亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

坊主は天母山は有るが天母ヶ原は存在しないという

2014年06月06日 13時35分57秒 | 亡国の坂道 
「摧破異流義考」(P.97~99)に、八、『天母山・天性原・大石ヶ原』についての妄説」という表題を付けて、性懲りも無く独断と偏見を垂れ流しながら、顕正会の浅井会長を誹謗中傷しています。

坊主の云く「天母山とは、大石寺の東方四キロにある小高い丘(安母山)の名であるが、天生原(天母原)については、そういう特定の場所・範囲を示す実際の地名はなく、一般に、天母山をも含む広い富士の岳麓一帯を、かく称してきた。すなわち天生原とは、天母山はもちろんのこと大石寺の在所たる大石ヶ原を含んだ、さらに曠々たる地域とみることができるのである」等と。

またまた坊主の日本語は解りづらいですね~、驚きましたね~、「天生原(天母原)という地域も地名も存在しない」などと断定しておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、「天生原とは、天母山はもちろんのこと大石寺の在所たる大石ヶ原を含んだ、さらに曠々たる地域とみることができるのである」等と、頭破七分の仏罰を被った精神異常者のような世迷い事を垂れ流しています。要するに坊主らは天生原(天母原)は、大石ヶ原の一部だと言っているのであります。

浅井会長は「天母山と天生原は、果たして離れた異地にあるのであろうか。(中略)中心の小高い丘を『天母山』といい、そのふもとの広がりを『天生原』という。まさに一体の地名ではないか。(中略)そもそも天生原は地名である。大石ヶ原も地名である。場所が異なるからこそ地名も異なるのではないか。『大石寺』の寺号が、大石ヶ原の地名に因ることは誰人も否定しない。この地にあって、日興上人以来歴代上人は、東方四キロにある最勝の地たる天生原に、国立戒壇が建立されることを熱願されてきたのである」と仰せられているのであります。

要するに坊主らは、大石ヶ原の広がりが天母山であり、それと繋がる大石ヶ原も天生原と言いたいのであります。このような馬鹿げた論理は、例えば、自分が所有するAという名の付く土地から、四キロも離れた所にあるBという名前の他人の土地も、自分の所有するAという名前の土地だと騒いでいるような構図であります。場所が異なれば当然地名も異なるという事が、全く理解できていないのであります。頭破七分とは恐ろしい病気であります。

坊主らは「天生原が大石寺から『東方四キロにある』離れた異地であると見せかけ、なんとしても大石寺即大本門寺を否定しようとしているのである」等と言いがかりをつけて浅井会長を誹謗し、それが恰も浅井会長の発言の如く装って憚らないのであります。坊主らはあくまでも大石ヶ原の広がりが、天生原(天母原)であって、四キロも離れてはいないと主張しているのであります。

坊主らはこのように独り芝居を演じながら、浅井会長を次のように誹謗しているのであります。

云く「誰も、天母山と天生原が離れた異地にある、などといっておらぬのに、勝手な批判をしたあげく、『まさに一体』と称して、天生原の広がりを天母山付近の狭い地点に限定、天生原が大石寺から『東方四キロにある』離れた異地であると見せかけ、なんとしても大石寺即大本門寺を否定しようとしているのである」等と支離滅裂な論理を展開しながら、自らの狂言を他人の性して批判を加えているのでありますが、こうなったら気違いに刃物で手が付けられないのであります。

要するに坊主らは「天生原の広がりを天母山付近の狭い地点に限定、天生原が大石寺から『東方四キロにある』」ように見せかけたのは浅井会長だとして、口を極めて攻撃を加えているのであります。その揚句、大石ヶ原と天生原が一体である如く、大ほらを吹いて牽強付会しているのは、頭破七分の高等精神病にやられた他ならぬ坊主なのであります。

頭破七分にやられた坊主らは、天生原は無いと言ってみたり、天生原は広大な広がりと言ってみたり、大石ヶ原の広がりが天生原だと言ってみたり、あるいは、天生原は大石寺から東方四キロも離れた所にあるように(浅井が)見せかけたと言う。いったい何が言いたいのか、さっぱり解らないのであります。こんな単純な事柄で右へ左へと揺れて右往左往した揚句、果ては有るとか、無いとかの話になってしまう。それが、もっと大切な教義上の問題になったらどうなるのでしょうか! 空恐ろしくなるのであります。信徒はこのような無能な坊主に胡坐をかかれ、邪義を吹き込まれて堕獄するのであります。

涅槃経二十二に云く「悪像等に於いては心に恐怖する事無かれ、悪知識に於いては怖畏の心を生ぜよ、何も以ての故に、是れ悪像等は唯能く身を壊りて心を破る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に。乃至悪像の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」(唱法華題目抄)と。

三趣とは、地獄、餓鬼、畜生の三悪道であります。悪知識というのは、邪義を垂れ流す正宗坊主のことであります。

今日の日蓮正宗の坊主らは、そんなデタラメなことを吹聴しながら「御歴代上人の仰せられた『天生原』が、小高い丘(天母山)を中心とした、そのふもとの広がり、という程度の広さであるならば、何故、五十六世日応上人は、『富士山の麓に天母ヶ原と申す曠々たる勝地あり』とおおぜられたのか」等と、真反対な屁理屈を並べて自らの立場を補強しているのであります。

その結論として「所詮、浅井の反論なるものは、この程度のものであって、こうした浅井ごとき男に、天母山を天生原と会通された御歴代上人方の御苦衷など、もとより理解できよう筈もないのである」等と結論づけているのでありますが、代々の上人方が会通されるも、されないも、あったものではありません。坊主がなにを言おうと、天母ヶ原は厳然と存在するのであります。

浅井会長は「天生原(天母ヶ原)は、大石寺から東方四キロの所に存する南麓の景勝地、中心に約せば、天母山であり、麓(ふもと)に約せば天母ヶ原となる」と、万人が納得できる解説を為されているのであります。


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです、バーズです (バーズ)
2014-06-10 00:06:24
今回の「坊主は天母山は有るが天母ヶ原は存在しないという」の記事を、私のブログで転載させてください。よろしくお願いします。
Unknown (oyasima_2173)
2014-06-10 04:11:16
お久しぶりです。拙文が参考になるなら、どうぞ
浅井会長も昔は (旅人)
2016-02-11 14:00:33
今ではずっと天母山説を唱えてきたみたいに言う浅井会長ですが、昔はそうでなかったんですよ。
国会図書館で過去の文献を調べてごらん。

コメントを投稿