亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

顕正会の組織は四者体制に

2015年07月16日 13時44分01秒 | 亡国の坂道 
本ブログは、今日の宗門の教義逸脱問題と、元妙信講の生一本の大聖人様に対し奉る、広宣流布への御奉公の姿を題材にし、両者の主張の違いを明らかにしつつ、史実に基づきいずれが大聖人様の御心に適う信心なのかという、さまざまな角度から論を展開してまいりました。そうしたなかで、宗門の教義歪曲問題を厳しく追及してきた妙信講も残念ながら、いつしか新進気鋭の駿馬の色香美味は失われ、時代の経過とともに駄馬の身に生気が失われるがごとく、広宣流布に掛ける活力がいつしか緩んで来たようです。

中でも妙信講は、昭和49年8月には死罪に等しい講中解散処分という罪科を着せられながらも一歩も怯むことなく、大聖人様の御本願たる国立戒壇の御遺命守護の闘いを果敢に繰り広げてまいりました。ところが、かつての妙信講が、「日蓮正宗顕正会」と名称を変更し、あるいは今日の、「冨士大石寺顕正会」へと名前を改称した平成八年辺りから、あらゆる面で著しい変化が見られるようになりました。

今日では当時とは比べ物にならないほどの変化を遂げ、果たして顕正会の変質をこのまま放置することは近い将来に必ず、禍根を残すのではないかと危惧してるところでございます。それを憂慮する者とはいえ、己の無力と不甲斐なさを嘆くのみで、唯々無念の気持ちが先立つばかりで、残念の一言であります。この著しい変化を豹変といわずして、何と表現すればよいのでしょうか!

その一端をお示しすれば、顕正会は最も大切な教学部を廃部にして、学習会と称する催しが、ここ二十年余り一切なくなってしまいました。それに加えて構造的な組織の大改変であります。

最初に組織の改変について申し上げますと、昔の地域別の壮年部、婦人部、男子部、女子部といった四者別の理想的な組織は解体され、壮年部は廃部となり、婦人部、男子部、女子部の三者体制に編成されて壮年部は消えて無くなりました。今までの壮年部員は「男子部」という組織の中に吸収されると同時に、併せて地域に根ざした支部組織は解体多くの多くの支部長は全員首を斬られ、組織の中では元支部長の豊富な人生経験と、熟練した組織の活性化に必要な智慧は、広宣流布の闘いになんら活かされることもなく、物言わぬまま、寂しく埋没してしまったようです。

今では、どこから見ても壮年部に所属すべき、60代70代の壮年から、果ては90代のお爺さんが、男子部に所属することになってしまったのです。そればかりか、中には、年老いたお婆ちゃんや、若い女の子が男子部に所属し、あるいは、婦人部に若い男子が所属し、若い女子部の組織に60代~90代の老いぼれ爺さんが所属するという、一般世間では到底考えられない、鬱々とした一種異様な戸惑いと重苦しい空気を感ずるのでありますが、こうした空気が組織の活力を奪い、笛吹けど踊らずの無気力の温床となり、組織の養老化を招くことに直接繋がっているのであります。この流れは今後ますます加速することは明らかで、誰人も止めることのできない現実であります。

それに輪を掛けて、地域の名前を付した「東京、大阪、福岡」等の名前を冠した組織名は一切使用することなく、例えば、第2男子部13隊、足立支隊、岡本班。とか、第15男子部37隊、中山支隊、飯田班。といった具合に、すべての組織の頭に数字を冠せた、まるで北朝鮮の軍事組織を思わせるような、体制にしてしまったのであります。したがって、第2男子部13隊と聞いても、日本のどの地域の顕正会の男子部なのか、さっぱり見当もつかないありさまなのです。

こんな状態では、同志としての親しみも連帯感も生まれる筈はないし、すべてが他人事に聞こえるのであります。これは明らかに組織の構造的欠陥であります。