亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

今度は浅井克衛氏に矛先を向けている

2018年09月29日 04時01分31秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考(P.61~64)に、坊主らは「大石寺の一門となり通す」と題して次のように記して浅井昭衛氏を批判していますが、トンチンカンというか、的外れというか、浅井氏の主張と坊主らの言っていることは、何等変わるものではないにも拘わらず、浅井氏の主張は、あたかも血脈付法の歴代上人の御言葉を否定しているかの如く書いていますが、頭破七分の病に犯されると、表現の違いも見分けが付かなくなるようです。

坊主云く「浅井等の説く師弟相対のあり方の誤りについて述べてきたのであるが、本宗における師弟相対信はいずこに本源を置くべきか。『御本尊七箇之相承』には、「代々の上人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379㌻)と仰せられ、唯綬一人血脈付法の御歴代上人方を日蓮大聖人と拝し、その時代における大聖人の代理者と仰ぐべきことをお示しくださっている。また、三十五世日穏上人は、先師日元上人より御相承を受けられた際の模様を、次のように御教示せられている。

「元師いわく『日蓮が胸中の肉団に秘し持ちたもうところに、唯以一大事の秘法を、ただ今、御本尊並びに元祖大聖人・開山上人御前にして、三十五世日穏上人に一字一問も残さず悉く付嘱せしむ。謹んで諦聴あるべし』とて、すなわち一大事の秘法御付嘱あり。並びに開山日興上人・日目上人・日有上人等御箇條の條々、残さず御渡しあってさて元師のいわれるよう、『この秘伝、胸中に納めたもう上は、日蓮・日興・日目乃至日因・日元その許一体にて候。なかんずく日穏には、当今末法の現住・主師親三徳兼備にして、大石寺一門流の題目は皆、貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候え』との御言葉なり」について

日元上人とは、本宗第三十三世の貫首上人であられます。日穏上人とは、第三十五世の貫首上人であられます。此処では第三十四世の日真上人が抜けて飛び越されていますが、その辺の経緯は何かの事情が有ったのかも知れません。それは置くとして、「元師いわく『日蓮が胸中の肉団に秘し持ちたもうところに、唯以一大事の秘法を、ただ今、御本尊並びに元祖大聖人・開山上人御前にして、三十五世日穏上人に一字一問も残さず悉く付嘱せしむ。謹んで諦聴あるべし』とて、すなわち一大事の秘法御付嘱あり」と仰せられいますように、唯一大事の秘法たる本門戒壇の大御本尊と宗開両祖の御心を帯した富士の清流は、第三十五世の日穏上人の許へ一字一句をあます処なく唯授一人の血脈相承の次第に基づき付嘱為さしめたと、御相承の厳粛な儀式の模様を記されています。

したがって今後は、唯授一人の血脈相承を授けた第三十五世の日穏上人の処に富士の清流はそそがれたので、その清流を汚すも濁すも主師親三徳兼備の日穏上人の双肩に掛かっている。依って貴公の唱える題目と大石寺一門の唱える題目は、大聖人様がお唱え遊ばされる内証深秘の南無妙法蓮華経と聊かの相違しないものと心得て精進していきなさい。と激励されているのであります。

ところで時代は下り六十六世の日達管長に此の御文を当てはめて見た場合、「この秘伝、胸中に納めたもう上は、日蓮・日興・日目乃至日因・日元・日昇・日淳・日達その許一体にて候」と果たして言える状況だったでしょうか、日達管長にあっては御登座直後は確かに富士門流の伝統を引き継がれ、国立戒壇の正義を宣揚せられていたようですが、途中から魔障にたぼらかされて、この御文はまったく当てはまらない現実となってしまいました。さらに言えば、「なかんずく日達には、『当今末法の現住・主師親三徳兼備にして、大石寺一門流の題目は皆、貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候え』」とは、夢にも言えない為体となってしまいました。

その理由は、大聖人様の唯一の御本願である処の、本門寺の戒壇、即ち国立戒壇に反旗をひるがえして戒壇の御本尊様を冒涜したうえ、ニセ戒壇正本堂を指して之れを「広宣流布の事の戒壇」などと、とんでもないことを言い出したのであります。そのうえ、戒壇の御本尊のお在します所は、何時でも、何方でも、「事の戒壇」であって「義の戒壇」は、絶対に何処にも存在しないという邪義をまき散らし、本門戒壇の大御本尊様を最大限軽賤した揚げ句、大聖人様以来滔々と流れ来たった富士の清流を濁流に変え、取り返しの付かないほど宗門を大混乱に陥れて、爪の垢ほども功徳の生じない今日に至らしめたのであります。

つづけて坊主云く「さらに、日寬上人編『当家御法則』にも、「末法の本尊は日蓮聖人にて御座す也。然るに日蓮聖人御入滅有りて補処を定む、其の次々々に仏法を相属す、当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主に値うは、聖人の生まれ替りて出世し給う故に生身の聖人に値遇し結縁す」(研究教学書9捲740㌻)と示されているが、要するに、何時いかなる状況にあろうとも、富士大石寺の御歴代上人の門流となり通し、けっして離反せぬことこそ、本師日蓮大聖人の御心に適った師弟相対の姿であり、正しく血脈の流れ通う筋目なのである。顕正会員は、浅井を信ずる前に、これら大聖人・御歴代上人の御教示を伏して信ずべきであろう」について

上記の日寬上人が著わされた「当家御法則」の御文を要約すると次のごとくであります。

「末法の本尊は日蓮大聖人である。然るところ大聖人は既に御入滅せられ、日興上人を次の後継者(補処)として定めた。また、日興上人は、日目上人へ、日目上人は、日道上人へ、日道上人は、日行上人へ、日行上人は、日時上人へ、日時上人は、日阿上人へと三大秘法を相嘱された。当代の処に戒壇の大御本尊と富士の法水が存するのである。したがって当代の貫首上人にお値いすることは、まさしく大聖人様にお値する事と同じこととなり、即身成仏の縁を結ぶことになる」と。

しかしながら、悲しいことに七百年の間連綿と受け継がれた富士門流の流れを汲む日蓮正宗は、第六十六世を継いだ日達管長の時代に富士の清流の中に「国立戒壇」否定という毒が入れられ、今日に至るも、その毒を洗い流すことが出来ていません。したがって坊主が言うように「何時いかなる状況にあろうとも、富士大石寺の御歴代上人の門流となり通し、けっして離反せぬことこそ、本師日蓮大聖人の御心に適った師弟相対の姿であり」との主張は少し違うのではないでしょうか、ただ「けっして離反せぬことこそ大切」な事だと思われますが、かりそめにも、間違った貫首の教導に随順するならば、功徳も、成仏も、お預けになるばかりか、仏罰を被ることになるのであります。

したがって仮に顕正会員が何らかの理由で宗門に移籍して信心を持続しながら功徳を得ようとするならば、間違った坊主の信心指導にとらわれる事なく、一人で血脈付法の貫首上人の御教導のまま正しい信心を貫くしか方法は無いのであります。いわゆる間違った信心指導には面従腹背を貫くしかないのでありますが、それは観念論いすぎず現実は不可能なのであります。したがって顕正会に在籍したまま信心をつづける覚悟の会員は、浅井会長の指導を実践しつつ歴代血脈付法の正しい貫首上人の御教示を胸に浮かべて、日々精進する以外に道はないのであります。

ただ、ここで顕正会で行われている総幹部会や各種の集会で報告されている顕正会員の体験発表を見る限り、いずれも驚異的な様々な功徳の体験が報告されているのも事実であります。それと併せて、人生の総決算とも云うべき、父母や家族が臨終を迎えた時の成仏の妙相が感激とともに語られていますが、それは「千日尼御前御返事」にお示しのとおり「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重きこと千引きの石の如し。善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、輭(やわらか)なる事兜羅綿(とろめん)の如し」の御金言どおりの、素晴らしい成仏を遂げることができたとして、多くの会員が即身成仏の有難さを語っています。

それに反して、宗門では能化と呼ばれていた高僧が死去した時の様相が、機関紙「大白法」で報じれていますが、成仏を遂げたという報道は、今までまったく見たことも聞いたこともありません。これは尤もな話しであります。大聖人様の唯一の御遺命に背いて成仏を遂げるなんて、如何に高僧と雖も絶対にあり得ないのであります。

つづけて坊主云く「なお、浅井は、前掲の『御本尊七箇之相承』の御文の意味について、「よく読んでみれば、法体の付嘱を受けたもうた嫡々代々の上人が書写された御本尊は、ことごとく即戒壇の大御本尊、即日蓮大聖人の御魂と信ぜよとの御意にすぎない」などと述べている。しかるに、浅井のいう、御歴代書写の御本尊に約して即日蓮大聖人の御当体と信ぜよ、との文意は、『七箇之相承』の次上の文に、すでに、「日蓮と御判を置き給う事如何。師の曰わく、首題も釈迦・多宝も上行・無辺行等も普賢・文殊等も舎利弗・迦葉等も梵・釈・四天・日月等も鬼子母神・十羅刹女等も天照・八幡等も悉く日蓮なり(長文ゆえに中略)本尊書写の事、予が顕わし奉るが如くなるべし。若し日蓮御判と書かずんば天神・地神もよも用い給わざらん」(聖典379㌻)と示されているのである」について

ここで坊主らは浅井氏の解釈に対して、訳の分からない因縁を付けていますが、はたして坊主らは上の御文の意味が解って引用したものか、それとも適当に取って付けたのかは理解に苦しむところでありますが、此の御文は大きく分けて二つの大事が示されていることになるのであります。

①には、「師の曰わく、首題も釈迦・多宝も上行・無辺行等も普賢・文殊等も舎利弗・迦葉等も梵・釈・四天・日月等も鬼子母神・十羅刹女等も天照・八幡等も悉く日蓮なり」とは、御本仏大聖人様の御生命の実体、即ち十界互具一念三千の大聖人様の御生命の本質を説明されているところの御文であります。

②には、本尊書写についての注意であります。即ち大聖人様の顕わされた御本尊は、即久遠元初の自受用身の一身の相貌顕わし給うたものであります。したがって、御本尊の中央に南無妙法蓮華経と認められた真下に、「日蓮在御判」と書かなければ、人法体一の御本尊とならないばかりか、自受用身即一念三千・一念三千即自受用身の本尊にはならないのであります。依って、南無妙法蓮華経の真下に、仮に「日達在御判」あるいは「日顕在御判」と書いた場合、天神・地神も、こんな可笑しげな本尊は用いないと仰せられているのであります。

すなわち、天界に存在する、諸天善神の働きも完全に無くなるばかりか、こんな本尊らしき下手物を仮に拝んだりすると、未来永劫に堕獄するほどの仏罰を蒙るということを説明されているのであります。そればかりか、日達、日顕、日如らの血脈が断絶者が者が書写した本尊は、本尊とは呼ばないのであります。その故は、大聖人様の御本願たる国立戒壇に反対する、これら三人が書写した物は、「本尊もどき」と言うべきもので、こんな物を本尊として拝む者は必ず取り返しのつかない仏罰を蒙るのであります。

さらにここで一言付け加えるならば、悪僧日達、日顕、あるいは日如管長の書写した本尊もどきの真下に「日蓮在御判」と記した本尊と云えども、これらの本尊もどきを汗水垂らして一生懸命に拝もうとも一切功徳は生じないのであります。そればかりか、反って仏罰を蒙る事になるのであります。その故は、彼らは大聖人様の唯一の御本願たる国立戒壇に反対するという師敵対を貫いているからであります。

如何に日蓮正宗の貫首と雖も、国立戒壇に反対を決め込んだ瞬間に唯授一人の血脈は断絶するのであります。依ってこれら管長の書写した本尊もどきは、血脈が断絶している者が書写した代物は、御本尊書写の資格を喪失した者が書写した本尊もどきとなるからであります。したがって彼らの書写した本尊もどきを有り難がって拝することは、御本仏大聖人様・二祖日興上人並びに歴代正師の書写した御本尊と爾二不二の尊体と認めて拝することになる故、その大法謗を大聖人様が決してお許しにならないから仏罰を蒙る結果となるのであります。

つづけて坊主云く「このことを踏まえ、虚心坦懐に拝するならば、「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、代々の上人悉く日蓮なりと申す意なり」(同㌻)との御文は、御本尊を書写あそばす嫡々御歴代上人の位に約して日蓮大聖人と仰ぐべき文意であること、天日を見るがごとく明々白々ではないか。苦しい言い逃れは、所詮、無理というものである」について

坊主が指摘していますように、浅井昭衛氏は、何ら「苦しい言い逃れ」をしているわけではありません。坊主は何を勘違いしているのでしょうか。ところが坊主に言わせると、「御本尊七箇之相承」の御文を浅井氏が間違った解釈をして、顕正会員に間違ったことを吹き込んでいるごとく書いていますが、大聖人様の唯一の御本願であるところの「国立戒壇」を否定したり、芸者遊びにうつつを抜かし、あるいはシアトル事件を起こしたり、「勅宣・御教書」を建築許可証などと解釈するような、いかがわしい者は管長と呼ぶのが最もふさわしく、そんな坊主を直ちに「日蓮大聖人と拝し、その時代における大聖人の代理者と仰ぐ」ことはできないのであります。その大事を御開山日興上人は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用う可からざる事」と仰せられているのであります。

坊主云く「また、浅井の息子の克衛にいわせると、前に引用せる『当家御法則』について、「この書の題号は『抜書雑々集』であって、これを『当家御法則』などと称するのは大誑惑で、切腹ものだ」そうであるが、この書を謹写せられた二十九世日東上人は、題号を『当家御法則』と御認めになっておられる。克衛のいう『抜書雑々集』というのは、じつは、同書の副題にあたるものなのである。

また、克衛は、ここに同書から引用した一節も、「日寬上人の文ではなく左京日教師の文であって、日寬上人はこれを破折のために引用されたのである」と強弁するが、克衛は何か夢でも見ているのではなかろうか。いったい、どこに日寬上人がこの文を破しておられるというのか。左京日教師の書中の文とはいえ、これが本宗の信条にも相適う内容である故に、日寬上人が自在に用い、しかも肯定的な意味に構成されているのだから、むしろ、この文は日寬上人の御教示と仰いで、なんら、さしつかえない筈である。笑うべき思いつきはやめるがよかろう」について

ここで坊主らは浅井克衛氏が述べた言葉を引き合いに出して、彼をやり玉に挙げていますが、「当家御法則」なる書については、信徒の端くれとしては目にする機会もありません。ただ憶測をいうなら、題名から判断すれば、日蓮正宗僧侶の規則集とでもいうものだと思われます。それを指して浅井克衛氏が「抜書雑々集」と呼んでいるとして、坊主は克衛氏を非難していますが、坊主も認めていますように、「当家御法則」の副題に「抜書雑々集」として記されているのであれば、克衛氏の指摘もまんざら嘘でないことが読み取れます。

それに克衛氏が述べている一節は、「日寬上人の文ではなく左京日教師の文であって、日寬上人はこれを破折のために引用されたのである」と主張したのに対し、坊主は「克衛は夢でも見ているのではないか」などと毒舌を吐いていますが、坊主は後に「これが本宗の信条にも相適う内容である故に、日寬上人が自在に用い」られたとして、克衛氏が述べた一節は、左京日教師の筆であることを認めています。

さらには、坊主は「日寬上人はこれを破折のために引用されたのである」と坊主自らが、この発言は克衛氏の発言として非難しておきながら、その直後に「どこに日寬上人がこの文を破しておられるというのか」などとトンチンカンなことを書いていますが、まるで日本語になっていません。

そもそも摧破異流義考誌は、多くの顕正会員に読ませるため、顕正会の矛盾を突く為に上梓された本である筈です。であるならば、もっとまっとうな日本語を使うべきだと指摘しておきます。

坊主云く「さらに、浅井昭衛は、何としても御歴代上人を尊崇したくないために、「歴代上人のどなたが『自分は時の大聖人だ』などと云われていようか。そんなことは絶対にない」等として、例証に日達上人の御言葉を引いたりしているが、どうやら浅井のような増上慢には、宗教的謙譲心などというものは理解ができぬらしい。あえて浅井のために教えておくと、日寬上人の『当家三衣抄』には、仏法僧のうちの僧宝を日興上人・日目上人以下「嫡嫡付法歴代の諸師」(聖典971㌻)とされており、さらに『真言見聞』に、「三宝一体」(御書608㌻)と仰せのごとく、仏法僧の三宝はもとより一体と仰ぐのが仏教の基本なのである。これで充分であろう。もっとも、浅井教が外道であれば、仏教の基本もわからなくなって当然だが----。あるいは、何も知らぬ一般会員を欺いているうちに、本当に外道にまで堕ちたものかもしれぬ。ただ、呆れるばかりである」等と言いたい放題の悪口を記しています。

日寬上人の『当家三衣抄』には、仏法僧のうちの僧宝を日興上人・日目上人以下「嫡嫡付法歴代の諸師」と、御示しであられるようです。したがって「僧侶」を三宝の中に含むるとされたのは、あくまでも、血脈付法の正しい貫首上人と、その流れを汲む御僧侶に限るということであります。

七百年来の富士の清流に「国立戒壇」否定という邪義を垂れ流して、日蓮正宗の根本宗旨を破壊するような、日達、日顕という悪僧は、決して三宝の中に含まないのは当然であります。また、摧破異流義考誌に登場して邪義を振りまく坊主らも、三宝に含まれないことをよくよく認識すべきであります。








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