となりながら、邪義を吹聴する坊主のことであります。それに、これらの坊主が垂れ流す邪義に踊らされて、国立戒壇に異を唱える愚かな在家信徒のことをいうのであります。

賢明な皆様は大切な一生を空しく過ごして、決して万劫悔いることのなきよう、大聖人様の御本願は那辺にあるかを知る事こそ最も大切であります。大聖人様の御本願を正しく信受し、大海を思うがままに遊戯する、功徳溢れる人生を満喫されんことを心から念願するところであります。